おっくんが言いました。
「次回はもう少しゆるい感じでやりませんか?」
前回の“アリエネ回”があまりにハードコアな放送で、僕のガラスのハートが砕けそうになっていた事に気づいたわけですね。はは。
僕の方も放送と、コラム2本に3本のネーム、そして「でんぱ組のライブ」でクタクタになっていたので、「そうだね、ゆるいヤツだと助かる」なんて感じでやってみたら、このザマですよ。
2時間以上ふざけ倒したあげく伝説のからあげ回ですよ。あはは。
何でしょう。
「こういうのは別に地上波でもやってるからいらない」という意見がある一方で、「面白いラジオみたいでずっと笑ってた」とか「俺的には神回」なんて人もいて興味深い結果でした。
(反省病)
案外「熱い話と深い教養」が求められている事もわかって、やって良かった試みでした。
次回は熱い分析と哲学に、バカ話を良い感じでブレンドして、更なる「質の高い放送」を目指しますね。
(テーマが「元気をくれる映画」なので自信があります)
ところで、今回の放送での収穫の中に、「コンプレックスの話」がありました。
コンプレックスの問題はみんなにとって大きな問題らしいです。
まあそうですよね。
なので、今回は「コンプレックスのやっつけ方」について書きます。
・コンプレックスはどこからくるか?
今回の放送の中で「地球に自分しかいなかったらコンプレックスは存在しない」という話をしました。
「他人の目」があるからコンプレックスは存在するわけです。
そして、よく言われている通り「人と自分を比べるからコンプレックスは生まれる」わけです。
とはいえ、「人からどう見られているかなんか気にするなよ」なんて言われても、そんな事できるならとっくにそうしてますよね。
コンプレックスの原因が「修復可能」であればいいんですけど、その多くが自分の気持ちの問題です。
今回、放送中におっくんが「鼻が低い」というコンプレックスを抱えていることを始めて知りました。
それでも彼は整形はしないと言います。
つまり「そこまでするほどの問題ではない」という事で、それは「自分の心の許容範囲内」の事だからでしょう。
僕にもコンプレックスらしきものはあります。
実は僕は自分の声が大嫌いなのです。
放送中にモニターから自分の声が聞こえるとうんざりしてしまいます。
下ぶくれの顔も嫌いです。
子供の頃は天然パーマも嫌いでした。
年齢を重ねて、昔の僕を知っている人から見たら、今の僕は劣化のひどい醜い姿に見えるかもしれません。
そんなこんなで、気分の落ちている時は正直、人前に出たくなくなるのです。
それでも、何か面白い現場にはいたいし、伝えたい事も聞いてみたい事も沢山あって、その欲望が「コンプレックスを追い越してしまう」のです。
そんなわけで、自分を見られたくないし、声を聴いてほしくないくせに「生放送」に出てしまったりしているわけです。
・頭で理解してみる
どうしてそれ(人前に出る事)ができるのかと言えば、「人は他人の事などほとんど見ていない」という事を頭で理解しているからです。
これはあくまでも「理屈の範囲の話」なので限界はあるのですが、やっぱり「人は他人を見ていない」ものです。
その人が容姿に明らかな「弱点」を持っていても、それが「悪印象」を与えるとは限りません。
ハゲやデブが「好印象」を与えることは普通にあるのです。
むしろ良くないのは「私なんか」と言って、自分のコンプレックスを檀上に(議題に)上げて、「そんなことないよ」と周りに言わせる事です。
最悪なのは「どうせブスだと思っているんでしょ!」なんてやってしまうことです。
「どうせ高卒だと思っているんでしょ!」も「どうせ地方出身」も最悪です。
ほとんどの人がそんなこと気にもしてないからです。
・ドラッグクイーンに学ぶ
女の人の中には、ある時点で「開き直る」という事ができる人が多いので、これは見習いたいものです。
ゲイの人にも素晴らしい「開き直り」を見せてくれる人達がいます。
「これでいいの!これがあたしなの!文句ある!?」という感じで、どんなに男らしい見た目で生まれても堂々とドレスやハイヒールでキメるわけです。
最高です。
ドラッグクイーンの人達の「開き直り」には憧れます。
・コンプレックスで失うもの
それでも「人にどう言われるか気になるし、そんなにふてぶてしくなれない」と言うなら、今度は「他人の目を優先して何を失うか?」という、コンプレックスがもたらす損失について考えてみましょう。