M.Oさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
(号外 2018.11.13発行) 【目次】
1. ゴーマニズム宣言・第300回「反知性ワードに動揺する弱い個じゃダメだ」
2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第104回「不思議の国のHanada ②」
第300回「反知性ワードに動揺する弱い個じゃダメだ」 『戦争論』を出版して20年、これまで左翼から何回 「ネトウヨの生みの親」「歴史修正主義」 という言葉を浴びせられたかわからない。
だが、そもそも本当に『戦争論』がネトウヨを生んだと言えるのか、「歴史修正主義」とはどういうもので、それに『戦争論』が該当するのかといった根拠を論理的に示した上でこの言葉を使ったケースには、まだ一度も出会ったことがない。
「ネトウヨの生みの親」も、「歴史修正主義」も、根拠もなくただネガティブなイメージだけを刷り込むための「思考停止ワード」である。
言ってみれば子供が「お前の母ちゃんデーベーソ!」と叫んでいるのと何一つ変わらない、論理を完全に放棄した 「反知性ワード」 なのである。
ネトウヨもネトサヨも全く同じで、誰かを攻撃しようとしたら、ものすごく単純な「思考停止ワード」のレッテル貼りをする。
ネトウヨはわしを含めて気に食わない相手には、誰彼構わず「サヨク」だの「チョーセン人」だのという「思考停止ワード」を浴びせて罵倒する。ただ、特にわしに対して「ネトウヨの生みの親」や「歴史修正主義」のように攻撃力のあるワードは編み出していないから、ネトサヨよりもネトウヨの方がもう一段レベルは低いのかもしれない。
なぜ右も左も思考停止ワードを使うのかというと、それは、論理では戦えないからだ。
どっちも知性ゼロで、論理では絶対に勝てないから、根拠のない負の言葉を貼り付けて軽蔑し、イメージダウンを図るという手段しか取れないのだ。
ところが世間の人間というものは不思議なことに、こんな単純な手段にいとも簡単に引っかかるのである。
そのレッテルは正しいのだろうかと疑問を持つ者もいない。それじゃあ小林よしのりという人は、実際にはどんなことを言っているのだろうと自分で確かめてみる人もいない。
ただ、小林よしのりとはそんな言葉をぶつけられて、軽蔑されている人なのかと思うだけなのだ。
いくらこっちが論理で説いても、右も左も議論から逃げ、ただ悪いイメージがつく反知性・思考停止ワードを貼り付けるだけという攻撃をしてくる。
そもそも「ネトウヨの生みの親」という言葉は、朝日新聞が何度も使った。
朝日新聞がそう言えば、その言葉のみで、左翼は『戦争論』を読みもせず、何も考えもせずに、そういうものだと結論付けてしまう。
かつてシールズの学生と対談したら、いきなり面と向かって「ネトウヨを生み出したことを謝れ」と責めてきたが、この学生は『戦争論』を読んでもいなかったはずだ。
実はその対談には、シールズの学生がもう一人参加する予定だった。そのツイッターを時浦が追跡したところ、その学生は対談前夜、律儀にも『戦争論』を読んでいたが、読んでみて、これはとても勝てないと怖気づいた様子で、当日ドタキャンしていたそうだ。
どんなにネガティブな単語を貼り付けられようと、わしが何を主張しているのかを理解している本当の読者ならば、そんなものに動揺するはずがない。
右も左も、わしの読者のことを 「小林よしのり信者」 と呼ぶが、これなんかはまさにネガティブイメージを貼り付けるためだけの反知性ワード・思考停止ワードである。
ところが実際には「信者」の単語に動揺して、そうは言われたくないと思ってしまう人が出てくる。
ゴー宣道場の門下生にも「自分は信者じゃない」と言い出す人がいるのだが、実はそれはもう、その時点で罠に嵌っているのだ。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
私はTwitterは全く利用していないので、短文の羅列に頭がクラクラしてきました。
該当のツイートを発見し、スレッドを読んでみたのですが、町山とそのフォロワーによる知性ゼロのレスで、また頭がクラクラしてきました。
やはり私にはTwitterは合わない、感情が劣化してしまう、トッキーさんや『ゴー宣』読者の方々はよくこういうのを読んで気が変にならないなあ、などと感じましたが、それはともかく読んで思ったことを書きます。
もし、良識ある人間があのツイートを読んだとしたら、今後は町山智弘の映画評論を読もうとは思わないでしょう。
専門外のトピックとはいえ、ここまで反知性的な文章を書き、論理的な批判にきちんと答えられない人間が書く映画評論には価値がないと判断するのが当たり前だからです。
また、神話の寓意性を理解出来ない人間が、フィクションである映画を評論できるのか、と思われても仕方がありません。
町山のああいった言葉や態度を引き出した、『ゴー宣』読者の方々はGJだったと思います。
所々で町山を援護射撃しているフォロワーが絡んでいましたが、彼らに支えてもらわなければ、もはや立っているのもやっとという状態にまで追い込んでいると思います。
「変なのが絡んできて大変ですね」的にヨイショする腰巾着フォロワーが、全く見当外れなことを書いている(援護射撃になっていない)という構図は、トッキーさんにロックオンされた柴山昌彦と同じですね。
「映画評論家」という肩書きがあればこそ、その発言に注目を集めることができていたわけですが、その肩書きや実績をフイにしてしまいかねませんよね。
こういった「自分の専門外の分野」に言及し、本業の評価を左右するにまで到った、という例。
あくまで個人的な感覚ですが、『美味しんぼ』の原作者・雁屋哲が思い浮かびます。
雁屋は反日的な極左として知られ、『美味しんぼ』でもたびたびそのような描写は見られましたが、そこではないです。
もはや忘れられているかもしれませんが、東日本大震災の後にマスコミでも取り上げられた「鼻血問題」です。
その信憑性について、雁屋は「最後まで読めば、批判している人間は卒倒するだろう」と強気なメッセージを出していましたが、全くの空振りで連載は休止に。
その後、『美味しんぼ「鼻血問題」にこたえる』という本で雁屋は説明をしたわけですが、これがトンデモ本でした。
何しろ、肝心のデータが何一つ書かれていません。
線量計を持参して福島に行ったそうですが、地域ごとの放射線量や鼻血を出した人間の数といったデータは全くなし。
そこをすっ飛ばして、ひたすら「私がウソを書いたというのですか」「風評被害を受けたのは私だ」と、被害者面した文章を綴る、というよもやの態度に終始。
よほど、自分の表現した内容が批判されたことが、気に食わなかった、あるいはプライドを傷つけられたのだな、と感じました。
こんなトンデモ本で「脱原発」を訴えられても、迷惑この上ありません。
そこで思ったこと。
『美味しんぼ』もこういう独善的な態度で創作していたんだな、と。
結論ありきの一面的な取材が多かったのではないか、ろくに記録を残していないのではないか、「世のため」という意識はゼロで主観的な自説を主張したかっただけではないか、と。
こうして私にとっては、『美味しんぼ』は全く価値がない漫画へと成り下がりました。
町山も雁屋も、本業で評価されて調子に乗ってしまったのか、「この私が言うことだから」という権威主義に陥っているのだと思います。
本業はもちろんのこと、専門外の分野に関しても(というより、専門外だからこそ)、真摯な態度が必要なはずなのですが。
なまじネットでフォロワーからチヤホヤされるものだから、現状を認めてもらっている気分になるのだと思います。
やはり、知性のない人間がネットにハマると、とんでもなく醜悪になりますね。
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