• このエントリーをはてなブックマークに追加

くりんさん のコメント

こんばんは。ライジングの配信ありがとうございますvv

言論の自由が萎縮したことで日常の生活に目立った支障が出るわけではない。そのために、多くの国民が無関心になってしまうのでしょう。ですがそのツケがそう遠くない将来取り返しのつかない破滅となって降りかかってくるのは歴史が証明しています。
「自分に都合の悪い意見は聴きたくない」だなんて、そんなヘタレの温室育ちがどんな手を使っても自分の主張を通そうとする海外勢に勝てる訳がありません。これも日本の政治家の劣化の一つなのだと思うと頭が痛くなります。権力者というのは批判されるのが当たり前であり、いかに批判されようとも軽く受け流して皮肉を飛ばして自分の信念を貫く強さを権力者でなくても持っていなければなりません。
批判には単なるいいかがりや憂さ晴らしのようなものもあれば的を得たものもあり、それを力づくで抑えつけても思いまでも封じることはできず権力者が失脚の前触れに気づかぬまま引きずりおろされることになるでしょう。そうなっても自業自得であり、文句は言えません。

木蘭さんの「トンデモ見聞録」拝見いたしました。。
親の介護のために自分の幸せを諦める人の話を聞いたり、老老介護の果ての殺人や無理心中の報道を思い出し、安楽死も選択の一つに入れてもいいのではと思いました。
ですが貧困層にあたる人たちが「生きててもいいことなんて何もない」という安楽死を選ぼうとされるのは悲しいと感じます。
安楽死を選ぶのは絶望の果てのものではなく、生きててよかったと心から思えるほどに幸せに生きられたがゆえの選択であってほしいのです。

安楽死先進国・オランダの「健康でも70歳以上になったら自殺幇助をしよう!」というのはやり過ぎだと思います。
数年前日本でこのような内容の法律が可決され数年後に施行されるという設定の小説が出版され、私も読んでみました。
小説の中で出てきた意見の中に、70近くになってようやく自分の好きなように生きられるようになったのに冗談じゃないという意見がありました。
上記のようなことを言える人はその年齢までに自分の思うように幸せに生きられた人で、そう生きられなかった人がいるということを想像できないのでしょう。
安楽死は誰かに強制されるものではなく、あくまで選択の一つであってほしいです。
No.86
103ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
第180号 2016.6.14発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」…6月5日、第55回ゴー宣道場を『言論の自由と潔癖王国』というテーマで開催した。話題は多岐にわたり、実にテンポよく有意義な議論ができたと思う。しかし一般的には、「言論の自由」と聞いても身近な問題とは感じない人が多いようだ。「言論の自由」とはメディアに携わる者や言論人・表現者だけの専門的な問題で、一般の市井の民には無縁のことなのか?あるいは一般人にとってみては「言論の自由」はあるに決まっているのか?否!「言論の自由」とは誰にとっても身近で重要な問題である!! ※「泉美木蘭のトンデモ見聞録」…昨今、「介護殺人」「介護心中」と呼ばれる事件は後を絶たない。警察庁の発表では「介護殺人は年間50件前後で推移」とされているが、専門家の間では《あくまでも氷山の一角》と言われている。厳しい介護の現実がある一方で、「安楽死」について議論すらできない臆病な日本人がいる。厳しい現実社会を直視し、勇気ある議論・思想をせよ! ※おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて、一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてくり!」。ぽっくん、ニュースキャスターでしゅ!作者のよしりんもビックリの傑作揃いぶぁい!MVPは誰の手に!?   【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第175回「『言論の自由』が委縮した社会で生きたいか?」 2. しゃべらせてクリ!・第140回「ぽっくんニュースキャスターでしゅぶぁい!の巻〈後編〉」 3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第7回「介護の現実と、安楽死を議論できない日本人」 4. Q&Aコーナー 5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 6. 読者から寄せられた感想・ご要望など 7. 編集後記 第175回「『言論の自由』が委縮した社会で生きたいか?」  6月5日、第55回ゴー宣道場を『言論の自由と潔癖王国』というテーマで開催した。  オバマの広島訪問とその後の賛美一色の報道、北海道の大和君置き去り行方不明事件と父親に対するバッシング、杉並区の保育所建設に対する住民の反対運動、西尾幹二・加地伸行の皇室バッシング対談とそれに抗議する右翼青年の「WiLL」編集部襲撃など、話題は多岐にわたり、あっという間に3時間半が過ぎた。実にテンポよく、有意義な議論ができたと思う。  ただし、今回の参加者の応募数はいつもより少なかった。  どうやら一般的には、「言論の自由」と聞いても身近な問題とは感じない人が多いようだ。「言論の自由」とはメディアに携わる者や言論人・表現者だけの専門的な問題で、一般の市井の民には無縁のことだという感覚なのかもしれない。  あるいは、一般人にとってみては「言論の自由」はあるに決まっていることで、大いに好き勝手言わせてもらってるというくらいに思い込んでいるのだろう。  メディアにおける「言論の自由」、市民における「言論の自由」、どんな違いがるのか? まずは「言論の自由」とは誰にとっても身近で、重要な問題であると理解してもらうことを目標として「ゴー宣道場」の議論を進めた。 【メディアにおける「言論の自由」】  そもそもメディアの役割は、権力と国民の間に立って、政府の政策を分かりやすく伝えたり、欠陥がないかチェックしたりするものである。メディアがなければ国民は政府の意図がまったく分からなくなる。選挙の際に何を判断基準にすればいいのかも分からないだろう。   民主制を機能させるために、メディア・ジャーナリスト・言論人がいる。  戦争の時代のように、メディアが権力の手先になって、大本営発表だけになってしまえば、国を破滅にだって導くことは証明されているのだから、 メディアが基本的に「権力チェック」になることは常識なのだ。   そして権力をチェックするには、権力から自由に言論を行使できるという意味での「言論の自由」が絶対に必要になる。   したがって「言論の自由」を守る「義務」があるのは、権力の側なのである。  国民には「言論の自由」を行使する「権利」があるのであって、義務はない。これが立憲主義である。  中国や北朝鮮を見れば、権力に操作された言論の無意味さが、誰だってわかるだろう。   だが、この日本においても、「言論の自由」は、実はいつの間にか委縮させられているかもしれない。   実は「言論の自由」がなくなったからといって、日常の生活に目立った支障が出るわけではないのだ。  
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!