• このエントリーをはてなブックマークに追加

希蝶さん のコメント

 「逆転人生」、見て見ましたが、健康上の理由でヒーローになれなかった人が、地元でヒーローショーを開くまでの話で、最後の方にちょこっとコロナの話が出た程度でした。やはり大したことはなかった(その人の人生は、大変だったんだな、と同情しましたが)。テレビも商売ということをよく現している番組だったな、という感じです。こんなのを紹介してしまい、すみませんでした。

 トッキーさんのブログで取り上げられていた基礎医学研究者さんのコメント、遅ればせながら読みましたが、結局「査読」する側もライバルで、公平を期すといった視点にはなりにくいのかな、と思いました。客観性とか中立とか、非常に難しい話ですね。ゼンダマンじゃないけれども、裁判メカでも作ったらどう、とか言いたくなります(笑)。

 京王線刺傷事件についても述べますが、その場にいたら勇敢な行動をとるのは確実に難しいのかな、と思いますけれども、やはり後悔するようなことはしたくはない、という気分です。日曜日の「青天を衝け」で、渋沢家の書生達が、今の世の中は刀は要らない、警察を呼びに行けばよい、と語っていたのに、渋沢夫人が、「その間に誰かが犠牲になったらどうするんですか」と問いかけ、慌てて書生達が前言を翻していた場面があったのですが、何だかタイムリーな話だな、と思いました。何か物を投げるとか、鏡でもあったら、目にあてて反射させるとか考えないといけないかな。暢気に記していますが、先日もコロナ君グッズを嗤った人の話を述べましたが(自分が言うのも何ですが)変な人はどこにでもいるので、気を抜いちゃ駄目なんだ、と思いました。ファイザー社のワクチンを打ったり、自粛して外出せずにいることよりも、こういう時こそヒーローにならなければいけない、と。
 昔、「Gメン75」だったかな、バスの中で成績不振の新人営業マンが自分をあざ笑ったと思い込んで主婦を刺殺する話があって、その夫がその同じバスに乗っていながら、妻を見殺しにした乗客たちを復讐で殺し、裁判で情状酌量になったその犯人の罪にしようとしたという話があったのだけれども、私たちはそういうことでも誰かの怨みを買う可能性はあるのだろうと思います。

 今回もつまらない投稿ばかりですみませんでした。それでは次回の配信を期待します。
No.146
37ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
号外 2021.11.2発行 【目次】 1. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第235回「厚労省が忘れた『薬害を学ぼう』」 2. ゴーマニズム宣言・第441回「SNSに【割れ窓理論】を」 第235回「厚労省が忘れた『薬害を学ぼう』」  厚生労働省のサイトには『 薬害を学ぼう どうすれば防げるのか? なぜ起こったのか? 』という薬害教育のサイトがある。  一般国民向けに制作された、日本の薬害の歴史や被害者の声などを掲載した教本が掲載されているほか、中学生向けの薬害教育教材や、指導の手引きまで配布されている。     薬害教育副教本「薬害を学ぼう」より  私の記憶にあった薬害事件は、「薬害エイズ」「薬害肝炎(C型肝炎)」「薬害イレッサ(抗がん剤)」「サリドマイド」ぐらいだった。だが、厚労省の教本を見ると、1950年頃からのたかだか50年間で、国が認めた薬害事件だけでもこんなにあったのかと驚く。  掲載されていたものから一部をさらに掘り下げて、当時の記録や論文などを調べてみた。その内容も盛り込みながら紹介したい。 ●1948年/ジフテリア予防接種による健康被害 被害者:924人(死亡83人) 製薬企業のミスが原因で、ジフテリアの毒素が残っていたために、乳児83人が死亡。  この薬害は、GHQが占領中の日本の衛生状態を嫌い、日本政府にジフテリアの予防接種対応を求めたことに始まる。  表向きは、日本国民の健康のための伝染病政策とされていたが、のちに発見されたGHQの文書では、 上陸米軍の中でのジフテリア発生率が予測を超えていることに驚愕し、米軍兵力維持のために、日本人に対して無差別予防接種を提起していた ことがわかっているという。  GHQは性急な実施を要求したが、日本では薬の製造が整わず、厚生省は夏のチフスの流行などを理由に、約2年間、何度も実施の延期を説明。1948年になってやっと接種する体制が整ったが、この時すでに日本では、終戦後の栄養状態の回復とともにジフテリアは急激に減少しており、流行は沈静化していた。  だが、厚生省は、GHQの指令に従ってジフテリアを含む12疾病の予防接種を義務化。接種を行わないと罰金3000円(現在の貨幣価値で30万円)を科すという強力な強制接種法を施行し、子どもたちに対して強制的に接種がすすめられることになった。  先駆けとなった京都府では、1948年10月21・22日に第1回、11月4・5日に第2回の接種が行われた。第2回の接種を受けた15,561人の中で、接種箇所が腫れあがり、発熱する子どもが出はじめ、その後、腕全体が腫れあがり、紫色になった注射局所を中心に、やけどのような水疱ができるという患者が600人以上にまで急増。乳幼児68人が死亡した。  11月5日からは、島根県で接種が開始されたが、京都からの「接種見合わせ」の電報を受けて中止。ところが、「死ぬ心配はない」という楽観コメントがあったことや、厚生省から、被害が起きたロットナンバー以外のものを使えという指示があったことから再開されてしまった。  実際には、厚生省が示した以外のロットにも毒性があり、島根県内で300人以上の被害者が出て、16人の乳幼児が死亡した。    製薬会社の製造過程や厚生省の検査がずさんであったこと、被害発生後の現状把握や指示があまりに雑であったこと、そこには、アメリカの要求に従って、子どもたちに強制接種していくと決めていた、つまり 「接種ありき」で推し進めていた という背景がある。  しかも、日本ではすでに下火になっていた感染症なのだから、健康であれば不要だった注射を、わざわざ乳幼児に打って殺したわけだ。  予防接種をめぐるアメリカとの力関係が、GHQの時代にスタートしていたことに、暗澹とした気持ちになる。 ※国が認めた被害者数は冒頭の通りだが、複数の記録を突き合わせると、死者84人、被害者1000人以上、後遺症など不明となる ●1953年~1970年/キノホルム製剤によるスモン薬害 被害者:1万人以上 整腸剤キノホルムを服用することで、スモンと呼ばれる神経障害を発症する人が多数。企業が製造を停止するまで大勢が被害に遭った。  1955年頃から、下痢などが続いたあと、足の感覚がなくなる、しびれる、重症の場合は麻痺して歩けなくなる、目が見えにくくなるなどの症状をきたすスモン患者の集団発生が見られるようになった。  なかでも埼玉県戸田での集団発生は、東京オリンピックのボート競技の予定地であったこともあり、「戸田の奇病」と報道され、世間の関心が高まった。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!