希蝶さん のコメント
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第317号 2019.6.4発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…何とも痛ましい事件が起こってしまった。川崎市の20人殺傷事件である。犯行は計画的で、スクールバスを待つ小学生らに背後から無言で忍び寄り、両手に持った刃渡り30㎝の柳刃包丁で手当たり次第にめった刺ししてから自殺、その間わずか十数秒だったというから、これではいくら警備を強化しても防ぎようがない。しかも目的が「自殺」にあるのだから、どんなに刑を厳罰化しても何の抑止力にもならない。同様の事件の再発を防ぐにはどうしたらいいのだろうか?
※「泉美木蘭のトンデモ見聞録」…ジャーナリストの伊藤詩織さんが訴えている「Black Box事件」について、Y氏の代理人・K弁護士の言い分をさらに読む。K弁護士は、自身の法律事務所の公式サイト内にあるブログの記事で、伊藤詩織さんに対しめちゃくちゃな誹謗中傷、セカンドレイプの限りを書き立てている。その中で「Black Box事件」の3日後、はじめて詩織さんがY氏に宛てたメールを《「親睦」のメール》と主張しているが、その内容とは?
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!種子法廃止って大問題では?白人女優に関する素朴な疑問!犬や猫にマイクロチップを埋め込む事に賛成?反対?女性を口説く際、容姿を褒めるのと内面を褒めるのとでは、どちらがより喜ばれる?漫画家・楳図かずおの作品で印象に残っているのは?結局のところ、若い人たちはルックス重視では?殺傷事件の犯人に対する「一人で死ねばいい」という言葉をどう思う?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第327回「自殺テロの防ぎ方」
2. しゃべらせてクリ!・第274回「怪しか人ぶぁい、あんた、だ霊? ぽっくんに、なんか妖怪!?の巻〈後編〉」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第129回「伊藤詩織『Black Box』裁判記録とその検証《5》~男女の“親睦”について」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第327回「自殺テロの防ぎ方」 何とも痛ましい事件が起こってしまった。
川崎市の20人殺傷事件である。
犯行は計画的で、スクールバスを待つ小学生らに背後から無言で忍び寄り、両手に持った刃渡り30㎝の柳刃包丁で手当たり次第にめった刺ししてから自殺、その間わずか十数秒だったというから、これではいくら警備を強化しても防ぎようがない。
しかも目的が「自殺」にあるのだから、どんなに刑を厳罰化しても何の抑止力にもならない。
それならば、同様の事件の再発を防ぐにはどうしたらいいのだろうか?
犯人の51歳男性・岩崎隆一は両親の離婚後、父母のどちらにも引き取られず、父方の伯父夫婦家族と暮らし、中学卒業後は定職にもつかず、30年以上子供部屋に籠って社会との繋がりをほぼ拒絶して生きていた。
NHKが取材をしても、 中学卒業後、犯行に至るまでの間の岩崎について知っている人は一人も見つからなかったというし、当人の写真も中学の卒業アルバム以降のものは、どうやら一枚も存在していないようだ。 近所の人も、事件を起こす間際に見かけるようになるまで30年以上、その家に岩崎が住んでいることも知らなかったという。
伯父夫婦とのコミュニケーションも断絶していたようで、ひとつ屋根の下に住んでいながら、何か言うにも部屋の前に手紙を置かなければならないような状態だったらしい。
親の愛情も、社会との関わりも何もない、一切の束縛を失った「自由」の中では、人間は狂う。 わしは『戦争論』などで何度もそのことを描いてきたが、今回もまさにその典型例と言うべきだろう。
「自分を一番自由にしてくれる束縛は何か?それを大事に思う心を育てよう」
『戦争論』でそう描いたのに、誰もそこを重要視しない。日本軍は正義だったか、悪だったかと、喧嘩してるばかりで、「個と公」というテーマには、右も左も熟考することがなかった。
岩崎が「ひきこもり」傾向にあったことで、ひきこもりが「犯罪者予備軍」であるかのような偏見が助長されることが危惧されるとして、ひきこもり当事者の支援団体「ひきこもりUX会議」は声明文を発表した。
声明文では「『ひきこもり』かどうかによらず、周囲の無理解や孤立のうちに長く置かれ、絶望を深めてしまうと、ひとは極端な行動に出てしまうことがあります」と主張している。
確かに、今回の犯行は池田小事件の宅間守、秋葉原通り魔事件の加藤智大や、新幹線通り魔事件の小島一朗らと同種のものであり、それらの犯人たちはひきこもりだったわけではない。
ひきこもりによる孤立感や、80代の老親が50代のひきこもりの子を養っている「8050問題」による、将来に対する絶望感が要因となったことは考えられるが、ひきこもりだから事件を起こしたというよりは、今回はたまたまひきこもりの男が、宅間守や加藤智大と同様の心理状態になって起こしたものと考えるべきであろう。
ひきこもりかどうかに関係なく、未来に孤独と絶望しかなく、自暴自棄になって凶行に及びかねない「予備軍」は、いつどこにいるかわからないと思っておかなければならないのである。
強い自殺願望を抱いている者が社会に恨みを持ち、一人で死ぬのは嫌だ、バカらしいと考え、誰かを巻き添えにして死のうとすることを「拡大自殺」というそうだが、わしはこれを「自殺テロ」と呼びたい。
失うものがない「無敵の人」がヤケクソで起こした自殺テロの巻き添えで、幼い子供や将来有望な人物が犠牲になるなんてとても許せるものではなく、わしとて「死ぬなら一人で死ね!」と言いたくもなるが、公にそう言っては、かえって危ないらしい。
自殺テロ予備軍の人間は、宅間や加藤や今回の岩崎隆一のような人間に感情移入し、自分と重ねて見ていたりするので、彼らが「一人で死ね!」と言われると、自分が「一人で死ね!」と言われているように感じ、社会から疎外されているように思い、社会に対する恨みを募らせてしまうのだという。
勝手な被害者感情だとは思うが、そう感じるのをやめさせることはできないのだから、それならなるべく刺激しないようにしておくしかない。その代わり、社会や行政がそういう人間を孤独から救い、就職の面倒まで見るようにする施策が必要である。
岩崎隆一は携帯もパソコンも持っておらず、かつて所有していた形跡も一切なかったという。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
木蘭さんの方の感想を記します。
前回の「抗拒不能」判決例も、常識的な裁判官は存在するもので、それに比べて詩織さんの裁判官や弁護士は、というふうに感じましたが、今回のメールの意図的な曲解もひどいものだと思いました。
あまり感想と関係ないですが、思い出した話があるので、この場に記すことを許してください。もう昔の話なのですが。
ある知り合いが、とあるアルバイト先から「解雇問題」で揉めて(相手側は解雇の意識はない、と最後まで言っていたそうです)、人事担当者の知人と称する匿名の人より「貴方の所為で上司に頭を下げた彼は面目を失い、病に倒れた。いったいその人の人生をどうしてくれるのですか。貴殿の誠意ある対応をお願いします」というメールを受けとりました。
「それはそちらの事情でしょう」という返事をその人がおくると、今度は「スタッフ一同」と称する「とにかく、彼の人生を何とかしてください。あなた様の今後の健康とご自愛をお祈り致します」という返事を貰ったそうです。
失礼だとも思いますが、木蘭さんの「親睦メール」(とりわけ木蘭さんの事例の方)の話を聞いて、この故事を思い出しました。まさか、裁判官でも、このメールを見て、「あなた様の今後の健康とご自愛をお祈りいたします」と書いてあるから、会社からの親睦メールだ、なんて言わないでしょう。解雇問題がこじれた末の結末、ととるのが常識ではありますまいか。
確かにそのアルバイトをしていた人の仕事がどういうものだったのかは分かりません。自身では一生懸命その会社に尽くしているつもりでも、落ち度もあったのかもしれません。おろかな対応をしたこともあったのでしょう。
しかし、なぜ首切りをされた側が、相手の会社の交渉人の人生の「補償」をしないといけないのでしょうか。責任を持つとしたら、その相手の会社か、その人の上司でしょう。「弱者を装って弱者を痛めつける」、とはこういうのを言うのか、とその話を聞いて思いました。だから「強者」にならないと駄目なわけで、「力がすべて」ではなく、「道義が大事」なのかとも思います。
しかし、この人の感情や行動を思い返してみると、その仕事への「愛着」のようなものが見え隠れしており、「解脱」や「執着を断つ」といった心境には達していないのだな、という気がしてきました。人間、あまりに感情移入しすぎると、相手への見境のない行動へと駆り立てられてしまって、冷静さを失ってしまうものなのでしょうか。よしりん先生は「わしに執着するな」とおっしゃられますが、一生懸命になればなるほど「愛着」の念が生まれてしまい、我を忘れてしまうものなのかもしれません。
何となく「杜子春」の物語を思い出しました。芥川龍之介ではなく、中国の原話の杜子春は女に生まれかわり、唖のまま結婚して子供をなすのだけれども、物言わぬ妻を見た夫に息子を殺され、思わず「あっ」と声を出してしまいます。結果、仙人の膏薬つくりは失敗し、杜子春は導師に責められ、下山する、という話なのです。
しかし、それでなければ「人間」ではないのでは、という気もしています。「愛」や「情熱」をなくした人生に何の価値があるのか、とも思うのです。
ただし、人に迷惑をかけることは絶対にしてはいけませんが。そういうふうに自身を第三者の目で見る余裕は持てたら、と。
テーマが脱線しました。偉そうなことばかり言ってしまいました。ご堪忍のほどを。第三者から「裁判はその人の思っているような正義の場ではない。相手を故意におとしめたり、醜い話も出てくるものだよ」とは言われたそうです。裁判(争い)に勝つためなら、何でもOK、みたいな悪い風潮があるのだ、と。また「まずはこちらの人生をどうしてくれるのですか」というメールは相手に返したらしいです。今、相手側にこの話をしたところで、彼が「被害妄想に陥っている」としか言われないのかもしれません。恐らく事情を知らない人もそのように解するのだろうとも。こういう場合、是とされるのは、会社の個人への総合評価の方であって、個人の努力など無に等しいのでしょう。その後の話は飛ばします。世の中には、こういう仕事の失敗談もあるものだとでも思ってください。
詩織さんの話にもどすと、Y氏より暴行を受けたショックで、頭が混乱し、事務的で感情のこもっていないメールを返すことは十分あり得ることです。詩織さんも、「あの日」がなかったら良かったのに、とどれだけ思ったことだろうと思います。でも、一度起こったことはなくならないのです。記憶喪失にでもなれたら、とも思いましたが、それでは問題の根本的な解決にはならないでしょう。
こんな感じで宜しいでしょうか。変な事例を出してしまったことをお詫びします。
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