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サトルさん のコメント

倉山 皇室論 特別編(その37でもある)


「平成二十八年八月八日玉音放送 象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」

倉山
『本文では、「ビデオメッセージ」と書いたが、天皇陛下が自らの声を放送に載せ重大事を国民に訴えられたのであるから、本来ならば「玉音放送」と呼ぶべきである。』

「また宮内庁ホームページの件名より文書名を付した。」


『そして以下の原文に基づいて、……』

『高齢でも国民との絆の為に尽くす気であるけれども、どのようなあり方がよいかを皆で考えて欲しい』と要約した。

…………

戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。

私も80を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。


本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。
伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室がいかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。


そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになったことから、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。
既に80を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。


私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。
私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切に考えて来ました。

天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。

こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。
皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、

『天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。』


天皇の高齢化にともなう対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。
また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。
しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。


天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2か月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。
その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。
こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。


『始めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話いたしました。』


『国民の理解を得られることを、切に願っています。』


倉山よ……。もう「国語力」の問題ではないぞ?
お前も「わかっている」ハズだ。
最後に、丁寧に「陛下御自身がまとめられている。」

以上で「第三章」おわり。

「それでもなお」、倉山は「第四章」から「おわりに」まで、更に……。

つづく。

No.149
12ヶ月前
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第466号 2023.4.18発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」…男系固執派にとっては真実なんかどうだっていいのだ。真実だろうが虚偽だろうが関係なく、マウントさえ取れればいいのだ。本当はそれだけが目的で、皇位の安定的継承なんか、別に望んでもいないのだ。だが、男系派の唯一のプランである旧宮家系国民男子の皇籍取得は絶対に実現不可能である。そして、旧宮家案を推して皇統を危機に晒した主犯・竹田恒泰が、日本史上最大最悪の「宮さま詐欺師」として記憶されることになるのは、もう確実である。今の若い人の中には、「宮さま詐欺」といってもピンとこない人もいるだろうから、ここで説明しておこう。 ※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…夫が4億2000万円の業務上横領の疑いで東京地検特捜部に逮捕された三浦瑠麗氏の独白が、このたび『文藝春秋』2023年5月号に掲載されていた。独白はいきなりノロケから入り、いかに夫が私にやさしい人なのか、夫婦でつらいことを乗り越えてきたのかという「夫婦ポエム」で話は押し切られていく。結局、事件については何一つ説明しておらず、ふてぶてしさと腹黒さだけが後味として残り、三浦瑠麗という人間の卑怯さがよくわかるものだった。バカバカしすぎて爆笑した部分が多かった独白、少し紹介しよう。 ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…飲食店独自の決まりはアリ?ナシ?よしりん企画に押し寄せるデジタル化の影響、抵抗感はなかった?ガーシーのことだけ批判するマスコミをどう思う?『大東亜論』の再開は叶わぬ望み?岸田首相の襲撃事件と安倍元首相の襲撃事件はどこが違う?ウクライナの兵士たちの間で精子の冷凍保存が流行っているのをどう思う?『謝ったら死ぬ病』というのは結局「プライドを傷つけた相手に負けを認めたくないから損害を与えてやれ」という事?…等々、よしりんの回答や如何に!? 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第495回「戦後最大の宮さま詐欺」 2. しゃべらせてクリ!・第422回「選挙戦2023! ぽっくんにまかせてクリたらすごいぶぁい!の巻【前編】」 3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第289回「三浦瑠麗の独白120分を読んでみた」 4. Q&Aコーナー 5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 6. 編集後記 第495回「戦後最大の宮さま詐欺」 「論破祭り」の快進撃は、もう止まらない。  もはや男系固執派の論客は誰もが精神的に追い詰められつつあり、その様子もまた手に取るようにわかるから、面白くてたまらない。  なぜ「論破祭り」がそこまで効果的なのかというと、それは参加する全員がひとりひとり、自分の言葉で書いているからだ。  男系固執派など自称保守派の者たちもSNSで意見を発信しているが、必ずみんな判で押したような、何かのお手本をコピペした文章になっているから、いくら頭数だけ多くても全然効果を感じない。  しかし論破祭りでは、ひとりひとりが違っているから、全くリアルな人間の数とその意思を感じる。  そこが決定的な違いで、これが批判される側にとっては相当のプレッシャーになる。倉山満などもかなり嫌がっていて、ダメージを受けている様子が丸見えだ。  今まで男系派が言いたい放題できたのは、単に双系派がおとなしくしていたためで、ただ図に乗ってどんどんのさばっていただけだった。  そこでいざ双系派の公論戦士が沈黙を破ったら、男系派はたちまち何も意味のあることが言えなくなってしまったのだ。  いまや男系派は反論にもならないことを叫びまくって防戦に努めるか、あるいは沈黙するしかなくなっている。  同じ土俵に上がってみたら論破祭りの公論戦士の方がはるかに強く、人数も多くて、周りからもそれが良識だと見えているのだ。  これはいわば 「良識のデモ」 のようなものだ。  従来の街中でのデモは、シュプレヒコールで全員ひとつの言葉しか言えないから、たとえ多彩な人々が集まっていたとしても、単色のひとかたまりの集団にしか見えないところが弱点だった。   しかし幸いにもツイッターでは、ひとりひとりの意見を見ることができる。 これだと全体としての統一感がありながらも、それを主張する言葉のニュアンスがそれぞれ違い、ひとりひとりの異なる個性や切り口が見える。これは大きな利点であり、通常のデモよりも効果を上げられるのではないか。  そしてこれが実際に非常に効果的であるからこそ、男系派は論破祭りをものすごく嫌がっているのだ。  これはあくまでも議論なのだから、嫌なら片っ端から論破し返せばいいだけのことだ。そもそも、ロジック自体にはそんなに種類があるわけではないのだから、いくら相手の人数が多くても、ひとつ完璧な論理で反論することができれば、かなりの人数をまとめて倒すことができるはずなのだ。   ところが、男系派にはそれが全くできない。たったひとりの人間すら返り討ちにできないのだから、そんな相手がさらに何十人、何百人といると思ったら、それはもう怖くて怖くてたまらないだろう。  そんなわけで男系派の論客は、ゴー宣道場とか、ちぇぶとか、わしとかがとにかく嫌で、恐怖にかられて常軌を逸した精神状態になっており、騒げば騒ぐほどバカをさらすしかなく、またそれを大勢に指摘されるものだから、さらに逆上して、もっとバカなことを言い出すという悪循環に完全に嵌っている。  そんなバカのループ、バカの無間地獄に陥っている男系固執派に比べれば、雑誌「表現者クライテリオン」はまだ若干は頭がよかったようで、すっかり沈黙してしまった。  クライテリオンは昨年3月号で「皇室論」の特集を組み、そこでなんと、この期に及んで男系固執派への新規参入を表明した。  そこでわしは同誌編集長の藤井聡と、執筆者の九大教授・施光恒を招いて「よしりん十番勝負」で1対2のハンディキャップマッチを行ったのだが、結果は藤井・施のあまりのレベルの低さに、観客全員があきれ返って終わりとなってしまった。  するとその後、「『皇室論』を国民的に加速せよ!」と主張していたはずのクライテリオンは、皇室のコの字も語らなくなった。  わしは、武士の情けで深追いはしない。ヤバいと気づいた男系派がみんなこっそり逃亡してくれれば道は開けるのだから、ここは逃亡も認めてやらなければ仕方がないというものだ。   ただしこの場合、言論人として一番立派な態度は、自分の言論を総括して転向を表明することであると、それだけは教えておいてあげよう。  クライテリオンは、この分野に触ったら危ないから傷が浅いうちに撤退して、他のジャンルの言論に移行しようという判断がまだ可能だったわけだ。  わしとしては、皇統という重大問題であんなに幼稚で杜撰な言論を平気で繰り出した人物が、他の何を論じたところでもうとても信用なんかできないのだが、少なくともクライテリオンは、わざわざ皇統問題で勝負をかけなくてもいいと思っているから黙って静観することができるのだろう。  しかし他の自称保守知識人は、そうはいかない。 皇統問題の議論における勝敗が言論人としての生命にも、自らのアイデンティティそのものにも直結していて、これがまさに文字通りの「死活問題」なのだ。それは必死になるわけである。  
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!