「だから、言わんこっちゃない!」の初回(1月17日配信)で、「KOBE」と「フクシマ」に触れました。
因(ちな)みに、「30年後の日本を映し出す手鏡」と題して「週刊ポスト」に寄稿した「1・17」震災翌年の一文は、「神戸震災日記」(新潮文庫)の中に採録されています。
 直感力と洞察力、構築力と行動力の何れをも有し、「的確な認識・迅速な決断・明確な責任」を取り得る指導者に恵まれない日本という社会の問題点を、改めて痛感します。

 それは、「抜本的解決」を行えず、と言うよりも、そうした発想と選択すら出来ず、単なる「問題先送り」でお茶を濁そうとする日本が乗り越えねばならぬ問題です。
と申し上げると、じゃあ、他の国はどうなんだよ、と茶々を入れる御仁が、決まって現れます。
いやぁ、勿論(もちろん)、御指摘の通りで、「公正=フェア、透明=オープン、簡素=シンプル、理に叶(かな)った=ロジカル」の4要素を完璧に踏まえた決断を実行し続けている国家など、古今東西、何処(どこ)にも見当たらないでしょう。

日本人の頭脳や思考が圧倒的に劣っていて、アメリカやら中国やらフランスやら、他国人の方が圧倒的に優れている筈もありません。所詮は同じ“考える葦”という小さな=チンケな人間でしかないのです。
仮に冷静沈着・勇猛果敢に事態に対処する、まっ、言ってみれば、ソクラテスレヴェルの碩学(せきがく)=指導者ばかりであったなら、また、その心智(しんち)=メンタリティを理解する国民が大半を占めていたなら、彼の時代から2400年以上を経ても猶、この程度で「民主主義」が停滞している訳もないのでね。

と又しても、概論に入る前に総論で足踏みしてしまう田中康夫の言説=ディスクールに直面して、切歯扼腕(せっしやくわん)=イライラしている購読者の皆さまが多数、居られるでしょうから(苦笑)、そろそろ、具体的事例へと参りましょう。

掲載されているのは「産経新聞」ですが、記事を出稿=配信したのは「共同通信」です。全く同じ文章が「e-WISE」と題する共同通信社の会員制サイトに、1月17日16時07分配信とクレジット=明記されて掲載されています。
誤解無き様に予め申し上げておけば、今回は「誤送船団・忌捨クラブ」の問題ではありません。2人の登場人物の心智=オツムの中味が、余りにもお粗末だと誰もが得心出来る、極めて優れた好例=テキストだ、という話なのです。一応、全文を再録しておきます。
青森を最終処分地とせず 経産相、知事に確約

2013.1.17 16:10 産経新聞

 青森県の三村申吾知事は17日、経済産業省を訪れ、茂木敏充経産相と会談、同県を使用済み核燃料の再処理で出る高レベル放射性廃棄物の最終処分地にしないとの政府による確約をあらためて求めた。経産相は「約束を厳守する」と答えた。
 青森県は高レベル放射性廃棄物の一時的な貯蔵を受け入れているが、政権が交代した際などに同県を最終処分場にしないとの約束を確認している。
 茂木経産相は最終処分地の選定について「問題を先送りすべきではない」と国が前面に立って取り組むと説明。核燃料サイクル政策については「意義は変わらない」と推進する考えを示した上で、青森県六ケ所村の再処理工場、むつ市の中間貯蔵施設は「(完成に向け)着実に進められると考えている」と述べた。
「共同」配信の3分後に「産経」が掲載している訳ですが、嗤(わら)えるのは、「会談を前に握手する、青森県の三村申吾知事(左)と茂木(敏充)経産相=17日午後、経産省」とクレジットされた写真です。
“お間抜け”な笑顔は一体、ナンジャラホイです。

三村某氏は新潮社で編集者を務めていた人物で、僕が県知事時代に全国知事会で幾度か顔を合わせています。
茂木某氏も彼が丸紅、読売新聞社、マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、確か別の米国系コンサルティング会社に勤務していた時分に、大妻女子大学を御卒業の奥方と共に邂逅しています。

 それは兎も角、記事を一読したなら、これぞ無責任な「問題先送り」の極致です。
にも拘らず、「最終処分場の選定について『問題を先送りするべきではない』と国が前面に立って取り組むと説明」、「核燃料サイクル政策については『意義は変わらない』と推進する考えを示し」、「青森県六ヶ所村の再処理工場、むつ市の中間貯蔵施設は『(完成に向け)着実に進められると考えている』」と述べる頭脳構造は、いやぁ、貴重な研究対象として、可及的速やかにCTスキャン=X線コンピュータ断層撮影を実施したい誘惑に駆られますデス。

記事冒頭の「同県を使用済み核燃料の再処理で出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場にしないとの政府による確約をあらためて求めた」青森知事に対し、「経産相は『約束を厳守する』と答えた」ってのも、凄い話です(苦笑)。何処に最終処分場を設ける訳よ? 
「県外・国外」と胸を張った鳩ちゃんを「無責任」と批判していた側も、実は同じ心智だった、紛れもない、と言うか、頭を抱えざるを得ない日本の「政事」の幼児性です。

 日米開戦から70年の一昨年12月8日、「東京電力福島原子力発電所事故に係る両議院の議院運営委員会の合同協議会」で僕は5分間の意見陳述をしています。その中から再録しましょう。

「放射性汚染土壌の仮置き場を福島県内の国有林に。同県内に設置する中間貯蔵施設も30年間。その後の最終処分場は県外設置を約束。と政府は述べています。が、最も年若い大臣の細野豪志氏とて30年後は70歳。大半の政治家は引退しています」

映像はこちら…YouTube
11/12/08 東京電力福島原子力発電所事故に係る両議院の議院運営委員会

原稿はこちら…PDFファイル

議事録・映像・参考資料
http://www.nippon-dream.com/?p=6442


民主党であろうと自由民主党であろうと、「問題先送り」の権化(ごんげ)とも呼ぶべき官僚と同じ心智だって事です。
再録を続けます。

「122年前、奈良県十津川村の十津川大水害被災者は、北海道の空知平野に新十津川町を築きました。メルトダウンを超えた東京電力福島第一原子力発電所の周囲は、『放射能に占領された領土』と冷徹に捉えるべき。原発から少なくとも30km圏内は居住禁止区域に設定し、愛着を抱く郷里から離れる当該住民には、国家が新たな住居と職業を保証・提供すべき。それが『国民の生命と財産を護る』政治=立法府の責務です」

「国有林内の『保管物』が雨水に混じり河川に流れ出たら、イタイイタイ病どころの話ではありません。映画『100,000年後の安全』に登場するフィンランドの『オンカロ』も未だ建設中。イギリスの『セラフィールド』も迷走中。今、この瞬間も放射性廃棄物の最終処分場が地球に存在しません。住民移住後の30km圏内を、世界中から核廃棄物を受け入れる最終処分場としたなら、これぞ最大最強の安全保障政策となります」

まっ、こうした提言に馬耳東風な面々は、映画「六ヶ所村ラプソディ」( ※六ケ所村ラプソディに関するWikipediaの記事はこちらのリンクから御覧ください )を単なる偏狭なイデオロギーのプロパガンダだと冷笑するのでしょうね。実は、トイレも整備せずに垂れ流しを続けている面々こそ、視野狭窄なのにね。

はてさて、マリとアルジェリアの件に関して触れるのは明日以降にするとして、取り敢えずは、「アルジェリア拘束事件の背景にあるマリ戦争」と題する坂井啓子氏の論考(NewsWeek記事へのリンク)を御一読下さい。

言う訳で、「だから、言わんこっちゃない!」

(2013/1/18)