kosuke.komiyaさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
第44号 2013.7.2発行
「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、珍妙な商品が盛り沢山(!?)の『おぼっちゃまくん』キャラクターグッズを紹介する「茶魔ちゃま秘宝館」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】 ※先週号から始まった、日本の命運を賭けた死闘。今週の「ゴーマニズム宣言」では、未だ続く亡国週刊誌による雅子妃バッシングの真相を徹底追求。そして安倍晋三「宮内庁不信」の背後に潜む「朝敵」「謀反人」の正体とは?さらに安倍が現在進める、宮内庁そして天皇陛下に対する最大の“嫌がらせ”も明らかになる! ※今度は「日本最古のイジメられっ子」が登場!因幡の白兎を助けた心優しいオオナムチは、兄弟神ヤソガミたちの嫉妬が生むイジメに耐えられるのか!?作家・泉美木蘭の「ザ・神様!」は、いよいよ絶世の美女ヤガミヒメとの出会いを描く! ※『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて、一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」。作者よしりんに「今までで最高峰の可笑しさ」と言わしめた、今回のお題はこちら!! 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第45回「卑劣週刊誌と馬鹿有識者が招く皇室の危機!」 2. しゃべらせてクリ!・第6回 3. もくれんの「ザ・神様!」・第12回「最古のイジメられっ子・オオナムチの試練 ~嫉妬が生む集団リンチ」 4. よしりん漫画宝庫・第44回「『次元冒険記』②現実と物語の交錯、そして捨て身の展開!」 5. Q&Aコーナー 6. 今週のよしりん・第43回「『少女の純粋性』を巡る熱い議論」 7. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 8. 読者から寄せられた感想・ご要望など 9. 編集後記 【生放送予定】 7月7日(日)21時から http://live.nicovideo.jp/watch/lv143270839 「ネットの『匿名の正義』」 (よしりんに、きいてみよっ!#22) 小林よしのりと泉美木蘭の制御不能トーク! [よしりん談] テーマは直前で変わることもあるが、今のところわしが興味を持っているのは、ネットが持つ「匿名の正義」の問題である。 自身の暴言をネットで叩かれて、自殺した県議会議員がいた。 辛坊治郎のヨット遭難事件についての、バッシングにも問題がある。 自民党ネットメディア局長の平井卓也議員が、ネット中継された党首討論で、「黙れ、ばばあ!」などと他党党首の悪口を書き込んで投稿していた。 ネトウヨの「匿名の正義」も、AKBヲタの「匿名の正義」も、すべて大衆の底の底に沈殿した、人を憎悪する快楽に酔いしれる奇病が伝染していると、わしは見ている。 以上の問題を、泉美さんと話してみたい。
第45回「卑劣週刊誌と馬鹿有識者が招く皇室の危機!」 亡国週刊誌による雅子妃バッシングは続いている。 先週は週刊新潮と週刊文春が揃って雅子妃バッシングの記事を載せた(7月4日号)。どちらも「 皇后は体調の悪い中、満身創痍で務めを果たしているのに、雅子妃ときたら… 」という論旨である。 一見、皇后陛下に敬意を持っているかのようだが、ちっとも本心ではないのは明らかで、 雅子妃殿下をバッシングするための「ダシ」に皇后陛下を利用しているだけだ。 皇后陛下がこんな見え見えの手口を見抜けないほど鈍感だと思っているとしたら、あまりにもナメすぎである。 週刊現代7月6日号には、ベテランの宮内庁担当記者の談として、見逃せない話が載っている。 「 皇后は、自身へのバッシングが激しかった皇太子妃時代、すべての週刊誌の皇室記事をスクラップし、抗議文案をご自身で考え、侍従に伝えていました。今でも皇后は皇室報道のチェック機関 」 先週の『ゴー宣』で徹底批判した、週刊新潮の「『雅子妃』不適格で『悠仁親王』即位への道」のヨタ記事も皇后陛下はご覧で、天皇陛下にもお伝えしているそうで、宮内庁と内閣官房が揃って厳重抗議するという異例の激しい反応も、皇后陛下の「激しい怒り」の表れと見るべきだという。 皇太子妃時代から激烈なバッシングにさらされ、皇后になってからも根も葉もない中傷記事を書かれて失語症にまでなった美智子皇后陛下が、現在バッシングにさらされ、病気に追い込まれている雅子妃殿下に冷たく当たるなどということは決して考えられない。 まして今上陛下まで皇太子時代、美智子妃ばかりを大事にする「マイホーム皇太子」などと中傷されたのを見てきた皇后陛下が、現在雅子妃殿下を守ろうとしている皇太子殿下を非難することは絶対にあり得ない。 にもかかわらず、 週刊新潮は「 皇太子妃には将来、皇后の仕事はつとまらないでしょう 」だの「 もし仮に、陛下がおられなくなって、私が一人残されたとします。その時のことを考えると、とても不安を覚えます 」だのと、言うはずのない皇后陛下の発言を捏造した。 この事実無根の記事に皇后陛下はお心を痛めておられるとも報じられている。 雅子妃殿下をバッシングする手段として、心にもないくせに皇后陛下を持ちあげ、同情しているかのようにヌケヌケと書き、実は逆に皇后陛下のお心を踏みにじっている卑劣さには、虫唾が走るとしか言いようがない! 新潮の記事は「皇后は体調の悪い中、祭祀にお出ましになるのに、雅子妃はずっと祭祀をしていない」という内容だが、これも祭祀のことなど何も知らず、関心もないくせに、単に雅子妃バッシングのダシに利用しているだけだ。 皇室祭祀は「天皇の祭祀」であることが本質で、皇后陛下や皇族方のご参列は、あくまで二義的なものだ。 歴史的に見ても、 天皇が未成年で、摂政が公務を全面的に代行している時でさえ、皇室祭祀だけは天皇が主体でなければならなかった。 天皇がまだ乳幼児でも、女官が抱いて拝礼をお手伝いする決まりになっていたほどである。 しかし皇室祭祀の主体たる天皇でも、明治天皇はご病気のため明治38年の新嘗祭を最後に、崩御する明治45年まで祭祀のお出ましはなかった。神聖な祭祀は極度に緊張し、心身への負担は想像以上に大きく、病身で簡単にできるものではないのだ。 現在、皇太子殿下は海外におられる等のやむを得ない事情がない限り、欠かさず祭祀にお出ましになっており、皇族方の中でも最もご熱心に皇室祭祀に取り組んでおられる。 天皇でも皇太子でもなく、ましてご療養中の雅子妃殿下が祭祀に十分ご出席出来なくても、バッシングされるいわれはない。 文春の記事は、雅子妃殿下の現在の状態について、専門家である精神科医の香山リカ氏から「れっきとしたご病気の症状」というコメントまでもらっていながら、その症状ゆえに起こる苛立ちなどの様子をあげつらう。 そのために東宮職員が疲労困憊になっていると非難し、公務の予定を組むことが困難になっていると書いた上で、それにひきかえ皇后陛下は体調不良を押して精力的に公務を続けていると持ち上げている。 言うまでもなく、 皇后陛下をダシにして、雅子妃バッシングをする手口である。 文春は、皇后陛下が体調不良を押して公務をしているのだから、雅子妃殿下も病気なんかで休むなと言いたいのだ。 よくそこまで非道な気持ちになれるものだ。それを言うなら、皇后陛下に公務を減らしてもっと休養してくださいと言うべきではないか。 わしは皇太子・雅子妃両殿下のオランダご訪問が成功したことは本当に良かったと思ったし、今後、雅子妃殿下の体調にまだ波はあるだろうが、気長にお待ちすれば必ずいつか全快されるはずで、延期されている被災地ご訪問もいつか出来る日がやってくると思っている。 ところが世の中の人間は「遠いオランダには行けるのに、なぜ被災地に来ないのだ」と思っている者もずいぶんいるらしく、文春記事も明らかにそのような感情を煽る作りになっている。 なぜここまで病気に対する無理解・無慈悲な言説が許されるのか? 皇太子殿下や雅子妃殿下に被災地を蔑ろにするお気持ちなど一切ないことは明らかなのに、なぜその信頼感を破壊することにここまで熱心になるのか? 極左が偽装して書いてるのじゃないかと言いたくなってくる。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
小林先生は、ゴー宣の中で「読者よ、ついてこれるか!?(ついてこい!)」というような
趣旨の発言をよくなされます。
私は自分のことを、「ゴー宣の読者で、社会問題を自分のことのように考えることはあるが、傍観者・観客」だと思います。
社会問題に関心を持って、現場で信頼や責任を受けるプロになろう。
それを続けていれば、薄く広く広がって、結果的に国が良くなっていくのかな?と夢想していました。
それが間違えているのではない... というのは分かります。
が、このような社会情勢です。
「自分のことのように捉えて、一緒に闘う」というところまで、一段階引き上げて考えなければいけないのかな?
というメッセージを先生たちから受け取っているような... 気がしました。
(誤解してましたら、ごめんなさい)
しかし、一緒に闘うというのは難しい問いですね。
わたしは、まだ方法がわかりません。
Post