magomeさん のコメント
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第68号 2014.1.7発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、珍妙な商品が盛り沢山(!?)の『おぼっちゃまくん』キャラクターグッズを紹介する「茶魔ちゃま秘宝館」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…右派も左派も、論壇ムラの「ポジション」に立つと、そのムラの世間に同調し全く同じ主張しかしなくなってしまう日本の言論状況。完全な個人の意見を発表する場は本当にないのか?真の表現者とは何なのか?なぜ日本人は「集」に埋没しがちなのか?ポジショントークに堕す論壇ムラの原因を徹底的に斬る!!
※「ザ・神様!」…土が先か、うんこが先か!?一見、無意味でおバカと思えるケンカでもミラクルを巻き起こし、絶賛全国行脚中の神代の国土開拓コンビ『デコボコブラザーズ』!意気揚々と各地を巡り充実の日々…かと思いきや、“ちっちゃいおっちゃん”スクナビコナのドデカいお説教が炸裂!どうなる、オオクニヌシ!?
※あけまちんこ、おめでたまき~~~ん!!今年も読者の皆しゃんに一コマ漫画を完成してもらうぶぁい!新年第1弾は、ぽっくん、大凧から下界を見下ろしましゅ!!さあ壮大な一言を「しゃべらせてクリ!」
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第70回「論壇ムラの『個』のない事情」
2. しゃべらせてクリ!・第29回「巨大タコからおめでたまき~ん!の巻」
3. もくれんの「ザ・神様!」・第24回「名参謀! ちっちゃいおっちゃん・スクナビコナのドデカいお説教」
4. よしりん漫画宝庫・第58回「『メンぱっちん』②シリアス・ストーリーに、栄光のアニマル・ろば!」
5. Q&Aコーナー
6. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
7. 読者から寄せられた感想・ご要望など
8. 編集後記
第70回「論壇ムラの『個』のない事情」 「 ポジショントーク 」は、なかなか便利な言葉である。
国権を強くしたいと考える右派も、民権を強くしたいと考える左派も、双方の論壇ムラの「ポジション」に立つと、そのムラの世間に同調して、まったく同じ定型の主張しかしなくなってしまう。
「個」が消滅して、「集」に融合してしまうのだ。
「ポジショントーク」は、その現象を一言で表している言葉である。
かつて「わしズム」や「ゴー宣道場」において一時は期待した言論人が、自称保守論壇ムラに入るや、たちまち紋切り型のポジショントークしかできなくなってしまうという惨状を、わしは何度も見てきた。
なぜそんなことになってしまうのか、今回はその構造を解き明かしてみたい。
世間一般的には馴染みもなければ、価値も権威も認められていないが、「正論大賞」というものがある。フジサンケイグループ主催の言論賞で、同グループの基本理念ということになっている「自由と民主主義のために闘う正論路線」において「特筆すべき言論活動を行ったオピニオンリーダー」に贈られるという賞である。
要するに「正論路線」(正確には「自称・正論路線」と言うべきだが)なる「 産経新聞 」の論調に合わせた主張でなければ受賞できないということが、最初から決まっている賞なのだ。
その「正論路線」とは具体的には、外交は「反韓・反中・親米」。
経済はとにかく「経済界の主張の後押し」。当然ながら「原発は推進」、「TPP賛成」。
国権の強化が好きで、「特定秘密保護法は賛成」、「集団的自衛権行使は賛成」となる。
そして皇統は男系絶対ということに決まっている。
本当に「自由と民主主義のために闘う」というのなら、自由経済から完全に外れている原発を推進しているのはおかしいし、民主主義の根幹に関わる特定秘密保護法には反対しなければ筋が通らないはずだが、彼らはそんなことはいちいち考えない。
「脱原発」は左翼、「女系公認・直系優先」は左翼、「反米」は左翼、「護憲」は左翼という風に決められている。
彼らの憲法観はかなり異様で、憲法改正すれば、戦後レジームから脱却したことになり、日本は誇り高く美しい国になると信じているのである。
断言しておくが、憲法は魔法の呪文ではない。左翼が、現行憲法が戦後の平和を守ったと言い張るのと同じくらい、改正憲法が将来の日本をバラ色にするということもないのだ。
兎にも角にもムラのお決まりの主張を唱える様子が目立って、産経新聞のお眼鏡にかなえば晴れて正論大賞受賞というわけだ。
正論大賞の第1回は昭和60年(1985)で、受賞者は渡部昇一。以下、主な受賞者を並べると、曽野綾子、竹村健一、堺屋太一、西部邁、上坂冬子、西尾幹二、岡崎久彦、田久保忠衛、江藤淳、石原慎太郎、小堀桂一郎、屋山太郎、中西輝政、森本敏、藤岡信勝、櫻井よしこ…
「反米」の主張がある西部や江藤が受賞しているのは、2001年の米国同時多発テロより以前だったからだろう。
「9・11」以降、自称保守論壇の空気が一気に変わり、米国批判をしたら猛バッシングを食らうようになったというのは、わし自身が体験してきたことだ。
言論に関する賞なんてものは、どこでも大なり小なり仲間内の論功行賞という性格があるものだが、正論大賞は特に露骨で、やっててよく恥ずかしくないなと思うような、産経御用知識人を「内輪褒め」するためだけに存在する賞である。
ところが、そんな正論大賞でも欲しがっている自称保守言論人はいるし、その産経の路線に沿った発言をする者は多い。
日本会議 のような保守系団体や、 神社本庁 なども産経新聞と同じ主張をしているから、産経御用のお墨付きを得られれば、それらの団体の関係であちこちに行って講演ができて、ギャラがもらえて、「先生」「先生」とチヤホヤしてもらえるのだ。
わしには理解できないが、それはどうやら、すごく気持ちのいいものらしい。
講演会の後には懇親会などが開かれるから、そこで顔なじみの人がいっぱいできて、コネがどんどん作られていく。
それでまた別の集会などから講演のお呼びがかかり、そこに出かければまた「先生」「先生」と持ち上げられ、いい気持ちになってギャラがもらえるのだ。
さらに異様に国権に傾いた「 チャンネル桜 」というものがあって、その世間に入ったら、テレビのキャスターごっこができる。
ちゃちなものだがテレビスタジオがあって、何台かカメラが回ってて、そこでしゃべればあたかも自分がメジャーなテレビのコメンテーターか何かになれたかのような錯覚に浸ることができるのだ。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
>>32 na85さん、前回のライジングコメント欄でおすすめしてくれた陽明学の入門書、二つとも購入しました。機会を伺っていは読んでみます。
>>59 mayuさん 私も同じ店で買いました。冒頭に積み上げられていることから期待の書籍であることが一発でわかりました。はやく、感想はがきを書いて出したいです。
実は、前回と今回のライジングコメント欄で冒頭に述べた四人方が里山および、共同体について述べていましたが、我が國の歴史から成る共同体とその成り立ち、そして現代における共同体の実情とそのあり方を徹底的に、かつ解りやすく解明し重要な書籍があります。
それは 内山節 著 農文協出版「共同体の基礎理論」という書籍です。本書は庶民から見た共同体のみならず、我が國の庶民における価値観を徹底的に解析した書籍で本書と「天皇論シリーズ」「大東亜論」、そして高森師範の高森ウィンドウズの「ウソのような本当の話『犬の伊勢参り』」または、「逝きし世の面影」を読み足せば、我が國の國体を全て説明できてしまうのではという感想を抱きました。そして、本書は今回のライジングにも関係する重要な事実を突きつけていて、本書は我が國における臣民一人一人に需要な答えを隠しているのではという感想も抱きました。
今回のライジングでは日本人は一神教の文化(欧米人も含む)と比べて個が弱いと書かれていましたが、実は日本人と一神教では個の確立が全く違うことが書かれています。
まず、本書では欧米人は人間である他社に対して自己を示す形で個を示す(他人に対してあなたと違うとする)のに対し、多神教で森羅万象に神が宿る日本では自己を極めることが個の確立であるというのです。この自己を極める個は古代の作品である「源氏物語」や「枕荘子」「日本霊異記」などでも自我を奥深く追求していることや現在の漫画やアニメでも絵柄などの作品は勿論、物語でも自我を追及している場面が物凄く多く重点を置いていることからも解ると思います。これは日本は一神教と違い、森羅盤上に神が宿るという自然とともに共存する概念があることから、自然と向き合い、自分自信を追及し、掘り下げていくことによって個が成立していくというものです。
よって、漫画を描き続けることで漫画という美術で己の感性と技を磨いてきた小林師範も個が成立しているのであり、鍼灸師などの人間そのものという自然の力に治癒の可能性を見出す東洋医学も自然と向き合い、知識と業を極めて自己を掘り下げ、個を設立していくのだと本書を読んで思いました。
また、明治に至るまでは仏教も神道も分裂されておらず、神社も寺も役割ほぼ同じでした。そして、村では自然と向き合うことで人間がどうしても私情を抑えきれずに自然を冒涜しているという悲しみに耐えられず、山に入り、空海のごとく滝に打たれ、岩穴に籠っては座禅し、食物も行く先々で見かける木の実や山菜だけを頼りに自然と一体化し悟りを開く、修験道を行うのです。この道を専門に行う人を修験者と言い、各地の寺や神社で神主のような役割をし、村の重要な相談役として担っていて、明治に政府によって廃業させられるまで存在していました。
日本では自然と折り合いをつけることが共同体であり、自然を全くの別の世界として分離し、一神教に頼った西洋の共同体とは全くの別物だったのです。また、自然に対する概念も現在とは異なっていて、西洋における自然は「nature」として生物などの科学的要素が強いのですが、日本の場合、明治までは自然とは「オノズカラシカリ(自ずから然り)」という意味である「ジネン」と読まれ、「自然にそうなった」などの自然界とは全く関係のない意味でつかわれていました。また、「シゼン」と呼ぶ場合は「突然に」という意味が含まれ、これは火山や地震が突然発生することから、「自然」を「シゼン」と呼んでいました。よって、自然と向き合うと行くことは自分が体得するべき技や業を自然に行えるようになる意味合いでの自然と突発的に起こる地震などの災害や異変と自らが向き合うことによって確立させていく個が日本における個となるわけです。
共同体の話に戻りますが、このような自然と向き合って確立された個も当然、共同体が育てたわけですが、この共同体も何十層にも重なっていて、たとえば、農業をしている組合もあれば山林の組合もあり、また、加工や職人の共同体もあるといった具合に、一つの共同体から抜け出してもまた別の共同体によって己を補完することが可能であり、よって、完全に村八分になることは殆どなかったとのことです。また、現在でも畑によって出来、不出来などのばらつきがあり、不作の土地には法冊の土地の作物を分け与え、大地主は小さい地主や土地の人々に大地主の土地で取れる作物や資源を分け与えるなどの協力が不可欠で、もし、この助け合いから外れると信用を失い、結果として発言権を失ってしまうということになるわけです。そして、年中、村の一か所にとどまっているわけではなく、時には修験道の一環として山を長期間に渡って山の神に触れる傍ら、同じく修験道で移動している別の地区の村の人々と交流し、時には専門の宿場で情報や作物の種子、工具などを交換していたことから、むしろ、現在の村よりも外の世界を自然界ともども見つめていたわけです。
また、都心では自然界が存在しなかったとはいえ、共同体が存在していました。これは一度建設された都市部はそれ以上、現在のように急速な発展や建設がなかったことから町の変化そのものも緩やかな片目に共同体が生まれ、その共同体を繋げていたのが山や寺、神宮を目指す講の会員になることと紙幣を出し合うことでした。例えば、長屋で一人の住人が商売に失敗したら、皆で紙幣を出し合って融資という形で貸し付けを行い、講という修験道として山や寺、神宮を目指す会員に入って自然と向き合うことで、村の人々と同じく自然と向き合って個を設立させてきました。
これら共同体の概念が本格的に壊され始めたのが近代化へと進んだ明治時代であり、修験道もこの時に中止になり、廃仏毀釈によって神仏習合もなくなりました。その一方で國家元首たる天皇と個人を結び付ける形で國民にさせ、その邪魔となる共同体を廃止し、個人を年に出して國としての手柄を揚げることを最大の価値とすべく、方針を切りました。よって、明治以降に作られた文部省唱歌のいずれも故郷をすてて、永遠に帰郷しないという意味合いの歌詞ばかりが作られています。この共同体の崩壊は武士が支那をモデルにした中央集権を明治時代にようやく実現し、近代化によって共同体は崩壊に向かい、戦後の高度経済成長に伴い、村は食糧増産地域としての機能しか持たなくなり、都市も激しい変動によって共同体をつくる暇がなくなるほどに人を機械化させてしまいました。
しかし、先の大震災で見られた都市機能の危うさと近代産業の脆さを我々が体感した現在、かつての共同体がより一層見直す必要に迫られます。里山だけではなく、都市内でもこれは同じです。里山資本主義を掲げるのも我が國の歴史から繋がる健全な個と個を育てる共同体を構築することであって、里山そのものを目標とした原始回帰そのものが目的ではありません。
解説が不十分で申し訳ありませんが、小林師範のライジングを購読し、共同体、里山資本主義、「かぐや姫の物語」を含む里山や本物、偽物を題材にした作品に興味と関心を持たれた方には内山節 著 農文協出版「共同体の基礎理論」は必読であることこの場で強く説明させていただきます。
今あなたが体感しているその「共同体」は我が國の歴史から成る本物の「共同体」なのですか?
その回答は、時には不完全でしょうが、すべてに答えることが出来るのが内山節 著 農文協出版「共同体の基礎理論」なのです。
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