第358号 2020.5.26発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
第374回「公が狂うとき」
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
(以下のうち私見にわたる部分は、ご自身の意見として裏を取って述べていただく分には引用も利用も―もちろん批判も―自由です)
三度び+? 先生の有名雑誌連載の最新分にウナってしまい、お邪魔させていただいております。 先生そして「道場」のstaffのご尽力・ご慧眼には感服してばかりです。
以下長文御免。
(I) 祝!先生、完勝! 日本のc〇r〇na
(A) 先生完勝
まず、先生、スタッファーの方々、コメ欄の多数の方々の完勝おめでとうございます。
とりあえず事実として、感染よりも死者数は深刻には増えていない。 宣言も延長の舌の根の乾かぬ内に一旦は解除。
第二波があろうとなかろうと、先生も支持なさっているようである幾つかの仮説が正しいなら、日本の死者数は今後も深刻には増えないと推定できます。
むしろ、経済活動などに対するcollateral damgeのほうが深刻です。こちらもコメント欄の多数の方々と同じく、完全同意。
(B) 総括
とはいえ、毎晩、夜のTVのニュースをつい梯子してまうんです。 COVID-19(以下「コロ」と表記)について、政治家・TVマスコミのいまだ冷め、醒めやらぬ熱だか余熱だかに驚き呆れるばかり。
ついつい酒も進む。 肴としては優れもの。 マズいのに。
街角の庶民って、ホンマのとこどうだったんでしょう? どうなんでしょう?
「ダマサレタ」と薄々感じつつ、「考えないようにしよう」が多数なのでしょうか?
当コメ欄の皆さまの多数のように、最初から、またはわたくしのように途中から「日本や東アジアでは正しい」考えに達した例外もいらっしゃいます。
また、その限りで正しい、「高齢である自分や父母への含意だけを引き出した」方も大勢いらっしゃるでしょう。
そのほかの方はというと、考えるのめんどくさいと苦しくない言い訳をしつつ、騙されてるフリを続けつつというのか。 タイセイに不都合な事実を無意識にせよ見ないように。 で、その場その場で振られた立場を演じてる、いうんかな~。
誰かが言ってたように、日本っていう国の美風かつ弊風。
原理主義者は少ない。
是々非々の人はもっと少ない。
そのぶん日和見主義者が、他の先進国対比異様に多い。
日和見主義は「主義」ではない。 言動のパターンに過ぎないi。
なんだか当たってます。 そんな言動の伝統的パターンが遺憾なことに、否、いかんなく発揮されたというまとめ……なん?
「それって、変わんねー日本へようこそ、だったんじゃね?」
と日本歴史・裏話で孫や曾孫世代には語られるようになるんかな?
べ、別に、恥ずかしくないですよっ。
しかし先生のようにsane、失礼、正気な議論も展開なさる方もいらっしゃるのでホンマよかった。
同調圧力大国・日本。 なのに明瞭快活堂々と反・政府方針、反・専門家会議を打ち出した。
かつ完勝もなさった。当面は。
今回の疫病は少なくとも当面「日本では」(Ⓒ先生)、コロ騒ぎというより空騒ぎ。
しかし未来は未定にして不定。
いつも開放された検証と反証精神でのぞむ。 一応「開かれた社会」のメンバーの義務ですね。
たとえば、今後も残るだろうリスクとして、高齢化大国ならではの、
高齢者かつ/または持病持ちの人が大規模に集住する施設群において、同時多発的な感染がもしあれば、日本の死者数の抑制傾向が崩れる可能性は十分にあり得るでしょう。
(C)誰が当てたか、この事態?
先生のような主張をそれとなくであれ、途中からであれ、されていた方、マスコミって……
狭い見聞で申し訳ない。 しかも記憶ベースですので、過ちがありえますが、そう多くはない。
まず、福岡ハカセの落ち着いた対談ii。
池上さんのやはり一貫して落ち着いた解説記事iii。
三月中旬のある医療NPO理事長の発言iv。
一か月半ほど前の先生と道場の方々v。
ほぼ同時期からだったか、「音羽」の部数2位週刊誌Gの特集記事群の論調vi。
4月中旬ごろ、週刊誌PBにおける橘さんは、問題点というか対策と経済という二律背反をわかりやすく剔抉してました。 ただ今後の対処の力点をどちらに傾けるべきか、彼の立場はあいにく記憶にない。申し訳ありません。
記憶では、以上程度。
そういえば週刊誌Bのコラムとは別に、特集記事などの論調はどうだったか? 「不徹底糾弾」が目立ったと記憶します。 これも曖昧です(わたくしの記憶が) vii
(D)今後へ向けて
ここからは「日本では」権威失墜レベルでハ外れた、外した面々の、ズルのチェックだけでいい。
失礼しました、ズルではないです。 「いさぎの悪さ」です。
そういうのだけピシャリと指摘。 それだけでええんやない?
でも先生は、敗者を過剰に鞭打たぬようどうか手加減をお願いします。
むしろ、次回以降のコロ以外のヤバい感染症に備え、スタッフさんとともに、類似事態にも有意義な施策をご提言いただければと願います。
たとえば、やない、素朴な疑問ですんません。気になってることがあって。 疑問程度の。
感染症医の増員確保に向けた施策は必要なのでしょうか?
「感染症学会認定専門医」は日本全体で1,000人ほど。約0.5人@病院という記事を読んだんですviii。
こ、これ事実なん?!
たしかに循環器も内分泌内科も心臓外科も脳外科も大事。
でも今回、
① 世界一の高齢化大国という、アウェーな所与の条件。
② 高齢者または/かつ特定持病持ちは、感染症に異常にやわいと判明。
③ しかも、誤嚥性肺炎を含めた肺炎は、日本の死因の第3位らしい。
④ そして、多分カナラズ来る、「次」の疫病への備えとして。
―― 感染症専門医不足 (とみえる事態)って、相当マズ……
や、心配要らんことなんかなあ?
という疑問です。
医者の卵さんが専門careerとして感染症医を選ぶのは現状少ないのでしょう。
けど、人口動態が高齢化を30年~40年は保証してくれてる。 あとは予算を継続的につけるか、配分しなおしたらええんやないの? つーのが素人の浅墓な考え。
以下、卓袱台の半返し。 実はわたくしには、不足の実態や意味合いを調べる力がありません(「認定専門医」の職業的意義もわからない…(泣))。 問題提起のみにて御免。
次に、今回コロ空騒ぎの筆頭級の教訓。
マスコミは優秀な方々ばかりなので、心配ないと想定・仮定して。
少なくともわたくしたち庶民の誤解や疑問をほぐしてくれる専門医とまでいかなくても、カウンセラーさん的な存在がほしい。
そういう方にもっといてほしかったわ。
死因第3位やん。 ホスピスもどきにさえ値すると思うねんけどなー。
(Ⅱ) ぶっちゃけ話
直前に「敗者を鞭打つなとお願いしてたやん」ってツッコまれても文句はいえん。
けど、後知恵による哲人パワーももらい、ぶっちゃけなことも言いたい。
あくまで「他山のイシ」として。
(A)前段としてのマスコミ観
まず、わたくしの前提の議論、メディア観を披露します。
「んなん要るかっ」という方は、どうぞ読み飛ばしたってください。
以下、N.Y.Timesの衝撃的な復活などもあって、日本のメディア・(ウォッチャー)ギョーカイでも「常識」と推定されます。
要は、 「マスコミ」 と一口にいっても、様々。
まず、二つの切り口を紹介します。
①「購読料・視聴料依存」か「広告料依存」か
②「8%マスコミ」か「10%マスコミ」か
以下、中身。
①「購読料・視聴料依存」か「広告料依存」か
これは収益構造の視点。 海外もおおむね同じ。
とはいえ、二択ではないi。 濃淡もある。
「購読料依存度100%」 ←← 「50/50」 →→ 「広告料依存度100%」
どこに位置するか、です。
メディアでは広告依存度100%はあります。
購読料100%というのは、思ってるより少ないiiiii。
一部の会員制メルマガや、機関投資家への助言専用業務など、ニッチな領域でそれなりに勢力を誇ります。
しかしそれらは一般庶民にはまず伝わってこない。 なぜなら、その中身、contents、助言者の知識や知恵に独占的に接するため、読者や視聴者がおカネを出し続けているからですiv。
とはいえ。 製作費などが広告費で100%賄われているとしても、一定の広がりか深みがないと広告をうつ利益がない。より多くの視聴者・読者、せめて広告主が製品などの標的としたい人や属性を持つ層には広く浸透してないといけない。 逆に、深く特化するメディアにはそれなりに生き残るチャンスも生じる(例、業界紙)。 当たり前ですけど。
また、「炎上」事案において広告主企業を攻撃する例が近年増えています。これは、上記の「広告を打つ利益」に対し、応対の手間という不利益や全般的な評判が(もしかしたら)下がる不利益を想い起こさせる戦術なわけで、当否とは別に有効性だけは認めざるをえない。
②「8%マスコミ」か「10%マスコミ」か (疑似補助金の視点)
昨年10月に生まれた、やや日本特殊な区分です。
普段の買い物で「8%」か「10%」かは割と大事ですね?
これは「売る側」にとってもそうです。 税込み価格が2%安くなる。大事です。
したがって売り上げに貢献するハズの税優遇を与えてくれたナニカに対しては「頭が上がりにくい」。
とすると、購読者などが10%ちゃんと払わされて購読しているマスコミよりは……(以下、察してぇ)。 そう推定するのがまずは合理的です。
但し。 それゆえ、8%組の報道内容などが偏向してしまったりつまらなくなったりした場合、顧客から総スカンを喰らうリスクはあります。 ま、ありえます。
信頼感が損なわれることがいかに致命傷か、誰でもわかる。 そうなると、少なくとも個別の会社レベルなら、以下の選択肢が浮上します。
「目先の売り上げ減の可能性を覚悟しつつ本体価格に2%上乗せして、すなわち疑似補助金を自主返上して、読者などの信用や信頼を中長期的に確保する」という戦略です。 「損して(長期的に)得とれ」とでも。 単なるかけ算の問題というわけではもちろんない。すぐれて経営的な判断になるでしょう。
というわけで。
この区別は、税率格差がなくなるまでは一定の意味をもちます。
以上、切り口は2つ。
二次元の縦軸・横軸の、見やすい象限分類・分析ができますね。
皆さんの「好き/嫌い」あるいは「信頼できそうな/信頼できなさそうな」報道機関やメディアはどこに入ってますか?
といっときながら、すみません。 ホントウはもう一つ大事なのがあって……
③「出資・経営参加」の視点
「って、オイっ! 軸3つ? Flipにしにくいやんっ」
というご批判は覚悟してます。
しかしメディアも会社組織です。 株主や金主のいうことには基本的に逆らえない。 経営者は、その意向と、労働者や顧客(読者など)との意向や嗜好と天秤にかけざるをえない。
上記①②③の三つでみるとメディアはどう切って分類できるかはめんどうなので省略します。 x軸、y軸、z軸の三次元v。
注意
☆好き嫌いや党派性とはとりあえず別!☆
☆無条件には混同しないで ゼッタイ!☆
まず、テレビいってみましょう。特に民放キー局。
単独では「広告主体」。しかし同様のフリー・ウェブ媒体とはちょい異なる――「8%マスコミ」の最重要子会社です。 上の③ですね。
ゆえに最低限の報道倫理は持っている。 と推定される。
しかし「広告依存度」の高さは否定しきれない。 なので①はWeb媒体にとても近い。
Webに最も近い20世紀型メディア。 それが民放です。
裏を返せば、Web媒体は、報道倫理が制度的には担保されていない広告型メディアでしょう。 個別会社の経営方針次第です。
というより、Webの基本的運営方法・収益モデルなど。 これは地上波TV(除:公共放送)にまずは基づいて作られた。 そうして面妖に変貌したいきさつがある。けっこう知られてる事実だと思います。
TVは「マスコミ」の「10%組」、典型的には出版社系・週刊誌大手とは一定程度性格が違う。 そう推定していいでしょう。
また、「購読料(売上)主体かつ10%」の、一番古株のメディアというか、書籍や「出版社」とはもっと別もんです。 否、基本的に。
出版社に関しては、日本ではとりあえず文庫市場・新書市場に参入しているかどうかが「大手」の目安でしょうか? これくらいなら、マスにも届き、一応「マスコミ」と対抗できる影響力を持ちうると推定できる。 かつホントウの影響力保有者は、そういうものくらいには目を通す。
しかしもちろん例外はある。(実質)自費出版と呼ぶのが相応しい
ような本。 つまり書籍という形だけを借りたCM本はあります。 いえ、ありえます。
実際たとえば、わたくしがこの原稿を薄い冊子として印刷製本して出版してもらいタダで配り歩く。それと、どっかのメディアに意見広告を打つこととは、経済的には変わらない。
近年、本の兵站の最前線の一つ、現実店舗の書店では大手中心にポイントカードやアプリの採用が広がっています。
大抵はスマホなど個人の機微情報と紐づけされないとポイントを使えなかったり、紐づけることに形式的に同意して初めて加算ポイントが付いたりするなどのシステム。 例外はあるでしょうが、狭い見聞では個人情報タグ付け型が9割超。
書店は、お客さんが個人情報を吸い上げられてると説明されたら喜ぶ、多過半数は、と思ってるわけではないでしょう。「生き残るため」の熟慮の末の経営判断でしょう。 「自己責任/自己成果でどうぞ」です。
目的はともかく事実としては、そういう手段の採用は、①の軸の「購読料100%」モデルを更に(?)放棄しつつあることです。 広告依存へ一歩二歩と進んでいる。
ところで、卑近な例ですがZ〇〇mのカメラの調整の不具合などなど、友人でもない誰かの映り込んだ本棚の書名をつい眺めることってありますよね。 これ、知的「覗き」ですよね? たぶん合法のvi。
ところが、大手の実店舗では、それどころやない。
購入した個々の本の書名。購入傾向。購入年月日・時刻・場所。
クリック一つで把握できます。
良くも悪しくも信頼できる、純粋な「本屋」さん。 読者の秘密やプライバシーを積極的にちゃんと守ってくれるというより、ただ、ただ、「ほっといてくれる」本屋さん。 それは小規模以下の本屋さんに限られる。ほんまに絶滅一歩手前です。
利用者にはカードを発行しない、アプリを入れない自由はある。
でもねー。 大手書店のカード発行顧客やアプリ顧客が、いつか、何かの炎上ついでに、上記のことを知ったら。 遅ればせながら「inform」されたら。 嬉しがる人どんだけいはんのやろ? ――要らん心配してるだけです。 ご安心をvii。
さて。
次に、10%組の週刊誌はどうか。 雑誌単独では10%でも、③の「出資・経営参加の視点」も加えると、一味違う分布がみえてきます。
10%組の出版社が週刊誌を出すことはたしかに多い。
では「8%組傘下の週刊誌は?」 「8%組の出版物は?」
という切り口がある。
他にも掘り下げると、
公共いうか公営放送はどう考えられるの? とか。
寄付金主体メディアが日本にもあってええやないの? (メディア自体、恒常的な運営のクラウド・ファンディング等)とか。
TV局の所有者が「全国紙か地方紙か」ではちゃうの? とかviii。
――細かいこと言いだすときりないので、以下略。
そんなわけで、以上がわたくしの(なかばかりものの)マスコミ観、マスコミの分類の切り口です。
たった三つ! でも上記①②③のどの切り口も、2019年10月以降の日本のメディア分析に、またはWebの多様化し・混沌化する状況にも欠かせない視点だと感じます。
みなさんと共有したいなと思い紹介しました。
念のため繰り返します。
☆好嫌いや党派性とは別☆ ☆無条件に混同しないでゼッタイ☆
やっと「ぶっちゃけ」小咄。
……「なんだったんだろ、アレ?」
気付くと振り返ってることが多くなってて。
政府・お役所・お役所お抱えの専門家。
政治家のチキンレースもどき。
8%マスコミとそのTV子会社の報道方針。「落ち着いて」→「コロこええぞぉ」「コロで死ぬぞぉ」「第一波は(ゴニョニョ)。第二波はもっとこええぞぉ」などと。 公共放送も大同小異(一部例外あり)。
それに対して10%組の様々な記事。 啓蒙されるし、正しく怖がることも教えてくれ、かつ状況を笑い倒すことにさえ貢献してくれた記事群がある(一部例外あり)。
ばつが悪いというか、大きな山で地鳴りしたからビクビクして過ごしてたら、ネズミ一匹しか来んかった~という、中国の有名なん、ありますよね? 有名なやつ。
(「有名」やったら、覚えてろっ)
コホン。
「ほんまなんやったんやろ、アレ」
あ、また振り返ってしまった。
候補A。 こぶしを思い切り振り上げ、振り上げ過ぎて。 報いが今の失墜?
候補B。「丁か半か」どう転ぶかわからんのに「丁」にだけ張ったギャンブラー? 正気なら双方にヘッジするんちゃうん?
その後「日本では半が出やすい」と事実が明確に告げてても「いや、どこまでも丁でいく」と腹を切、や、括ったギャンブラー?
候補C。「正解をいったところで、客に難しいことわかるかっ。 なんとか軟着陸するしかない」
とはいえ。報道方針などがガチガチそのものだった背景については、政府方針等との関連以外で、全く異なる「思うところ」、いえ私的憶測があります。 これは(Ⅲ)で。
騒いだ方々は、さすがにもう、
「エ? エ? あれれ?!」となってて。
いわゆる「こぶしの下ろしどころ探し」に見える。
――下司が勘繰るならそういうこと。
その疑いがあるから、ちゃんと監視するかボイコットするか。
影響力保有者(インフルエンサー。インフルエンザやないですぅ~)の
権力者や権威者、提灯持ちがシレっと口をぬぐうこと。
せめて次の民意発露のチャンスまでは、覚えておきたい。
けど混乱もします。
例:「命あっての経済。 経済あっての命。 どっちも大事!」
当初の報告や会見の時から、こうゆうてました?
もしかしたら、叫びや思いは提言の脚注や会見の席でホントウに表明されてた? 強く匂わされてた?
もしかしたら、せっかくの多面的な要請は全部、全マスコミの編集で無情にもカットされてたん?
……そんな天を仰ぐような可能性。 しかし頭ごなしには否定できません。 こっちの認知の歪みかもしれんし。
幸か不幸か、当時の会見や報道の全部録画などはある。 観てみて、秘められた熱い思いに(「あった!」と思えるなら)、お詫びかたがたゼヒ寄り添ってあげたい。
それまで可能性として高いのは、みんなでつるんで、こぶしの下ろしどころ、損の切りどころを目立たぬよう探っているんでしょう、と。
なお一部、もしかしたらホントウにまだフィーバーに駆られ、少なくとも当面の事実認識を改めてない、狼男子・女子がいる可能性もあります。
ちょっと狂熱が続き過ぎですね。 心配です。 〇〇〇検査ではなく、「リアリティ・チェック」がおススメです。
以上、「半分・後知恵放送」がお伝えしました。
まだ一つだけ疑問がありまして。
皆さまに答えてほしいわけではない。 というのは口にするのも恥ずかしい、ヘンな疑問で……なんだかなぁ。
もし。2020年の令和二年の皇紀2680年?の、一月か二月の日本で。
コロのことを「新型コロナ・ウィルス」「COVID-19」などと呼ばず、
「新型風邪ウィルス」
と呼んでれば。 呼ぶことにしていたならば。
余談ですが、この際「ウィルス」の翻訳語も決めてしまいませんか? 医師を含む専門家は、生煮えのカタカナや英語、使い過ぎ。 医療業界に属する看護師でさえ困ってるほどです。
「新型・風邪ウィルス」
「新型・風邪・増殖疑似生物」(仮)
そんな名称があり得た過去も、つい考える。 十分にあり得た、異なる過去。
そっちの経路でたどってみた花見2020、黄金週間2020。
今となっては、ああいう日常は貴重だったんだって。
「年年歳歳花相似たり、人同じからず」なんてのとはちがってて。
今年の幸せでありえた花見が今生最後のものとなっていく方は、カナラズいる。いつもの疲れる、どんちゃん騒ぎや帰省ラッシュが。
あ。 申し訳ないけど。 歴史に「もし」はあるんで。
「無い」と主張する人、自分の過去からもゼンゼン違う環境などのビジネス・歴史書からいっさい学ばない指針の持ち主さんなんやね。 それはそれでリッパ。
こう考えると、3月23?日のユーリ〇ちゃんの「あえて」「強い言葉」を使った会見(ルパン風 に発音しないであげて)。
アレやないんです。 そのずっとずっと以前からハマってた/ハメられてたんちゃう、わたくしは。 いえ、わたくしに限ったハナシですけど。
うん! とりあえず、グ〇グ〇翻訳もっと使おうっと。
以下返し。
……え!?
ウキィッで調べました。「カタカナ→和語」翻訳機能はグ〇グ〇翻訳にないそうです。 そもそも和語か漢熟語がない単語も、辞書には出て来ないそうです。 ウソやぁ。
人口知能のディープ学習いうの、つこてんねやろ? 漢字の訓、意味もわからん 深さ ってなんやの?
今はIT革命を経た、令和日本やないの! 150年前、明治日本、翻訳大国だった近代日本の曙の時期。 その足元にも及ばない?!
んな殺生な……
(Ⅲ) 「グローバリゼーション」という妖怪
さて。
やっと追加の、本題です。
日本を含む東アジアと英米欧などでは、被害率がかなりちゃいます。これだけは明らか。
先生がご指摘なさっている通りです。
コロそのものの「原因」や地域較差の分析・究明は研究者にお任せするとして。
それと。原因が解明されないとなんか色々わからない、わからないからなんか色々ダメっておっしゃる医療関係者さん等へ。
質問です。
原因原理主義、因果関係原理主義者のあなた方は、たとえば「偽薬、placebo」の存在を、どう肯定的/否定的/不可知主義的にとらえてはるの?
んっとに、もう。 何年、科学を学んできはったの?
原因なんか(今は。 あるいは未来永劫)わからんでも、厳然と存在する現実や事実は、あなたの眼前にかていくらでも、もしかしたら無限にありまんねん。
(A)副作用
マスコミや政治家など、自分の間違い、失策、後手後手、認識の甘さを棚に上げるため……では決してないにせよ、今回のコロ騒動。
「グローバリゼーションのせいだ!」
「グローバリゼーションが元凶だ!」
「いやいや、特定の国のせいだ」
そんな議論はよく目にしますよね。
一々例を挙げなくていいですね?
多少中立な言い方で、「グローバリゼーションの副作用」と。
比較的中立だから、コレに乗っかっていってみましょう。
「副作用」ですか。 そうですか。
副作用(副反応)があるからには、好ましい「作用」もあったってこと。
要は、バランスですね?
「用法・容量は正しく」って話ですね?
では。
世界経済や各国経済への、グローバル化の投与の用法・容量は正しかったか?
特に大事な、投薬の速度は?
副反応が現れた場合なっど、各国経済への緩和措置は投薬以前からじゅうぶん考慮されていたか?
とまぁ訊かれてしまうと、わたしの中の「後知恵哲人」にダメ出しされる気しかしないんですが。
(B) グローバル化の5局面
ここは、「そこからですか?」iな議論で後知恵哲人を煙に巻きましょう。
そもそも歴史の教科書には、「グローバル化」には段階がある、1492(1493)とか「コロンブス交換」に始まるとかいわれる。
――いやいや。
世界史、少なくとも東洋史ではグローバル化はもっと前に始まっている。おおよそ5つのフェーズ、局面があるとされてます。
以下、受け売りの大安売り。
フェーズ1: モンゴル帝国
同2: スペイン(+ポルトガル)(1500~)
同2.5: 英西、蘭英、仏英の争い(1600~1763)
同3: 大英帝国(~1918)
同3.5: 本来の帝国、アメリカの内向き時代 (~1945)
同4: 東西冷戦(1945~1990)
同5: 米+英豪など四か国(1990~現在?)
以上受け売りiiで恐縮ですねんけど、頭の片隅にでも。
第1フェーズから、帝国内外の人馬の流通の増大などから、ペストがヨーロッパに伝播します。 帝国そのものの弱体化まで招いた、と。
帝国の弱体化といえば……モンゴル帝国は「不換紙幣」すなわち貴金属の裏付けがなく、それとの交換を保証してない紙幣。
政府が無責任ならジンバブエーーだったりワイマーールだったりする、トンデモな代物。 広く用いた最初の帝国でしょうiii。
最初はええことずくめに見えた不換紙幣も、乱発されるようになります。インフレが帝国を経済的に苦しめ、疲弊させます。
(c)1~5で観察される事実、パターンなど
観察① 起源
グローバル化は「中原の支配者」になったモンゴル民族から始まった。(やや苦しい?)。
観察② 疫病と抱き合わせ販売
普遍的? 最初から疫病とセットの販売。
人の行き来が増えるんですから、自然な成り行きです。
「最大の外来種は、人」iv
「そういうわけだから、今更『副作用』って!」と、後知恵の神様も。
観察③ 帝国と金融
帝国と不換紙幣はセットではありません。モンゴル帝国ごめんさない。
しかし。 帝国と金融の関係は大事。
例が大英帝国。 不換紙幣? そんなもんあかん、と兌換紙幣にこだわった。そこまではよさそうですね。
ところがモンゴルとは逆、19世紀の最後の25年、長期のデフレに苦しみます。 で、第一次大戦による全ヨーロッパからの大規模な金の流出(アメリカへ、)で経済的にはトドメ。
観察④ フェーズ4の異質性
異質といえば異質なのがフェーズ4。
モンゴル帝国以降でも空位時代はそれなりにあった。
しかし4では二つの世界帝国があり、しかも英蘭や英仏の潰し合いでもなく、にらみ合う状態が50年近く続いた。
一般に「冷戦、Cold War」と呼んでます。
しかし事実として、少なくとも世界全体では、少なくともその前の50年より遙かに平和でした。
その理由が、交代可能なライバルがお互いにいたからか。アルフレッド・ノーベルさんの予言した、相互破壊保証のせいかは知りません。
観察⑤ 戦争と疫病
戦争と疫病は、かなりしばしばセットです。 栄養状態がまずは悪くなるし、ストレスは高まるのですから、当然でしょう。
最近の例では、日本の大東亜戦争/太平洋戦争の南方戦線における、我がご先祖の方々の悲惨は有名です。
推測に違いは多少あれど、かなりの比率の兵士が「病死・栄養失調死(餓死)・その混合」でお亡くなりになった。純粋な意味での戦闘もしないでお亡くなりに――改めて、合掌。
なおコロの引き合いに出される、第一次大戦の「スペイン風邪」について。
まず予備知識として。あれは「風邪」ではなくインフルエンザ。 毒性が本来高い。 そして、あの大流行は戦争とセットなものだったと銘記しときたい。
というのも4月中旬ごろ、最大手週刊誌Bに疫病と歴史をめぐる対談が載ってました。 フランス文学者と日本史の専門家によるものと記憶します(マチガイかも)。 ところが二人の「スペイン風邪」論議。 スペイン・ウィルスの起源論や名前の由来ウンチクは、趣味人はともかく、普遍的教訓を得るうえでは、ひとまずどーでもええんです。 スペイン・インフルの随分とおかしな把握を感じましたv。 対談で、インフルなら高齢者か乳幼児が犠牲になりやすいのに、スペイン・インフルでは、「どういうわけか青壮年男子に多かった」と。
えっと……
ヨーロッパや米国については、それが戦争のせいだったのは火を見るより明らか。 というより歴史の常識です。
当時、前線で戦闘を戦うのは、青壮年男子が90%+でしょうvi。
(i) 戦時固有の事情① 検閲
戦時下ゆえ正当化された、軍部による検閲がおおいに災いした。 実態の深刻さの把握の邪魔になったことはまちがいないでしょう。
(ii) 戦時固有の事情② 栄養状態
また上に記した、戦争ゆえの栄養状態の悪化。
(iii) 戦時固有の事情③ ストレス
死と隣り合わせのストレス。
現在はPTSDは有名ですね? 直訳すると「トラウマになるストレス」の「後の」「精神失調」です。
第一次大戦では、そんな深刻なストレスが前線や塹壕の現場で起きていた、時々刻々と。 これが免疫系にエエ影響をもたらすはずがない。
余談ですが、戦時ストレスのPTSD発症率は2割強とされます。 PTSD的には、あらゆるストレスの中でも最高級の要因です。
(iv) 戦時固有の事情④ 衛生状態の悪さ
衛生状態の悪さ(塹壕戦なら、雨水は、たまり放題?)。
(v) 戦時固有の事情⑤ 軍のキャンプや野戦病院における過密
このリスクは、現代の後知恵ハカセ的には論外なんですが、当時は細菌医学の発展途上期であったことはちょっとだけ考慮したげてもいいかもvii。
(vi) WW1固有の事情
規模は忘れました。 しかしあの大戦中、毒ガスがまだ使われてた事実を忘れてはいけない。
肺に入る毒ガスが肺機能だけでなく、生き延びた人のインフル感染に中立だったとは、到底考えにくい。
あえて細かく述べました。
なぜか。 細かく述べて初めて各パンデミックには相当程度一般的な教訓もあれば、あまり再現性がないものもあるとお示しできると考えたからです。
すると、なにかと言及されるスペイン風邪。
正しくはスペイン・インフルであり、今回のケースに平気で引き合いに出す歴史感覚は多分おかしい。
「ラスコリニコフの悪夢」の到来だと騒いでるような人のほうが、まだ人にも家畜にも無害ではないかと愚かにも考えます。
「歴史を繙くときは細心の注意が必要」と先生にはいわれたものです。
なんでしたっけ。
「悪魔でも歴史書を簡単に引用できる。 自分の利益の為に」
とかいうコトバもありますよね? (……引用がちゃう気もします)
とはいえお気づきのように、「戦時固有の事情」と述べはしましたが、上記の(ii)と(iii)についてなら、平時・無事のときにも妥当する要素があります。
(ii)については、人類史的には戦時以外では飢饉のときが多いと思われます。
がしかし今次コロ騒ぎにおいては、解除されたとはいえ、自粛・「行動変容」圧力の名残りがある。 「経済あっての命」なのにその前提を崩したわけです。 既に収入の途が絶たれた方もそう、今後も。絶たれるか、途はあっても細ったままの方々は増えやすい。 先立つものが減る(た)中、傾向としては栄養状態が悪化しやすい。
つまり、他の条件が同じならば、免疫系が損なわれやすくなります。
もしコロ感染と死者数を減らすことが至上目的だったなら、¥10万@国民にとどまらず、栄養状態はせめて全面的に担保すべきでした。 それは、今からであっても、やらないよりは遙かにええです。
(iii)については厄介です。
ショック的な脅しは不要だったか必要だったか。
池上さん並みの落ち着いた感じでゆえんかったかね?!
善意であれ、脅しを伴いつつ「行動変容」を促したことなどは、第一次大戦の教訓からはおよそ勧められない、ゆうことです。
少なくとも日本では、途中の時点から、煽られ気味にわたくしたち庶民が感じさせられた不要な「病や死の恐怖」、不要な「相互監視ムード」。更に、本来なら正当なストレス解消に資する娯楽、entertainment industryなどを不要かつ過剰に抑圧した疑いも消えない。
この三つが合わさったストレスは、大なり小なりわたくしたちの免疫系システムを損ないやすくする。
ストレスは免疫系を損なうのに、今回のとったやり口は……たとえるなら「負の偽薬、negative placebo」を国民レベルで飲まさせるようなもんです。
ええ、ええ、後知恵全開ですけどなにか? 素人なんで。 すんません。
けど専門家・医師ならば。 現在の免疫理解のイロハに反するのはわかりますね? 当然、予め知っておくべきことでもあるやろし?
少なくとも途中からは、「脅しはもう要らないな」って気づくべき。
太平洋の向こう側で日本と同じ状況だったなら、集団訴訟による国家賠償請求もんちゃうかな?
知ってて故意でやったのなら(と立証されれば)、塀の中に落ちるレベル。 もちろんそんな可能性は無視してええんですけど。
ともかく。
やっと(Ⅲ)冒頭に還るのです。
日本の大手マスコミは、以下のようなことをもしかして察知し忖度して、片方に肩入れして。それで「右に倣え」式に論の歩調を揃えている可能性があるのではないか?
それで、あんな頑なな、岩盤的な「病原菌との闘いを声高に言いつつ、自分たちの言論に煽られた被害者に時々目配り」。
そんなデザインの衣装をまとっているだけなのではないか?
その方針が、よくよく考え抜かれた末での結論であることを祈ってます。
実際、そうなんでしょうしネ。
思えば「スペイン風邪」のとき。 直前の黄禍論の名残りもあったのか、比較的被害が軽かった中国やアジア悪者説を唱える人がいたようです。
……アレ?
今の英米欧対中国とちょっとだけ、ほんのちょっとだけ構図が似てる?
「情報開示」がどうこうって単なる人種差別の言い換え? それは無いですよ。
でも、もうちょっと歴史を。
中国が自力で資本を調達して「世界の工場」としてグローバル化を推進し、発達できたわけではない。
誰と誰と誰が中国に敢えて資本を投下し、あえて発展を促したか?
最近でいうなら、1990年代でしょう。 しかしもう少し前、1970年代に国交回復した国々がそうした理由・動機は?
仮に1990年代以降としても、そう、グローバル化のフェーズ5。
この劇薬、失礼、クスリの主作用、果実を最大限享受してきたのは誰か? 中ツ国ではないですね? 断じて。
では、どことどことどこか。 あるいはどういう階層・職業か?
この程度の疑問なんて、アジア人に限らずどんな人の頭にでも渦巻くのです。
コロ自体は意図せざるものであれ、起きたコロを奇貨とした「黄禍論もどき」があるならば―あくまで仮定、「ちょっと芸がございませんことよ」。
実際、尻馬に乗っても多分ええことは無いんやないかな。 未来は不定なので、どこまでも勘ですけど。
「歴史の二度目は喜劇」ってやつになるかもしれません。
まとめると。
日本居住の日本人も日本人でない居住者も。以上のことなどがうっかり妥当している場合の、自分や家族や友人への意味合いに思いを馳せつつ、現在見えてる(っぽい)事実、見えてないがありえる事実、考えたくもない事実。 そういうものをあえて考えないといけない。
ある程度考え抜いたらリスク・テイクかヘッジか。 行動に移さないと色々ヤバい。 そう感じます。
杞憂でしょうか。
(以上、5/31コメントを指摘を踏まえて改稿)
>>171
ハヴェルの力なき者たちの力は難解だったので、NHKテキストの力を借りました^^
なんと、同書は地下出版で刊行され、市民の間で回し読みされたというではありませんか!
ハヴェル自身も逮捕・投獄されていますが、その信念は曲げず、大統領就任後の新年のあいさつで、「わが国土は繁栄していません」と厳しい現実を隠すことなく国民に伝えています。これを解説の阿部賢一さんは「真実の生」を実践した証左と評価しています。
言葉の力を信じる。肝に銘じたいと思います。
それにしても、プロレスの時はコメント欄も盛りあっていましたね。私は詳しくないのですが、新宿伊勢丹前襲撃事件って、字面のインパクトが凄いです^^
タイガージェットシンはサーベルで刺さない、柄で攻撃する。も気に入りました^^
>>216
大変に興味深い記事をありがとうございます。
異質性を考慮すると最終感染率を抑えられるというのは、レヴィッド教授の話と整合的であり、数理的にもリーズナブルな結論です。日本の再生産数にそのまま合わせると、10~20%ということになります。模型の細分化をさらに進めると数値はもう少し減ると思われますので、実際には制御なしで10%程度と推測できます。さらに行動変容によって実効再生産数が減らせることが実証的に明らかになっていますので、社会的に過度に制御しなくても10%以内に収まりそうです。
一応、西浦氏を擁護しておくと、リスク評価の際には科学的な検証が済んでいない新しい理論は採用できませんし(後に正しいことが確定しても使えるのはそれ以降)、不明な点は安全側をとって評価しますので、彼の評価が間違っているということは言えません。また、リスクが顕在化しないように規制や対策を行うのが行政の仕事であり、リスク評価と結果の予測は違うので、そこの区別は必要です。
とはいえ、これくらいの研究は事前にやっとくべきなんじゃないのと門外漢の研究者としては感じてしまいます。それだけ研究リソースが絞られてきたということなのかもしれませんが。
記事の最後の方を読むと、やはり西浦氏は感染の制御を最優先に考えているようです。しかし、この考えは彼の個人的なものであり、社会的な合意を得たものではありません。社会的な合意を得ていないにもかかわらず、個人的な考えを社会に押し付けているように見えるため、彼は反発を受けているのだと思いますが、本人に自覚がないのは問題です。
小林さん木蓮さんのネット番組のYouTubeコメント欄に
(発症日グラフを出して説明していた回のコメント欄です。)
専門家会議が知っていた発言に対する詳細な反論コメントが載っていましたが
スタッフさんたちはそのコメントを把握されているのでしょうか?
うるさく文句つけてくる輩、揚げ足取り連中が一杯いるので大丈夫なのか心配です。
>>223
ありがとうございます。
しかし論理的には「実効再生産数2.5」を疑うことこそ、研究者として誠実な態度ではないでしょうか。これはそれこそ門外漢の私の仮説かもしれませんが、「実効再生産数2.5」は海外においても検証された数字でなく、医療費が払える富裕層が病院に行って感染者が発見されたときには、すでに、貧困〜中流には相当程度蔓延していた、しかもこの人たちは日本人に比べて極度の肥満、不摂生、不潔な生活で、重症化もしやすかった。そのために見かけ上は、短期間に感染「報告」が殺到して、非常に速いスピードで感染が広がったように見える。つまり、実際の感染者数の増加と報告件数の増加のスピードは違う。研究が進めば進むほど、「いつ感染したのか」を正確に把握することは難しいということが明らかになる。そんなことくらい、専門家会議にいたら分からないはずがない。日々日本の感染者数を見ているはずですから。
分かっていても彼は2.5を変えない、変えたくないから、今度は「集団免疫が達成されるまでは」と言って自粛策の延命イコール保身を図っているのだと思います。しかも「ここからは数理疫学の専門分野を離れてしまうが、仮にアメリカが感染拡大の制御を諦めれば、経済を回すために他国にも「門戸を開けなさい」と迫るのではないだろうか。そうなれば、日本に影響がないはずはない。」こんなことまで言い出している。これが彼の言う「安全側」の発言というものでしょうか。「実効再生産数2.5」(よくわかりませんが、彼の唯一の学問的業績なんでしょうかね)を守るためには、日米開戦もやむを得ない、と。自分が戦争行くわけじゃないからいい、ということなんでしょうかね。
録画しておいた番組を見ていると、現在のコロナ禍と比較対照して考えたくなる内容に突き当たることがあります。
NHKのノンフィクション番組『フランケンシュタインの誘惑』の「原爆誕生 科学者たちの罪と罰」がそれでした。
原爆を開発する「マンハッタン計画」にスポットを当てた内容なのですが、興味深かったのは開発計画に参加した科学者による当時を振り返った証言でした。
「皆、熱に浮かされたように仕事をしていた」
皆様もご存じの通り、ナチスが原爆を開発しているとの噂に対して、アメリカも原爆の開発をすべきと言い出したのは、政治家ではなく科学者たちでした。
アメリカ政府に開発を要求する書状を作成し、アインシュタインもそれに署名をしたというのは有名な話です。
科学者らが自分たちなりの脅威を感じることで、自らプロジェクトの必要性を作りだしたかのように感じられてしまいます。
しかも、1944年には「ナチスが原爆を開発しているという事実はない」ということが米軍の調査で明らかになっていました。
この時点で「ではもう原爆は必要ない」と考えて自らプロジェクトから離れた科学者もいましたが、それはごく少数だったようです。
リーダーのオッペンハイマーは「原爆の開発成功が世界に平和をもたらす」と弁舌を振るったことで、多くの科学者は納得して「仕事」を継続。
イラク戦争と似たような構造が醸成された中で、科学者が「集」として暴走し始めたのではないか、と想像してしまいます。
その後、日本への原爆投下については科学者の間でも意見が割れたそうですが、最終的に作成された「勧告書」の中では「デモンストレーションとしての使用(砂漠や無人島に投下して脅威を示して降伏を促す)」ではなく「直接的軍事使用」を支持。
ただし、その文書は「(略)しかし、我々には政治的社会的軍事的問題を解決する能力はありません」と締めくくられています。
ジョージ・メイソン大学歴史学教授マーティン・シャーウィンは、この文言について「言い訳しながら原爆投下を認めた」として批判しています。
こうした「暴走」や「言い訳」が、今回のコロナ禍にも見受けられるのではないか、と感じます。
確かに、物理学者による兵器開発とウイルス学者による感染症対策とではまるで性格が異なるものではあります。
でも「自分は専門分野のことしか分からない」ということを認識しながらも、「正義」のために猪突猛進し、一般的な常識と照らし合わせてバランスを欠いていないか自己検証することに無頓着という態度は、両者に共通するものがあるのではないかと思います。
加えて「ここまで来た以上はもう引き下がれない・過ちを認めることは出来ない」という自己保身の心理も同様なのかな、と。
番組では、ノーベル物理学賞受賞の朝永振一郎氏の以下の言葉を紹介していました。
「科学者の任務は法則の発見で終わらず、その善悪両方の影響を人々に知らせ、誤った使われ方を防ぐことに努めなければならない」
また、オッペンハイマーは原爆投下から2年後に以下のようなセリフを吐いたそうです。
「物理学者は罪を知った」
私としては、やはり「専門家会議は専門バカの集団」というのを言い訳として認めてはならないと思います。
「8割おじさん」のシミュレーションが極端だと感じないとか、5月になってから「経済の専門家が必要」と言い出すって、どういう感覚なんだろう?
威光を掲げる「科学者集団」って、場合によっては「官僚集団」よりもアブナいことを平気でやっちまうんじゃあないか? という気がしました。
「集」に囚われる恐ろしさを知ることが出来た番組でした。
図書館がようやく開くかと思ったら、まだまだ気軽に行けない場所みたいです。
近所の図書館のHPの案内がこれでした。
***
サービスを段階的に再開します。
新型コロナウイルス感染拡大防止のため、3月28日から5月31日まで休館し、
皆さまにご不便をおかけしました。
混雑を避けるために6月1日からサービスを段階的に再開していきます。
第一段階(現在)
3月27日までに用意できていた予約資料の貸出しを行っています。
予約の本が用意できている方に図書館から連絡が行きますので、それからご来館ください。
土日は混雑が予想されますので、なるべく平日にお越しください。
資料の返却もできます。
※新規のご予約と館内への立入りはもうしばらくお待ちください。
第二段階(6月中旬を予定)
新規予約の受付を開始します。
第三段階(6月下旬以降を予定)
館内にお入りいただけます。(座席のご利用はできません。)
***
普通の状態に戻るのは、まだまだかかるみたいです。
こんな面倒なことが全ての業界や分野で起きていて、さらに仕事やお金を失って、
人生を狂わされてる人がたくさん出てることに、やるせないです。
自粛、緊急事態がなければ、こういうマイナスのことが全部なくてみんないつも通りに過ごせてたわけですから・・・。
ちょっと異常すぎる事態に頭がついていけてないです。
今はまだコロナ脅威あおりと、コロナ禍での創意工夫の賞揚、道徳教育をやってますけど、
どんどん経済危機が起こってくるわけですから、これからコロナ扇動者や自粛支持派はどう責任とるのでしょうか?
少しは罪悪感と責任感があるところを見せてほしいです。
自分の財産全部寄付するとか。借金してでも損失分を補填するとか。
それでもまったく償えないですけど。額面でも。責任の重さでも。だけど本当にやったら見直します。
先生がコロナ論で、実証データに基づいて「自粛、緊急事態は間違いだった」と指し示されるでしょうし、
歴史的評価は確実にそうなるでしょうが、
自粛支持派も、せめて自粛でダメージを受ける人を全力で助けようとすれば、まだ救いがあった。
自粛支持派で目立つ人で、生活レベルを何段も落としてでも、
全財産失ってでも自粛のダメージを食い止めようとした人間はいるのでしょうか? 今後出てくるのでしょうか?
ヒカキン氏もヨシキさんも前澤社長も偉いけど、自分たちが深刻なダメージを受けるほどの寄付だとは思えない。
一億円もヒカキン氏ならそれほど苦もなく回収できるでしょうし。
扇動者玉川氏は「海外旅行に行きたい」という体たらく。
政治家も知事もタレントも、彼らからしたらそれほどでもない額しか出してないでしょう。
結局自分は損したくないし、犠牲者リストに載らないから自粛支持なんだなと思ってしまいます。
かなり乱暴で穴だらけのifですが、もしもの話、小池さんの自粛要請前の時点で、
「自粛支持した人たちの財産から自粛による経済損失分を回収します」
となってたら、現在の自粛支持派たちも、自粛支持してないでしょう。
当然、小池さんも自粛要請してないでしょう。安倍さんも緊急事態宣言なんてしてないでしょう。
そして、コロナ患者のほとんどが自力で治ってる事実に着目して、結局はよしりん先生がずーっと言ってきた
「インフルと同じ対応で対処する」になってたでしょう。
自粛しろしろ言った国民もあおったマスコミも当然責任がありますが、
「持つ者・自粛でダメージ受けない人」が「持たざる者・自粛でダメージを受ける人」の立場を考えないし対話しようともしなかったから、こうなった側面があると思います。(この前の「おどれら」で、泉美先生がリスペクトして紹介してくれたマイケル・レヴィット教授の言葉にもハッとしました)
「自粛しろという人多いですが、自粛するとこういう大変なことになりますよ。それでも自粛、緊急事態しますか?
一緒に考えましょうよ」と対話しようとした人が、顕職の立場の人でいなかったのが、残念で、救いがないです。
・・・石破さんや山尾さんが責任者なら対話しようとしたんじゃないでしょうか。
もっと良い現在になってたんじゃないでしょうか? 2人の人間性から、そう思いたい。
長くなってしまいすみません。いつも力強い作品をありがとうございます。
あと、NO41番でコメントを書いたのですが、客観性がなく自分勝手すぎるコメだと感じて削除しました。
申し訳ないです。今後気をつけます。
5月のコロナ自粛で会った変な人
3位 大江戸線にNOマスクで乗っていたら獲物を狙うジャガーのような目で睨みつけてきた女子。
2位 大江戸線で席がガラガラなのに席に座らず、電車の窓の小さいスキマに顔を近づけ「フーフー!」呼吸をし、駅に着
くと一旦降車し、「ハー!!」と表で深呼吸をしてまた電車に乗り込む人。ここはガス室か!!電車乗るな!
1位 ミスタードーナツにいたガスマスク親父。「シュコーシュコー」言っていてガラス面が曇っていてめちゃ怖!
ダースベイダーか!基礎疾患があるから恐れているのか?だったらドーナツ食うな!
時点 本日、NOマスクでエスカレーターを下っていたら前方のマスク親父が私を見るなり怪訝な顔をして急に小走りに
なり距離を取る。何だあの親父~と目で追っているとマスク親父はパチンコ屋に入っていったのであった。
なんでやねん!「洗脳されかたが微妙!!」