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希蝶さん のコメント

>>516
 かりにそうだとしても、その力士の気持ちも分からぬではないです。角界は兄弟子、弟弟子の序列が厳しいのだろうと想像します。
 だからこそ、強くなってみんなを見返してやったら、と残念でたまらないとも思うのです。その人の人生なのだから、他者があれこそ言うのはお門違いなんだろうとも思いますが、明日を変えるのなら、夢を追いかけるのなら、大切なことはたやすくあきらめない心なのではないか、というのが自分の考えです。

 今回、期間が長かったこともあり、また予期せぬ緊急事態宣言もあったりして、あれこれ口出ししすぎました。そのことは反省します。
 ただ、好き勝手投稿しているように見えますけれども、前にも記したけれども、「構ってちゃん」とかいうのはいけないと思ってもいるので、かなり話題を選び、慎重に記しているつもりです。
 しかし、今の世の中の発狂度はどうも頭に来ることばかりでたまらないのです。自分にしてみると、「普通に裏切られた」という気分で一杯になったりするのです。これが未曾有の事態だとか、自分の健康ばかり気にしている人を見ると、とりわけそのように感じるのです。
 それに、名前はあげませんけれども、その「構って欲しい」はいけないと自分に言ったやからが「堕落」してしまったのだから、ちょっとむっとしてもいるのですよね。別にどうでもいいことですが笑(これは書くのはタブーですか?)

 なので、(これでも)今まで自分を抑えていた部分を少しだけ解放しています。私には人と人との距離間は正直よく分からない部分がありますが(でなきゃ、カウンセリングにかよっていない)、場のテーマにあった話題を選ぶように考えてもいます。この場が私的な場ではなく、公的な問題を取り扱う場であることは十分理解していますし、ただ自分の主張を語るだけではなく、その問題の解決のヒントが生まれなければ意味がないとも思っています。
 うぬぼれかもしれませんが、自分の投稿をよんで下さるかたもいらっしゃるのではないか、自分の投稿が良貨になって欲しい、と願ってもいます。それに、ほかの人の投稿で、勉強になっている部分もあります。

>>562
 これは正直言って、素直に野次を飛ばしているとみた方が良いのでは、と思います。自分は言いたい人間は好きなように言えば良い、という考え方です。それが結果として書籍の宣伝になるのなら、もっけの幸いではないか、と。
 ホテルでは災難だったことと思います。うちの職場でも「密」を強調する人がいて、食事中に会話をすることをことさらやかましく言う人もいますが、言わせておけばその人が満足するので、それで良いのかな、といった感じです。
 改めて「オドレら」参加のほかの方々もお疲れ様でした。
>>556
 今まで千円で開催できていたこと自体が奇蹟だったと思います。よりよい討論と会合の場になることを願います。

 『コロナ論』『コロナ論2』、地元のY書店ではいきなり山積みになっていました。やはり反響は大きいのだろうと想像します。

 とりあえず、今回はここまでにします。それでは次号も期待します。
No.566
40ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
号外 2020.12.29発行 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第403回「戦中の老人、戦後の老人」 2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第197回「“PCRを拡大すべき”の欺瞞を問い質す」 第403回「戦中の老人、戦後の老人」 『コロナ論2』は早くも2度の増刷がかかり、順調に売れている。  それと同時に、前作の時をはるかに上回るバッシングが巻き起こっている。「批判」と「バッシング」は違う。「批判」は本を読んだ上で、間違いを指摘したり、根本的な思想(ウイルスは進化の要素)(死生観)などの再考を迫るものだ。 「バッシング」は読みもしないで一コマを抽出して、曲解を拡散したり、「権威主義」で、漫画家だからダメとか、専門家じゃないからダメという「偏見」で断罪する姿勢である。  今のところ、「批判」に値するものはなく、「バッシング」しかないというのが、コロナ脳の非科学性を証明している。  しかし、そのバッシングの質が、興味深いことに、現代日本人の病理を如実に炙り出しているのだから、無視もできない。  バッシングの中でよくある言い回しに、 「小林だって、基礎疾患のある高齢者じゃないか!」 というのがある。  そう言われても、わしとしては 「ええ、その通りですが、それが何か?」 としか言いようがない。  この文句の主は「高齢者」なのだろうか?高齢者なら、 「自分は高齢者だから怖い。小林よしのりだって高齢者じゃないか!しかも喘息という基礎疾患があるくせに!」 と言ってることになる。  それなら 「おまえはお化け屋敷を恐がってる老人に過ぎない。わしは知性ある老人だから、幻想に怯えるより、この世の快楽を求める方がいいんだよ。」 と言ってやるしかない。  さらに 「恐いなら、おまえが自宅に閉じ籠っていろ!若者や子供を巻き込むな!」 とも言ってやりたい。  だが、どうやら 「高齢者なら怯えるべし」 というバッシングは、必ずしも老人が言ってるわけでもなく、わしより若い連中までが言ってるらしいのだ。  自分が怖いなら、そう言うべきであって、「敬老精神」で言ってるふりをするのは偽善であり、卑怯である。  来年1月1日午後1時に放送される、藤井聡氏の番組『東京ホンマもん教室SP』(TOKYO MXテレビ/スマホアプリ・Webサイト 「エムキャス」 でもリアルタイム配信)の収録で、わしがこの1年、喘息が収まらなくて大変だったと言うと、藤井氏は 「小林さんは基礎疾患があって高齢者じゃないですか。もろ被さっているじゃないですか。それでこういう意見を言っているわけでしょ」 と言った。  コロナに罹ったら重症化して死に至るかもしれない条件をもろに被っているにもかかわらず、それでもコロナは怖くない、コロナ恐怖は嘘だと言っていることを、恐怖感に囚われない、勇気のある態度だとして評価しているのだ。  普通はそんなふうに、好意的に捉えてくれるものと思っていたのだが、 「小林も基礎疾患のある高齢者じゃないか」 とさえ言えば、わしに最大の打撃を与えられると思い込んでいる者がいるのだ。それもかなり多数。  これは一体どういうことなのだろうか?   要するに、こんなことを言ってくる者は、 「誰だって自分の命が一番大切なはずだ」 と信じ切っていて、それを絶対的な前提として、一切疑ってもいないのである!  だから 「命よりも尊い価値がある」 ということが全く理解できないし、ましてや、世の中には 「自分の命よりも優先すべきことがある」 という価値観を持って生きている者が本当にいるということなど、想像すらできないのだ。  そんなわけで、小林よしのりだって本当は自分の命が惜しいはずで、もともとコロナが重症化する危険性が高いんだから、もしも感染したらきっと取り乱して泣き叫ぶに違いないと、勝手に決めつけているのである。  だから、 「お前だって基礎疾患持ちの高齢者じゃないか!」 とさえ言えば、ものすごい攻撃をしたような気になれるというわけだ。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!