希蝶さん のコメント
このコメントは以下の記事についています
号外 2020.10.13 【目次】
1. ゴーマニズム宣言・第392回「PCR検査の無残」
2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第186回「後遺症とはなにか?」
第392回「PCR検査の無残」 もはやPCR検査は、ひたすら災厄をまき散らすものになってしまった。
本来の用途に従って、 「必要な人に必要な時に必要なだけ」 の検査が行われていればよかったのに、 「誰でもいつでも何度でも」 検査すべきだという「PCR真理教」が現れて、全てを狂わせてしまったのだ。
俳優の阿部サダヲがPCR検査で新型コロナ陽性と判定され、無症状だが、出演を予定している舞台の稽古は一旦休止となった。
所属事務所は「関係者の皆様、ファンの皆様には、多大なるご心配とご迷惑をおかけしまして、誠に申し訳ございません。心よりお詫び申し上げます」とのコメントを発表した。
女優の広瀬すずもPCRで新型コロナ陽性となり、これも無症状なのだが、所属事務所は「仕事関係者、共演者の皆様、応援してくださっているファンの皆様に多大なるご迷惑とご心配をお掛け致しますことを、心よりお詫び申し上げます」とのコメントを発表している。
さらには俳優の中川大志も新型コロナに感染。広瀬すずとの「熱愛関係」が噂されているために、同じタイミングの感染に「濃厚接触じゃないか?」とネットがざわついた。
芸能人は、ドラマ撮影や舞台などで集団感染が起こることを避けるためという理由で PCR検査を受けさせられるから、感染者が炙り出されて発覚してしまうが、ほとんどの場合は全く無症状で、体調には何の異常もない。
本当は無症状感染者なんか、どこにでもいくらでもいるはずで、わざわざPCR検査をしない限り、発見されることはないものだ。
しかも、検査して陽性になったとしても、本当は既に治癒していて、ただウイルスの死骸が検出されただけかもしれないし、偽陽性かもしれないし、曝露しただけでも陽性反応が出るという説もあるし、本当に「感染者」なのかどうかも定かではない。
ところがそれでも芸能人が検査で陽性となると、たとえ全くの無症状でもニュースになってしまって、隔離されなければならなくなってしまって、事務所が謝罪しなければならなくなってしまうのだ。
プロ野球の千葉ロッテマリーンズは、選手7人とコーチ1人、チームスタッフ3人の計11人がPCR検査で陽性だったと発表。症状があるのはスタッフ1人だけで、10人は無症状だったが、全員自宅療養。さらに陽性者と移動の飛行機の座席が近く、濃厚接触者と判定された4選手も試合に出場できなくなった。
これも、PCR検査さえしなければ誰にもわからなかったことだ。スタッフが1人風邪をひいただけとしか思われず、他の無症状者は本人すら気づかず、周りの誰にもわからないまま治って、そのまま何事もなく過ぎていっただろう。
無症状者からも感染は拡がるといったって、それはインフルエンザも同じことである。ところが、インフルだったら無症状者まで検査して、炙り出して見つけようなんてことは、誰も思わない。
無症状感染者はそこらへん至る所にいるかもしれないけれど、PCR検査さえしなければ誰にもわからない。 どっかで誰かからウイルスをもらうこともあるかもしれないが、そうなったらなったで仕方ないと、インフルエンザなら誰でもそう思えるのに、新コロだったらなぜそう思えないのか!?
テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」の玉川徹なんかは、PCR検査さえ徹底すれば安心が得られると呪文のように繰り返している。
医療用の検査とは別に、「社会政策」としての検査があり、全国民に週1回、合計3回の検査を行えば、安心感が得られて経済が回せるとまで言った。
ところが実際は逆で、検査を増やせば増やすほど、見つけなくてもいい陽性者を掘り起こして、不安感を煽るだけになっている。
それでもPCR検査の限りない拡大を唱える者は跡を絶たず、東大先端科学技術研究センター名誉教授の児玉龍彦は7月16日、国会で 「このままではミラノ・ニューヨークの二の舞になる。来週になったら大変なことになる。来月になったら目を覆うことになる」 と危機感を煽り、 「いつでも、誰でも、どこでも無料で」 検査ができるように臨時立法をすべきだと訴えた。
そんな玉川や児玉に乗せられたのが、東京都世田谷区長の保坂展人だった。
保坂は、児玉が国会で提唱した 「いつでも、誰でも、どこでも無料で」 の大量検査を「世田谷モデル」として全面的に受け入れ、実行するとぶち上げ、モーニングショーはそんな保坂を出演させて、大々的に持ち上げた。
保坂は他にもいくつものメディアに出て「世田谷モデル」を宣伝しまくった。ところがその時点では、保坂はこの政策を区議会にも出しておらず、副区長以下事務方も全然理解していない状態だった。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
同時入院した「理想の夫婦」が迎えた衝撃の結末
漫画『お別れホスピタル』(第13話)
https://toyokeizai.net/articles/-/380152
去年の九州道場で、自分がよしりん先生に「泥とまみれて」と比較して質問した話です。興味のあるかたは読んでみて下さい。
ということで、質問になっているかどうかは分からないですが、よしりん先生ほか、師範の方々にとって、家族とか友情とかいうものはどういうものなのか、という(東海道場の)質問をしてみます。
私の場合、かなり厳しい、毒舌の母親の影響で、人間とは関心のない人間にはきついことは言わないものだ、というふうに思ってきました(覇気がない、とか女の腐った奴とか、吹けば飛ぶような将棋の駒みたいだとか)。だから、かなり辛辣なことを日常的につぶやいてきたような、そんな気がします。
しかし、会社勤めとか、塾講師のアルバイトなどをしてみると、そうした言葉はむしろ相手への悪意や不快感を与える面でしかとらえられず(実際、自分の言うことはきついと言われ、逆に「(自分が)きつい言われ方をされてているように感じる」と答えたら、「きつい言い方をしているからじゃないですか」と返されたことや、教え子の生徒に泣かれ、何が何だかわけが分からず、思わず「何が問題なの?」と聞き返して、よけいにこじれた、というケースもありました)、好意とは受け入れられないということが分かってきて、「自分は母親から何を言われてきたのだろう」という疑問が募る一方です。前にも記しましたが、よしりん先生のおかあさんも、息子に「逆境」を跳ね返して行きて行けるほど強い人間になって欲しいという願いをこめて、「保険金」の話を敢えてされたのではないだろうか、そんなふうに感じてしまったのです。
ちなみに、こういう話を以前に父親にしたら、「もうなくなっている人間のことを悪く言うものではない」という答えでした。また、上の姉に言わせると、「お前はおかあさんに甘やかされている」なのだそうです。だから、きつい言い方をすることは甘やかしなのか、と誤認してしまったりするのです。
人間の真心とか愛情とは何なのだろうか、ライオンの親が我が子を千尋の谷に突き落として鍛えるようなものなのか(石原慎太郎の鬼畜小説は別ですが)、それとも聖母マリアや大日如来のように、誰にでも等しく与えられる慈愛に満ちたものなのか、それともケースバイケースなのか、世の中の価値基準は一つではないのか、時処位と言うことでよいのか?こういう質問はちょっと抽象的すぎるでしょうか?こういうことをトラウマとして抱く自分がバカで幼いのか?先生方のお考えを聞かせていただけたら、有難いです。
こういう質問は、範疇外になるのでしょうか?ただ、政治的な話にしても、先生の意見が右往左往して、矛盾しているといいがかりをつけている阿呆な輩もいるので、世の中の真理は一つかもしれないけれども、固定したものではない、という話に繋がるのかな、とも思いました。
またちゃんとした質問が思いついたら、投稿します。
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