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shiroさん のコメント

それにしても・・・

外界からの脅威に無力であるがゆえに供犠を捧げて収めようとするあたり、昔話の世界と変わらぬな、と感じます。荒ぶる神(のふりをした妖怪)に若い娘を捧げて安寧を得る。そんな因習に文句を言っても、おらが村では何十年もそうしてきただ、これからもそうしていくだ、文句はいわせねぇべ、というわけです。そうしないとおっかない海の向うの妖怪たちに皆殺しにされる。そう言われると、最初は怒っていたみんなも、戦う勇気がないので黙りこみます。

落ち目になった神様の代表が、かつて天界に弓を引いて業火で滅せられた土地に訪れます。いや~あのときはちょっとやりすぎたかな、でも君たちが我々に逆らったからいけないんだよ、まあごめんね~とでも言う気なのでしょう。すると、「神様が過ちを認めてくださったぞ!」と滂沱する村人たち。生き残りに握手を求める神様。なんと感動的な光景でしょうか。神様は配下が生贄を(あまり)とらないようにすると約束もしてくれました。業火?ええ。もちろん、世界の平和のためには業火だって必要なのです。神の兵隊も!いけないのは神様に逆らう連中なのです。村の若者だけじゃあ平和を守れないに決まっています。

こうして、日本村は末永く、米国神の庇護下で清らかに繁栄していくのでした。

・・・犠牲者たちの怨嗟が、本物の祟り神となり、全てを飲み込むその日まで。

糞喰らえですね。ほんま糞を投げてやったらいいのにと思います。
No.98
96ヶ月前
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(号外 2016.5.17) 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第172回「茶魔語の秘密―『きれい』と『美しい』の違いについて」 2. もくれんの「ザ・神様!」・第81回「ミエテルと逆転~となりのおじさん孤独死事件5」 第172回「茶魔語の秘密―『きれい』と『美しい』の違いについて」  岡本太郎がこう言っていた。 『ゴッホは美しい。  しかしきれいではない。  ピカソは美しい。  しかし、けっして、きれいではない。』 『おぼっちゃまくん』を30年ぶりに復活させる。「わしズム」でたまに軽く描いてみたりはしていたが、今度は本格的である。 「コロコロアニキ」という雑誌の7月15日発売号に33ページのボリュームで描く。  その後も月2本のペースで描きためて、全編新作描き下ろしの単行本『おぼっちゃまくん』を出そうと考えている。  ギャグ漫画の描きおろし単行本を出すということが、かつてなかったことだし、画期的な企画だろう。 『おぼっちゃまくん』のファンが現在、30代、40代になって、子供も育て始めた頃であり、 「大人と子供が一緒に笑える格差社会のギャグ漫画」 として、世の中に出すのだ。  ただひたすら屈託なく笑える単行本を作ってみようと思う。 「コロコロアニキ」での復活に向けて、編集部が茶魔語募集をやっていたが、7月発売号で『おぼっちゃまくん』特集の別冊付録が付いて、そこで優秀作が発表されるらしい。わしも選ぶだろう。   しかしこの茶魔語にも時代の弊害が現れるなぁと思うのだが、昔は「はがき」に茶魔のイラストと共に茶魔語が描かれていたのだ。  子供の絵だから、ヘタクソでも、全然かまわなかった。  デッサンと、絵の上手さや魅力は違う。ニュアンスが表現されていたら、それで可笑しみが伝わるのだ。  ダジャレそれ自体は大して面白くなくても、その表現の仕方が面白いのが茶魔語だった。 子供たちは全員、絵を描いてきてたのだ。  茶魔語と単なるダジャレの違いを今も多くの人は分かっていないだろう。 「おはヨーグルト」 と文字で書いても、その面白さは伝わらない。  ところが、茶魔にパジャマを着せて、黒目部分を大きくして、ヨーグルトを片手に持って、ぼやっとした感じで 「おはヨーグルト」 という言葉を発している絵を子供は描いてきていた。  その絵を見た瞬間に、可笑しみが伝わったのだ。      
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!