M.Oさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
号外 2020.3.10発行 【目次】
1. ゴーマニズム宣言・第364回「コロナに対する哲学」
2. 泉美木蘭の「トンデモ見聞録」・第158回「女性は輝きたいのか? データで見る“意欲”と“偏見”」
第364回「コロナに対する哲学」 来る日も来る日も朝から晩まで新型コロナウイルスの話題ばっかりなので、せめてライジングくらいは話題を変えたいところなのだが、これだけいろんな人がしゃべりまくっていても、わしの考えるような本質的な話が一切出てこないのだから仕方がない。ここで語っておくしかなかろう。
安倍首相が「対策やってるふり」のパフォーマンスのために思いつきで言い出した「全国一斉休校」のせいで、日本中が大混乱となっている。
そもそも小中高校を一斉休校にして、イベント等も軒並み自粛させるくらいなら、 高齢者施設だって一斉休業にして、老人を自宅に帰して籠らせなければおかしい。 高齢者ばっかり集まっている施設で感染者が出たらあっという間に感染が広がってしまい、そのリスクは学校の比ではないのだから。
ところが高齢者に対する感染防止策はほぼ皆無のままで、国会ではなぜ対応をしないのかという質問が出ると、自民党の議員が 「高齢者は歩かないから」 とヤジを飛ばす始末だから、もう無茶苦茶である。
さらに言えば、 最も感染リスクが高いのは通勤ラッシュの満員電車であることは誰の目にも明らかなのに、その対策も全然ない。
安倍は外交でも経済でも憲法改正でも、実際には何もやらず、やる気もないのに「やってるふり」だけ見せて7年間支持率を維持してきたが、今回も同じことである。
そしてまたもや安倍が「対策やってるふり」パフォーマンスの思いつきで突然言い出したのが 「中韓からの入国規制」 、事実上の入国拒否である。
今回も政府対策本部の専門家にすら一切相談もせずに決めたらしく、専門家からは疑問の声が相次いでいる。
入国拒否は「水際対策」が有効な時期ならありうるが、本当にそれが必要な時期に、政府は逆に春節のインバウンド需要を見込んで中国人観光客を大量に入国させまくってしまった。
今さら入国拒否をしても、既に国内に感染が広まっているのだから効果は薄く、今は国内の対策に力を入れるべき時期に入っている。 しかももはや感染地域は世界中に広がっているのだから、本気で入国拒否をするのなら、中韓に限らず世界中の感染国を対象にしなければならなくなる。
そもそもなぜいまこれを決めたのかといえば、 「習近平の来日延期が決まり、中国に配慮しなくてよくなったから」 だというのは見え見えで、少しは真面目にものを考えろと言いたくなる。
それでも「羽鳥慎一モーニングショー」の玉川徹は、タイミングが遅すぎることは指摘しつつも、「取れる措置は全て取るべきだ」として、今回の規制自体は支持。玉川は全国一斉休校についても、現場の混乱が報道された後になっても「正しかったと未だに思っている」と安倍支持を表明している。
そんな大人の都合に振り回されている子供もいい迷惑だろう。テレビでは小学校低学年の子がインタビューを受けて、こんなやり取りをしていた。
「学校が急に休みになってどう思った?」
「まさかって思った」
「休みはどうするの?」
「どうせばあちゃんち送りになるから…」
祖母の家に預けられるのが「ばあちゃんち送り」で嫌だとは、この子にとってばあちゃんちって「収容所」か「刑務所」みたいなものなのか?と笑ってしまったが、ここは子供の言い分を聞くべきであって、いま子供を「ばあちゃんち送り」になどしてはいけないのだ。
WHO(世界保健機関)の調査報告によれば、 新型コロナウイルスによる子供の感染例は少なく、19歳未満の感染者は全体のわずか2.4%で、感染しても症状は軽いという。
だが高齢者や持病のある人は重症化や死亡のリスクが高く、80歳を超えた感染者の致死率は21.9%と、5人に1人以上にもなる。
子供は感染率が低く、感染しても無症状か軽症で済むのだから、普段通りに学校に通わせておけばいいのであって、それを休みにして祖父母の家に預けさせたりして、もしもその子が無症状感染していたら、わざわざ高齢者を感染リスクにさらすことになってしまう。
つまり「ばあちゃんち送りは嫌だ」という子供の言い分は、エゴイズムのようでいて、結果的に非常にパブリックな意見になっているのだ。
ばあちゃんちに行きたくないという子供の声は全く正しい。子供って、非常に立派なことを言うなあと思ったものである。
若者はエネルギーがあり余っているものだから、ひきこもりでもない限り、体調も悪くないのに急に学校が休みになったら、家で一日中じっとしてなどいられるわけがない。やっぱり、カラオケやゲームセンターなどアミューズメント施設に出かけて遊んでしまったりするのだから、これでは休校にする意味など何もない。
北海道の感染状況を調査した専門家によれば、活発な若年層がリスクの高い場所で気付かないうちに感染し、無症状もしくは軽症の状態で道内各地に移動して、高齢者に感染させたと考えられるという。
これを受けて政府の専門家会議は、「若者は重症化リスクは低いが、感染を広げる可能性がある」として、若者に対して活動の自粛を求めている。
しかし、老人が感染したら死ぬかもしれないから、若者が我慢してじっとしてろと行政が言うなんて、とんでもないことだとわしは思う。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
以下、シビれた文章。
「本当は、たとえ自分に命のリスクがあろうとも、未来のある若者には存分に活動させてやれと言うことこそが老人の矜持であり、それが美意識というものである」
「人生、無駄に長生きだけしてたって意味はない。基礎疾患が元で死ぬんだったらそれが天命で、自然死として受け入れるだけのことである」
「価値基準に「科学」と「生命至上主義」以外には何もないからこうなるのであって、この問題に一番欠けているのは哲学であり、美意識である」
よくぞ言ってくれました!!
「生命以上の価値を見出す」という哲学や美意識が集まって、骨太の歴史を形作っているのだと思います。
『新・堕落論』のラスト「命は単なる手段だ」というフレーズが思い浮かびますね。
私は現在47歳ですが、人生残りはせいぜい25年ぐらいかな、だとすれば「出来ること」って限られてくるな、という感覚に到りました。
なので、よしりん先生ほどではないと思いますが、「執着心」というものがみるみる薄れてきました。
「所有欲」とか「過去への未練」というものがほとんど無くなったので、身の回りのモノをどんどん処分していっています。
モノについて「不要」と簡単に見切りを付けられるようになり、余計なモノも買わなくなりました。
今までの47年間を踏まえた上で、この先の25年間の生活というものを大局的にイメージしているからです。
「死生観」とでも言うのでしょうかね、終着点を見据えてどのようなプロセスを経てそこに到達するか、そして如何に潔く幕を引くことが出来るか、ということはコロナ騒動の前からぼんやりと考えていたことです。
だから、健康管理にしても日常的に可能な必要最低限の対策しか実行しておらず、「この食材のこの栄養素が○○に良い」というような情報は大して気にしなくなりました。
世の中、「これを読まずに・観ずに・聴かずに」死ねないとでも言わんばかりの「欲」を引き出す宣伝文句があふれかえり、「欲」を充たすために一年でも長生きしようと健康情報に躍起になる、という煩悩まみれの大人が増えました。
若者は煩悩まみれでもいいけど、アラフィフにでもなればもう少し心境の変化があってもいいのではないか、と個人的には思うようになった次第です。
今回のコロナ騒動において、マスコミや知識人その他一般市民も含め、地に足の付いていない大人の醜態は見ていて「情けない」としか感じません。
子供や若者がそんな大人を尊敬できないのは当たり前。
エネルギー溢れる若者を「少々は辛抱しなさい」と理不尽にも自宅に閉じ込めてしまうという行為は、下手をすればそのエネルギーが「大人への不信感」に転換される可能性もあります。
まさに世代の分断の深刻化。
ただ、これも社会が「少子高齢化」に陥っていなければ――すなわち、子供や若者が多く、老人が少ないという正常な人口比であれば――子供や若者の行動を制限するなどという事態には到らなかったのではないか、と想像します。
物欲偏重、グローバリズム礼賛、新自由主義肯定、共同体崩壊などといった問題が積み重なり、「日本人の堕落」といったかたちで様々な矛盾が噴出しているのだと思います。
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