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こけけっこーさん のコメント

>>54
No.54・くろぴくさんのご意見に、5/21のブログ「30代のわしと60代のわしの真剣勝負」で、よしりん先生は長文で答えておられ、作品を描く姿勢・覚悟を再確認して、自他に示されています。
 先生の作品をどんなに愛読しておられるか伝わってくるようなご投稿と思いました。だからこそ、丁寧で重要なブログを先生は書かれたのだと思います。

>---「蛸壺化」するのは、自分自身がまだまだなのだと考えます。
その蛸壺をぶち破って、他者の蛸壺に手を突っ込んで、掻き回すくらいの作品を描こうと常に思っています。
 「売り上げ」が目標なのではなく、「作品の質」が目標であり、結果として「売り上げ」がついてくるというのが、わしの考え方であり、これは信念なので曲げられないのです
>まだ描きたいものがあるんです。----------
                       (先生の上記ブログより)

 どこまでも作品の質を求め、束縛から解き放たれ、自由(自ら由とするもの)を追求していく。常に評価として状況を受け止め、自らを研ぐ---それは「蛸壺」から一番遠い表現姿勢と思います。
 (壺になんかに収まらない元気な蛸が泳ぎ回り、そこら中の「蛸壺」に手を突っ込んでグルグル掻き回して引きずり出している様子を想像しちゃいますよね ((^o^))>;;)

 しかし同時に新規の読者への細やかな配慮も進行させておられ、今度出た新書サイズで手に取り易い「孤独を貫け」(清水克衛氏と共著、イースト・プレス刊)はまさにそれだと思いました。
No.85
103ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
(号外 2016.5.17) 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第172回「茶魔語の秘密―『きれい』と『美しい』の違いについて」 2. もくれんの「ザ・神様!」・第81回「ミエテルと逆転~となりのおじさん孤独死事件5」 第172回「茶魔語の秘密―『きれい』と『美しい』の違いについて」  岡本太郎がこう言っていた。 『ゴッホは美しい。  しかしきれいではない。  ピカソは美しい。  しかし、けっして、きれいではない。』 『おぼっちゃまくん』を30年ぶりに復活させる。「わしズム」でたまに軽く描いてみたりはしていたが、今度は本格的である。 「コロコロアニキ」という雑誌の7月15日発売号に33ページのボリュームで描く。  その後も月2本のペースで描きためて、全編新作描き下ろしの単行本『おぼっちゃまくん』を出そうと考えている。  ギャグ漫画の描きおろし単行本を出すということが、かつてなかったことだし、画期的な企画だろう。 『おぼっちゃまくん』のファンが現在、30代、40代になって、子供も育て始めた頃であり、 「大人と子供が一緒に笑える格差社会のギャグ漫画」 として、世の中に出すのだ。  ただひたすら屈託なく笑える単行本を作ってみようと思う。 「コロコロアニキ」での復活に向けて、編集部が茶魔語募集をやっていたが、7月発売号で『おぼっちゃまくん』特集の別冊付録が付いて、そこで優秀作が発表されるらしい。わしも選ぶだろう。   しかしこの茶魔語にも時代の弊害が現れるなぁと思うのだが、昔は「はがき」に茶魔のイラストと共に茶魔語が描かれていたのだ。  子供の絵だから、ヘタクソでも、全然かまわなかった。  デッサンと、絵の上手さや魅力は違う。ニュアンスが表現されていたら、それで可笑しみが伝わるのだ。  ダジャレそれ自体は大して面白くなくても、その表現の仕方が面白いのが茶魔語だった。 子供たちは全員、絵を描いてきてたのだ。  茶魔語と単なるダジャレの違いを今も多くの人は分かっていないだろう。 「おはヨーグルト」 と文字で書いても、その面白さは伝わらない。  ところが、茶魔にパジャマを着せて、黒目部分を大きくして、ヨーグルトを片手に持って、ぼやっとした感じで 「おはヨーグルト」 という言葉を発している絵を子供は描いてきていた。  その絵を見た瞬間に、可笑しみが伝わったのだ。      
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!