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山田玲司のヤングサンデー 第44号 2015/8/03
「AKBとはサイボーグ009だ」の話から見えてくるもの
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009の制服は、収入の安定と世間体を保証してくれる、大学だの企業のブランドとは違います。
僕は「制服」ってのが基本的に嫌いです。
僕の中学は強制的に男子は坊主刈りにされ、詰め襟の学ランを強制的に着せられました。
当時の僕は70年代ヒーローに感化され「1人でも戦う」と、心に誓った「ライダー」だったので、みんなと同じ制服や髪型を強制される事は「ショッカーの戦闘員にされる気分」で、死ぬほど嫌でした。
ただでさえ「国や学校、教師」みたいな大人を信用していないのに、この制服、丸刈り強制は、僕のような「ライダー中学生」に絶対的な不信感を植え付けました。
ここで「抵抗しても無駄だよ」という学生と、「どうにかして好きにやってやる」という、ほぼ2種類の学生が生まれ、僕は前者の「諦めた人たち」と対立し、以降数十年生きてきました。
制服は僕にとって抑圧の象徴で、自分を消されるという拷問だったのですが、同級生の中には「制服」という記号に守られる事に気がついたしたたかな連中がいたのです。
どこかの学校の制服を着ていると、その人は「〇〇君」という個人というより、「〇〇学園の学生」という記号として見られます。
自分はどういう人間か?という問題を放棄する事が許されるわけです。
後に、学歴ブランドによる嫌な特権意識を目の当たりにする様になって、いよいよ僕の制服嫌いは決定的なものになっていきました。
「私はこういう人間です」ではなく「私は〇〇大学の者です」「私は〇〇社の者です」という、制服(所属)で判断される現実に気が着く頃には「みんながショッカーか!?」と憤り、彼女が「そういう所属で人を見る、制服好き人間」だと知った時、僕の絶望は確定したのです。
もう「ライダー」も「デビルマン」も「ブラックジャック」もいない・・
だったら俺だけでも「制服」は着ない!
くたばれスーツ野郎!
なんて誓った22歳の冬。
そして、あれから数十年、先週アイドルのチバレイが出てくれたので、少しアイドルについて考えていました。
そこで「AKB」は制服を着たアイドルという戦略で大成功している側面に今更気づいたわけです。
みんなが同じ制服を来ていると、服の印象でごまかせない分、個々のキャラクターに目が行きます。
しかも、みんな高水準の選ばれた美しさを持った女の子なので、その集団全体が「かわいい」という錯覚を起こします。
「選ばれた可愛い女の子」の集団という制服で、個々の能力をアピールする。
それが、まるで同じ制服を着て戦う個性豊かなサイボーグ戦士の009の連中と同じに見えたわけです。
009の制服は、収入の安定と世間体を保証してくれる、大学だの企業のブランドとは違います。
彼ら(彼女ら)は戦争で儲けようとする武器商人「ブラックゴースト」を倒すために集まっているので、制服はその意思表明なのです。
なんだか今の時代にリンクする話で、その話もしたいのですが、今回は制服の話に集中しましょう。
そもそも制服はその集団の「意思」を象徴するものです。それが企業のブランドイメージになってくると「お金のために集まった」という集団が「皆様の暮らしを豊かに・・」みたいな嘘くさい「意思みたいなもの」を纏う事になるので、気分が悪くなるんです。
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