na85さん のコメント
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第60号 2013.11.5発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、珍妙な商品が盛り沢山(!?)の『おぼっちゃまくん』キャラクターグッズを紹介する「茶魔ちゃま秘宝館」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※山本太郎議員が園遊会で、天皇陛下に原発事故に関する手紙を直接手渡した問題。果たして、「政治利用」だったのか?議員辞職すべきなのか?不敬な行為だったのか?田中正造と比較してどうなのか?自民党議員に批判する資格はあるのか?「ゴーマニズム宣言」で徹底解答!
※「ザ・神様!」すっかり肉食系モテ男に生まれ変わり、美女という美女を自分のものにしていく、順風満帆のオオクニヌシ。一方、「もう黙っちゃいられない!」と激烈に怒り狂っているのは…そう!あのスサノオの血を引く劇場型女子、正妻・スセリビメ!!どうなる!?
※よしりんの隠れた名作を紹介している「よしりん漫画宝庫」。今週から紹介するのは「徹底的に肩の力を抜きまくって、遊び心だけで描いた」という『タコちゃん・ザ・グレート』!!この作品の徹底したナンセンスさとサービス精神に、ついてこられるか!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第62回「山本太郎には天皇を『政治利用』する力などない!」
2. しゃべらせてクリ!・第21回「鼻かませてクリ、柿野くん!の巻」
3. もくれんの「ザ・神様!」・第20回「あげまん?さげまん?――モーレツ嫉妬妻・スセリビメ」
4. よしりん漫画宝庫・第54回「『タコちゃん・ザ・グレート』①徹底的に遊びまくったヒーロー漫画!」
5. Q&Aコーナー
6. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
7. 読者から寄せられた感想・ご要望など
8. 編集後記 第62回「山本太郎には天皇を『政治利用』する力などない!」 山本太郎参院議員が園遊会で福島第一原発事故に関する手紙を、天皇陛下に直接手渡したことが、天皇の政治利用だと非難されている。
政治的に議論のある案件を書いた手紙を天皇陛下に手渡すのは、国会議員として良くない。 まさにその政治的案件を国民の代表として議論するために国会議員になったのではないか!
当選してさっそく陛下に陳情するような情けない国会議員では、国民から見れば頼りにならない。
さらに天皇は権力を持っていない。権力を持っているのは国会議員であり、時の政権与党である。国会議員ならば、権力を取って政策を実行することに、全力を尽くさねばならない。
天皇陛下は被災地のことも、原発のことも、放射能のことも、すべて知っておられる。山本太郎よりも知っておられるかもしれないのに、畏れ多いと思わなかったのだろうか?
知っていても、権力がないから、被災者を励まし、汚染された国土の回復のために祈っておられるのだ。
天皇陛下の役割と権限の限界、政治権力との距離について、山本太郎は勉強すべきだろう。参議院は良識の府ではないか!
だが同時に、山本太郎は極左がバックについていると噂されていたが、どうやら本人自身は自覚的な左翼イデオロギーの人ではなさそうだ。
左翼なら、天皇に直訴しようなんて発想自体、浮かぶわけがない。それは天皇に何らかの政治的な力があると思い込んでいるから、やれることである。山本太郎は天皇陛下に「権威」を感じているのだ。
山本太郎は、天皇を「民の父母」と感じる、実に素朴な庶民感覚の人のようだ。
放射能で社稷(しゃしょく)が汚されている、国の宝である子供たちの健康が脅かされている。その事実を天皇陛下に知っていただきたいというやむにやまれぬ思いで、後先考えずに行動してしまったのだから、やったことはほとんど右翼青年みたいなものだ。
最近の右翼や自称保守は「社稷」という言葉すら知らないだろうが、それは神と五穀が宿る郷土のことである。
「ゴー宣道場」の門弟が、「 本来なら山本太郎は、国民として天皇陛下に謝罪文を渡せば良かった 」と主張していた。これは筋の通った意見である。
福島という国土の一部が、人を拒絶する地域になってしまった。社稷を汚したのは国民である。原発の恩恵を受けて、その危険性を見くびっていた。
本来、国民は天皇陛下に謝罪しなければならないはずだ。
だが、山本太郎を非難する与野党の議員たち、自称保守派の者たち、ネトウヨらは、そのような感覚を持っているだろうか?
否である。それどころか、原発推進派という自らのポジションに固執して、脱原発派が嫌いだからこそ、山本太郎に「天皇の政治利用」というインネンをつけているのだ。これは完全なポジション・トークである。
それでは言うが、「 天皇の政治利用 」とはどういう意味なのか?
天皇や皇族を動かして、その行動を通して特定の政治目的を達成しようとすることが、「政治利用」のはずだ。
しかし、山本太郎の手紙を受け取ったからといって、天皇陛下がその意を受けて、特定の政治目的のために動くことはない。
八木秀次という皇位継承の「Y遺伝子説」を唱えた馬鹿な学者がいるが、今回の山本太郎の件を、 政治利用「未遂」 などと言って批判している。
「未遂」なら政治利用にはなっていないし、山本太郎が「 未遂 」ならば、もっと明白な「 既遂 」があったではないか!
すでに遂行してしまった「政治利用」は、オリンピック招致という政治目的のために、高円宮妃殿下をIOC総会に出席させた件である!
あるいは、沖縄県民の強い反対を押し切って、陛下のご出席を実現させてしまった「主権回復記念日」こそが「既遂」の「政治利用」である!
そして、今月末に予定されている天皇皇后両陛下のインドご訪問も、「中国包囲網」作りのために政治利用されるのではないかと懸念されている。
天皇陛下も、皇族方や宮内庁も、「政治利用」になるような行動は避けるように、常に細心の注意を払っている。
それをゴリ押しして、無理やり「政治利用」につながる行動を取らせるなんてことは、その時の政権にしかできないのである!
一議員が手紙を渡したところで、それは政治利用でも何でもない!
社会的に注目を集めることだけでも「政治利用」に当たるというような批判もあるが、それはかなり牽強付会である。
そんなことを言い出したら、天皇皇后両陛下に関わるものは何だって社会的に注目を集めてしまうのだから、その行きつく先は、両陛下は何もできない、言えないということになってしまう。
例えば今回の園遊会で天皇陛下が心臓バイパス手術後のリハビリの際、BGMに由紀さおりの『夜明けのスキャット』を聞いていたという話を明かしておられたが、このことで『夜明けのスキャット』がまた注目を浴び、CDセールスにつながったりすると天皇の「公平」が損なわれるから、両陛下がそんなことをおっしゃるべきではない、なんて意見も成立してしまう。
これは冗談で言っているのではない。20年前には「昭和天皇は見ているテレビ番組も、好きな力士の名前も言わなかったのに、今の天皇皇后は自分の好みを言い過ぎ、『公』の精神に欠ける」と言って両陛下をバッシングする論調が本当にあったのである。
山本太郎は、もし政治宣伝のような意図があるのなら、陛下に渡した手紙自体をもう公表していると言っている。確かにそうで、とにかく思いを伝えたかったということだろう。
山本太郎に対しては、下村博文文部科学大臣が「議員辞職ものだ、政治利用そのものだ」と批判している。
宮内庁に高円宮妃殿下のIOD総会出席を直接要請し、正真正銘の政治利用を行なった張本人である下村博文が!!
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
>ただ一方で、危険思想の転化する恐れもあるんだろうなと考えますね。
「身体の動くままに動けばいい。だから、あいつ殺したいから殺す」的な行動も肯定するのか? という話にもなってきちゃうと思うから。
陽明学は危険思想、その通りです。しかし陽明学には「良知」と言う考え方があります。良知とは人間に元から備わっている良心のことだそうです。だから溺れる人を助けるため体が勝手に動いて飛び込むとき、良知が発動していると考えるわけです。良知が曇っている状態、例えば保身の心が働いて動けなかったときなどは、行より知が先に働いている、朱子学的な先知後行だと批判したわけです。良知が正常に働けば欲得ずくで他者を傷つけるような行動は起こさないというのが陽明学の立場です。
日本には天知る・地知る・我知る・人知るという言葉があります。陽明学の立場では、天地の神が知り、自分の良知が知るのは良いが、他人の目を意識して自分の行動を律するのは良知に反しているそうです。しかし、自分の良心だけで自分を律しきる人はそうはいません。現に陽明学発祥の地である大陸ではその思想はほぼ死に絶えているような有様です。江戸初期の儒者・中江藤樹が日本に陽明学を紹介し、その日本的展開である江戸しぐさなどの心学が日本中津々浦々の寺子屋で教えられ、庶民階層に広まったときも、良知だけでは根づかなかったと思います。天神地祇、自分の良知に加えて、共同体の目が光っていたからこそ自分を律しきることができたと考えています。自分の良心と共同体の目で皆が私心を少しずつ律することができれば村落共同体は安定し、幸福に過ごせると思います。それは「天皇を中心に置いた支配無き自己統治」という日本の国体そのものです。たまに起こった天災にも諦念でやり過ごし、共同体で助け合い、年貢の減免を訴えて一揆を起こして生きていくわけです。
江戸期の武士階級は朱子学を学んでいました。これは忠孝を重視させて幕府への反逆を企てないように教育するため、また怒りにまかせて刀を抜く前に一呼吸おいて考えさせるためです。戦国期には武将たちは怒りにまかせて刀を抜く人々でしたが、これを治世の官僚に変えたのが幕府が官学に指定した朱子学でした。もっと言ってしまえば、陽明学が入る以前の日本においては、心に思ったまま刀を抜けという陽明学的な戦国武士道が支配していましたが、朱子学が教え込まれて本心を抑えて我慢して仕えるのが美徳という太平武士道になったわけです。刀を差して市中を行き交う武士が喧嘩っぱやいとヤバイですから。
江戸初期でも戦国を懐かしむ人が現われました。『葉隠』で山本定朝は「武士道と言うは死ぬことと見つけたり、一つ一つの場にて早く死ぬ方に片付くばかりなり」と喝破しました。これは、頭でも下げて刀を抜かず生きる側と、刀を抜いて死ぬリスクが高い側とでは死ぬ側を選べという戦国武士道の復活を訴えるものです。しかし幕末にもなると下級武士ほど実践的な陽明学に傾倒しました。日本近海に異国船が横行していたからです。脱藩して志士となり、京や江戸で暗躍し、思想をぶつけ合って居り合わなければ刀を抜くという古来の武士道に近いものが復活し、それにマッチする陽明学が求められたのでしょう。
朱子学的武士道で上(幕府)を立てる佐幕派と陽明学的武士道で現実に向き合うことを訴える志士とが対立し、内戦に発展する幕末においても、多くの庶民は江戸しぐさ的な日本陽明学+共同体の目という超優良な安定化装置で幸福を享受していました。だから幕末明治に日本を訪れた外国人は日本を地上の天国だと感じたわけです。
庶民を武士の意識に引き上げた明治維新は時代がもたらした不幸だった na85
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