san-jinさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
号外 2022.5.17発行 【目次】
1. ゴーマニズム宣言・第463回「はじめてのおつかい」
2. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第257回「科学なし・論理なしの不思議な医療ライターからのご反論《2》」
第463回「はじめてのおつかい」 唐突な話題と思うかもしれないが、「はじめてのおつかい」が海外で大評判になっているらしい。
確かにあの番組、とにかく子供が可愛いいものだから、女性に特に好評のようだ。
だがあの番組を欧米でつくるのは、まず無理だろう。
2歳から6歳ぐらいの子供が、生まれて初めてひとりでお使いに挑戦する様子をドキュメンタリー風に描く日本テレビ系のバラエティー「はじめてのおつかい」は、不定期のスペシャルで30年以上放送されている人気番組である。
この番組を今年の春からネットフリックスが世界190カ国で同時配信し始めたのだが、そうしたら大きな反響を呼んでいるという。
例えばイギリスでは、ツイッターにこんな感想が多く流れたそうだ。
「これまでに見たネットフリックスの番組の中で、最高。どのエピソードを見ても泣いてしまう」。
「とってもキュート。子供は大人が許す限りの能力を持っていると思う」
だが一方では正反対に、こんな反応も寄せられているという。
「これでもうネットフリックスは見ない」
「子供を大人であるかのように、独立した存在として扱うなんて。いったい、なんていう番組なのかしら」
そもそもイギリスでは、「はじめてのおつかい」のように幼児がひとりで交通機関を使ったり、買い物を頼まれて出かけたりすることはない。 そんなことをして子供が事故に遭ったり、変質者に襲われたりしたらおしまいだからだ。
子供は大人が守るべき対象であり、幼児は外では保護者が付きっきりなのが当たり前で、小学校への通学ですら低学年の子は親が付き添っている。
法律で親が送迎するよう定めているわけではないが、子供の人権擁護組織などは8歳までは送迎するよう推奨し、これを基に多くの学校が独自にルールを決めているという。
下校時刻に会社勤務をしている親は、仕事を中断して迎えに行くか、学校によっては料金を払えば午後6時過ぎまで預かってくれたりもするらしい。地域によってはスクールバスもあるが、バスの停留所までは親が送り迎えしている。
遠い距離を歩いて登下校するということすら危ないというのが普通の感覚なのだから、「はじめてのおつかい」なんて絶対にありえない。 もしそんなことをしたら、親が子供を保護する義務を放棄しているということで「虐待」と見なされてしまうのだ。
他の国でも大体似たような反響で、子供の可愛さにメロメロになっている感想が多いのだが、その一方で、 「自分の子供に、こんなことさせらせない」「わが国でこんなことしたら、その子の姿は二度と見られなくなる」 といった反発もあるようだ。
「こんなことできるのは日本だけじゃないか?」 という感想もずいぶんあって、ネトウヨっぽい奴はそれを誇らしく思っているようだが、本当は日本でも、あのロケは事前に現場を入念に調査した上で、撮影の際はカメラマンを始めスタッフが大勢ついていて、周囲で見ているからできるのである。
実際に番組を見ていれば、画面にスタッフが映り込んだりしているからそれくらいはすぐにわかるはずなのだが、 バカな親があれを見て、うちの子供にもやらせてみようとか思ったら、大変なことになりかねない。 どこで交通事故に遭って死ぬかもわからんのだし、どこでさらわれるかもわからんのだから。
あれは、本当はやっちゃいけないことなのだ。
3年前に山梨県・道志村のキャンプ場で当時小学1年生の女児が行方不明になった事件で、現場に近い山中で人骨と当時女児が着用していた靴や衣服の一部が発見され、骨のミトコンドリアDNA型は「母親と親族関係があることに矛盾がない」という鑑定結果が出たという。
その女児は、友達が遊んでいる場所へ向かおうとひとりで山道を歩いていく後姿を母親が見送ったのが目撃された最後だったといい、母親は「なぜ一緒について行ってやらなかったのか、悔やんでも悔やんでも悔やみきれない」と語っていた。
ネット内ではこの母親を誹謗中傷しているバカもいるらしく、そのバッシングに与することを恐れて、メディアは母親への批判と取られそうなことは何も言えなくなっている。
だが、それではこの事件から何の教訓も引き出せない。
この母親を絶対に責めてはならないし、ここでこんなことを言うのは非常に酷だというのは重々承知しているが、それでもこの痛ましい事件を無駄にしないためにも言っておくしかない。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
いつも楽しく拝読しております。
日本再生会議において、藤井先生の提示された
皇統問題の基礎付けにどうしても反論したく、
恐縮ですが投稿させて頂きます。
「基礎付け」(藤井先生の言い方では「フレームワーク」)は議論の出発点として重要な意味合いを持つため、はっきりと反論する必要性があると思いました。
藤井先生に直接送りたいのですが、
送付先が分からず、ご容赦頂ければ幸いです。
藤井聡先生は皇統問題を「可能な限り男系、万策尽きれば女系」と基礎付けられました。
そして、「このフレームワークに論理的に反対する方は基本、おられません」と仰っています。
とても不愉快に思います。
140年前(明治15年)、明治憲法が制定されるに
及んで、「鸚鵡社」が主催して「女帝を立つるの
可否」という討論会が為されています。
「鸚鵡社」の討論会は民間で行われたものですが
井上毅が皇室典範を制定する際に、男系男子限定の
根拠資料としたものであり、皇位継承を
理解する上で、基本中の基本の議論です。
この討論会の中で、2000年続いた男系は
それだけで価値があり、「可能な限り男系」など
という気色の悪い議論は一切ありません。
この討論会では、当時(明治期)の国民の意識が
「脳髄まで男尊女卑」だから、女帝は侮られて
天皇の権威の失墜を招くとされています。
現代日本の国民性が「脳髄まで男尊女卑」では
無いならば、女系公認で全く問題ないという議論なのです。
藤井先生としては、古今東西・老若男女を問わず
万民が納得できるような「公準」を求め、
そこから議論を展開するという手順を踏みたかった
のでしょうが、藤井先生が提出されたフレームワークに対して
真っ先に明治期の人々が「意味が分からん」と言って反対します。
もちろん私も断固反対します。
正直、このフレームワークは気持ち悪いです。
無条件に「出来る限り男系」?
男系に価値を見出せず、実感が無いんですよね?
今上陛下の父親の父親の・・・と辿れば神武天皇に行き着く!すげぇ!!
これだけですよね?
これって単なるアルゴリズム(解法)であって、皇位継承の手段ですよね?
では男系継承の目的は?
「伝統は賢しらな現代人の知恵では理解できない」?
理解したいという衝動や欲求が微塵も感じられませんが?
惰性、無思慮、事なかれ、先送りで出来る限り男系、、、
こんなもので誰が納得しますか?
このフレームワークは公準からは程遠い、
素人にも簡単に反論できる、余りにも底の浅いもの
ですので今後は提示することはお止め頂きたい。
さらには、「公準」はあらゆる反論にも耐えうる
まで徹底的に思索を重ねてから提示するものでは
ないでしょうか?
「鸚鵡社」の討論会という基本中の基本を
押さえることもせず、「論理的に反論される方は
基本、おられません」などと臆面もなく
ミスリードしていることについて、
学者の良心すら疑いたくなります。
とても残念に思いました。
以上です。
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