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ぽんたさん のコメント

左翼の純粋まっすぐ君的な主張にはほとほとうんざりするし、むしろ危うさすら感じますが、しかし、このところそんな「純粋まっすぐ君」増殖しているようで困ったものです。今の社会、「寛容な社会」の実現どころか、益々寛容さが無くなりつつあるのではないですか?会田誠氏の作品、熊本のハンドボール大会のピーアール垂れ幕に対してのクレームにしても、いちいちクレームするほどなのか?
ちなみに、今日の西日本新聞朝刊文化面に小林さんのインタビュー記事が載ってました。
No.26
69ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
(号外 2019.3.12発行) 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第316回「あらゆる差別のない社会は左翼の目標」 2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第118回「ヌードモデルというもの」 第316回「あらゆる差別のない社会は左翼の目標」  今回は「差別なき社会」や「寛容の精神」や「多様性を認める」などの耳障りの良い言葉に疑念を呈しておく。 「寛容」は保守思想の権威・オルテガが重要なリベラルの概念としたものだが、オルテガとて権威主義で捉えてはならない。 「非寛容」も多様性の一つの価値として認めるのが「寛容の精神」ならば、価値相対主義に陥らざるを得ない。オウム真理教の「ポア」も多様性の一つとして「寛容」に認めるなんてことができるはずがない。  そもそも宗教には原理主義的な側面があるので、移民が増える中で、「非寛容」も一つの価値として認めなければならないときだって来るだろう。  3月2日、部落解放同盟の全国大会に、立憲民主党を代表して福山哲郎幹事長が出席し、挨拶をした。  同党のブログにその挨拶の言葉が載っていたが、わしはそれをBLOGOSで読んで、疑問を持った。 福山は、こう言ったのだ。 「われわれが作った党の綱領では、あらゆる差別に反対して断固として戦うことを誓い、一人ひとりがかけがえのない個人として尊重され、多様性を認めつつ互いに支え合い、全ての人に居場所のある、ともに支え合う社会の実現を目指すとうたっている」  わしは立憲民主党の綱領を読んでいなかったのだが、綱領には 「私たちは、あらゆる差別に対して断固として闘います」 と明記されていた。  あらゆる差別に対して断固として闘う…そんなことを大した思慮もなく、正義と信じ込んで言われると、わしは不快でならない。   なぜならば、あらゆる差別に対して断固として戦った国こそ、スターリンのソ連であり、毛沢東の中国であり、ポル・ポトのカンボジアであり、その行き着く先は必ず大虐殺だったからだ!  あらゆる差別をなくし、平等にしようとしたら、大虐殺をするしかなくなるというのは20世紀の貴重な教訓であり、特に政治家なら誰でも知っている常識だと思っていたのに、なんと野党第一党にその認識が全くないということに、わしは愕然としたのである。  あらゆる差別をなくし、完全平等を実現しようというのはマルクス主義の思想である。  完全平等が実現するのは完全なる社会主義が達成された世界だけであり、ソ連や中国、カンボジアはそれを目指したのだ。  わしは『戦争論』で、漢字の「左翼」とカタカナの「サヨク」を区別した。  漢字の「左翼」は、マルクス主義に影響され、社会主義国家を目指す者。  カタカナの「サヨク」は、マルクス主義は信奉していないが、無意識に「人権」「平等」「自由」などの価値に引きずられる者である。  あらゆる差別と闘うということを綱領に掲げている立憲民主党は、社会主義国家を目指すマルクス主義の政党と近似性が強い。  枝野幸男代表は立憲民主党を保守だと言うが、これではとても「保守」とはいえず、それどころかカタカナサヨクですらなく、漢字で書く完全な「左翼」といわざるをえない。  立憲民主党は、とっくに「社会党」になっていたのだろうか? 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!