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希蝶さん のコメント

>>192
 お気遣い、有り難うございます。そしてすみません…。誤解を招く表現をして申しわけなかったです。<(_ _)>
 コメント欄の文章が長いのは、自分が気にしていることで、もう少し簡潔に、分かりやすくできないのか、長々と自分の書きたいことだけコメントしても、自分で悦に入っているだけではないか、と気にしているというだけのことです。いわゆる「コメットさん」ではない「構ってさん」になってしまうのも問題だ、とも思うし。ご指摘の通り、蘊蓄や経験談ばかりを記しても仕方がない、とも思います。
 私もよく調べてはいないけども、以前に「知ってるつもり」で放映した内容位しか分からないけれども)良寬さんは好きです。

 つまりあれこれよけいに気を廻してしまい、こういう思い違いをたくさんする、ということです。加えて、「謝ったら死ぬ病」の中には、こういうふうに感じている人もいるのではないかとも思うし、さもなくば、そういう「口実」をつけるやからも存在する、とも推測するのです。

 少しまとめてみます(やっぱり誰かに聞いて貰いたいのでしょう、根性がないですね)。あまり発展性はないかも知れませんが。実は前にも記している話です。

 ありていにいうと、ある女性に嫌がらせをしたと言われた、という話です。もうかなり昔の話になりますが…。
 人から言わせると、私が職場のある女性に「わざと重い荷物を持たせた」らしいのです。

 その相手に、会社の帰り道で、「勇気を出して初めての告白」をしました。結果は、交際相手がいる、というものでした。
 そして、当時の自分は、そういうことを身近な相手にすると、相手にどういう印象を与え、どのような結果を招くかがまるで分からなかった、未経験だった、ということです。むしろ、「告白をする」ということは「男らしい」と称讃されることであり、何も言わないままの方が卑怯だ、と思っていました。「告白」をしたら、「有り難う」と感謝されるとさえ思っていました。
 私はその相手が自分と同じく、「神経質な人だ」という感じを受けました。それでは誰かに騙されてしまう、さもなくば、いじめられっ子のまま孤立してしまうのではないか、という「思い込み」をしたのです。そのことを相手に「自覚」させなければならない、それが自分の与り知らぬ、彼女の交際相手のためにもなるのだろうとも思いました。
 つまり、それだけ「感情が態度に表れる」ような人で、いったい彼女の「表情の急変」は何を意味するのかと混乱してしまったわけです。今思えば、非常にばかばかしい疑問ですが。

 もう少し記すと、その会社は勤務状況が厳しく、社員の勤務が長続きしない会社で、当時リーダー的存在の同期社員が退職したばかりでした(新入社員同士で、勝手に飲み会などをするな、という不文律がありました。ついでに言うと「男の出す茶など、まづくて飲めない」とも)。その代わりをしないといけない、という義務感もあったのでしょう。そこで、男子社員と女子社員とで仕事を均等にするべきだ、分担すべきだという提案をし、それがみんなから受け入れられたものと「錯覚」してしまったのです。

 ある時、いきなり先輩社員のかたがたに呼び出されて、「お前が何かすると、職場環境が悪くなる、仕事だけしていろ」、「誓約書を書け」と一方的に言われました。私には、何が何やら分からず、「無関心」としか記すことができず、「何だこれは?」と。「なぜそういう苦情を直接自分に向かって口にしないのか」と疑問を投げかけたら、「お前が怖いからだよ」とか(その意味も分からなかった)。
 その時に、「ひょっとしたら、『深層心理』には振られて悔しいという思いがあるのかも知れない」ということを口にしたら、「お前、最低だな」と罵られ、そこで「嫌がらせをした」と「解釈」されたわけです(わけが分からないので、自分なりにいろいろ「想像」をしただけなのですが)。その時に言われたことをもう少し記すと、「こういう狭い環境では『火のない所でも煙を立てる』といったことが頻繁に行われる、『人の噂も七十五日』といったようなことは起きない」とも。

 ここまで記せば分かると思いますが、『恋愛論』の「コクハラ」のケースと似ているのです。そして、先輩方のしていることは、いわゆる「世間」なのだろうと。『恋愛論』P32で、りか坊さんが語っている通りなのです。

 それからも、何をやっても「マイナス」にしか見られませんでした。

 本当に、何が何だか、どうしてこういう騒ぎになり、このような反応をされるのか、まるで分からなかったです。だったら、そんな相手のことなど、「辻説法」にあるように、「誰だ、おんどりゃ」とでも言っておけば良かったのでしょうが、こういう問題から逃げてしまっては卑怯だ、とも思ったし、きょうだいにも少し相談し、アドバイスを貰ったこともあるので、それを裏切りたくはなかった、何とか普通の関係にもどしたかった、というのもありました。

 今の私は、これらのことをこう「解釈」しています。
 これは「時処位」の問題であり、この職場ではそうだったのだろう。あるいは、仕事の帰り道のような人の沢山いるところで、「当たって砕けろ」みたいなことをするのは、自分の感情を一方的に押しつけるだけで、相手にとっては迷惑なだけだろう。「よしりん辻説法」ではあんなふうに描かれているけれども、不用意な告白はNGだ。確かに周囲にも迷惑をかけたのだろう。子供だ、愚かだった、と言われても仕方のないことだ。
 相手にとっては、つきあっている恋人のほうが重要で、自分との関係などどうでも良かったし、それで良かったんだ、無理矢理関係改善などする必要もなかったのだと。
 ダメージを食らったのは、恐らく自分よりも相手のほうなのでしょう。

 自分の辯解のために言っておくと、周囲があれこれ「〇〇さんが貴方に優しい」と言ってきたわけでもあるのですが。恐らく、それでその気になってしまったわけでもあるのです。
 この話はかつてかよっていたカウンセリングの先生にも語ったのですが、「きっと廻りの人たちは貴方をからかっただけなんですよ」としか言われませんでした。その通りなのでしょう。
 人の言うことはすべてを真に受けてはならない、ということを学びました。

 さらに言えば、「みんなで同じ仕事をすれば理解が深まる」というのも時代錯誤の思想でしょう。要は、自分が他人から、家族からそう言われてきたのがそのまま社会ルールになるという思い込みです。個人はそれぞれ異なってもいるのだから、共通の定理でひとくくりにし、同じように判断しようとするのは傲慢です。

 正直に告白すると、今でもその相手の心理や、周囲の過剰な反応のことなど、完全には分かったとは言いがたいです。学生時代だったら、好きな相手がいて、思いを打ち明けないのは男らしくない、勇気がないと言われるのに、社会人になったら、周囲のことを気にしなければならなくなるのはなぜなのだろうか?
 もう、その相手にはまるで関心はないのですが、化学反応式のように、これをしたらこうなる、という結論が出せればいいのに、とも。
 私が気にしているのは、なぜ「集団」はこういう思想や常識の押しつけ、一種の「いじめ」のようなことをしてくるのか、ということです。私にしてみれば、その相手と二人で話し合って、お互いに誤解していたことが分かり、「わっはっは」とでもいった結末にしたかったのですが。
 その時のことは昔のことだ、気にしないようにしているつもりですが、それでも出てきてしまいますね。その後もいろいろな人に恋愛感情を持ったりもしていますが、その出来事がトラウマになっており、好きとか嫌いとか言えなくなっています。自業自得なのでしょうけれども。

 そういうこともあって、私は自分が自覚していないことは変に気を廻しすぎたり、謝らないようにしています。そして、そのことでこういう点で誤りがあるのではないかと指摘され、そのことを自分が理解できたら、謝罪するようにしています。それでもこういうミスをたびたびするのだけれども。
 「相手に思いを告げる」ということがこんなにも重大な結果を招くとは思わなかった、という話でした。

 話のついでに述べておくと、私は「101回目のプロポーズ」というドラマが大嫌いです。理由は、(上記の話で分かると思うのですが)自分がかつてしたことと重なってしまい、生々しく感じてしまう、自分も苦境にある女性を助けようとしたつもりだったのに、あるいは「恋を告げる」ということが個々人間の問題だけではなく、周囲をも巻き込んでしまうのだと考えると、「僕は貴方が好きだから死にません」では済まされないと感じるからです。あの話を「ファンタジー」として客観的に見ることが未だにできません。
 ちなみに、職場の先輩の一人から、「トレンディドラマを見た方がいい、そうすれば女の子の心理が分かるから」とも言われたので、そういうドラマをいっぱい見たりしたわけです。再放送で、「東京ラブストーリー」や「もう誰も愛さない」も見ましたし、「東京ラブストーリー」については原作漫画も読み、感銘を受けました。ほかにも「ヴァンサンカン・結婚」とか「徹底的に愛は…」とか、「愛さずにはいられない」とか「鳥人戦隊ジェットマン」とか(ちょっと違うか…)。わけが分からないので貧保耐三、ではない加藤諦三の本なども読みあさったりしたものです。結局結論は出なかったのですが。「本というものはみなさんに納得させるために記されているものですよ」とも言われました。
 しかし…好きとか嫌いとかいうのは一体何なのでしょうか?どこからが「好き」になるのでしょうか?『恋愛論』にあるように、「性愛」になってしまうのでしょうか?確かに自分がこんなことをしているのだから、「狂気」だろうとは思うのですが。

 以上です。よけいな物議をかますようなことを記して、すみませんでした。でもいいわけをしますが、嘘は記したくはなかったのです。
No.196
31ヶ月前
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第436号 2022.5.24発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」…新型コロナなんか罹ったって大したことのない病気だということは、もう明確にわかってしまった。だがその一方で、罹ってしまったら一大事となる病気があることもわかった。この病気の感染が広がったら、国まで丸ごと危なくなる。その病気の名は、「謝ったら死ぬ病」だ。コロナ問題でも、皇統問題でも、外交問題でも、どんなに国を危うくしようと、決して自分のしたことを直視せず、反省せず、謝罪もできない「謝ったら死ぬ病」患者、そんな奴が多すぎるのだ。なぜ彼らはそんな病気に罹ってしまったのだろうか? ※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…令和4年4月20日に行われた、第81回新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードで、ワクチン接種歴別の新規陽性者数を示したデータが発表された。そのデータを見ると、一般的には「12歳から90歳以上まで、どの年齢でも、コロナに感染すのはワクチン未接種者に多く、2回、3回と接種するごとに感染しにくくなる」というふうに解釈され「やはりワクチンは有効」という結論になるだろう。しかし、この発表されたデータそのものが、実は真っ赤なウソだったのだ!! ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!?芸能人の自殺が相次いでいるのはやはりコロナ禍が原因?2025年の大河ドラマ「光る君へ」は見る?このインフォデミックが原因で友人関係が壊れたことをどう捉えれば良い?自分が好きになった女優が生涯未婚を貫いた場合はどう思う?生命至上主義のリベラル・左翼が堕胎には肯定的なのは何故?竹田や八木らには失望しても、藤井・施らには一縷の望みを持っている理由は?前回のライジング「ゴー宣」の内容は表現規制につながりかねない主張では?…等々、よしりんの回答や如何に!? 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第464回「謝ったら死ぬ病」 2. しゃべらせてクリ!・第392回「ぽっくんVS多分田吾作、世紀のアホ対決ぶぁい!の巻【前編】」 3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第258回「厚生労働省、『ワクチン効果あり』と見せかけるデータ水増し」 4. Q&Aコーナー 5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 6. 編集後記 第464回「謝ったら死ぬ病」  新型コロナなんか罹ったって大したことのない病気だということは、もう明確にわかってしまった。  だがその一方で、罹ってしまったら一大事となる病気があることもわかった。  この病気の感染が広がったら、国まで丸ごと危なくなる。  その病気の名は、 「謝ったら死ぬ病」 だ。  たけし社長が、新たな意見広告を作成して各地方紙に展開している。  これは究極的に分かりやすい出来である。   https://www.worldofgosen.com/      この意見広告に掲載された図を見れば一目瞭然。諸外国に比べ、日本の死者数は全く微々たるものでしかなかったのだ。    しかも 新型コロナで死亡したとされる人の平均年齢は東京都発表で82.2歳であり、これは男性の平均寿命を上回る。  そして、一見70代以上の死亡者が多そうに見えるが、日本では「1年で」140万人前後が亡くなっているけれども、 新型コロナ感染死とされる人は「2年2ヶ月間の累計で」2.8万人に留まる のである。    データを見れば、日本においては新型コロナによる被害なんか出ていないに等しい。何も起こっていなかったのだということは、あまりに明白である。  ところが最初にスタートした時点で、これはパンデミックだと政府が判断し、専門家がお墨付きを与えてしまった。  感染症学者は、「ただの風邪ウイルス」の研究をしても全然注目されないが、人類の存在を脅かすウイルスが出てきたとなれば、たちまち脚光を浴びる。 そのウイルスが危険であればあるほど、世間の注目度は爆上がりとなる。  こうして、それまで地味で日陰の存在だった専門家が、ついに一世一代の出番が来たと思って舞い上がった。 そして、危機を煽れば煽るほど「時の人」になっていくものだから調子に乗って、どんどんエスカレートしていって、全国民を巻き込む大騒動にしてしまい、自分がその渦中にあって救世主にでもなったかのような快感を覚え、これに酔いまくったのである。  さあ、そこまでやっちゃったら、もう後戻りはできない。今さらこれが「ただの風邪」程度のウイルスでしたと反省するわけにはいかない。「実は日本では何も起こっていなかった」なんて、絶対に言えない。 「私が間違ってました、ごめんなさい」だなんて、死んでも言えないのである。  そんな「専門家」と共犯関係になって危機を煽りまくり、日本の社会・経済・文化に大打撃を与え、自殺者を増加させる結果を招いた 政治家も「ごめんなさい」が言えないし、官僚も言えないし、マスコミも言えない。  そこで 自分たちの失敗を糊塗するためには、ワクチンの普及によってコロナが撃退されたという「神話」をつくるしかないということになり、そのために誰でも彼でもワクチンを打て、子供にも打てという大宣伝を繰り広げるしかなくなってしまった。  ところがこのワクチンがまた大問題だった。 従来のインフルエンザワクチンでは、副反応疑いの死亡者が多くても年間4~5人程度なのに、この治験も済んでいない未知のワクチンでは、既に厚労省発表だけで1700人以上もの副反応疑いの死亡報告が上がっている。  しかし、こうなっちゃったら、もう後戻りはできない。今さらこれが 「危険なワクチンだったかもしれません、ごめんなさい」 だなんて、死んでも言えないのである。  そこで自分たちの失敗を糊塗するためには、 ワクチン接種とその後の死亡の因果関係は「不明」「評価できない」として一件も認めず、さらには死亡例の報告自体が上がって来ないようにして、事実を隠蔽するしかないわけである。  免疫学の権威といわれた大阪大学の宮坂昌之のインタビュー記事が、17日配信の「東洋経済ONLINE」に載った。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!