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希蝶さん のコメント

 号外版、配信有り難うございます。おぶせくりちゃんの件、非常に残念ですが、これも全体主義への風穴の端緒だと肯定的に解釈したいです。
 しかし、何でも謝罪すればよい、とするのは、日本の嫌な慣習ですね。謝ったら、すべて済むのでしょうか。今回のような場合にせよ、また本当に問題あり、の場合にしても。
 (何度もかいているけれども)ブラックジャックの「腫瘍狩り」はそういう話ではないような気がする。あれは、本当に医師として、患者を助けたいと思ったからこそ、(ブラックジャックのすすめに従って)自分のプライドを捨てて、謝罪できたという話だろう。

 今号の感想にも少し触れますが、昔、教育関係会社に勤めていた頃、こんなことを言った人がいました。
 「小林よしのりの言うような日本人はどこにもいない。日本人とは日本に住んでいる人のことでしかない。ゴーマニズム宣言は、蒲団の中で笑って読んでいればいいんだ」
 自分よりも年少の人でしたが、ひょっとしたら、生命至上主義者とか団塊の世代とかの気分や思想はそういうものになってしまうわけなのでしょうか。日本に住んでいる人だったら、「移民」とか「外国人研修生」とかになってしまうわけですし、「国籍」を有していても、心は海外にという例なら、グローバリズム信奉者なども立派な日本人になってしまうわけで、そういう人達を日本から出て行け、と言ってしまったら、その人達と同じになってしまうわけですが、「同胞」という意識は生まれないものなのか、と。
 (数年前になくなった)私の大学の恩師は、「縁があって、この世界で出会った」とよく口にしていましたが、それを以前につとめていたところで自分が口にしたら、奇妙な反応をされたことがありました。そんなものでしょうか。確かに、自分に危害を加えていた人間のことも縁なのか、と思うと少し抵抗があったのですが。
 とある歌の歌詞を引用しますが、「誰かのために生きて、この時がすべてでいいでしょう、見せかけの自分はそっと捨てて、ただありのままで」と言うのはとても簡単なようでいて、非常に困難なことで、でもそれをできた時代の人間もいたのだから、「梵天丸もかくありたい」ではないですが、そんなふうに生きられたら、と思います。『戦争論』の対象外である現在の老人たちも気概を持って、このインフォデミックの事態にあたり、本当に必要なことは何なのか理解して、ことにあたって欲しい、と願います。
 上記の歌では、このようにも歌っています。
「誰かを当てにしても、求めるものじゃないのだから、本当の自分はここにいるって、目を閉じないでいて」
 果たして、目を閉じないで本当の自分を凝視できる人間は、何人日本にいるのでしょうか?
No.81
47ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
号外 2020.12.29発行 【目次】 1. ゴーマニズム宣言・第403回「戦中の老人、戦後の老人」 2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第197回「“PCRを拡大すべき”の欺瞞を問い質す」 第403回「戦中の老人、戦後の老人」 『コロナ論2』は早くも2度の増刷がかかり、順調に売れている。  それと同時に、前作の時をはるかに上回るバッシングが巻き起こっている。「批判」と「バッシング」は違う。「批判」は本を読んだ上で、間違いを指摘したり、根本的な思想(ウイルスは進化の要素)(死生観)などの再考を迫るものだ。 「バッシング」は読みもしないで一コマを抽出して、曲解を拡散したり、「権威主義」で、漫画家だからダメとか、専門家じゃないからダメという「偏見」で断罪する姿勢である。  今のところ、「批判」に値するものはなく、「バッシング」しかないというのが、コロナ脳の非科学性を証明している。  しかし、そのバッシングの質が、興味深いことに、現代日本人の病理を如実に炙り出しているのだから、無視もできない。  バッシングの中でよくある言い回しに、 「小林だって、基礎疾患のある高齢者じゃないか!」 というのがある。  そう言われても、わしとしては 「ええ、その通りですが、それが何か?」 としか言いようがない。  この文句の主は「高齢者」なのだろうか?高齢者なら、 「自分は高齢者だから怖い。小林よしのりだって高齢者じゃないか!しかも喘息という基礎疾患があるくせに!」 と言ってることになる。  それなら 「おまえはお化け屋敷を恐がってる老人に過ぎない。わしは知性ある老人だから、幻想に怯えるより、この世の快楽を求める方がいいんだよ。」 と言ってやるしかない。  さらに 「恐いなら、おまえが自宅に閉じ籠っていろ!若者や子供を巻き込むな!」 とも言ってやりたい。  だが、どうやら 「高齢者なら怯えるべし」 というバッシングは、必ずしも老人が言ってるわけでもなく、わしより若い連中までが言ってるらしいのだ。  自分が怖いなら、そう言うべきであって、「敬老精神」で言ってるふりをするのは偽善であり、卑怯である。  来年1月1日午後1時に放送される、藤井聡氏の番組『東京ホンマもん教室SP』(TOKYO MXテレビ/スマホアプリ・Webサイト 「エムキャス」 でもリアルタイム配信)の収録で、わしがこの1年、喘息が収まらなくて大変だったと言うと、藤井氏は 「小林さんは基礎疾患があって高齢者じゃないですか。もろ被さっているじゃないですか。それでこういう意見を言っているわけでしょ」 と言った。  コロナに罹ったら重症化して死に至るかもしれない条件をもろに被っているにもかかわらず、それでもコロナは怖くない、コロナ恐怖は嘘だと言っていることを、恐怖感に囚われない、勇気のある態度だとして評価しているのだ。  普通はそんなふうに、好意的に捉えてくれるものと思っていたのだが、 「小林も基礎疾患のある高齢者じゃないか」 とさえ言えば、わしに最大の打撃を与えられると思い込んでいる者がいるのだ。それもかなり多数。  これは一体どういうことなのだろうか?   要するに、こんなことを言ってくる者は、 「誰だって自分の命が一番大切なはずだ」 と信じ切っていて、それを絶対的な前提として、一切疑ってもいないのである!  だから 「命よりも尊い価値がある」 ということが全く理解できないし、ましてや、世の中には 「自分の命よりも優先すべきことがある」 という価値観を持って生きている者が本当にいるということなど、想像すらできないのだ。  そんなわけで、小林よしのりだって本当は自分の命が惜しいはずで、もともとコロナが重症化する危険性が高いんだから、もしも感染したらきっと取り乱して泣き叫ぶに違いないと、勝手に決めつけているのである。  だから、 「お前だって基礎疾患持ちの高齢者じゃないか!」 とさえ言えば、ものすごい攻撃をしたような気になれるというわけだ。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!