武藤さん のコメント
このコメントは以下の記事についています
(号外 2016.5.17) 【目次】
1. ゴーマニズム宣言・第172回「茶魔語の秘密―『きれい』と『美しい』の違いについて」
2. もくれんの「ザ・神様!」・第81回「ミエテルと逆転~となりのおじさん孤独死事件5」
第172回「茶魔語の秘密―『きれい』と『美しい』の違いについて」 岡本太郎がこう言っていた。
『ゴッホは美しい。
しかしきれいではない。
ピカソは美しい。
しかし、けっして、きれいではない。』
『おぼっちゃまくん』を30年ぶりに復活させる。「わしズム」でたまに軽く描いてみたりはしていたが、今度は本格的である。
「コロコロアニキ」という雑誌の7月15日発売号に33ページのボリュームで描く。
その後も月2本のペースで描きためて、全編新作描き下ろしの単行本『おぼっちゃまくん』を出そうと考えている。
ギャグ漫画の描きおろし単行本を出すということが、かつてなかったことだし、画期的な企画だろう。
『おぼっちゃまくん』のファンが現在、30代、40代になって、子供も育て始めた頃であり、 「大人と子供が一緒に笑える格差社会のギャグ漫画」 として、世の中に出すのだ。
ただひたすら屈託なく笑える単行本を作ってみようと思う。
「コロコロアニキ」での復活に向けて、編集部が茶魔語募集をやっていたが、7月発売号で『おぼっちゃまくん』特集の別冊付録が付いて、そこで優秀作が発表されるらしい。わしも選ぶだろう。
しかしこの茶魔語にも時代の弊害が現れるなぁと思うのだが、昔は「はがき」に茶魔のイラストと共に茶魔語が描かれていたのだ。
子供の絵だから、ヘタクソでも、全然かまわなかった。
デッサンと、絵の上手さや魅力は違う。ニュアンスが表現されていたら、それで可笑しみが伝わるのだ。
ダジャレそれ自体は大して面白くなくても、その表現の仕方が面白いのが茶魔語だった。 子供たちは全員、絵を描いてきてたのだ。
茶魔語と単なるダジャレの違いを今も多くの人は分かっていないだろう。
「おはヨーグルト」 と文字で書いても、その面白さは伝わらない。
ところが、茶魔にパジャマを着せて、黒目部分を大きくして、ヨーグルトを片手に持って、ぼやっとした感じで 「おはヨーグルト」 という言葉を発している絵を子供は描いてきていた。
その絵を見た瞬間に、可笑しみが伝わったのだ。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
先生が描いていますが占領初期にGHQは「日本を軍国主義から民主主義に変える!」と宣教師の気分で実験的に占領改革を行いました。
民主主義を正確に教えるならばまだしも「世界で危険なのはナチスドイツと日本だ。その二国が敗戦した以上は世界で戦争が起こるはずがない」という
ユートピア幻想のもとで行われたことです。
ポツダム宣言では「日本国政府ハ日本国民ノ間ニ於ケル民主主義傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ」と規定されていました。
アメリカでさえ帝国憲法下でも民主主義は行われていたと思っていたのに、サヨクが「明治憲法は民主主義でない!」と言っているのは滑稽ですね。
天皇の地位についても「象徴」としていることから
押し付け憲法とは言え天皇を蔑ろにしていないことは分かるはずなんですがね。
とは言えGHQ左派であり新憲法を主導したケーディスは天皇の神格性を剥ぎ取ろうとしていました。
「新しい憲法を起草するにあたって主権は完全に国民の手にあるということを強調しなければならない。天皇の地位は社交的君主の役割のみとされるべきである。1946年の元旦の天皇の人間宣言があるように天皇の地位はどのようなものであればよいか国民の考えはできつつある」としており、「天皇は新しい存在として護られるけれども、神格化された天皇制は払拭されなければならないのは一貫したマッカーサー元帥の考えだった」と回想しています。
このケーディスの主張を受け入れる形で憲法第1条が出来ますが、「象徴」という規定はどちらかというと保守的なアメリカ人から考えられ「天皇は国を支配する権力を持たなくても、国民からは尊敬できる存在になればいい。それは単なるお飾りであってはいけない。ただし、過去に軍人に天皇の大権を利用された状況を防ぐ為に天皇には政治的権力を持たせてはいけない」としていました。
と見てみると天皇が象徴であるは「天皇は象徴に過ぎず、主権は国民にある」と「天皇は象徴であり
国民の尊崇の対象である」の二面性があるのだと思います。
文部省で出された「民主主義」が天皇は象徴に過ぎないと書いたのは当時GHQを牛耳っていた左翼に媚びた内容だなと感じます。
共産党が国会の開会式にボイコットしていたのは
ケーディス寄りの解釈で天皇を見ているからです。
象徴という存在から見たら「何が問題なんだ?」になるんですがね。
GHQに媚びた形での民主主義しか語れないことが
シールズを産んだんだと思いました。
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