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M.Oさん のコメント

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M.O
>>115
「敵国からの攻撃が空襲」と何故断定できるのでしょう?
仮に徴兵して訓練を行うのであれば、あらゆる状況を想定するはずです。
「地上戦など有り得ないから」と切って捨てることなど、有り得ないでしょう。
訓練で出来ないことは、本番でも出来ないのが人間です。

>大多数の男性にも無理でしょう。
>いわゆる運動部経験ゼロのデブやガリ等。極一部の例外で済まない数がいるでしょう。
こういうコメントを見ると、ああ外で身体を動かす仕事を女性と一緒にやったことがないのだな、と実感できます。
デブでもガリでも、基礎体力はやはり女性より勝ります。
きちんと作業するように指示すれば、重いものを運ぶということだけでも女性とは差があることは明白です。
もちろん、運動経験の深い女性などは例外になりますが。

「男女平等であるべき」という考え方ばかりを優先させすぎて、机上の空論であるような印象を持ちます。
これは、旧宮家男子復帰を主張する「男系固執派」と同じではないですか?
軍がどうあるべきか、国防をどのように成すべきか、という「現実」に目を向けていないように思います。
あるいは、憲法という「文章」を有り難がる「護憲派」にも通じるでしょうか。
「男女平等」というイデオロギーを、「現実」の下部に位置させようとしているのではないでしょうか。

女性自衛官はどうなのかと聞かれても、内部規定など知らないのだから答えようがないです。
訓練場や兵站地には、相応の設備があるのでしょう。
問題は、それを徴兵制にも拡充できるのか? ということです。
女性自衛官が問題なく勤務出来ているのだから、一般人女性を徴兵しても大丈夫だろう、という考え方はさすがに甘すぎるでしょう。
国防のために常日頃から訓練している女性自衛官と、戦時に徴兵された女性を同列に扱えますか?
そもそもパンプキンさんは、女性自衛官の勤務環境についてご存じなのでしょうか?
そして、女性を徴兵したとして、彼女たちを前線の戦地に送ることは想定されているのでしょうか?
戦闘機や戦艦に搭乗させれば、隊の統率等にまつわるリスクは限りなく軽減できる、とお考えなのでしょうか?
あくまで「男女平等」を貫くのであれば、女性であっても地上戦に参加させることを想定しなければおかしいのではないですか?

>そこまで侵略されてるなら、その辺に歩いてる女性や子供も直接攻撃で狙われる状況なのだから、対応する為の訓練はしておくべきでは?
ですから、そうした訓練を行うのならば、拳銃ないし何らかの武器の所持を想定しなければならないでしょう。
それを認めるわけですか?
その訓練は、平時より行うべき、とお考えですか?
それとも、戦時になってから、かつてのように竹槍やなぎなたで訓練するのでしょうか?
みっちり訓練を受けた「保安のプロ」である警察が、厳戒態勢を敷く、というのでは何故だめなのでしょう?
その理由を教えていただきたいです。
また、民間人も直接攻撃に対応するために訓練を行うのであれば、現行の刑事訴訟法における「現行犯逮捕」「正当防衛」「緊急避難」などの規定も考え直す必要があるかもしれません。
それだけ「重い」ことなのだ、ということを承知されていますか?

>逆に、敵兵がまだ日本国内の地面に降り立つ前での防止であれば、その手段に体力などそうそう関係あるのか?という話です。
先ほどから「体力」って漠然と書いていますけど、平時よりの訓練がどれほど厳しいものか、想像したことがありますか?
警備の仕事もそうですが、訓練で出来ないことは本番でも出来ないんです。
個々が「火事場の馬鹿力」を発揮しても、組織的な行動でなければ意味がないんです。
「体力」というのは、訓練を完遂するために必要なものであり、戦闘機の操作など非力でも可能だろう、ということではありません。
いざという時にさっと100%の能力を出せないと、国防など不可能なんです。

私は某大学の施設警備に就いていますが、ああいった仕事について、「立っているだけ」「歩いているだけ」で給料もらえるんだから楽だよなあ、などと感じられたことはありますでしょうか?
とんでもない。
毎日が緊張感の連続です。
異常がない正常な状態の時(平時)でも、異常ありの状態(戦時)を念頭に置いておき、様々なシミュレーションを行いながら、さりげなく異常の有無をチェックしなければなりません。
これはみっちりとした訓練や研修を行うから、可能なんです。
相応の体力は必要になります。
ただし、警備の訓練など、軍の訓練の足元にも及ばないでしょう。
そんな軍の訓練に「体力などそうそう関係あるのか?」と言ってのけられるのは、「何かを防ぐ」ということについての意識が相当に甘い、と言わざるを得ません。
上で述べたように、机上の空論でしかありません。
国防を舐めてるんです。

>男の命「だけ」国の為に犠牲にしろというのは、到底平等とはいえないですね。
ですから、男尊女卑には反対であり、なおかつ男女は平等ではない、と書いているわけですが。
そして、別に「犠牲にしろ」と命令されている状況は想定していません。
ならばお聞きしたいのですが、機動隊や消防隊のような命の危険がついて回る仕事は、現状では男性だけが就いていると思うのですが、パンプキンさんはこの状況は「平等ではないから、問題あり」と感じられますか?
もちろん、体力の問題もありますが、仮に筋肉ムキムキの女性が多数おられるとして、ならば女性も「何かを防ぐ」「何かを守る」ために、犠牲になる「べき」とお考えでしょうか?

>守るべきものが何かを国に強制的に割り振られることも同様です。
これはもう、徴兵そのものに反対ということではないですか?
志願制で統一すれば良いだけのことでしょう。
そこまでして、自分の命を国防に使いたくないのだから、だったら村本と一緒にドブに隠れればよいのでは、と申し上げました。
「犠牲」のことばかり考えずに、現実に「何かを防ぐ」というのはどういうことなのか、しっかりとシミュレーションをしていただきたいと思います。
No.119
84ヶ月前
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第254号 2018.1.16発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしの人たち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」…民主主義が人類史上に初めて登場した古代ギリシアの都市国家(ポリス)においては、兵役に就く者だけが議論に参加する事ができた。しかし現代日本では「侵略されても戦わない」「ただ逃げる」「国を占領され、自由を奪われて、奴隷になってもいい」等と言う者が天下国家を語っている。何故、そのような覚悟のない幼児並みの駄々っ子を議論の場に出し、持ち上げる者がいるのか? ※「泉美木蘭のトンデモ見聞録」…多種多様なフェイクニュース、誤訳した海外ニュースをSNSを通してネット上にばらまいているロシア政府系の通信社「SPUTNIK(スプートニク)」。AI暴走事件の真相とは!?そもそも、なぜフェイクニュースがこれほど蔓延することになったのか?既存メディアとの関わりに潜む問題点等を徹底考察! ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!地方の名産品を“お取り寄せ”することはある?よしりん企画スタッフのデザインは変わらないの?北朝鮮への経済制裁には何の意味がある?なぜ日本では性犯罪対策に本腰を入れないのか?欧米人の「個」と日本人の「個」は何が違う?落語家の笑福亭鶴瓶は好き?…等々、よしりんの回答や如何に!? 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第260回「無知に媚びる民主主義という病い」 2. しゃべらせてクリ!・第212回「ぽっくん画伯の名作自画像、完成ぶぁ~い!の巻〈後編〉」 3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第64回「フェイクニュース事件簿2~Yahoo!一人勝ちの弊害」 4. Q&Aコーナー 5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 6. 編集後記 第260回「無知に媚びる民主主義という病い」  民主主義が人類の歴史上に初めて登場したのは、古代ギリシアの都市国家(ポリス)においてだった。  市民たちは「民会」に参加して、公的な問題の対処を自ら決定した。   ただし、「市民」とは「戦士」のことである。   兵役に就く者だけが議論に参加する事ができ、周辺の他国と戦うか否かといった問題を直接民主政で決めていたのだ。   命を懸けて共同体を守る覚悟を持っている者だけが、民主主義を行使できる。  女・子供・奴隷などは「市民」とは認められていなかった。自らの所属する共同体・国を守る覚悟がなく、いざとなったら逃げるという者は「奴隷」の身分に置かれ、議論の場から排除されるのは当然のことである。  これが、民主主義の起源における原則なのである。   近代国家の始まりであるフランス革命でも、徴兵制によって国民をつくったのである。  ウーマンラッシュアワーの村本は、 「侵略されても戦わない。山の中でもドブの中でも逃げまわる」 と公言した。  つまり村本は正真正銘の奴隷であり、そもそも議論に加わる資格など持っていないのだ。  そんな人物を、国のことについて議論しようという「朝まで生テレビ」の議論に参加させたこと自体がおかしいのである。  古代ギリシアと現代日本では違うんじゃないかとか言い出す者がいそうだが、本質的には変わらない。   国民でつくり、国民で守る国家であり、その経営は民主制でなされるのだから、国家を守る覚悟のある者と、全然その覚悟のない者が、同じテーブルに就いて議論していいはずがないのだ。  侵略されても戦わない、ただ逃げる、国を占領され、自由を奪われて、奴隷になってもいいという者が天下国家を語ってはならない。  国家の存続に責任を持たない感覚は、憲法9条護持や極左の連中も同じである。  国外から侵略されても、国内から独裁制が生まれても、圧政が敷かれたら人々の自由は奪われる。そんな時、自由を守るために命を懸けて戦う覚悟のない者は、あっさりその境遇を受け容れ、自ら奴隷になるだけなのだ。   チベットやウイグルを見ればいい。ほとんどの民は圧政を受け入れる。ごく少数の者がテロも辞さずの「自由と独立の戦い」を続行しているのだ。  しょせん奴隷志願者が「安倍政権は独裁だ、自由を守れ!」なんて非難の声を上げてもパワーにならない。覚悟のない者は議論に参加する資格はないのである!  それでも「言論の自由はある」とか言い出す者もいるかもしれないが、国家を守れずに「言論の自由」は守れないのだから、幼児並みの駄々っ子な主張は「公論」にはならない。一人で呟いておけばいい。  最低限の資格もクリアしていない、レベルが低すぎる人物を朝生に出すこと自体がおかしいのだ。そんな奴隷を出して、井上達夫ほどの学者にその相手をさせるなんてことは失礼である。  このような民主主義の原則は、 『民主主義という病い』 に詳述している。これを読んでいれば、村本を朝生に出すなんてありえないことだと、すぐわかるはずである。    
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!