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希蝶さん のコメント

 本日のよしりん先生の遺書のブログを読んで。

 誰がこのようなものを書かせるのでしょうか?疑問に感じますし、頭にも来ます。

 本日は今年最後の出勤で、職場でも大晦日の話や新年の話などが出て盛り上がりましたが、やはり、新年は初詣に元旦には行かないという意見もありました。先日のよしりん先生のブログにも、タクシーの運転手がコロナ脳だという話がありましたが、コロナ脳、ここに極まれり、といった感じでした。
 それと、配偶者の方が関西に出張していて、今年は帰って来ないで欲しい、というかたもいました。つまり、感染源でないにしても、近所の人から新型コロナウイルスの感染源扱いされるという、このコメント欄でもよく記されていることなのですが、思わず、
「その苦情を申し立てる老人たちは、デビルマンの牧村家を襲った暴徒と同じだ」とか、「テレビのワイドショーが本当のことを言っているとは限らない、視聴率目的で煽ることもある」
とか叫んでしまいました。周囲からは、こいつは何を言っているのだろうという顔をされ、すぐに話題が別のものに変わりましたが、我ながらばかなことを口走ったのかも知れないですね。それでも、言わずにはいられなかった。言わなかったら、卑怯だと思った。
 それをこの場で記していいのか、という疑問もありますが、やはり現状報告はしておきたいと思いました。

 職場では本日も感染症対策の最後の火葬があり、その清掃もあり、少し残業しました。折しも冬の繁忙期にも当たっており、忙しかったですが、この前記した時に比べると意外にスムーズにすみましたが、大晦日までこういうことがあると、上記の発言とは矛盾しますが、こういう火葬はなしにして欲しい、とか思ってしまいます。
 既に部屋清掃をする布巾は漂白剤のために真っ白になってしまっていて、椅子は背もたれを含めてその漂白済みの布巾に消毒薬をつけて拭かないといけないわけで、洗う際には、お茶も捨てないといけない、わざわざそれまでつけていたマスクを交換し、手袋もつけて、用済みになったら廃棄する、急須は手で洗った後、自動洗浄機で何度も洗う、といったような感じです。

 今年は今日で終わりですが、来年も、このような愚挙が繰り返されるのかと思うと、悲しくなってきます。何とか世の中を正常にもどしたい、自分は無力だとしてもどうにかしたい、そんなふうに思います。あまり押しつけがましいことをしても、上記のように失敗するのが関の山かもしれませんが。もっと自然にコロナ問題の誤謬を指摘できるようになりたいです。

 本日の放送、多分生では見られませんが(お正月の準備で忙しいと思うので)、木蘭さんも、倉持さんも頑張って欲しいです。応援しています。勿論、おぶせくりちゃんの中の人も。世の中には、公のために発言せずにはおられない人がいる、それは越権行為ではない、と信じたいです。
No.112
44ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
号外 2020.12.29発行 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第403回「戦中の老人、戦後の老人」 2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第197回「“PCRを拡大すべき”の欺瞞を問い質す」 第403回「戦中の老人、戦後の老人」 『コロナ論2』は早くも2度の増刷がかかり、順調に売れている。  それと同時に、前作の時をはるかに上回るバッシングが巻き起こっている。「批判」と「バッシング」は違う。「批判」は本を読んだ上で、間違いを指摘したり、根本的な思想(ウイルスは進化の要素)(死生観)などの再考を迫るものだ。 「バッシング」は読みもしないで一コマを抽出して、曲解を拡散したり、「権威主義」で、漫画家だからダメとか、専門家じゃないからダメという「偏見」で断罪する姿勢である。  今のところ、「批判」に値するものはなく、「バッシング」しかないというのが、コロナ脳の非科学性を証明している。  しかし、そのバッシングの質が、興味深いことに、現代日本人の病理を如実に炙り出しているのだから、無視もできない。  バッシングの中でよくある言い回しに、 「小林だって、基礎疾患のある高齢者じゃないか!」 というのがある。  そう言われても、わしとしては 「ええ、その通りですが、それが何か?」 としか言いようがない。  この文句の主は「高齢者」なのだろうか?高齢者なら、 「自分は高齢者だから怖い。小林よしのりだって高齢者じゃないか!しかも喘息という基礎疾患があるくせに!」 と言ってることになる。  それなら 「おまえはお化け屋敷を恐がってる老人に過ぎない。わしは知性ある老人だから、幻想に怯えるより、この世の快楽を求める方がいいんだよ。」 と言ってやるしかない。  さらに 「恐いなら、おまえが自宅に閉じ籠っていろ!若者や子供を巻き込むな!」 とも言ってやりたい。  だが、どうやら 「高齢者なら怯えるべし」 というバッシングは、必ずしも老人が言ってるわけでもなく、わしより若い連中までが言ってるらしいのだ。  自分が怖いなら、そう言うべきであって、「敬老精神」で言ってるふりをするのは偽善であり、卑怯である。  来年1月1日午後1時に放送される、藤井聡氏の番組『東京ホンマもん教室SP』(TOKYO MXテレビ/スマホアプリ・Webサイト 「エムキャス」 でもリアルタイム配信)の収録で、わしがこの1年、喘息が収まらなくて大変だったと言うと、藤井氏は 「小林さんは基礎疾患があって高齢者じゃないですか。もろ被さっているじゃないですか。それでこういう意見を言っているわけでしょ」 と言った。  コロナに罹ったら重症化して死に至るかもしれない条件をもろに被っているにもかかわらず、それでもコロナは怖くない、コロナ恐怖は嘘だと言っていることを、恐怖感に囚われない、勇気のある態度だとして評価しているのだ。  普通はそんなふうに、好意的に捉えてくれるものと思っていたのだが、 「小林も基礎疾患のある高齢者じゃないか」 とさえ言えば、わしに最大の打撃を与えられると思い込んでいる者がいるのだ。それもかなり多数。  これは一体どういうことなのだろうか?   要するに、こんなことを言ってくる者は、 「誰だって自分の命が一番大切なはずだ」 と信じ切っていて、それを絶対的な前提として、一切疑ってもいないのである!  だから 「命よりも尊い価値がある」 ということが全く理解できないし、ましてや、世の中には 「自分の命よりも優先すべきことがある」 という価値観を持って生きている者が本当にいるということなど、想像すらできないのだ。  そんなわけで、小林よしのりだって本当は自分の命が惜しいはずで、もともとコロナが重症化する危険性が高いんだから、もしも感染したらきっと取り乱して泣き叫ぶに違いないと、勝手に決めつけているのである。  だから、 「お前だって基礎疾患持ちの高齢者じゃないか!」 とさえ言えば、ものすごい攻撃をしたような気になれるというわけだ。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!