M.Oさん のコメント
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第358号 2020.5.26発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…わしは「個と公」をテーマに『戦争論』を描き、「公」の重要さ、「公共心」の大切さを訴えた。その主張は今も変わっていないが、ただし現在は、ここに大きな注意を加えておく必要がある。それは、「『公』は狂うことがある」ということだ。自粛して家にこもることが公共性であり、常識だとしている今の日本の「公」は、完全に狂っている。そして日本の「公」の発狂の度合いは、さらに激化しかねない状況になっているのだ!
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…「医療崩壊の危機」「病床ひっ迫」と喧伝されてきた日々の中、コロナ対策に回していた病床は国内全病床のたった1.8%だったという。そしてあまりに偏ったやり方で、日本中の病院が大損失を被ることになったのだ。無意味なものに多額の税金をつぎ込んだ、この日本の新型コロナ対策で、医療機関にどんなことが起きたのかをまとめておこう。
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!なぜ日本政府は緊縮財政にこだわるの?ベーシックインカムの導入についてどう考える?プロレスラーの木村花選手が亡くなった件をどう思う?緊急事態宣言が出た後に沖縄旅行に行っていた芸能人は批判されるべき?黒川弘務検事長の賭けマージャン問題の裏には、特定野党とマスコミの癒着がある?「専門家には責任を取らせるべきではない、意見を採用した政治家に責任を取らせるべき」という主張をどう思う?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第374回「公が狂うとき」
2. しゃべらせてクリ!・第315回「御坊家のソーシャル・ディスタンス晩餐ぶぁい!の巻〈後編〉」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第168回「いびつすぎるアフター・コロナの世界」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第374回「公が狂うとき」 わしは「個と公」をテーマに『戦争論』を描き、「公」の重要さ、「公共心」の大切さを訴えた。
その主張は今も変わっていないが、ただし現在は、ここに大きな注意を加えておく必要がある。
それは、 「『公』は狂うことがある」 ということだ。
今は日本中、「自粛」「STAY HOME」が「公」であり、たとえ緊急事態宣言が解除されても、新型コロナを恐れて決して気を緩めず、なるべく外出を控え、「ソーシャルディスタンス」を保つことこそが「公共心」のある行動であるということとされている。
政治家から、学者から、芸能人から、一般人まで、誰もがこぞって「家にいよう、大切な人のために」などと唱え、それこそが常識であるとまで信じ込んでいる。
だが、わしはそんなものは全く「公」だとは思っていない。 日本においてはインフルエンザよりもはるかに弱い新コロなんかを恐れて自粛して経済を止めてしまうのは愚の骨頂であり 、外出して消費して経済を回すことこそが「公」だとずっと主張している。
ところが今は、そういう行動はあたかも公共心に反することであるかのように、 「自粛警察」の取り締まり対象にされるような「公」が形成されてしまっているのである。
金沢市の市会議員が、新コロに感染・入院し、退院した後の自宅待機中にパチンコ屋に行ったとして、市民から糾弾された。
その市議は今月7日に退院し、医師から2週間の自宅待機を命じられていたが、その期間をあと2日残した19日に、休業要請の出ているパチンコ店に行ったという。
自粛警察の総本部であるテレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」は21日の放送で、女性リポーターが市議本人に電話取材して「吊し上げショー」を行った。
市議は若い頃からパチンコをたしなんでいるといい、その日は客としてではなく「視察」に行ったものの、店内がガラガラで大変厳しい状態になっているのを見て、たまたまポケットに5000円札が一枚あったので、せっかくだからと打ってしまったと、実に苦しい釈明をした。
女性リポーターは嵩にかかって「今後議員辞職する考えはないんでしょうか?」と質問し、市議はひたすら反省の弁を述べ続けた。
番組では何の疑いもなく、 新コロに感染していた者が自宅待機中にパチンコに行くなど言語道断であり、それを糾弾することが「公」に適うと信じている様子だったが、もしもその「公」が間違っていたらどうなるのか?
これがインフルエンザを発症した人だったら、治った後にパチンコ屋に行ったところで、誰も一切非難などしなかったはずだ。
それが新コロならこんな大騒ぎになるということは、 新コロ感染者はたとえ治っても、危険人物視されるという差別が存在しているのではないか?
医師からの自宅待機指示を破ったというが、PCR検査で2回連続陰性だったから退院しているはずで、その時点でもう治っているのに、 さらになお2週間も自宅待機せよという医師の指示は明らかにおかしい。
医師も医師としての判断ではなく、世間の差別感情におもねった指示を出したのではないだろうか?
もっとも今回の場合、それが「市議会議員」でなければ、単に新コロの元感染者がパチンコをしただけでは、こんな騒ぎにはならなかったはずだ。
ということは、 この騒ぎの本質は、「公務員」である市議が、県の自粛要請を無視して営業していたパチンコ店に行って、パチンコをしたことがいけないということだったのだろうか?
だが、そもそも「パチンコ屋は営業自粛せよ」という公の要請そのものがおかしかったらどうなるのか。公務員というものは、間違った公にも従う義務があるのだろうか?
今は自粛が「公」であって、自粛することこそが「公共心」のある行為であるという認識が、世間の大多数の感覚になってしまっている。
だがそれは後世になったら「間違った公」だったと評価されるかもしれないし、必ずそうなるとわしは確信している。
公務員ならば自粛に従わなければならないと無条件に思っていること自体、本当はおかしい。 公務員は「これは本当の公ではない、今の公は間違っている」と告発したっていいはずだ。
公務員が「集」に埋没せず、「個」が強ければ、国や自治体が決めたこの度の「公」は狂っていると主張することも可能だろう。
もっとも件の金沢市議のおっさんにそんなことはできないし、それを望むべくもない。そこまでの自覚もなく、ただパチンコがしたいという「私心」を抑えられなかっただけなのだろうから。
「公務員は、間違った公にも従うのか?」
これは本当に難しい問題である。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
NHKのノンフィクション番組『フランケンシュタインの誘惑』の「原爆誕生 科学者たちの罪と罰」がそれでした。
原爆を開発する「マンハッタン計画」にスポットを当てた内容なのですが、興味深かったのは開発計画に参加した科学者による当時を振り返った証言でした。
「皆、熱に浮かされたように仕事をしていた」
皆様もご存じの通り、ナチスが原爆を開発しているとの噂に対して、アメリカも原爆の開発をすべきと言い出したのは、政治家ではなく科学者たちでした。
アメリカ政府に開発を要求する書状を作成し、アインシュタインもそれに署名をしたというのは有名な話です。
科学者らが自分たちなりの脅威を感じることで、自らプロジェクトの必要性を作りだしたかのように感じられてしまいます。
しかも、1944年には「ナチスが原爆を開発しているという事実はない」ということが米軍の調査で明らかになっていました。
この時点で「ではもう原爆は必要ない」と考えて自らプロジェクトから離れた科学者もいましたが、それはごく少数だったようです。
リーダーのオッペンハイマーは「原爆の開発成功が世界に平和をもたらす」と弁舌を振るったことで、多くの科学者は納得して「仕事」を継続。
イラク戦争と似たような構造が醸成された中で、科学者が「集」として暴走し始めたのではないか、と想像してしまいます。
その後、日本への原爆投下については科学者の間でも意見が割れたそうですが、最終的に作成された「勧告書」の中では「デモンストレーションとしての使用(砂漠や無人島に投下して脅威を示して降伏を促す)」ではなく「直接的軍事使用」を支持。
ただし、その文書は「(略)しかし、我々には政治的社会的軍事的問題を解決する能力はありません」と締めくくられています。
ジョージ・メイソン大学歴史学教授マーティン・シャーウィンは、この文言について「言い訳しながら原爆投下を認めた」として批判しています。
こうした「暴走」や「言い訳」が、今回のコロナ禍にも見受けられるのではないか、と感じます。
確かに、物理学者による兵器開発とウイルス学者による感染症対策とではまるで性格が異なるものではあります。
でも「自分は専門分野のことしか分からない」ということを認識しながらも、「正義」のために猪突猛進し、一般的な常識と照らし合わせてバランスを欠いていないか自己検証することに無頓着という態度は、両者に共通するものがあるのではないかと思います。
加えて「ここまで来た以上はもう引き下がれない・過ちを認めることは出来ない」という自己保身の心理も同様なのかな、と。
番組では、ノーベル物理学賞受賞の朝永振一郎氏の以下の言葉を紹介していました。
「科学者の任務は法則の発見で終わらず、その善悪両方の影響を人々に知らせ、誤った使われ方を防ぐことに努めなければならない」
また、オッペンハイマーは原爆投下から2年後に以下のようなセリフを吐いたそうです。
「物理学者は罪を知った」
私としては、やはり「専門家会議は専門バカの集団」というのを言い訳として認めてはならないと思います。
「8割おじさん」のシミュレーションが極端だと感じないとか、5月になってから「経済の専門家が必要」と言い出すって、どういう感覚なんだろう?
威光を掲げる「科学者集団」って、場合によっては「官僚集団」よりもアブナいことを平気でやっちまうんじゃあないか? という気がしました。
「集」に囚われる恐ろしさを知ることが出来た番組でした。
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