M.Oさん のコメント
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第346号 2020.2.18発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…朝日新聞の「民主主義は限界なのか」というシリーズの1回として、2月12日の紙面に『「強権」のままでいい若者たち 中西新太郎・関東学院大教授に聞く』という記事が載った。中西氏は、人々が「衆議を尽くす」やり方は効率が悪く、民主主義は邪魔だという感覚になっている、若者ほど未来に希望を持っておらず、秩序とルールが自分たちを守ると思っているから保守化する、と分析している。なぜ日本では政治に対するシニシズムが非常に強いのか?それは結局のところ、日本の民主主義は「学級民主主義」で、真の主権者ではないからである!
※泉美木蘭の「血道一直線!」…私は地方の中流家庭に育ち、腰まで伸びた長い黒髪を三つ編みにして、応接間のピアノで合唱コンクールの課題曲『翼をください』を弾いている、とても安心感のある高校生だった。ところがそれは、大人の目を忍ぶ仮の姿であった。一皮めくれば親に隠れてアメリカのヘヴィメタル・バンド「モトリー・クルー」に血眼で大熱狂していたのだ!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!AIが作ったゴーマニズム宣言が発表されたらどう思う?綺麗好き・清潔好きのよしりん先生、整理整頓は得意?どんなに理解しづらくても、相手の価値観は尊重すべきでは?アニメコラボに対するフェミニストからの「キャラが性的すぎる」という批判をどう思う?「レディースデイ」はあり?なし?宮崎謙介議員に育休推進を主張する資格はある?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第361回「学級民主主義をやめて合体ロボ主義へ」
2. しゃべらせてクリ!・第303回「芸術の殿堂!茶魔ギャラリーの大公開ぶぁ~い!の巻〈後編〉」
3. 泉美木蘭の血道一直線!・第2回「ヘヴィメタルにケツ道一直線!」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第361回「学級民主主義をやめて合体ロボ主義へ」 『ゴー宣』のファンだという人や、単行本も全部買い揃えているという人が、必ずしも本当にその内容を理解しているとは限らない。
理解できないままファンになっている人は、何かのきっかけでアンチに転じる危険性が高いから、要注意である。
最近「ゴー宣道場」の門下生を辞めていったり、そこからアンチになったりした者が、 「ゴー宣道場は民主主義じゃない」 とか言って非難していると噂に聞く。
これなどは『ゴー宣』の思想の初歩の初歩すら分かっていないアンポンタレである。
そんなことは当たり前じゃないか! 『ゴー宣』はずっと以前から「学級民主主義」という言葉を使って日本の民主主義、特に戦後民主主義といわれるものを批判しているじゃないか!
それなのに、なぜ今さらそんなことを言い出すのかといえば、やっぱり読んでも理解できない者がいるということだ。
『ゴー宣』の本当の読者なら、「学級民主主義」というものの意味は理解していなければおかしい。
わしは『民主主義という病い』の冒頭で、 「学校のクラスで教わる理想と善悪だけの学級民主主義と、国家レベルの権力と欲望を調整する民主主義は違う。世界各国の民主主義の形式も違うしな」 と述べている。
最初にわしが『ゴー宣』に「学級民主主義」という言葉を登場させたのは、『新ゴーマニズム宣言』第2章 「学級民主主義を捨ててプロになれ!」 (初出・SAPIO 1995年10月11日号)である。
それまで『ゴー宣』を連載していた「週刊SPA!」の当時の編集長が、命がけでオウム真理教と戦っているわしの原稿と、面白半分でオウムの擁護をする執筆者の原稿を「平等」に扱い続けたために、わしはついに堪忍袋の緒が切れて、SPA!の連載を打ち切ってSAPIOに移籍した。
そうしたら、若い編集者やモノ書きの間で 「結局小林よしのりって異論を許さないんだよな」とか「民主的じゃないんだよ」 といった反発が広がった。
しかし、「誰のどんな意見でも平等に扱う」なんてことは、クラスのホームルームの民主主義でしか通用しない。
プロの世界なら、優れた意見と劣った意見の価値判断の差がつけられて、そこに「不平等」な扱いが行われるのは全く当たり前の話である!
たったそれだけのこともわからずに、嘘でも駄文でも愚論でも平等に扱えと言い出す幼稚で甘ったれた連中が多すぎるものだから、わしはそれを称して「学級民主主義」と言ったのだ。 だから、門下生といえどもわしが全てを「平等」に扱うことなどない。
あれから25年も経つのに、これくらいのことが『ゴー宣』読者だという人にも伝わっていないのだから情けない。
そして「学級民主主義」には、もうひとつの意味がある。
それは 表面上の主権者が、本当は主権を持っていない ということである。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
毎日新聞の読者投稿欄「みんなの広場」に私の投稿が掲載されることになりました。
内容は、消費税増税や新型ウイルスなどの影響で日本経済が深刻な状況に陥っており、放置すれば取り返しのつかない事態にもなりうることが充分に想定できるレベルにまで来ているのに、野党(特に立憲民主党)が「桜を見る会」の追及に執着し続けている様相を批判したものです。
加えて、自分たちの支持者だけに目を向けた「得点稼ぎ」に終始するのではなく、国家のビジョンを示すべきだ、という「あるべき論」も付け加えました。
もちろん、よしりん先生のブログや倉持師範の基調講演に影響を受けた内容ですが、決して戦術的に「新聞に『ゴー宣』の主張を投稿してやろう」と企んだわけではありません。
「やってられん」という感覚。
辻元清美や安住淳らのドヤ顔を見た時、まずこの感覚に襲われました。
そして、マスコミでは野党の姿勢を批判する論調は皆無で、毎日新聞の読者投稿欄でも首相答弁の批判ばかりが取り沙汰されているという状態を見て「ヤバいを通り越した危険水域」と認識しました。
ある種の切迫感や危機感を感じた時、それまで漠然としていてかたちになっていなかった不満や憤りが、突如スイッチが入ったかのように具現化し、気付いたらものの10分程度で400字以内の文章がまとまり、投稿していました。
かつて「保育園落ちた」ブログを書かれた方も、自然とキーボードを叩いていた、ということをおっしゃっていたので、ひょっとしたら同じような感覚だったのだろうか、と思ってしまいます。
それにしても、リベラル寄りの毎日新聞が、まさか野党を批判する投稿を採用するとは思いもよりませんでした。
「声を上げる」というのはやはり必要で、それが拾われることもあるのだな、再認識しました。
ちなみに掲載日は決定していますが、私の実名が明らかになってしまうので、ここで明記するのは控えておきます。
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