Dr.Uさん のコメント
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第434号 2022.4.26発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…吉野家常務取締役が自社の若年女性向けマーケティングを「生娘をシャブ漬け戦略」と発言し炎上、後に解任された騒動。「生娘をシャブ漬け戦略」「田舎から出てきた右も左もわからない若い女性を無垢・生娘のうちに牛丼中毒にする。男に高い飯を奢って貰えるようになれば、絶対に食べない」…よくまあこんなに、いろんな差別意識がゴチャマゼに入り込んで、どこから手をつけたらいいのかわからない発言が出てきたものだ。しかもこの発言をした吉野家常務(当時)・伊東正明が49歳で、わしよりも20歳近くも若いというから驚きである。なぜこうした無意識の男尊女卑感覚が、若い世代にも受け継がれているのだろうか?
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…コロナ騒ぎがはじまって以降、SNS上にいる一部の有志の人たちが、政府分科会のデタラメや、マスコミのデマ、ワクチン、マスクの強要に対して猛烈に反対してデータなどを拡散しつづけてきた。ところが、その同じ人たちが、いま、「ロシアは、ウクライナのネオナチを討伐している」等々、ロシアが発信するデタラメの言い分を信じて、ネット上で拡散する活動をしているのだ。なぜ彼らはロシアの手先のような活動にはまってしまったのか?
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!旅行は楽しいのに、自宅に帰って来ると疲れがドッと出るのは何故?レジ袋有料化は義務ではなく「強い推奨」に過ぎなかった?先生が今一番気に入っているギャグは何?皇統も消滅し戦争も始まった場合、日本から離れる選択肢はある?有事の際に天皇制という制度が国防の急所になってしまう場合もあるのでは?これまでに西側がロシアを止める機会はなかったの?虐められる側の責任と虐めをする側の責任について、どう考える?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第461回「生娘シャブ漬けと道鏡コンプレックス」
2. しゃべらせてクリ!・第390回「沙麻代ちゃ~ん!その深い愛でぽっくんを受け止めてクリ!の巻【前編】」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第255回「ロシアメディアと陰謀論~コロナ&ウクライナ」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第461回「生娘シャブ漬けと道鏡コンプレックス」 「生娘をシャブ漬け戦略」
「田舎から出てきた右も左もわからない若い女性を無垢・生娘のうちに牛丼中毒にする。男に高い飯を奢って貰えるようになれば、絶対に食べない」
…よくまあこんなに、いろんな差別意識がゴチャマゼに入り込んで、どこから手をつけたらいいのかわからない発言が出てきたものだ。
驚くのは、この発言をした吉野家常務(当時)・伊東正明が49歳で、わしよりも20歳近くも若いということだ。
しかも伊東は、マーケティング戦略のプロとしてヘッドハンティングされた「敏腕マーケター」だったというのだ。
それなのに、言っていることはものすごく古い昭和の感覚だ。田舎から出てきた女は世間ずれしていない処女だなんて、まるで昭和30年代の「集団就職」で上京してきた、赤いほっぺの少女みたいなイメージである。
その時代を知っているジジイが言うのならまだわかるが、49歳でそんなことを言っているのが不思議でならない。どういうわけだか、そんな偏見が世代を越えて引き継がれてしまっているのだ。
そもそも、田舎娘は無垢・生娘という認識がナンセンスすぎて笑うしかない。
「生娘」という言葉に至っては、江戸時代のスケベ代官がタイムスリップしてきたのかと疑いたくなる。
本当はヤンキー文化が残っている田舎の方が、若い娘がすぐ男とくっついたりするものだ。沖縄だって、若いうちにさっさと男と付き合って結婚して子供つくって離婚している女性が多い。むしろ今はそっちの方が「田舎娘」のイメージだとわしは思っていたのだが。
普通は時代がどんどん変わっていけば、感覚もいつの間にか変わるものだ。今じゃチョンマゲ姿には絶対なれない。わしの感覚だって、時代と共に自然に変化している。
ところがどんなに時代が変わっても、古い感覚のまま変わらない人間がいる。それどころか、新しい時代の人間のはずなのに、古い感覚をそっくり引き継いで「田舎から出てきた女は無垢な生娘」だなんて、本気で思っている者がいるのだ。
その感覚は、皇統の男系固執保守たちとそっくりである。これだけ男女差別は野蛮だという意識が浸透してきた時代にありながら、今なお女の血など認めない、男の血統しか許されない、男系男子しか国民の象徴にはなれないなどと、まだ言っている者がいるのだ。 この意識の古さ、意固地さにわしは愕然とするしかない。
たとえ「女性天皇はいいけど、女系天皇はダメ」と言っても、実質「女性天皇から生まれる子供は女系」として、女性天皇も拒否しているわけだから、奈良時代より感覚が古くなっている。肝心なのは「男の血」であって、「女の血」を否定しているのである。
天皇陛下の実の娘がいらっしゃるというのにそれではダメで、それよりも600年以上さかのぼらないと天皇陛下とはつながらない「男の血」の方が重要だなんて、到底理解のできない感覚だ。
600年も離れたら血が薄まり過ぎているはずだが、そんな感覚すら一切ない。結局は「神武天皇のY染色体」とかいうものを信じて、純粋なる「男系血統」なるものがあると信じ込んでいるのだ。
本当に医学的に考察すれば、「神武天皇のY染色体」を持っている人など日本中にいくらでもいて、誰でも天皇になれてしまうという結論になってしまう。
しかももっと本来的なことをいえば、「純粋血統」を追求しようという発想自体に、全く意味なんかないのである。
そもそも「純粋日本人血統」なんてものはあるだろうか?
今どきそんな感覚なんか通用するはずもない。もう今の日本人にはいろんな人々との混血が進んで、誰になに人の血が入っているのかわかったものではなくなっている。
試しに「外国人の血が流れていて驚く有名人」というサイトを見たら、ブラックマヨネーズ・小杉竜一(曽祖父がアメリカ人)、平野レミ(祖父がフランス系アメリカ人)、安室奈美恵(祖父がイタリア系アメリカ人)、布袋寅泰(父親が韓国人、母親が日本人とロシア人のハーフ)、宮沢りえ(父親がオランダ人)といった名前がズラッと並んでいる。この先、出会って好きになった相手に、実はロシアの血が入っていたとかいうことだって、いくらでも起こりうるのだ。
仮に外国人の血が入っていなければいいとしたところで、それなら琉球の血はいいのかとか、アイヌの血はいいのかとかいう話になっていくだろう。純粋血統種という発想自体がもう、ナンセンスとしか言いようのないものなのだ。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
うさぎです。憲法やコロナやウクライナについて考えていたら、乱暴な言葉があふれでてきました。以下、狂いうさぎの書き付けです。
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そもそも9条2項の「戦力を持たない」とか「交戦権を認めない」とかの文言は、敗戦直後の占領期に出てきた妄言の類だ。妄言は一刻も早く正さなければならなかったのに、それがぐだぐだと今日まで放置されてきた。
敗戦のわずか数年後には、日本は戦車や戦闘機や戦艦の軍備を開始した。9条と現実との間に、子供でも分かる矛盾が発生した。しかしその矛盾は、そこで作られているのは「軍隊」ではなく「自衛隊」だという詐欺まがいの言辞によって、解決されることなく放置された。
9条問題とコロナ騒動は、どこか似ている。「戦争」とか「軍隊」という言葉を用いなければ、日本が侵略戦争(大義のない戦い)をすることはないという妄想。同じように、いつでもどこでもマスクをすれば、感染は抑えられるという妄想。何の根拠もない、迷信のような思い込み。日本人はそうした妄想に、だらだらと何年も、何十年も浸ろうとする。妄想だと気づいていても、やめられない。思考停止、惰性、まどろみ、和を乱すことへの本能的な怖れ。
今、憲法を改正すべきだと主張する人たち、9条2項は削除すべきと主張する人の中にも、「軍隊」という言葉は用いる必要はない、とか、「個別的自衛権はよいが集団的自衛権はだめ」とかいう人たちがいる。馬鹿げたことだ。それは、何に対しての、誰に対しての配慮なのだろう。そんな配慮は、いらない。
9条の精神は大切、日本の平和主義の精神は特別、などと言って、9条の妄言を根底から正そうとしないのは、間違いだ。それはあたかも、どうしても「クスリ」をやめられないと言う中毒患者に、少量の「クスリ」を続けるのを許しながら、その中毒を治療しようとするようなものだ。
王道は、シンプルだ。日本は軍隊を持つ。戦争をする。国を守るためには、領土・領海に侵入してきた敵部隊だけでなく、敵国の基地や作戦本部も攻撃する。海外の小さな友好国が強大な覇権国家によって不当に侵略されているなら、軍隊を送り込んで友好国とともに戦う。当たり前のことだろう。戦うべき戦争に、個別的も集団的もない。
王道はシンプルだ。大義のある戦いであれば、日本は当事者にならなければならない。大西郷ならそう言うだろう。大義のために戦うこと、それが本当の平和主義だ。世界の平和のために、戦争をすることを覚悟する国、相手と自分の血を流すことを覚悟する国、それが平和主義国家だ。
日本が歴史に学ぶべきことは、「戦争をしないこと・軍隊を持たないこと」ではない。そうではなく、ある戦争に大義があるかないか、その当事者となることは適切か否かを、国民が活発に議論できるような自由な空間を確保すること。同調圧力によって、自由な言論を封殺しないこと。それが先の大戦に対する反省の第一だ。斎藤隆夫の粛軍演説みたいなものが、封殺されない社会。
そういったことを条文に盛り込んだ、真の平和憲法を作らなければならない。
こういうことを言うと、おつむのよさそうな政治家とか憲法学者たちが、そんなのは理想論だ、現実を知らない観念論だ、などと、ぐだぐだ言うはずだ。阿呆。ヤク中を救うには、ヤクを完全に断つしかないのは、自明のことだろう。ヤク中に気を使ってどうする。
核兵器については、核兵器が悲惨なのではなくて、戦争・紛争が悲惨だということ。ルワンダ内戦で100万人が虐殺された。女も子供も老人も。そこで用いられたのはマチェテ(山刀)だった。核兵器を打ち込んで10万人が死ぬ事態は非人道的だが、マチェテを振り回して100万人が虐殺されるのは、まだ容認しうるということか。核兵器は特別だ、原爆の犠牲になった私たち日本人は平和を論じるにあたって特別な地位にある、なんていう言説は、アフリカであれ中東であれ中南米であれ、核兵器以外の武器でヒロシマ・ナガサキ以上の規模の地獄、本当に地獄、を見てきた人々には、何の説得力も持たない。
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以上、暴発うさぎでした。
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