na85さん のコメント
このコメントは以下の記事についています
(号外 2013.12.28発行) ゴーマニズム宣言 「失笑!安倍首相の靖国参拝は『不戦の誓い』だった!」 首相の靖国参拝はもう新たな局面に入ったのではないだろうかと思っている。 どうせ来月発売の自称保守&ネトウヨ系の言論誌は、安倍首相よくやったと絶賛一色だろうが、国際的な感覚が全くない、内弁慶な議論でしかない。
以前のように朝日新聞や左翼が中韓にご注進に及んでこの問題をこじらせてきたとか、中曽根総理が「公式参拝」を言い出すまでは普通に靖国参拝していたとか、その頃は中韓も文句を言わなかったとか、そういう歴史的事実を述べても、アメリカを始め世界に対して説得力を持つレベルではなくなった。
安倍首相の靖国参拝を受け、在日米大使館は「失望した」と声明を出したが、それを安倍政権が軽く受け止めていたため、米国務省がさらに同じ内容の声明を出して、米政府の姿勢を明確にした。
日米防衛相の電話会談も延期になって、ようやく日本政府も事の重大さに気づき始めたようだ。
アメリカだけの話ではない。欧州でも安倍政権は失笑されている。
一国の首相にしては世界からの視線に鈍感過ぎるのではないか?
安倍首相は世界中から異様なタカ派だと見られている。
フランスの極右政党党首ルペンや、ロシアの極右政党党首ジリノフスキーのように、短絡的で偏り過ぎた極右の首相と思われているだろう。
わしの目からは、もはや完全な ネトウヨ首相 だ。ネトウヨと同レベルの国際感覚なのである。
慰安婦問題もそうだが、首相の靖国参拝は、もう国際的には新たな局面に入ってしまって、自称保守論壇の内向きな強硬意見は、日本を孤立させるだけの自慰行為になってしまった。
そもそもわしは小泉純一郎の首相在任中の靖国参拝の時も警告を発していたのだが、新自由主義・グローバリズムで、日本の国柄を破壊する政策を遂行するために、ナショナリズムは利用されるようになってしまった。
靖国参拝はもはや新自由主義の隠れ蓑になってしまったのだ。
この矛盾がどうしても自称保守&ネトウヨには理解できない。靖国参拝さえしておけば愛国者と認定する単細胞が、今の自称保守&ネトウヨなのである。
しかもこの連中は皇位継承問題では「男系Y染色体固執」で団結しており、天皇陛下の御意思も踏みにじって恬として恥じない。皇統断絶の危機を招来している一群なのである。
つまり「天皇なきナショナリズム」だ。
天皇のため、郷土(クニ)のために戦った英霊たちは、悲嘆に暮れていることだろう。
しかも自称保守にしても、かつて小泉が8月15日を避けて参拝した時には批判していたはずである。
だが今回の12月26日という無意味な日の首相参拝には、なぜかこぞって称賛の声を挙げている。
いつの間にやら靖国参拝のハードルはすっかり下がり、いつでもいいから、とにかく行きさえすりゃいいということになってしまったようだ。
さらに肝心なことは、首相が靖国神社をどういう場所と捉え、何のために参拝するのかという意識である。
安倍は今回どういう意識で靖国神社を参拝したのかを、談話で発表している。その談話のタイトルは 「恒久平和への誓い」 というのだ!
http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/discource/20131226danwa.html
これだけで、安倍は靖国神社がどういうところか一切理解していないということが明らかである。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
「風立ちぬ」は、空に憧れ風になることを望んだ青年が、少し早く空へ上った恋人を追いたいのに「生きて」と言われて戻るという可愛そうな物語でした。菜穂子の最後の言葉は「来て」だったかもしれませんが、それでも「(10年という)限られた時間を悔いなく生きろ」がテーマでした。
「かぐや姫の物語」は、大地で生きることを望んだ故に降ろされた天上人が、地上で生の喜びを少しずつ知りながら成長し、やがて悲しみを知り始めたとき「戻りたい」と強く望んだため、まだ地上に居たいのに天上に戻されるという可愛そうな話です。これは2つで一つなのだと思いました。特に現代人に必要なのは「かぐや姫~」でしょう。
【ネタバレ注意】後にかぐや姫となる少女は、幼少の頃過ごした山村では自然の中で村の子供たちと駆け回り、生き物の息吹を感じながら暮らしていましたが、再び翁が姫の元居た竹から財宝を見つけると、これが天の意思だと思って都に邸宅を構え、一家で都に上ります。都に上ってからの姫はべったりと化粧されて御簾の奥で手習いばかりする毎日で、生きる喜びをを感じられません。庭の一角に昔住んでいた山の風景に近い小さな箱庭を造って心を慰めますが、そこは風も吹かない偽物です。姫の美しさを「聞いて」多くの求婚者が現われますが、その中でも熱烈な5人に難題を吹っかけると一人ひとり馬脚を現し、5人目は財宝探索の途中死んでしまいます。ついに最もエライ御門(みかど)によって強引に妻に請われたとき「帰りたい」と信号を発したため次の十五夜に月へ還ることになりました。都での生活は全てがニセモノだったわけです。夢か現か判らない状態で昔住んでいた山村に戻り、自然の空気の中でかつての姫が懐いていた捨丸にいちゃんに会い、まだ地上に居たい、まだ生の喜びを得ていない、と確信しますが、時すでに遅く迎えが来るわけです。
これは、数字やデータ、画像に溢れたネット空間などのニセモノばかりを相手にしている現代人にこそ必要な物語です。「もう何もかも嫌だ」と強く願い、それからやがて死が迎えに来ると、そのときになって「まだ生きたい」と願っても遅い、だから「悔いなく良く生きろ」というテーマに還るわけです。現代の世界に生きる価値があるかどうかは不明ですが、PCモニターの前に居たのではそれを確認することすら不可能になります。ネット空間は風も吹かないニセモノなのです。
データや数字を積み上げるより里山の風を感じたい na85
Post