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M.Oさん のコメント

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M.O
小林先生を始めとする、コロナ脳解除のための啓蒙活動やマスコミ監視活動を続けておられる皆様方におかれましては、その労力には敬意を表します。
私はストレスや苛立ちを回避するために、とにかくメディアからは距離を取っています。
ただ、コロナ脳解除のため、Facebookでは何度も「インフルエンザとの比較データ」「顕在化しない経済のダメージの甚大さ」などを訴えてきているのですが、なかなか理解してもらえません。
というのも、私がFBで繋がっている人の多くはホワイトカラーの正社員で、コロナ禍で直ちに生活が困窮するわけではないという身分であるため、「自粛」が招く深刻な事態に鈍感なのだろうと思われます。
飲食やエンタメが苦境に立たされていても、「今は仕方がない」「ここを何とか乗り切って」という発想で止まってしまい、この1~2年間の空白がこの先10年20年にどれだけ大きなダメージをもたらすかというところまで考えが到っていないようです。
また、「ウイルスは悪の存在」という見方が刷り込まれてしまったのか、インフルエンザのデータを示しても「ならばインフルも相応に気をつけないと」という発想に傾いてしまう人もいます。
「2類を5類に」と訴えても、「それは終息してから」というコメントもありました。
「何を持って終息とするのか」も不明な上、仮に基準を「ワクチンが実用化してから」と定義したとして、そこまで待っていたら経済が持たないと言っても無理でした。

こうした方々の反応を見て感じられること。
・長年、正社員として働き続けたことで「社畜化」してしまったため、社会でも簡単に「畜群化」するし「権威主義」にも弱い。
・自身で葛藤を抱えたくないからなのか、「お上」やマスコミを疑って「そもそも論」から考えるようなことはしない。
・物心ついた頃からテレビニュースが幅を利かせていた世代なので、マスコミの報道がそこまでおかしいものだと考える余地を持ち合わせていない。
・デスクワークがメインなためか、生産や流通のリアルな現場感覚が希薄で、マスコミやネットの情報で充分事態を把握できていると思い込んでいる。
・「善悪二元論」のように単純化して物事を考えてしまうのか、「ウイルス=絶対悪」という発想に囚われて離れられない。ウイルスと生物との共存関係みたいな学術的な話は頭が受け付けない。

小林先生が何度も訴えておられる「生命至上主義」や「戦後民主主義」の弊害にとどまらない、「知性の劣化」「身体感覚・肉体感覚の欠如」みたいなものが感じられて、新井紀子氏が警鐘を鳴らしていた「日本人の読解力の低下」がここで顕著になったように思います。
恐らく彼らは『コロナ論』等の著書についても、「小林よしのり」という名前に抱く先入観だけで手に取ろうとしないでしょうし、コロナが終息した時に「自分たちの考えが間違っていた」と振り返ることもしないのでしょう。
養老孟司氏のベストセラー『バカの壁』で述べられている内容そのもので、彼らは「思考停止という気持ちいい状態」のまま壁の向こう側に閉じこもっているので、もはや会話が成立しないのだと思います。
ただ、逆に言えば正社員採用からあぶれたロスジェネ世代とそれ以降の世代には、「本の力」が通じる可能性は充分にあると思います。
私はもう会話が通じない相手は完全スルーすることにしましたが、職場で若者世代(学生さんなど、実際に困っている人もおられます)にやんわりと「現状の理不尽さ」について話す事で、微力ながら何とか空気を変えるための働きかけを続けていく所存です。
No.464
48ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
号外 2020.12.29発行 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第403回「戦中の老人、戦後の老人」 2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第197回「“PCRを拡大すべき”の欺瞞を問い質す」 第403回「戦中の老人、戦後の老人」 『コロナ論2』は早くも2度の増刷がかかり、順調に売れている。  それと同時に、前作の時をはるかに上回るバッシングが巻き起こっている。「批判」と「バッシング」は違う。「批判」は本を読んだ上で、間違いを指摘したり、根本的な思想(ウイルスは進化の要素)(死生観)などの再考を迫るものだ。 「バッシング」は読みもしないで一コマを抽出して、曲解を拡散したり、「権威主義」で、漫画家だからダメとか、専門家じゃないからダメという「偏見」で断罪する姿勢である。  今のところ、「批判」に値するものはなく、「バッシング」しかないというのが、コロナ脳の非科学性を証明している。  しかし、そのバッシングの質が、興味深いことに、現代日本人の病理を如実に炙り出しているのだから、無視もできない。  バッシングの中でよくある言い回しに、 「小林だって、基礎疾患のある高齢者じゃないか!」 というのがある。  そう言われても、わしとしては 「ええ、その通りですが、それが何か?」 としか言いようがない。  この文句の主は「高齢者」なのだろうか?高齢者なら、 「自分は高齢者だから怖い。小林よしのりだって高齢者じゃないか!しかも喘息という基礎疾患があるくせに!」 と言ってることになる。  それなら 「おまえはお化け屋敷を恐がってる老人に過ぎない。わしは知性ある老人だから、幻想に怯えるより、この世の快楽を求める方がいいんだよ。」 と言ってやるしかない。  さらに 「恐いなら、おまえが自宅に閉じ籠っていろ!若者や子供を巻き込むな!」 とも言ってやりたい。  だが、どうやら 「高齢者なら怯えるべし」 というバッシングは、必ずしも老人が言ってるわけでもなく、わしより若い連中までが言ってるらしいのだ。  自分が怖いなら、そう言うべきであって、「敬老精神」で言ってるふりをするのは偽善であり、卑怯である。  来年1月1日午後1時に放送される、藤井聡氏の番組『東京ホンマもん教室SP』(TOKYO MXテレビ/スマホアプリ・Webサイト 「エムキャス」 でもリアルタイム配信)の収録で、わしがこの1年、喘息が収まらなくて大変だったと言うと、藤井氏は 「小林さんは基礎疾患があって高齢者じゃないですか。もろ被さっているじゃないですか。それでこういう意見を言っているわけでしょ」 と言った。  コロナに罹ったら重症化して死に至るかもしれない条件をもろに被っているにもかかわらず、それでもコロナは怖くない、コロナ恐怖は嘘だと言っていることを、恐怖感に囚われない、勇気のある態度だとして評価しているのだ。  普通はそんなふうに、好意的に捉えてくれるものと思っていたのだが、 「小林も基礎疾患のある高齢者じゃないか」 とさえ言えば、わしに最大の打撃を与えられると思い込んでいる者がいるのだ。それもかなり多数。  これは一体どういうことなのだろうか?   要するに、こんなことを言ってくる者は、 「誰だって自分の命が一番大切なはずだ」 と信じ切っていて、それを絶対的な前提として、一切疑ってもいないのである!  だから 「命よりも尊い価値がある」 ということが全く理解できないし、ましてや、世の中には 「自分の命よりも優先すべきことがある」 という価値観を持って生きている者が本当にいるということなど、想像すらできないのだ。  そんなわけで、小林よしのりだって本当は自分の命が惜しいはずで、もともとコロナが重症化する危険性が高いんだから、もしも感染したらきっと取り乱して泣き叫ぶに違いないと、勝手に決めつけているのである。  だから、 「お前だって基礎疾患持ちの高齢者じゃないか!」 とさえ言えば、ものすごい攻撃をしたような気になれるというわけだ。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!