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トロツキスト?さん のコメント

ライジング号外・配信有難うございます。

「ゴー宣」拝読しました。『きれい』と『美しい』の違い。過去に何処かで聞いたような気もしましたが、判っていませんでした。
それと岡本太郎の言葉が、こんなに「わかる」ものだとは知りませんでした。私の中で氏は、「ゲージュツはバクハツだ!」のCMの印象が強く、判ったよーな判らないよーな事を生前仰っていたのではないかと勝手に思っていたもので。

あと、「茶魔語と単なるダジャレの違い」も判っていなかった。目から鱗です。「茶魔語はやはり絵と共に完成するのである。」なるほどです。私は「コロコロ」からではなく、アニメで初めて知った者です。子供の「はがき」から生まれていたとは驚きでした。自分は「美しい」ものが分からない人間なのではないかと思っているのですが、「コロコロアニキ」は楽しみです。

「ザ・神様!」拝読しました。もくれんさんがベランダで深呼吸するあたりの前後の描写が、ある種の小説風でニヤリといい感じがしました。それにしても、もくれんさんがそんな人だったとは!ミエテルさんに初めて共感しました(笑)今後の展開が楽しみです。

ところでブログの話ですが、よしりん亡き今?もくれんさんのブログの怒涛の更新と切れ味が鋭くて、手が切れそうです。(<生意気な表現で恐縮です)師範・師範代の皆様のブログ、興味深く拝見しています。
No.77
104ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
(号外 2016.5.17) 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第172回「茶魔語の秘密―『きれい』と『美しい』の違いについて」 2. もくれんの「ザ・神様!」・第81回「ミエテルと逆転~となりのおじさん孤独死事件5」 第172回「茶魔語の秘密―『きれい』と『美しい』の違いについて」  岡本太郎がこう言っていた。 『ゴッホは美しい。  しかしきれいではない。  ピカソは美しい。  しかし、けっして、きれいではない。』 『おぼっちゃまくん』を30年ぶりに復活させる。「わしズム」でたまに軽く描いてみたりはしていたが、今度は本格的である。 「コロコロアニキ」という雑誌の7月15日発売号に33ページのボリュームで描く。  その後も月2本のペースで描きためて、全編新作描き下ろしの単行本『おぼっちゃまくん』を出そうと考えている。  ギャグ漫画の描きおろし単行本を出すということが、かつてなかったことだし、画期的な企画だろう。 『おぼっちゃまくん』のファンが現在、30代、40代になって、子供も育て始めた頃であり、 「大人と子供が一緒に笑える格差社会のギャグ漫画」 として、世の中に出すのだ。  ただひたすら屈託なく笑える単行本を作ってみようと思う。 「コロコロアニキ」での復活に向けて、編集部が茶魔語募集をやっていたが、7月発売号で『おぼっちゃまくん』特集の別冊付録が付いて、そこで優秀作が発表されるらしい。わしも選ぶだろう。   しかしこの茶魔語にも時代の弊害が現れるなぁと思うのだが、昔は「はがき」に茶魔のイラストと共に茶魔語が描かれていたのだ。  子供の絵だから、ヘタクソでも、全然かまわなかった。  デッサンと、絵の上手さや魅力は違う。ニュアンスが表現されていたら、それで可笑しみが伝わるのだ。  ダジャレそれ自体は大して面白くなくても、その表現の仕方が面白いのが茶魔語だった。 子供たちは全員、絵を描いてきてたのだ。  茶魔語と単なるダジャレの違いを今も多くの人は分かっていないだろう。 「おはヨーグルト」 と文字で書いても、その面白さは伝わらない。  ところが、茶魔にパジャマを着せて、黒目部分を大きくして、ヨーグルトを片手に持って、ぼやっとした感じで 「おはヨーグルト」 という言葉を発している絵を子供は描いてきていた。  その絵を見た瞬間に、可笑しみが伝わったのだ。      
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!