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希蝶さん のコメント

 自分で声をあげてしまったので、昨日の「あさイチ」のことを記します(仕事とか、少し疲れていたので…遅くなってすみませんでした)、
 昨日のあさイチでは、男性の性被害という特集をやっていて、年上の男性や女性に、経圧的な態度で、「エッチな本をみたお前がいけない」・「祕密にしてよね」みたいな感じで、一方的な性体験をさせられ、そのことがトラウマになった、というような話がやっていまして…(reinyanさん、少しだけ解説して下さり、ありがとうございます。そんなことがあったんですか…)。

 私に言わせれば、それは要は「虐め」ではないか、と思います。何でも男性からの性暴力は「同性愛でない場合もある」という解説もあったりして、相談をしても相手が理解をしてくれないといったようなコメントも。確かに「ふざけ」と「いじめ」の境界線は微妙なんでしょうね。

 とはいえ、権力や威圧感をもって誰かを服従させるというのは「虐め」や「暴力」であり、ジャニーズの場合は、「就職の試用期間」みたいなものであって、それをクリアしないとスターになれないということで、確かに立場を笠に着て、何ですが、そこから出世できぬのは本人の能力であり、「いじめ」の問題ですらもないと思います。

 こういう話で思い返すのは、「地獄少女」というアニメがあったのですけれども…第三期の中頃に、現在のアイドル歌手の同期で、いじめを受けて歌手をやめて、そのアイドル歌手を地獄送りにする、とかいう話があったように覚えているのですが…、アイドル歌手側は「その時のことはあやまる」ともいい、罪の意識があったのか、コンサート中に声がつまってしまうという場面があって(その直後に地獄に流されるのですが)、彼女が消えてしまっても、いつか帰ってくるとコンサート会場にはファンが連日並んでいるという場面で終わったような…そんな話がありました。
 確かにその歌手の(無名時代の)虐めもよくないけれども、でもその中から這い上がり、スターになろうとしている人間の将来を(本人の謝罪もあったのに)消してしまうことがいいことなのか、そして、ファンにとっても、とか思うんです。
 ジャニーズ問題だって、こういうことと同列に考えないといけないのでは、と。

 あと、番組ではカウンセリングのことを強調してくれていましたが…自分の過去体験もこの場でかなり語りましたが…カウンセリングって、機能が限られていると思います。
 「万能ではない」とか言われたりもするのだから。

 個人的に、嫌なこともかなりありましたが(この場でも語ってしまったことをお詫びしますが)、そのトラウマを解決するのはとどのつまりは自分でしかないのでは、と、番組を見ていて、改めて思いました。確かに「トラウマ」になる場合もあるだろうけれども。誰かが自分にとって、必ずしも適応した反応や返事をかえしてくれるとは限らない。「問答無用」という場合も確実にある。「お前なんかになぜそんなことを言わなければならないんだよ」みたいに。誰しもその人の「立場」や「世界觀」にとらわれてしまう。

 マルクス・アウレリウスをまた引き合いに出すけれども、「人生は相撲の張り手のようで、予期せぬ相手の対応に対して、その対策を立てないといけない」のだとか。多分、そうなのでしょう。それだって、マルクス・アウレリウスさんの感覚でしかない。

 そんなことを感じました…。長文で失礼しました。
No.136
9ヶ月前
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第487号 2023.11.28発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」… 「偏見はいけない」という言葉は、当たり前の道徳のように使われる。「差別や偏見をなくそう」というように、偏見は「差別」とセットで使われることも多い。「私の独断と偏見ですが」といえば、あえて一般性を無視して、自分の好みだけで話すけれども勘弁してねというエクスキューズになる。しかし、「偏見」とはそんなに悪いことなのだろうか? ※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…支持者集めに貢献した党の象徴的メンバー5人のうち、3人が離反し、それぞれがネット上で不満をばらまいているという修羅場の参政党。今月22日、参政党は報道陣を集め、長々と武田邦彦との内紛について説明する記者会見を開き、百田尚樹の生放送に出演して党批判を展開したことを「レッドラインを超えている」と神妙な面持ちで批判。記者会見後には、さらに一連の経緯を説明する参政党の公式動画が発表された。なんと現代表・神谷によると、これらの出来事は百田尚樹の参政党大規模分断工作によるものだと言う!「日本保守党ディープステート説」、ここに誕生である! ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…AIを利用して故人の作品の続編を制作するのってアリなの?整備新幹線計画、とりわけ中央リニア新幹線の建設をどう思う?相手に罵倒されて怒りを抑えられないような場合は、どのように我慢している?スポーツ業界等で他人に金銭的支援を呼びかけることをどう思う?インドで放送予定のアニメ「おぼっちゃまくん」新作が日本に逆輸入される可能性はある?御坊家は江戸時代、やはり武士として参勤交代などやっていたの?映画『ゴジラ-1.0』のどこが特に気に入った?印象に残ってる水木しげる作品は?…等々、よしりんの回答や如何に!? 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第516回「偏見は大事である」 2. しゃべらせてクリ!・第443回「おちぶれてすまん!弟連れ狼が行くぶぁい!の巻【後編】」 3. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第310回「日本保守党=ディープステート説、誕生か」 4. Q&Aコーナー 5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 6. 編集後記 第516回「偏見は大事である」 「偏見はいけない」 という言葉は、当たり前の道徳のように使われる。 「差別や偏見をなくそう」というように、偏見は「差別」とセットで使われることも多い。 「私の独断と偏見ですが」といえば、あえて一般性を無視して、自分の好みだけで話すけれども勘弁してねというエクスキューズになる。  しかし、 「偏見」 とはそんなに悪いことなのだろうか?  前回、草津町長の冤罪事件について論じたが、その中でわしは、この件に最初から違和感を持った理由として、 「被害を訴えている女が、ものすごいブス」 で 「町長が大変なリスクを冒してまで関係を迫るような女とは、とても思えなかった」 からだと書いた。  そして、「もちろん、これは偏見である」とした上で、 「偏見だって、重要な判断材料なのである」 とした。  実際に、ここまではっきりした答えが出て、「偏見をなくそう」と言うリベラルどもの方が全員間違っていたことが明白になった以上、これを否定することなどできないはずだ。  そもそも、思想的にも「偏見」とは本来、マイナスだけの概念として捉えられていたものではないのである。  18世紀イギリスの政治家、政治哲学者で「保守思想の父」といわれる エドマンド・バーク にとって、 偏見は「伝統」とさほど変わらないものだった。  バークはフランス革命に反対して『フランス革命の省察』を書き、その中で 「偏見」とは自然な感情であり、大切にすべきものである と説いた。   英語で「偏見」は 「prejudice」 で、 あらかじめ(pre)の判断(judice) という意味である。  最近の訳書では「偏見」の語のマイナスイメージを避けて「先入観」と訳しているものもあるが、やはりこれは「偏見」の方が適していると思う。   偏見(prejudice)とは、伝統や慣習といった先人の知恵によって「あらかじめなされた判断」をいうのである。  バークがこの本を書いた時代においても、偏見とは払拭すべきものであるというのが進歩的な知識人の考え方だとされていた。  そんな中でバークは、 「私はこの啓蒙の時代に、あえて次のように告白するほど不遜な人間だ」 と自虐的な前置きをした上で、こう述べている。 「私たちは一般に、教育を度外視した感情で動く人間で、自分たちの古くからの偏見を丸ごと投げ捨てるどころか、それを心から大切にする。さらに恥ずかしいことに、まさに偏見であるからこそ大切にする。それもその偏見が長続きしたものであればあるほど、世に広まったものであればあるほど、いとおしむ」 「恥ずかしいこと」と言いながら、堂々と「自分は偏見を大切にする」と宣言したのだ。  さらにバークは 「人が自分の理性だけを頼りに暮らし、それで取引するようなことを恐れている」 という。  なぜかというと、 「各人のなかにある理性の蓄えなどそう多いものではないから」 だという。人間ひとりが自分の理性から得ている知恵の量などたかが知れており、それだけで物事を判断するのは危険だというのだ。  そしてバークは、 「様々な国民と様々な時代を通じて蓄積されてきた共同銀行と共同資本を利用する方がいい」 と言う。ここでいう「共同銀行と共同資本」というのが、多くの先人たちが積み重ねてきた伝統であり、常識であり、偏見であるわけだ。  バークは、イギリスの思想家の多くは 「こうした一般的な偏見を否定せず、偏見の中に生きている潜在的な叡智を掘り出すために知恵を巡らせる」 という。  そして重要なのは、偏見の中から「潜在的な叡智」を発見することに成功した場合でも、 「偏見の衣を捨てて、その中の裸の理性だけを取り出したりはしない」 ということだ。  バークによれば、イギリスの思想家は 「内側に理性を含ませながら偏見を維持する方が望ましいと考える。というのも、理性を含む偏見は理性に行動を起こさせる動機になるし、そこに含まれている愛情によって永続するものになるから」 だという。  例えば、わしは「裸の理性」では薬害エイズ運動の支援はしなかった。 「自分の読者である子供は守らなければならない」 という 「理性を含む偏見」 こそが行動を起こす動機になったのだし 、 その偏見の中に含まれた「情」がある限りにおいて、運動を続けた わけである。  そしてバークはこうも言う。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!