こんちわ♪
note・シラスの方からきました!飯田泰之です.

ニコ生飯田泰之ちゃんねるのブロマガ...告知やエッセイなどさまざまな活用法があるそうなんですが,ひとまずは...これまでの活動の紹介を兼ねまして,noteマガジンからのより抜き記事をお届けすることから始めます.

▼noteメンバーシップ「飯田泰之のnote経済ゼミ」
https://note.com/iida_yasuyuki/membership
(スタンダードプランがメインです)

今回は経済論というより,飯田のキャラクター?を知ってもらおうと思いまして,社会評論系のネタを紹介します.以下に紹介する2021.9.23のエントリは2021年の会員限定コンテンツの中でいちばん「いいね!」が多かったネタなので,それなりに楽しめるんじゃ無いかと.

あっいまさらですが,私「インテリぶりっこ」が嫌いです.


+++++++++++++++++++++++++

「凡庸な優秀さ」と付加価値について

 一昨日ふと酔っ払ってレスしてみたんだけど……

多分先生のせいではないよ

 元々の話はたわいもない「小学校の時,担任に全然評価されなかった秀才」のお話.まぁ僕も片田舎の小学校から中学受験したので,懐かしい話だなぁと思いつつ……

小5の時は頭良かったから夏休みの自由研究で太陽の南中高度使って地球の大きさ測ったんだけど先生が全く理解できなくて蝉の抜け殻200個集めた人が最優秀賞もらったのめちゃくちゃ腹立ったな(元ツイート by 現役東大生)

というツイートが5.6万イイね!も集めてます(→リンク)……イイね!じゃなくてイイなぁ笑.こういうの共感集めるんだね.楽しく思いで話している大学生にガチ絡みするのも大人げないので,表ではやんわり話しましたが,これ俺が担任でも蝉の抜け殻の方を褒めると思う

 太陽の南中高度を使って地球の大きさを測る(エラトステネスの方法)ってフツーに中学受験で出る問題なんだよね(例→).

 こういう自由研究を見た教員は「あぁこりゃ中受のテキスト写してきやがったな」と思うのがフツーの反応.気の利いた参考書だと日本国内で同じ実験する方法まで解説してあるもの.下手すりゃ計測自体を本当にやったのかどうか怪しいってレベルで疑われてたと思う.

 ついでに,自由研究を塾のテキスト写して手をかけずに終わらせる方法……って30数年前小学生だった自分もやったし,20数年前TAP(SAPIXの前身,私が働いてたのは分裂のだいぶ後)の講師だった自分も「学校の宿題なんてテキトーにテキスト写しとけば」って生徒に言ってたもん(悪).

凡庸な優秀さ

 当該ツイートがテキストの丸写しだったか否かという問題はどうでもよくて,注目したいのがtwitterでこれがウケたことの方.twitterのユーザー層の特徴を表しているように感じるんだよね.

 「先生は馬鹿で(難しい話をする自分のことを)理解できない」的な話って定期的にバズるこの手の話って「(先生も知らない難しいこと知ってる)自分は賢い」という発言なわけですよ.

 これは「世間は馬鹿で(難しい話をする自分のことを)理解できない」,そして「(世間が知らない難しいこと知ってる)自分は賢い」……っていうのとパラレル.

 陰謀論でも,経済論でも……こういう構造をもっている話にSNS,なかでもtwitter界隈って人が集まるじゃないですか.

 これが受ける素地が,世間の馬鹿よりもいろんなことを知っている自分とそれにもかかわらず世間(やリアルのつきあい)で評価されていない自分のギャップにフラストレーションを感じている層の多さにあるんじゃないかな.

 しかし,この手の「いろんなことを知っている」ことって時にたいして価値のないことだったりするんです.この手の付加価値の薄い情報を集積しているだけの状態を僕は凡庸な優秀さと呼んでいます.そしてtwitter界隈は凡庸に優秀な人が多いのではないか……とも.

付加価値のない知識と付加価値のある実践

 例えば,「太陽の南中高度から地球の大きさを測ることが出来る」というツイ主の発見は世の中に何の変化ももたらしません.だってツイート主ほど優秀じゃなくても,中学高校になれば理科の授業で教わる知識です(というかググればわかるしね^^).

 一方で,蝉の抜け殻を200個集めた研究からは……学校の近所はアブラゼミよりクマゼミが多いとか,近所の神社だけはなぜかクマゼミがいないとか……何の価値があるのかは凡百の僕にはわからないけど,何らかの「誰も知らなかった知識」が含まれている.

 端的に言うと南中高度から地球の大きさを測る発表には付加価値はないけど,蝉の抜け殻にはわずかなものではあれ付加価値があるわけ.

 僕のゼミ指導ではいつも「どんなにつまらなくてもイイから,キミだけが知っていることを捜す卒論を書くこと」と指導しています.もちろん,先行研究のトレースはある程度必須なんだけど,一個でいいから見たことない説明変数考えてみてって.たとえそれが全然有意じゃなくても,「あんまり影響ないみたい」っていう「新しい知見」が得られるから.(注:うちの卒論はだいたい経済データやアンケートデータの統計的分析です)

 世の中の「自称インテリ」って,かっこよくて付加価値のない知識はあるけど,つまらないし泥臭いしごくわずかなものだけど付加価値のある探求をやったことがない人なんじゃないかと思う.少なからぬ人にとって,世界の環境問題やロスジェネの苦境について万言費やすより,フォークリフトの免許取った方が自分の生活の向上には有益だったりするわけで……

巨人の肩に乗る

 まぁ,それ自体は新しくはなくとも正しい知識を集積することには大きな意味があります.それは,知識量が増えれば増えるほど,ごくわずかな付加価値を生み出す効率的な方法を見つけやすくなると思われるから.

 科学の世界では「巨人の肩に乗る」という表現があります.これまでの先行研究の蓄積(という巨人)を踏まえた上で,それに何かを付け加えば,ほんの少しだけ巨人よりも背が高くなる.ほとんどの人は完全にゼロから何かを構築することはできないけど,それでも一瞬でも巨人を越えることが出来るかもしれないというわけ.

 また,複数の分野の成果をちょっと掛け合わせると新種の巨人をブリーディングできる可能性もないわけじゃない(混ぜるな危険のこともあるけど^^).

 知識へのアクセスが大幅に容易になった(インターネット万歳!)現代では,「いろんなことを知っている」ことの付加価値はどんどん小さくなっています.だからこそ,蝉の抜け殻をあつめるような小さな付加価値の創出の重要性は増していく.そして,

「知っていること」を蓄積するのはいつか小さな付加価値を創造する準備としては有益である一方で,それ自体が重要だったり偉かったりするわけではないという認識が必要なんじゃないかと思うわけです.