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希蝶さん のコメント

 遅くなりましたが…今号の方の感想です。

 先日のコメントで、「マクロス」のことを述べましたが、その内容は…。

 戦艦マクロスの艦内に「避難民のための街」がつくられ、そこでの「生活」が始まり、そしてアイドルが生まれたり、映画が制作されたりして、やがて、艦内探索のために「小型化」して潜入した(戦争したしらぬ)巨人兵ゼントラーディー軍のスパイの中にも亡命者が生まれ、最終的には、アイドル、リン・ミンメイの「歌」によって、ほかのセントラーディー軍が混乱し、厭戦気分になり、戦争が終わってゆく…というような中身で…。

 正直、リアルタイムで見ていた私は、地球人の口づけで「プロトカルチャー」とか叫ぶゼントラーディー人たちの姿を滑稽で、漫才のようなものとしかとらえていませんでしたが…。

 文化とは、案外そういうものかも知れない、日常の何気ない「生活習慣」が積もり積もって、継続して行くことによって、歴史の中で「文化」として「承認」されるのかな、と。

 そういうことを訴えた作品としては、「マクロス」は革新的だったのかな、作中で(日本でいうところの、いわゆる)「メイン」と「サブ」カルチャーの描写をして見せた、というところが凄いのかな、と(今になって)思います。作品評価は…先に述べた感じですが。

 ヨーロッパ人や、彼らが文化を伝えたところ(新大陸など)では、メインとなる思想が「キリスト教」(あるいはギリシャ哲学など)だから、メインカルチャーとなるわけで、ユダヤ教やイスラムは「似て非なるもの」なので、「サブ」となる。シェークスピアも「ヴェニスの商人」で金貸しシャイロックを悪役にしか描写しなかった。しかし、その存在は、無視はしてはいない。

 一方、日本の場合は、八百万の神々なので、どれが主流でどれが副なのかという考えはあまり生まれず、「御霊」思想もあったりして(キリスト教徒など、海外では敗者の文化は棄却されるのとは対照的に)、「神仏混淆」のような感じにしかならなかった。あえていえば、「穢れ」による「部落民」差別、とか。

 だから、サブとかメインとかいう考えにしても、「日本教」と呼ばれるような発想で、(内外を問わず)歴史的に伝統のありそうなものを「主流」にし、比較的新しいものを「サブ」というふうにしか考えなかった。

 しかし、それだって、歴史の積み重ねで「下剋上」のようなこともあり得るのでは、と言えるのかな、と、そんな感じです。

 しかし、そういう日本人は同時に「長いものには巻かれろ」というような思想もあり、古くは中国文化、戦国時代や近代以降は欧米文化を尊ぶようになり、そちらも「歴史的に伝統のあるものとして」見習うようになってしまった。すなわち、実験とか観察が絶対とか、輸入文化がスタンダードのように感じてしまった。そこに問題点があるのだとも感じました。

 ひょっとすると、ゼントラーディーの姿とはキリスト教徒のような一神教徒の姿なのかも知れないです。

 ゴーさんの寄稿について。

 私は単純に、日本人の集団主義というと、海外旅行でツアーで集団で行動し、みやげを香場合でも同様である姿などを思い浮かべますが、「実験」でそういう「情況」を再現できるのかな、とか思いました。

 コロナに対する判断でも…同じですね。データに基づいて判断せよ、インフルエンザと比べなさい、とか言っても…「専門」のお医者さんですら、「陰謀論だね」とか「コロナの方が死者数が多いよ」と…今でもですから。
 コロナ君マスクについては、「宗教でしょ?」とも。違うと説明しましたが…。「意見の押しつけはよくないよ」…といって、ひとのいうことを聞こうとはしない。「あの時は何も分からなかったんだから、仕方がないんじゃないの」(ほかのかたのしゃべくりの内容ではないですが)
 こういうところも、日本人の「神仏混淆」「神仏習合」・「和」の思想なんぢゃないかと思いますが。
 あるいはその「実験」の場合も、「特別なことをしている」という意識は(被験者の中にも)あるので、通常とは違う反応をしてしまった、ということもあるのでは、という気もします。
 「実験」はあくまでも、特定な、限られた情況で、そういう反応になるかも知れない、というものだ程度に判断しておいた方が良いのでは…それをすることで、「定理」、「不変の法則」を導くことも大事だけれども、結果による「先入観」におちいってはならないのでは、というのが私の意見です。
No.88
9ヶ月前
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第493号 2024.1.30発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」…今年に入ってから、日本は「サブカルしか勝たん!」ということを書いている。では、なぜ日本のサブカルは強いのか?それは、日本のサブカルは日本にしかないからである。実は、日本の「サブカル」は、欧米の「sub culture」とは全くの別物なのだ。欧米の「sub culture」と、日本の「サブカル」とでは、その成り立ちも性質も全然違うのだが、なぜかそれをきちんと解説したものがほとんど見当たらない。そこで、今回はこの点をはっきりさせておきたい。 ※茅根豪氏の特別寄稿…『日本の死角』(講談社学術新書、2023年)が売れているらしい。Amazonでは175個も評価がついている。この本のトップに収録されている論考「日本人は集団主義という幻想」が特に気になったので、同論考の元になる本を読んでみた。その本は『日本人論の危険なあやまち』(ディスカヴァー携書、2019年)である。果たして、日本人は本当に集団主義的ではないのだろうか? ※泉美木蘭の「トンデモ見聞録」…「福岡県民パンプアップ」と「福岡以外の人も『そうだったのか』と思える」を両立した動画「福岡どうでしょう」を作ろうと決めた。今回は福岡空港の話である。福岡空港は1945年5月に「席田飛行場」として完成するが、8月の敗戦で米軍に接収されて「米軍板付基地」となった。朝鮮戦争やベトナム戦争時にはここから戦闘機がバンバン飛んでいたのだ。1971年には当時のニクソン大統領の軍縮政策と、福岡の市民運動とが相まって基地の返還が決定。翌72年3月には板付基地は日本に返還され「福岡空港」となった。しかし実はこの返還運動は現在も続いているという!水面下で遂行されている米国の作戦と、福岡空港が抱える矛盾とは? ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」…「鬼太郎誕生・ゲゲゲの謎」の見方、これは邪道?先生の溢れるエネルギーはどこで培われたもの?「ジャンプ連載経験者でコロコロをぬるま湯と称した漫画家」が小林よしのりだという噂は本当?ソロモン諸島、ナウルと太平洋諸国が、台湾と断交し中国と国交を樹立していることに対して、これを阻止する手段をアメリカや日本は考えているの?死の間際に名乗り出て亡くなった桐島聡の人生とはなんだったのでしょうか?…等々、よしりんの回答や如何に!? 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第522回「日本のサブカルが強い理由」 2. 特別寄稿・茅根豪「日本人は本当に集団主義的ではないのか?」 3. しゃべらせてクリ!・第449回「命短し恋せよぽっくん! ブランコでむせび泣きぶぁい!の巻【前編】」 4. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第316回「福岡空港と米軍基地の矛盾」 5. Q&Aコーナー 6. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 7. 編集後記 第522回「日本のサブカルが強い理由」  今年に入ってから、日本は「サブカルしか勝たん!」ということを書いている。  では、なぜ日本のサブカルは強いのか?  それは、日本のサブカルは日本にしかないからである。   実は、日本の「サブカル」は、欧米の「sub culture」とは全くの別物なのだ。  欧米の「sub culture」と、日本の「サブカル」とでは、その成り立ちも性質も全然違うのだが、なぜかそれをきちんと解説したものがほとんど見当たらない。そこで、今回はこの点をはっきりさせておきたい。  まず、その前に予備知識として「カルチャー」の分類をしておく。  カルチャーは、大きく4つに分類される。  これまで述べた 「メインカルチャー」 と 「サブカルチャー」 に、 「ハイカルチャー」 と 「カウンターカルチャー」 を加えた4つである。  前回ざっくり定義したように、「メインカルチャー」とは世の中の大多数が認めている文化、「サブカルチャー」とは、世間の一部しか認めておらず、世の多数派、良識派からは白眼視されている文化をいう。  だが、この「メイン」「サブ」の定義は日本独自のもので、それが今回のポイントとなる。  一方 「ハイカルチャー」とは、一言でいえば「高尚な文化」 のことだ。高い芸術性や完成度を持つとされ、社会的に高い評価を受け、 教養ある上流階級が愛好してきた文化を指す。 狭義においては「文化」といえばハイカルチャーのみを意味する場合もある。  そして 「カウンターカルチャー」は、位置づけとしては「サブカルチャー」の一部だが、サブカルチャーの中でも特に反骨精神が強いものをいう。 その価値観や行動規範は一般の慣習から大きく逸脱し、しばしば反社会的なところまで先鋭化することがある。  ではここから「サブカルチャー」に焦点を当て、その成り立ちを見てみよう。  そもそも サブカルチャーというものが最初に成立したのは、1960年代半ばのアメリカ である。  50年代までのアメリカでは、若者文化としてロックンロールが登場し、世の大人が眉を顰めるようなことはあったが、それは「サブカルチャー」というムーブメントにまでは至らなかった。  戦後、アメリカは「黄金の50年代」と呼ばれる絶頂期を迎えた。第二次世界大戦に勝利して世界一の超大国となり、バラ色の時代を謳歌する風潮に満ちていたのだ。  わかりやすい例でいえば、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で描かれた古き良き時代が「黄金の50年代」のアメリカである。   わしの子供の頃は、テレビで『奥さまは魔女』や『名犬ラッシー』などアメリカのドラマを数多く放送していたが、これらも「黄金の50年代」を舞台として、当時のアメリカ文化を描き出したドラマである。  そこには、家庭には頼りがいのあるパパと優しい専業主婦のママ、そして子供たちがいて、生活は豊かで、明るく希望のある世界が描かれており、それを見て敗戦国・日本の国民は大いにアメリカへのあこがれを抱いたものである。  だが、当時のテレビドラマには決して描かれなかったが、 その頃のアメリカでは、バスやレストランなどに「黒人専用席」が設けられるような差別が公然と行われていた。  差別解消を求める公民権運動は50年代半ば以降、マーティン・ルーサー・キング牧師らによって本格化していくが、特に南部ではこの動きに対する抵抗が強く、差別解消を訴えるのには命の危険が伴った。  公民権運動は1963年、キング牧師の呼びかけに応じて20万人が参加した「ワシントン大行進」で最高潮に達した。  この時にキング牧師が行った「I Have a Dream」の歴史的な演説は、アメリカ国内の黒人差別解消運動のみならず、当時まだイギリスやフランス、オランダなど白人諸国の植民地統治下にあったアフリカやアジアの諸地域における独立運動や、南アフリカなどの人種差別解消運動にも大きな影響を与えるものとなった。  こうして「黄金の50年代」には覆い隠されていたアメリカの影の部分が明るみに出され、それと同時に、それまでのアメリカの文化や価値観に対する強烈な異議申し立ての動きが沸き上がった。   その従来のアメリカ文化とは、要するに「キリスト教文化」のことである。  そこには 白人至上主義、家族尊重、男尊女卑、同性愛の否定 といった価値観が含まれていて、このような文化を否定し、これに代わる文化を打ち立てようというムーブメントが起こったのだ。  そして、 圧倒的多数のアメリカ人に浸透していた従来のキリスト教文化を「メインカルチャー」と位置づけ、これに対抗する「サブカルチャー」や「カウンターカルチャー」が登場してきたのである。  
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!