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M.Oさん のコメント

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M.O
「本の力」という話でいうと、作家・山本文緒や歌人・穂村弘らは、小学生時代に息苦しさを感じていて、本に逃げ場を求めていた、と語っていました。
希望的観測ではありますが、このご時世に息苦しさや辛さを感じる人たち――特に子供や若者――が、普段は140文字すらろくに読めていなかったとしても、本に逃げ場を求めるようになればいいなと思います。
私自身、ネットで堕落してろくに本を読んでいなかった時代に、惹かれるように中川淳一郎氏の『ウェブはバカと暇人のもの』を手に取って軌道修正できたという経緯がありますが、恐らくネット民生活に「しんどさ」を感じ取っていたのだろうと今になって思います。
『コロナ論』や『コロ問い』を読んで、すぐさま内容を理解できなくてもいい。
まずは、テレビやネット以外の、色々な意味で自由度の高い「言論の世界」の存在を認識してもらえばいいのかなと思います。

私はこの一年間、現実世界に疲れた時にフィクション(小説)を読んでいましたが、大きな刺激を受けたのが小野不由美の『十二国記』シリーズでした。
「異世界ファンタジー」というジャンルになるのですが、「国とは」「為政者とは」「民衆とは」という実際の社会に通じるテーマを扱っており、一方で人間の「弱さ」「卑しさ」「潔さ」「尊さ」なども描かれいて、真に迫った人生哲学のようなものがずんと響いてくる作品です。
「エピソード4 風の万里 黎明の空」に、今の風潮に即した気に入ったセリフがあるので、いくつか引用させていただきます。

・「空想ってのは、ぜんぜん労力いらねえもん。いま目の前の問題をどうしようとか、やらなきゃいけないことをやる、なんてのに比べたら、ぜんぜん楽。けど、その間考えないといけないことも、やらないといけないことも棚の上に置いてるだけだろ? なーんにも変わらないし、空しいに決まってるじゃん」
・「(下民の身分になった元国王の娘に対して)毛織物の服は恥ずかしいかい? けど、世の中のほとんどの人はそれを着てる。誰もそれを恥じねえのは、それが自分の手で働いて得た最上のものだからなんだよ。そりゃ、働かないで絹を着てる連中もいるさ。けど、そういう連中は恨まれる。(中略)何の努力もなしに与えられたものは、実はその値打ちぶんのことをあんたに要求してるもんだ」
・「(悪しき権力者の圧政について)黙って我慢してて、そうしてる間にね、どんどん怖くなるんだよね。(中略)我慢してると、我慢してないことが怖くなる。いまがどんなに辛くても、我慢をやめたらもっと悪いことになりそうな気がするんだと思う……」
・「(権力者への蜂起に無関心を貫いた民衆について)でも、辛いこと、なくなったわけじゃないのにね。辛いから、きっと、なんて自分は不幸なんだろう、って自分を慰めてる。……ここでいま、家に閉じ籠もってる人たちは、きっとそう。大切な人を殺されるまで気がつかない……」

個人的には、わずかながらでも車内で本を読む人が増えてきた気がしますし、Eテレ『沼にハマってきいてみた』という番組を見ていると、ステレオタイプの枠に嵌まらない行動力のある若者はたくさんいるということも実感します。
ちなみに私は車内であっても、本にカバーを着けずに読むようになりました。
単に書名が知られるのが恥ずかしいという感覚が無くなり、着脱が面倒くさくなっただけなのですが、付加的にこれが少しでも「本の力」の啓蒙に役立てば幸いかなとは思います。
No.515
48ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
号外 2020.12.29発行 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第403回「戦中の老人、戦後の老人」 2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第197回「“PCRを拡大すべき”の欺瞞を問い質す」 第403回「戦中の老人、戦後の老人」 『コロナ論2』は早くも2度の増刷がかかり、順調に売れている。  それと同時に、前作の時をはるかに上回るバッシングが巻き起こっている。「批判」と「バッシング」は違う。「批判」は本を読んだ上で、間違いを指摘したり、根本的な思想(ウイルスは進化の要素)(死生観)などの再考を迫るものだ。 「バッシング」は読みもしないで一コマを抽出して、曲解を拡散したり、「権威主義」で、漫画家だからダメとか、専門家じゃないからダメという「偏見」で断罪する姿勢である。  今のところ、「批判」に値するものはなく、「バッシング」しかないというのが、コロナ脳の非科学性を証明している。  しかし、そのバッシングの質が、興味深いことに、現代日本人の病理を如実に炙り出しているのだから、無視もできない。  バッシングの中でよくある言い回しに、 「小林だって、基礎疾患のある高齢者じゃないか!」 というのがある。  そう言われても、わしとしては 「ええ、その通りですが、それが何か?」 としか言いようがない。  この文句の主は「高齢者」なのだろうか?高齢者なら、 「自分は高齢者だから怖い。小林よしのりだって高齢者じゃないか!しかも喘息という基礎疾患があるくせに!」 と言ってることになる。  それなら 「おまえはお化け屋敷を恐がってる老人に過ぎない。わしは知性ある老人だから、幻想に怯えるより、この世の快楽を求める方がいいんだよ。」 と言ってやるしかない。  さらに 「恐いなら、おまえが自宅に閉じ籠っていろ!若者や子供を巻き込むな!」 とも言ってやりたい。  だが、どうやら 「高齢者なら怯えるべし」 というバッシングは、必ずしも老人が言ってるわけでもなく、わしより若い連中までが言ってるらしいのだ。  自分が怖いなら、そう言うべきであって、「敬老精神」で言ってるふりをするのは偽善であり、卑怯である。  来年1月1日午後1時に放送される、藤井聡氏の番組『東京ホンマもん教室SP』(TOKYO MXテレビ/スマホアプリ・Webサイト 「エムキャス」 でもリアルタイム配信)の収録で、わしがこの1年、喘息が収まらなくて大変だったと言うと、藤井氏は 「小林さんは基礎疾患があって高齢者じゃないですか。もろ被さっているじゃないですか。それでこういう意見を言っているわけでしょ」 と言った。  コロナに罹ったら重症化して死に至るかもしれない条件をもろに被っているにもかかわらず、それでもコロナは怖くない、コロナ恐怖は嘘だと言っていることを、恐怖感に囚われない、勇気のある態度だとして評価しているのだ。  普通はそんなふうに、好意的に捉えてくれるものと思っていたのだが、 「小林も基礎疾患のある高齢者じゃないか」 とさえ言えば、わしに最大の打撃を与えられると思い込んでいる者がいるのだ。それもかなり多数。  これは一体どういうことなのだろうか?   要するに、こんなことを言ってくる者は、 「誰だって自分の命が一番大切なはずだ」 と信じ切っていて、それを絶対的な前提として、一切疑ってもいないのである!  だから 「命よりも尊い価値がある」 ということが全く理解できないし、ましてや、世の中には 「自分の命よりも優先すべきことがある」 という価値観を持って生きている者が本当にいるということなど、想像すらできないのだ。  そんなわけで、小林よしのりだって本当は自分の命が惜しいはずで、もともとコロナが重症化する危険性が高いんだから、もしも感染したらきっと取り乱して泣き叫ぶに違いないと、勝手に決めつけているのである。  だから、 「お前だって基礎疾患持ちの高齢者じゃないか!」 とさえ言えば、ものすごい攻撃をしたような気になれるというわけだ。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!