諫議大夫さん のコメント
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第180号 2016.6.14発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…6月5日、第55回ゴー宣道場を『言論の自由と潔癖王国』というテーマで開催した。話題は多岐にわたり、実にテンポよく有意義な議論ができたと思う。しかし一般的には、「言論の自由」と聞いても身近な問題とは感じない人が多いようだ。「言論の自由」とはメディアに携わる者や言論人・表現者だけの専門的な問題で、一般の市井の民には無縁のことなのか?あるいは一般人にとってみては「言論の自由」はあるに決まっているのか?否!「言論の自由」とは誰にとっても身近で重要な問題である!!
※「泉美木蘭のトンデモ見聞録」…昨今、「介護殺人」「介護心中」と呼ばれる事件は後を絶たない。警察庁の発表では「介護殺人は年間50件前後で推移」とされているが、専門家の間では《あくまでも氷山の一角》と言われている。厳しい介護の現実がある一方で、「安楽死」について議論すらできない臆病な日本人がいる。厳しい現実社会を直視し、勇気ある議論・思想をせよ!
※おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて、一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてくり!」。ぽっくん、ニュースキャスターでしゅ!作者のよしりんもビックリの傑作揃いぶぁい!MVPは誰の手に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第175回「『言論の自由』が委縮した社会で生きたいか?」
2. しゃべらせてクリ!・第140回「ぽっくんニュースキャスターでしゅぶぁい!の巻〈後編〉」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第7回「介護の現実と、安楽死を議論できない日本人」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 読者から寄せられた感想・ご要望など
7. 編集後記
第175回「『言論の自由』が委縮した社会で生きたいか?」
6月5日、第55回ゴー宣道場を『言論の自由と潔癖王国』というテーマで開催した。
オバマの広島訪問とその後の賛美一色の報道、北海道の大和君置き去り行方不明事件と父親に対するバッシング、杉並区の保育所建設に対する住民の反対運動、西尾幹二・加地伸行の皇室バッシング対談とそれに抗議する右翼青年の「WiLL」編集部襲撃など、話題は多岐にわたり、あっという間に3時間半が過ぎた。実にテンポよく、有意義な議論ができたと思う。
ただし、今回の参加者の応募数はいつもより少なかった。
どうやら一般的には、「言論の自由」と聞いても身近な問題とは感じない人が多いようだ。「言論の自由」とはメディアに携わる者や言論人・表現者だけの専門的な問題で、一般の市井の民には無縁のことだという感覚なのかもしれない。
あるいは、一般人にとってみては「言論の自由」はあるに決まっていることで、大いに好き勝手言わせてもらってるというくらいに思い込んでいるのだろう。
メディアにおける「言論の自由」、市民における「言論の自由」、どんな違いがるのか?
まずは「言論の自由」とは誰にとっても身近で、重要な問題であると理解してもらうことを目標として「ゴー宣道場」の議論を進めた。
【メディアにおける「言論の自由」】
そもそもメディアの役割は、権力と国民の間に立って、政府の政策を分かりやすく伝えたり、欠陥がないかチェックしたりするものである。メディアがなければ国民は政府の意図がまったく分からなくなる。選挙の際に何を判断基準にすればいいのかも分からないだろう。
民主制を機能させるために、メディア・ジャーナリスト・言論人がいる。
戦争の時代のように、メディアが権力の手先になって、大本営発表だけになってしまえば、国を破滅にだって導くことは証明されているのだから、 メディアが基本的に「権力チェック」になることは常識なのだ。
そして権力をチェックするには、権力から自由に言論を行使できるという意味での「言論の自由」が絶対に必要になる。
したがって「言論の自由」を守る「義務」があるのは、権力の側なのである。
国民には「言論の自由」を行使する「権利」があるのであって、義務はない。これが立憲主義である。
中国や北朝鮮を見れば、権力に操作された言論の無意味さが、誰だってわかるだろう。
だが、この日本においても、「言論の自由」は、実はいつの間にか委縮させられているかもしれない。
実は「言論の自由」がなくなったからといって、日常の生活に目立った支障が出るわけではないのだ。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
「言論の自由」というのがマスコミや評論家などメディアで発言する人だけが身近な問題だとばかり思ってましたが、意外と私達の身近にあるものだということを知りました。
しかも例示を挙げて懇切丁寧に説明して下さる先生の姿勢には本当に頭が下がります。
学校や新聞、既存のメディアでここまで「言論の自由」の本質を説明し切った人はいないでしょう。
「言論の自由」が憲法に書いてあるから安心だと考える人は、本当に「言論の自由」について真剣に考えているのでしょうか。
先生のゴー宣を読まなければ、わたしはきっと、「言論の自由」は「この日本では何を言っても自由なんだ」ととらえ、永遠に勘違いしていたでしょう。
それを守るのは権力者側の義務であるだと知ったとき、わたしの物の見方が180度変わるくらい、強い衝撃を受けました。
左翼は、自分の気に食わない人を「人権侵害だ」と言って法律で潰す危険があるし、自称保守は、「メディアの意見が気に食わん」と言って法律を捻じ曲げてつぶす危険があるので、どちらも権力の乱用を監視する必要性を感じました。
「舛添下ろし」の潔癖王国ぶりがすさまじいです。民主主義を絶対的な価値と信じ、気に入らない者は「民意」に叛いたとの錦の御旗を掲げ、知事の椅子から引きずりおろす、それを「正義」だと信じて疑わない、なんて独善的な羊の集団でしょうか。
「潔癖王国民」は選ばれた者の特権であるぞと言わんばかりです。彼らには「落語家の浮気は芸の肥やし」という感覚は通じないのでしょうか。
落語家が不倫すればバンバン叩く。熊本地震の「不謹慎狩り」もそうですが。ありとあらゆるものに不寛容になって他人を不潔だと叩いて自分を潔癖だと誇示する、そんなアホバカのビョーキに自らは罹らないように、先生の著作とゴー宣を読んで、勉強します。
先日の生放送でもやっぱり美しいもくれん先生、今回は介護の現実と安楽死がテーマですね。
わたしも介護施設で働いた経験があります。介護の厳しさは身につまされる思いがあります。
胃ろうで苦しんでいる老人や施設で暴れている老人を見て、「この人の本当の幸せって何だろう?」と思うときがありました。
施設で「無理に生かされている」よりはぽっくりと安らかに死ねる方が本人のためにも家族のためにも良いのでは?
それをしないで無理に生かすことの方がよっぽど地獄ではないだろうか?
働いていた時は、私の中にそういう思いが何度も現れました。施設の人には絶対に言えなかったけど。
日本は高齢社会に突入しているのに、老人の終末について何ら真剣な議論をしてこなかったツケがここに至って、回ってきています。
しかしいくら議論をしても、行きつくのは結局「老人の人権の尊重」で、それは結局「若くて健常な他人の一方的な考え方」に過ぎないのに、いつしかそれが絶対的な価値と崇高な使命を帯びて、それ以外の価値は認めないというこわばった空気になっています。
それは恐ろしいことなのに…。独善的な考えが老人の生き方の感性を狭めていることに気付かないのですね。
もくれん先生はオランダの安楽死の事情を紹介していますが、それとて賛美に偏らず、ちゃんと問題点を指摘しているのが良いですね。
しかし日本で議論できないのは、やはり「人権の尊重」というのを絶対的な価値に仕立てて、生きることへの賛美と命の尊さ以外の価値を認めないという空気の支配が影響しているのではないでしょうか。
本の熟成…って感覚がスゴイ!
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