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ランバダ稲荷さん のコメント

配信、ありがとうございます。
「きれい」と「美しい」の違いについて、ふと思い出したのが先月亡くなったプリンスの曲とPVでした。彼が日本で知られるようになったころ、彼の独特な曲とあの爬虫類を思わせるような彼の容姿をすんなり受け入れられた人はあまりいなかったと思います。ある意味「異型」の存在。私もそうでした。正直、「きれい」じゃなかった。でも、なぜか彼の曲とPVはずっと現在まで目と耳に残っていました。そのときはその理由がわかりませんでしたけど、今回の号外を読んで気が付きました。彼の作ったメロディってすごく「美しい」のです。PVも色彩など細部までこだわっていて「美しい」のです。同じ時代に「きれい」な曲やPVを発表したアーティストいたはずなんですが、それが誰か?言われなければなかなか思い出すことができません。
「美しい」ものはいつまでたっても人々の心に残ってゆくものだと思います。逆に「きれい」なだけのものはすぐに忘れ去られてしまう。現在、絵がストーリーが「きれい」な漫画家さんたちがたくさんいます。精密な絵を描く人や「友情や仲間」を「きれい」に描く漫画家さんとか。でもあと20年して彼らのことを覚えている読者の方はどれくらいいるのでしょうか?そういった意味でも小林先生の作品は何年たっても語り継がれる「美しい」名作ぞろいだと思います。少なくとも私の中では「おぼっちゃま君」「戦争論」他、はずっと心に残っている名作です。
主観的な話を長々とすみませんでした…。
No.79
96ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
(号外 2016.5.17) 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第172回「茶魔語の秘密―『きれい』と『美しい』の違いについて」 2. もくれんの「ザ・神様!」・第81回「ミエテルと逆転~となりのおじさん孤独死事件5」 第172回「茶魔語の秘密―『きれい』と『美しい』の違いについて」  岡本太郎がこう言っていた。 『ゴッホは美しい。  しかしきれいではない。  ピカソは美しい。  しかし、けっして、きれいではない。』 『おぼっちゃまくん』を30年ぶりに復活させる。「わしズム」でたまに軽く描いてみたりはしていたが、今度は本格的である。 「コロコロアニキ」という雑誌の7月15日発売号に33ページのボリュームで描く。  その後も月2本のペースで描きためて、全編新作描き下ろしの単行本『おぼっちゃまくん』を出そうと考えている。  ギャグ漫画の描きおろし単行本を出すということが、かつてなかったことだし、画期的な企画だろう。 『おぼっちゃまくん』のファンが現在、30代、40代になって、子供も育て始めた頃であり、 「大人と子供が一緒に笑える格差社会のギャグ漫画」 として、世の中に出すのだ。  ただひたすら屈託なく笑える単行本を作ってみようと思う。 「コロコロアニキ」での復活に向けて、編集部が茶魔語募集をやっていたが、7月発売号で『おぼっちゃまくん』特集の別冊付録が付いて、そこで優秀作が発表されるらしい。わしも選ぶだろう。   しかしこの茶魔語にも時代の弊害が現れるなぁと思うのだが、昔は「はがき」に茶魔のイラストと共に茶魔語が描かれていたのだ。  子供の絵だから、ヘタクソでも、全然かまわなかった。  デッサンと、絵の上手さや魅力は違う。ニュアンスが表現されていたら、それで可笑しみが伝わるのだ。  ダジャレそれ自体は大して面白くなくても、その表現の仕方が面白いのが茶魔語だった。 子供たちは全員、絵を描いてきてたのだ。  茶魔語と単なるダジャレの違いを今も多くの人は分かっていないだろう。 「おはヨーグルト」 と文字で書いても、その面白さは伝わらない。  ところが、茶魔にパジャマを着せて、黒目部分を大きくして、ヨーグルトを片手に持って、ぼやっとした感じで 「おはヨーグルト」 という言葉を発している絵を子供は描いてきていた。  その絵を見た瞬間に、可笑しみが伝わったのだ。      
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!