• このエントリーをはてなブックマークに追加

shinkimuさん のコメント

こんにちは。こちらには初めてのコメントになります。
ちょっと反論めいたことを書くかもしれませんが、お許しください。

相対的貧困率というのは、その名の通りあくまでも相対的な指標です。
この方式の場合、日本社会のような中間層が分厚くてその層の所得が大きければ大きいほど貧困率が高くなるという面もあります。
また、定年退職して所得はそれほどないけど、預貯金は莫大にあるというような日本の高齢者たちの実態は全く反映されません。
もちろんある程度の参考にはなるとは思いますが、そのまま鵜呑みにすることもできないものだと思われます。
このことは、様々なサイトなどで指摘されております。「相対的貧困率 嘘」といったキーワードで検索してみてください

以下は、私の個人的な感想になりますが…。
世界がこれだけグローバル化して、オートメーション化して、高齢化すれば、日本も社会全体の様相が変化していくのはある程度避けられない面も否めないと思います。
右肩上がりの時代と同じというわけにはいきません。

私は日本に「貧困」がないとは思っておりませんし、この問題を軽視していいとも思ってはおりません。
それでも、曽野綾子さんや、門弟のネトウヨさん(?)が、「絶対的貧困率」をもとに「アフリカに比べれば日本の貧困などたいしたことではない」と仰られるのも、理解できる面もあると思っております。

これは私が弱者に対する想像力がないという問題ではないと思います。
絶対的貧困率から言えば、日本の最下層20パーセントは諸外国の7倍の金持ちだというデータもあります。
「だったら貧困者は途上国並みに月5万円で生活しろというのか」と反論されるかもしれませんが、私は、小林氏や泉美氏が仰る、日本の「貧困」はそのような発展途上国の貧困とは様相が違うということ、一例を挙げれば「スマートフォンを持っている貧困」ということが、果たして言葉の定義として「貧困」と呼べるものなのか?このことが実感としてうまく飲み込めません。

たとえば、小林氏がブログでお書きになった

>シングルマザーで、二人の子を持つ母親が、子供を塾に行かせる経済的余裕がないため、頭がいい娘なのに、大学進学をあきらめさせなければならない実例も知っている。
2016/7/1「国のために貧困層を無視できない」より

この例は果たして「貧困」と呼べるものなのでしょうか?
このような例はけっして今に始まったことではなく、今も昔も枚挙にいとまがない例だと思います。
学力に応じて学費を相応に公的負担する奨学金制度もあります。が、もちろん全員に行き渡るものではありません。
しかし小林氏は「頭がいい子供」は「無条件」に全員の大学進学費用を公的資金で社会負担するべきだと思いますか。

以下はちきりん氏が、6年前に書いたブログですが、大変示唆に富んだ見解を示されています。
「貧困」という言葉そのものの定義の問題です。
「アフリカに比べれば日本の貧困はたいしたことがない」という曽野綾子さん等のご意見に、小林氏や泉美氏が齟齬を感じていらっしゃるのは、この定義の部分で噛み合わないからではないでしょうか?

http://bizmakoto.jp/makoto/spv/1003/08/news001.html

ここでちきんりん氏が仰る貧困の定義は私にとっては比較的腑に落ちるものでした。
ちきりん氏が仰る、これが満たされていれば貧困とは「呼べない」と思うポイントは以下です。(反対に言えば、どれかが満たされていなければそれは「貧困」と呼ぶべき状態だということです。)

(1)食料確保に不安がない状態
(2)プライバシーと一定の衛生レベルが確保できる住居があること。また、住居と生活様式について、一定の選択ができている状態
(3)家族形態、職業選択などに関する希望を、経済的理由であきらめる必要がない状態

日本の「貧困」の実態を議論するためには、まず「貧困」の定義についてお互いの認識を共有化する必要があると思います。「日本の子供はアフリカの子供のように餓死しているわけではない」という論者がいても、その相手に対して感情的に「想像力のない人だ」などと糾弾しても建設的な議論にはつながらず、あまり意味のあることとは思えません。

また、7月1日の同ブログでは、小林氏はこのようにもおっしゃっております。

>単に気の毒な人がいるという「ヒューマニズム」で語るのは左翼の人たちだろうが、わしの場合は違う。貧困層が拡大しすぎて、少子化が止まらないのをこれ以上無視していたら「国力」がなくなると言っているのだ。わしの動機は「ナショナリズム」なのである。国の未来のために、子育てのしやすい社会環境を整えるべきだと言っているのだ。

いかに先鋭的な新自由主義者であろうとも、「少子化を無視してはいけない」「子育てのしやすい社会環境を整えるべき」という意見に反論を唱えられる人は少ないと思います。
しかしながら、少子化は必ずしも「貧困」のみが原因で起きている現象とは言えません。様々なファクターが複雑に絡み合うこの問題は慎重に丁寧な議論をしなければならないものだと思います。このような問題に、「ゴーマニズム宣言」のいつもの手法で、仮想敵を見立てて「仮面ライダーがショッカーをやっつければ問題は万事解決」のような幻想(これはあくまでも私個人の「印象」を元にしたたとえ話ですが)を抱かせるように仕向けるのは、問題解決の糸口どころか、さらに分断を招くような事態にしかならないと思います。

大変失礼な言い方かもしれませんが、こういう大衆扇動のやり口はドナルド・トランプとかボリス・ジョンソンとよく似ていると思いました。扇動家の大枠の粗雑な言説で社会が一定の方向に舵取りしたあと、もう引き戻せない場所までいつの間にか来てしまい、大衆は途方に暮れてしまう。ところが、その張本人はいざとなると逃げてしまう。

今回のイギリスEU離脱騒動から感じたことはそういうことです。11月の大統領選挙でアメリカも同じような事態に追い込まれてしまわなければ良いと私は感じております。このような扇動家の例に小林氏を当てはめることは大変失礼かもしれませんが、率直に言って氏の言説からは彼らの手法によく似たものを感じてしまいます。

小林氏はゴー宣道場を開いたときに「3年で日本を変える。そこでゴー宣道場は終了させる。」と仰いました。それはこのような組織は、長期化すると、必ずその組織の存続そのものが自己目的化し、形骸化された「運動」に堕していくからだ、とのことでした。
すると、ちょうど3年目くらいの2012年衆議院選挙の際、小林氏は未来の党から出馬要請をされました。しかし、その要請は断られましたよね。もちろん、様々な事情もおありでしょうから、選挙に出ないからといって責められる筋合いがないことは重々承知しておりますが。

小林氏が最近もよく仰られている「わしの言葉には霊力がある」その小林氏の言葉に導かれて、現実が言葉を追いかけてくる。そういうことはこれまでにも何度もありました。しかし、小林氏はその霊力のある言葉を振り回し、その言葉の責任を取ろうとはしません。言いっぱなしで、扇動してそのままなのです。

最近、ゴー宣道場はカルト的な運動の場になりつつあるのではないか、というご意見がありましたが、残念ながら私も似たような印象を持っております。ゴー宣道場は創設当初の「志」からずいぶん離れたところに来てしまったと感じます。これは先述の通り、創設当初に他ならぬ小林氏が予言した言葉の通りでした。
ターニングポイントは、創設3年目の2012年12月に小林氏が未来の党からの衆議院選挙出馬依頼を断った時だったのではないか、と個人的には思っておりますが、いかがですか。

ともあれ、あらゆる政治問題はゼロサムの微妙なバランス上に成り立っています。「あっちが立てば、こっちが立たない」のです。その利害関係、バランスの中で最大限の調整をしなければなりません。
「貧困」についても、完全な「社会主義革命」を目指しているというわけでもない限り、もっとも大事なことはそのバランス、舵取りをどのような方向性で定めるかという微妙な問題に行き着きます。
それは政治家の役割ですが、小林先生が「政治家」ではなく「思想家」だからといって、
「わしは思想をしているだけなのだから」でそこを無視して理想論だけを語るのだとしたら、それは責任のある態度とは思えません。

大向こう受けを狙って、誰もが口はばかるような極端な論陣を張ればそれは耳目を集めるかもしれません。そして、フラストレーションの蓄積した大衆の支持を受けることもあるでしょう。しかし、それはポビュリズム(大衆迎合主義)と呼ばれるものに他なりません。
私は小林氏に、諸問題を解決するための手立て、そのヒントを「できるだけ具体的に」お伺いしたいと常々思っております。
そこを出発点にしなければ建設的な議論にはなりようがないのではないでしょうか。

PS
以上、私の書いたことに対するご批判は受け付けますし、議論の端緒になればこれほど嬉しいことはありません。
「感情的であること」を否定せずに、読者のエモーションに訴えかけることが小林氏の「言論」スタイルであることは重々承知しておりますが、できれば、本質的な話をせずに枝葉末節や個人攻撃で揚げ足を取ることはお控えください。
あくまでも書いている内容に対して、本質的な反論や御批判をいただければと存じます。
目的とするのは、「公論形成」のための建設的な議論であって、私は「敵」でも「スパイ」でもありません。小林よしのりの「コアファン」なのです。そこはお間違えになりませんように、くれぐれもお願いいたします。
No.101
103ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
第182号 2016.6.28発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」…「日本の格差社会や貧困問題は大したことない」と主張する者は、生活保護にも潔癖を求める。曰く「生活保護を不正受給し贅沢している者がいる!」「貧困に落ちた原因は本人の怠惰のせいで、なるべくしてそうなったのだから自業自得だ!なぜそんな奴を税金で助けなければならないのだ!」…。果たして「生活保護」の実態はどうなっているのか? ※「ザ・神様!」…6回に亘ってお届けしてきた「となりのおじさん孤独死事件」もいよいよ最終回。そう、あれは去年の7月、うだるような蒸し暑い日のこと。モクレンヒメの隣に住む、重度のアル中独居老人・アヅマさんの孤独な最期。この凄惨な現実を、あなたは直視できるか?? ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!ライジングを書籍化する予定はないの?今、議論をしてみたいと思う相手はいる?日本文化の欠陥は何だと思う?ルーヴル美術館で見惚れてしまうような作品はあった?参議院選挙に立候補した青山繁晴氏、どう思う?スペインで開発された「青ワイン」、飲んでみたい?…等々、よしりんの回答や如何に!? 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第177回「生活保護に潔癖を求めるせちがらい世の中」 2. しゃべらせてクリ!・第142回「リッチなあいさつ、ともだちんこぶぁ~い!の巻〈後編〉」 3. もくれんの「ザ・神様!」・第83回「孤独の最期~となりのおじさん孤独死事件・最終回」 4. Q&Aコーナー 5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 6. 読者から寄せられた感想・ご要望など 7. 編集後記 第177回「生活保護に潔癖を求めるせちがらい世の中」   世知辛い (せちがらい)という言葉が最近使われなくなった。  暮らしにくい、心にゆとりがない、金銭に細かくてケチくさいという意味だ。舛添都知事の細かいカネの使い道に目くじら立てて、辞職にまで追い込むという不寛容さも、尋常ではない。  格差社会の貧困層が、自分の分かる範囲でのセコいカネの無駄づかいに、「ずるいぞ、ずるいぞ」と嫉妬しただけのことである。セコい知事に対してセコい追及をする世の中だから、せちがらいと言うしかない。  石原都知事なら都政には関係ない友人と高級料亭で数十万円の会食を何度もおこなってもOK。ガラパゴス諸島に150万円のファーストクラスで行って、高級宿泊船クルーズで4泊してもOKといった調子で、海外視察には数億円を乱費し、新銀行東京に1400億円を注ぎ込んで失敗してもスルーなのだ。貧乏人が把握しきれない高額ならスルーされるのである。  傲慢な金持ちには逆らえないが、傲慢な貧乏人は袋叩きにするのが貧困層である。なんとも、せちがらい世の中になったものだ。  社会のせちがらさは、なんと生活保護費にまで目をつけて、不寛容になる。貧乏人こそが貧乏人に不寛容になるのが格差社会である。  山形大の戸室健作准教授が1992年から2012年までの20年間の日本の貧困率の推移をまとめているが、それによると、全国の子育て世帯の貧困率を示す 「子供の貧困率」は1992年に5.4%だったのが、2012年に13.8%と、20年で2倍以上に拡大している!  また、子育て世帯に限らない全国の貧困率も、1992年の9.2%から、2012年には18.3%と倍増していた。 「貧困率」については先週号で泉美木蘭さんが詳細に書いてくれたとおり、地球規模で貧困国の分布を示す「絶対的貧困率」と、国内の貧困の実態を示す「相対的貧困率」がある。  ネトウヨや曽野綾子的な人が「絶対的貧困率」を持ち出して「日本には貧困はない」などと言っているのは完全な暴論であり、 先進国の国内における貧困問題は「相対的貧困率」に表れるものである。  相対的貧困率では、世帯収入から税金・社会保険料を引き、世帯1人あたりが自由に使えるお金を出し、それを低い方から並べた時に、ちょうど真ん中にあたる人を基準とし、所得がその半分に満たない人( いまの日本では単身世帯年間122万円、2人世帯173万円、3人世帯211万円未満 )を 「貧困」 と呼び、厚生労働省・総務省が相対的貧困率調査を公表している。   これに対して戸室准教授の研究では「相対的貧困率」を使用せず、代わりに 「生活保護基準の収入以下で暮らしている世帯」 を 「貧困」 として、貧困率を算出している。  生活保護に着目することで、具体的な貧困層拡大のイメージがつかみやすくなっているのが、この研究の特徴といえよう。   日本では、生活保護基準以下の収入で暮らしている人が、以前は全世帯の9.2%、子育て世帯の5.4%だったものが、20年経ったら全世帯の18.3%、子育て世帯の13.8%に激増したのである!  さらに地域別に子供の貧困率を見ると、最も高い 沖縄県では37.5%というから、3人に1人以上の子供が貧困 ということになる。これは驚くべき実態だ。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!