Dr.Uさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
第446号 2022.9.6発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…安倍晋三が殺害されて間もなく2カ月になる。世間では安倍晋三と統一協会の関係が明らかになるにつれ、追悼ムードというより、国葬反対で沸騰してしまっている。一方、世間一般の安倍に対する冷ややかな反応に比べて、「WiLL」「Hanada」の相変わらずの熱狂的な「安倍マンセー」ぶりは、まるで別世界だ。今まで「自虐史観」を批判してきたはずの自称保守派が、「自虐史観」を教義とする統一協会を擁護するのは何故なのか?そして、そもそもなぜ統一協会の教義に人々は騙されてきたのだろうか?マスコミも目を背ける不都合な真実を直視せよ!
※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…月刊「Hanada」と月刊「WiLL」の“安倍熱”がすごい。両誌とも9月号、10月号とつづけて安倍賛美と安倍擁護の特集を組み、「Hanada」のほうは、さらに『ありがとう そして サヨナラ 安倍晋三元総理』という別冊も発売。9月号では、どちらも「安倍は『反アベ』や朝日新聞に殺されたのだ!」という方向性で、左翼叩きに血道(ケツドウ)を上げていたが、10月号になると、統一協会問題があらわになり、前号での主張はすがすがしいほどキレイサッパリ吹き飛んで、今度は「統一協会、なにが悪いんじゃい!」へと大爆走である。なりふりかまわぬ統一協会擁護の裏にはどんな思惑があるのだろうか?
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…ワンオクのTakaとラルクのhyde、どっちがロック?これからも天皇制を維持して侵略国家と対峙できる?「思想信条が何であろうと市民であれば話を聞く」という米子市長の言い訳をどう見る?山上徹也に対して減刑を求める署名をどう思う?お笑い芸人・蛍原の「ホトオープン」は大丈夫なの!?公明党や創価学会が「統一協会」問題に何も言わないのは何故?先生はオウムの末端信者にも相応の責任を求めていたけど、統一協会の二世信者にも責任はある?統一協会と北朝鮮の関係はどうなっている?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第475回「なぜ統一協会の教義に嵌るのか?」
2. しゃべらせてクリ!・第402回「ぽっくん卒倒! みなしゃん運んでクリ、投げ出さんでクリ~!の巻【前編】」
3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第269回「めざすは統一協会の機関誌・迷走『Hanada』」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記
第475回「なぜ統一協会の教義に嵌るのか?」 安倍晋三が殺害されて間もなく2カ月になる。
月刊誌「WiLL」「Hanada」は先月に引き続き今月号でも、大々的に安倍の写真を表紙に配した特大追悼号を組んだ。
両誌とも表紙は同じ写真で、安倍の家族葬で飾られていた遺影を使っていて、必死に追悼ぶりを張り合っているようだ。
世間じゃ安倍晋三と統一協会の関係が明らかになるにつれ、追悼ムードというより、国葬反対で沸騰してしまっている。
安倍の国葬については、唯一賛成が反対を上回っていた読売新聞の世論調査でも、ついに逆転した(国葬実施を「評価しない」56%、「評価する」38%)。
岸田首相は国葬を決めた理由のひとつに 「安倍元首相に対する諸外国の弔意と敬意」 を挙げ、先月31日の会見でも 「諸外国から多数の参列希望が寄せられている。国として礼節をもって応える必要がある」 と言っていた。
ところが実際は、案内状の返事が8月中旬の締め切りを大幅に過ぎて9月になっても多くの国から届いておらず、外務省は困惑しているようだ。
米国のバイデン大統領、フランスのマクロン大統領、そしてドイツのメルケル前首相も参列を見送ることが決まり、中でもG7で一番長く一緒だったメルケルまで来ないことは驚きの目で見られているという。
この調子だと、「弔問外交」で安倍の権威付けを図った狙いも壮大な空振りになるのではないか。
国葬費用は2億5000万円と発表されていたが、これには警備費用が計上されていない。ある見積りでは警備費用に35億円はかかるといい、昭和天皇の大喪の礼の警備費用24億円、今上陛下の即位礼正殿の儀の際の28億5000万円を遥かに超えるのは確実だという。
この調子だと、オリンピックと同じでどこまで費用がふくらむかわかったものではない。昭和天皇の場合は葬儀と陵の造営までを含めて100億円だったそうだが、それを超えることだって起こりかねない。
左翼はあくまでも「国葬反対」でデモまでやったりしているが、安倍マンセー派は、どうせ「アベガー」の左翼が騒いでるだけと思っている。
わしとしては 「勝手に国葬していいから、暗殺の原因を徹底究明して、統一協会を排除しろ 」と言いたい。
暗殺の原因を徹底究明したら、浮上するのは安倍晋三本人だと判明するし、カルト団体が権力の中枢に入っているのは、国家の恥だとわしは主張している。これはあくまでも「保守」の追及の仕方であり、左翼と一線を画すことが出来る。
世間一般の安倍に対する冷ややかな反応に比べて、「WiLL」「Hanada」の相変わらずの熱狂的な「安倍マンセー」ぶりは、まるで別世界だ。
統一協会問題については、WiLL巻頭の櫻井よしこと門田隆将の対談で、櫻井が
「天宙平和連合 (UPF)なる統一教会の関連団体にビデオメッセ―ジを寄せただけで、「広告塔」扱いされています。」
と、安倍を擁護。
「統一教会の関連団体にビデオメッセ―ジを寄せただけで」 って!
そういうのを「広告塔」っていうんだよ!!
これに門田はさらに、UPFにはトランプ前米大統領、フランス、インド元首相らもメッセージを寄せていて、安倍だけではないと擁護。
そのギャラは日本の女性信者から収奪したカネだというのに!
ふたりとも、これで世間を論破できたつもりでいるところがすごい。櫻井は自分が統一協会系団体で講演していた関係があるから、何があっても「問題ない」ことにしなければならないのだろうが、保身のために必死で嘘をついているという様子もなく、むしろすっかりカルトの思考に染まっているようにも見える。
これが「Hanada」になるともっとすさまじくて、 「総力特集 統一教会批判は魔女狩りだ! 」というページを組み、 しかもその筆頭の記事の著者がなんと「世界日報特別取材班」だ!
いまや政治家は、過去に世界日報にインタビューが載っていただけでも「統一協会とつながりあり」と見なされて針のムシロに座らなければならないというのに、わざわざ 「世界日報特別取材班」 を、堂々と名乗らせて執筆させているのだから呆れる。
編集長の花田紀凱という人物は、どんなに人間的にモラルを欠いても商売人の嗅覚だけは鋭かったはずだが、ついにその鼻もカルトの毒にやられたらしい。
しかもそうまでして招いた世界日報による記事が言っていることが、 「世界日報は統一協会の機関紙ではない」 という、些細な問題に終始している。
前号の泉美木蘭さんの記事にあるとおり、厳密にいえば世界日報は統一協会の「機関紙」ではないが、 「統一協会系新聞」であることは間違いなく 、協会と一体であることに変わりはない。もちろん、泉美さんが前号で紹介した世界日報の闇の部分などには、一切触れてはいない。
花田は、こんなどうでもいい記事を載せることと引き換えに、 自ら月刊「Hanada」は「統一協会の友好雑誌」であると宣言したのである。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
皇位継承の問題について自分自身の考え方を整理したくて、「皇位継承問題における《女性天皇・双系継承の公認》とは?」という題名で、文章を書いてみました。
先日も、「男系」「女系」「双系」についての長い文章(御勘弁!)、このコメント欄にアップさせてもらいましたが、その後、いろいろと考えることがあっり、それまでとは少し異なるロジックでこの問題を論じてみたいと思うようになり、以下の文章を書いてみました。
願わくば、お忙しい方、興味のない方はサクッとスルーを。ちょっと読んでやるかという老婆心のある方は、修正すべき点、アドバイス等がありましたら、ご教示いただけませんでしょうか。
なお、内容に関して、私は「女系天皇の公認」という言い方は、かなりまずいと考えております。というのは、従来の皇統論においては、「男系」と「女系」の定義がかっちりとなされており、以下本文でも説明してますが、男系とは定義上「父の父の父の…というラインで皇祖にさかのぼること」であり、女系とは「母の母の母の…というラインで皇祖にさかのぼること」であるため、「女系天皇を公認せよ!」という主張をしてしまうと、どうしてもそれは「どの天皇をとりあげても、母の母の母の…というラインで皇祖にさかのぼれるようなシステムを構築せよ!」という主張になってしまうのです。でも、そうじゃないですよね。私たちが求めているのは。
私たちが求めているのは、以下の文章の中でも説明していますが、「父方だろうと母方だろうと、とにかく皇室の御先祖様と血が繋がってさえいれば、男でも女でも天皇になれるシステム」ですよね。ならば、求めるべきはやはり「女系天皇の公認」ではなくて、正しい言葉使いでは「双系による皇位継承のシステム」でなければなりません。
うーん、しちめんどうくさいこと、私、言ってますか? でも、これはきっちりしておかないと、ダメだと思うんですよ、そうじゃないと議論の時にかならずここで泥沼にはまると思う。
まぁ、前置きはこれくらいにして、それでは…
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皇位継承問題における《女性天皇・双系継承の公認》とは?
これまで皇室典範では、皇位継承者は、男系で皇祖(神武天皇)と血が繋がった男性でなければならない、とされてきました。
皇位継承問題における《女性天皇・双系継承の公認》とは、今後は皇位継承者は、双系で皇祖と血が繋がっていれば、男性でも女性でもよい、というふうにルールを変えることを意味します。
端的に言えば、現行のルールでは、愛子さまは天皇になれないし、愛子さまの(将来の)お子様も天皇になれません。そのいずれもが可能になるには、皇室典範を改正する必要があるのです。
《男系と女系と双系の定義》
男系とは、皇位継承の候補者から見て、家系図を自分の《父の父の父の父の…》といった形で、男性だけを遡っていく血筋のことを指します。
女系とは、皇位継承の候補者から見て、家系図を自分の《母の母の母の母の…》といった形で、女性だけを遡っていく血筋のことを指します。
双系とは、皇位継承の候補者から見て、家系図を自分の《母の父の父の母の…》とか、自分の《父の母の父の父の…》とかのように、男性と女性が組み合わされて双方で遡っていく血筋のことを指します。
具体的に言えば、例えば、悠仁さまにいつかお子様(Aちゃん/性別は問わない)が生まれたとします。このAちゃんは、現行のルールでは、男系で皇祖と血が繋がっているので、皇位継承者になれます。図にするとこのようになります。
Aちゃん → 父(悠仁さま) → 祖父(秋篠宮様)→ 曾祖父(上皇様)→ 昭和天皇 ⇒⇒⇒ 皇祖
一方、愛子さまにいつかお子様(Bちゃん/性別は問わない)が生まれたとします。そして、愛子さまの夫が一般人(非皇族)であったとします。このときBちゃんは、男系の血筋では皇祖とは血が繋がっていません。なぜなら、Bちゃんの父は皇族ではないからです。
Bちゃんは、母(愛子さま)を経由して、はじめて皇祖と繋がることができます。図にするとこのようになります。
Bちゃん → 母(愛子さま)→ 祖父(天皇陛下)→ 曾祖父(上皇様)→ 昭和天皇 ⇒⇒⇒ 皇祖
これは先ほどの男系、女系、双系という考え方でいけば、Bちゃんは双系の血筋で皇祖と血が繋がっているということになります。
双系継承の公認を支持する人々は、皇位継承者は双系でも可となるようにルールを変更することで、愛子さまのお子様、さらには佳子さまのお子様(Cちゃん)も、次の天皇になれるようにすることを提案しています。
現行のルールでは、悠仁さまのお子様しか天皇になれません。しかし、愛子さまや佳子さまのお子様も天皇になれるようにすれば、将来の皇室の存続はより安泰なものになるのです。
《双系継承の公認に対する批判》
これまでの男系による皇位継承のルールを変えることを、強く拒絶する人々(ここでは彼らを男系固執派と呼ぶ)が、少数ながら存在します。彼らは、双系公認の案に対して様々な批判をしています。中でも次のような批判は、最も典型的なものの一つと言えます。
「父方をさかのぼれば皇祖(神武天皇)につながる血筋を『皇統』と言うが、双系で天皇が即位したら『皇統』が途絶えてしまう」
これが言おうとしているのは、もし愛子さまのお子様が成人して天皇になるようなことがあれば、その方は男系の血筋による皇祖との繋がりが切れるので、これまで126代も続いた『皇統』が途絶えてしまう(だからそれは良くないことだ)、ということです。
この批判にはトリックがあります。上の文章の前半を見てください。そこでは「父方をさかのぼれば皇祖(神武天皇)につながる血筋を『皇統』と言う」という一文によって、そもそも『皇統』とは男系の血筋のことを意味するのだという《定義》が、あらかじめなされているのです。
しかしながら、双系継承公認派の主張は、この従来の「皇統=男系」という定義自体を変えるべきである、ということなのです。その新しい定義では、「皇統=双系」ということになります。この定義に従えば、先の批判は、次のように言い換えることができるようになります。以下、両方の文章を見比べてみてください。
古い定義のもの:
「父方をさかのぼれば皇祖(神武天皇)につながる血筋を『皇統』と言うが、双系で天皇が即位したら『皇統』が途絶えてしまう」
新しい定義のもの:
「父方であれ母方であれそれをさかのぼれば皇祖(神武天皇)につながる血筋を『皇統』と言い、双系で天皇が即位しても『皇統』が途絶えることはない」
このように『皇統』を新しく定義しなおすことで、愛子さまのお子様(Bちゃん)や、佳子さまのお子様(Cちゃん)が天皇に即位したとしても、『皇統』は後世に脈々と引き継がれるということになります。
しかしながら、これで男系固執派が黙って引き下がるわけではありません。彼らは、皇位の男系継承は二千年以上続いてきたことであるがゆえに、簡単には変えるべきではないと批判します。これに関して、男系固執派の竹田恒泰氏は、次のような比喩を用いています。
「現存する世界最古の木造建築である法隆寺は、その学問的価値の内容にかかわらず、最古故にこれを簡単に立て替えてはいけない。同様に、天皇は男系により継承されてきた世界最古の血統であり、これを断絶させることはできない」
これはつまり、長く続いてきたものは、合理的な理由があろうがなかろうが、変更を加えるべきではないということです。確かに法隆寺を解体して鉄筋コンクリートに建て替えるようなことは、安易にやるべきではないでしょう。しかし、同じことは、天皇の皇位の継承の形式についても言えるのでしょうか。
天皇と皇室というものは、特定の形を持った社会的存在です。そしてそれは長い歴史の中で、状況の変化に対応して何度も大きな変化を遂げてきました。例えば、現在でこそ天皇は「男系の男子」しかなれないことになっていますが、古墳時代や飛鳥時代には、女性が王として君臨する例は少なくありませんでしたし、大和朝廷が成立してからも奈良時代くらいまでは女帝が即位することは珍しくありませんでした。やがて、平安時代以降は女帝の即位は非常に少なくなっていき、古代中国の文化の影響により、男性の政治的権限が強くなっていきます。
他にも、天皇は様々な変化を被ってきました。大きなところでは、何といっても仏教の受容があります。聖武天皇は奈良の大仏を作りましたが、考えてもみてください。天照大神をはじめとする日本古来の神々の末裔であり、その神々の祭祀を自らの任務とする天皇が、インドに起源を持つ外来宗教の信者になってしまったのですよ。
さらに12世紀の鎌倉幕府の成立があります。これにより天皇はそれまで保持していた政治的・経済的な力を大きく失い、専ら宗教的な権威として存続していくことになります。
そして大きな変化と言えば、何といっても明治維新と近代化です。明治維新に伴い、天皇は「千年の都」と言われた京都を離れて、東国の江戸に本拠地を移したのです。日本の伝統において、京都とその周辺は神代にも遡る聖なる土地であり、天皇と京都は不離一体のものであったはずです。しかし、京都の保守派の人々の反対を押し切って、東京への遷都は強行されたのでした。
ちょっと考えてみてほしいのですが、今後、カトリックが総本山をバチカンから別のところに移したり、イスラム教の巡礼地がメッカから別の都市に変更されるなどということがあり得るでしょうか。そう考えると、天皇が京都からお移りになったことの重大性が、よく理解されるのではないかと思います。
そして近代化の進行とともに、天皇は新たに近代的国家における立憲的君主のごとき存在として、新たなる政治的・社会的な役割を有するようになりました。また、衣・食・住にわたって西洋風のものが皇室に導入されていきました。それから20世紀になり、太平洋戦争が終結すると、天皇はふたたび政治的な領域から距離をとり、日本国の象徴として存在することになりました。
以上に見て来たように、天皇と皇室はこれまでの歴史の中で、かなり大きな変革を経験してきたのです。それは考えようによっては、法隆寺がコンクリート建築として再建されるようなこと以上の、劇的な変化であったとは言えないでしょうか。そして重要なことは、そのように時代の変化に応じて大きな変化を被ったにもかかわらず、天皇と皇室は依然として、日本国民の心のよりどころとして現在も存在し続けているということです。
さて、それでは男系固執派が主張するような、天皇の男系継承はそれが古くから続くものであるがゆえに変えてはいけないという考えは、果たして正当なものと言えるでしょうか。もちろん正当とは言えません。
今や皇室は皇位継承者の数の少なさのために存続の危機に立たされています。そうであれば、愛子さまや佳子さま、そしてその将来のお子様たちが皇位継承者になれるようにルールを改正することは、時代の要請であるといってよいでしょう。さらに、この数十年で、世界でも日本でも女性が社会の重要なシーンでこれまで以上に活躍することが、切に求められる時代になりました。その意味でも、現在の《男性天皇/男系継承》をやめて、《男性・女性天皇/双系継承》が可能になるように、今すぐに皇室典範の改正に着手しなければならないのです。
おしまい
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