• このエントリーをはてなブックマークに追加

希蝶さん のコメント

 木蘭さんの出演された番組、少し見てみました。善意や中立を装った偏向番組。肝腎なところで口を出す司会者。どうして、へずまりゅうの話と、夜の街の住人の話が同レベルで語られてしまうのだろうか?

 前にも記しましたし、比べてはいけないのだけれども、こういう会話をされたことは何度もあります。自分が何かを語ろうとしても、肝腎なところで、別の例を出されて、さらに別の第三者が反論のようなことを言って、話をはぐらかされてしまう、といったようなことは。あるいは一方的に、「君と論争をする気はない」と言われたこともあります。

 自分の場合と木蘭さんの場合を比較するのはおこがましいのでしょうが、木蘭さんが正論をおっしゃられているだけに、非常に痛々しく感じられましたし、相手の卑劣さが目立つ番組でした。相手の本性を予測したり、見抜いたりして、それに合う対策を採らないと、言論での論争はできないのかも知れない。相撲も相手からどのような張り手が来るのか、予測しなければならぬのと同じように。
 しかし、それにしても、リモートとかいうあの四角い画面に感じる違和感は、拭いようがないです。今回は木蘭さんもそれで出演されていたのだから、そのことを批判してはならないのだけれども、餘程、その「ひろゆき」とかいうありふれた名前の詭辯家の画面に、喪章でもつけてやろうかと思った。
 こういうことはこの場だから言うことで、通常の場では明言してはいけないと理解もしています。

 ちぇぶさんの先日のゴジラ放送(失礼しました<m(__)m>)も遅ればせながら拝見しましたが、敵がマスコミではなく、コロナウイルス自体になっているという現象が、単純で分かりやすいだけに、悲しくなりました。
 先の番組では渋谷とかいう医師が、誇張した予測は必要だったみたいなことを申しておりましたが、みんな、こういう人達の無責任な誤った「予言」から生じている事態ではないか。(前にも記した)聖書のヨナの方が、ニネヴァの町の最後を告げるのを恐れて逃げ出した分、良心があるではないか。敢えて述べますが、この人達の方こそ人が死ぬといういうことがどういうものなのか理解していない、ただの数字なのか、という気分になりました。よしりん先生や木蘭さんの方が餘程現状を踏まえて、データを予測している、この専門家と称する人たちは海外の例を出して、「予言ごっこ」や「数字遊び」をしている、そんな感じです。
 今更ながら記させていただきます。確かに「死者数の問題」なのだけれども、その基準がどこかおかしい、そういうふうに思いました。

 ライジングの話から外れてしまってばかりですみません。そろそろ纏めます。
No.237
40ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
号外 2020.12.29発行 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第403回「戦中の老人、戦後の老人」 2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第197回「“PCRを拡大すべき”の欺瞞を問い質す」 第403回「戦中の老人、戦後の老人」 『コロナ論2』は早くも2度の増刷がかかり、順調に売れている。  それと同時に、前作の時をはるかに上回るバッシングが巻き起こっている。「批判」と「バッシング」は違う。「批判」は本を読んだ上で、間違いを指摘したり、根本的な思想(ウイルスは進化の要素)(死生観)などの再考を迫るものだ。 「バッシング」は読みもしないで一コマを抽出して、曲解を拡散したり、「権威主義」で、漫画家だからダメとか、専門家じゃないからダメという「偏見」で断罪する姿勢である。  今のところ、「批判」に値するものはなく、「バッシング」しかないというのが、コロナ脳の非科学性を証明している。  しかし、そのバッシングの質が、興味深いことに、現代日本人の病理を如実に炙り出しているのだから、無視もできない。  バッシングの中でよくある言い回しに、 「小林だって、基礎疾患のある高齢者じゃないか!」 というのがある。  そう言われても、わしとしては 「ええ、その通りですが、それが何か?」 としか言いようがない。  この文句の主は「高齢者」なのだろうか?高齢者なら、 「自分は高齢者だから怖い。小林よしのりだって高齢者じゃないか!しかも喘息という基礎疾患があるくせに!」 と言ってることになる。  それなら 「おまえはお化け屋敷を恐がってる老人に過ぎない。わしは知性ある老人だから、幻想に怯えるより、この世の快楽を求める方がいいんだよ。」 と言ってやるしかない。  さらに 「恐いなら、おまえが自宅に閉じ籠っていろ!若者や子供を巻き込むな!」 とも言ってやりたい。  だが、どうやら 「高齢者なら怯えるべし」 というバッシングは、必ずしも老人が言ってるわけでもなく、わしより若い連中までが言ってるらしいのだ。  自分が怖いなら、そう言うべきであって、「敬老精神」で言ってるふりをするのは偽善であり、卑怯である。  来年1月1日午後1時に放送される、藤井聡氏の番組『東京ホンマもん教室SP』(TOKYO MXテレビ/スマホアプリ・Webサイト 「エムキャス」 でもリアルタイム配信)の収録で、わしがこの1年、喘息が収まらなくて大変だったと言うと、藤井氏は 「小林さんは基礎疾患があって高齢者じゃないですか。もろ被さっているじゃないですか。それでこういう意見を言っているわけでしょ」 と言った。  コロナに罹ったら重症化して死に至るかもしれない条件をもろに被っているにもかかわらず、それでもコロナは怖くない、コロナ恐怖は嘘だと言っていることを、恐怖感に囚われない、勇気のある態度だとして評価しているのだ。  普通はそんなふうに、好意的に捉えてくれるものと思っていたのだが、 「小林も基礎疾患のある高齢者じゃないか」 とさえ言えば、わしに最大の打撃を与えられると思い込んでいる者がいるのだ。それもかなり多数。  これは一体どういうことなのだろうか?   要するに、こんなことを言ってくる者は、 「誰だって自分の命が一番大切なはずだ」 と信じ切っていて、それを絶対的な前提として、一切疑ってもいないのである!  だから 「命よりも尊い価値がある」 ということが全く理解できないし、ましてや、世の中には 「自分の命よりも優先すべきことがある」 という価値観を持って生きている者が本当にいるということなど、想像すらできないのだ。  そんなわけで、小林よしのりだって本当は自分の命が惜しいはずで、もともとコロナが重症化する危険性が高いんだから、もしも感染したらきっと取り乱して泣き叫ぶに違いないと、勝手に決めつけているのである。  だから、 「お前だって基礎疾患持ちの高齢者じゃないか!」 とさえ言えば、ものすごい攻撃をしたような気になれるというわけだ。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!