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「ポジショントークに堕す論壇ムラの裏事情」小林よしのりライジング Vol.68
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第68号 2014.1.7発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
第70回「論壇ムラの『個』のない事情」
「ポジショントーク」は、その現象を一言で表している言葉である。
世間一般的には馴染みもなければ、価値も権威も認められていないが、「正論大賞」というものがある。フジサンケイグループ主催の言論賞で、同グループの基本理念ということになっている「自由と民主主義のために闘う正論路線」において「特筆すべき言論活動を行ったオピニオンリーダー」に贈られるという賞である。
その「正論路線」とは具体的には、外交は「反韓・反中・親米」。
本当に「自由と民主主義のために闘う」というのなら、自由経済から完全に外れている原発を推進しているのはおかしいし、民主主義の根幹に関わる特定秘密保護法には反対しなければ筋が通らないはずだが、彼らはそんなことはいちいち考えない。
彼らの憲法観はかなり異様で、憲法改正すれば、戦後レジームから脱却したことになり、日本は誇り高く美しい国になると信じているのである。
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
しゃべらせてクリ!のMVP&コメント欄の一番乗り、いただきます!?
今年もライジング楽しみにしています。
3ゲット・・・かな?
早いもので、ライジングも足かけ三年目ですね!
毎週時事に即した先生のゴー宣が読めるという幸せを、当たり前と思わず噛み締めていこうと思います!
3ゲットできたところで本題です。配信お疲れ様です。
産経の場合東京と大阪にしか本社機能がなく(一応仙台や福岡にも印刷工場はあるそうですが)朝日や読売等と違って北海道や名古屋に拠点がなく純粋な全国紙とは言えないってのもあるんでしょうけどね。新聞各社のサイトで発行部数調べたら産経の発行部数は約160万部で読売・朝日はもちろん日経・毎日・中日(東京新聞や北陸中日等系列地方紙も含む)ともダブルスコアぐらいの差があり、基本的には北海道内でしか読めない北海道新聞(約114万部)より少し多い程度だとか。
まあああいう訳のわからん論調だから右な人でも朝日・読売や地元地方紙を選ぶのかなとも思いますが。
みなぼんさん、そんなに凶ばかりひくのは凄すぎますね…でも、今年は大躍進の年かも。
がんばってください!
正論大賞が本当に正論大賞なら、
こんなにも予言を当てつづけ、タブーに切り込み続けている孤高の存在「小林よしのり」に
賞を与えないと絶対にウソでしょうけど、、、そんな賞いりませんよね。
みうらじゅん賞に選んだみうらさんの方が
やはり、見る目がありますね(笑)
遅くなりましたが、よしりん先生、よしりん企画の皆様、明けましておめでとうございます!
みなぼんさんは御神籤で凶しか引いたことが無いんですか?私は小学生の時に一度引きました。内容は覚えていませんが…御神籤を引いたお寺が袋井市にある尊永寺というお寺だというのは覚えています。
今年、この尊永寺に初詣して、また御神籤を引いてみました。吉でした(ちなみに両親と妹は凶)。でもいいことは何も書いていませんでした。きっと今年は油断大敵な一年なのか、あるいは名物の厄除け団子を売る為なのか。吉よりも凶が出やすく、吉を引いてもラッキーという確証の無いドSな御神籤って他にもあるんですかね?
配信お疲れ様です。
手短に。
日本人が大東亜戦争に突入したのも世間体とも無関係ではないでしょう。
論壇が単なる世間体の再生産の役割しかしないから、世間を飛び出して「王様は裸だ!」って言える人が小林よしのりしかいなくなってしまったんじゃないかな?とも言えますが…。切ない。
岸端さんのおみくじについて。
凶ばかり引く人ってある意味「強運」っていう話もあります。
おぼっちゃまくんにも「凶」って「おおめでたい」みたいなことを書いてあったような…。
岸端さんは今年はいいことが目白押しかもしれませんね。
数年前に、小林先生が「自分の中にある紋切型をぶち壊したい」というようなことを『ゴー宣』で書かれていたことを記憶しておりまして、そのときは正直、ピンと来なかったのです。
が、ライジングが始まる少し前の『ゴー宣』やライジングを通して、「こういうことだったのね」と腑に落ちた次第です。
「凶」を連続で引き当ててしまうのは、逆に強運の持ち主って感じがするんですけど。
僕は、一度も「凶」を見たことがないから、一度くらいは引き当ててみたいって思ってしまうんどす。
配信ありがとうございます。「個」がなぜなくなり、オウム返しのような保守言論になってしまうのか、その構図がよく分かりました。保守親父・マダムは良い作品を作り、自虐史観を脱却してやろうという気概はないんですね。その組織でウケる言論さえ言っていけば、その「ポジション」では安泰なんて楽ですね~。そりゃあ脳が老化するはずです。
保守言論って「日本近代史」の権威とか、戦前研究の権威なんていません。つまり自分が専攻した分野とは全然違う学者の集合体です。渡部昇一は英語、小堀桂一郎はドイツ文学とか。自分が専攻した分野で業績を上げれてないから、余計に敷地が低い保守論壇に入り、チヤホヤされて舞い上がってしまうんじゃないでしょうか?つらい現実、こんな私を素晴らしい私を何故世間を評価しない!という弱者の怨念が彼らを保守空間に誘うんですねー。どんな辛かろう苦しかろうが思考は辞めない、ユートピア幻想はしない、これが組織に流されない「個人」を作り上げると思いました
「凶」というのは中の「メ」の字の上が空いているから「メ(芽)が出る」という意味もあるそうですよ。これまでたくさん凶を引いたということは、これまでたくさん出た「芽」がこれから成長してゆく、ということかもしれませんね。
「ポジショントークに堕してはいけない。思考し続ける忍耐が必要である。」というのは小林先生が読者に今、一番伝えたい事なのかなと思いました。僕もそう出来るよう努力していきます。
最近「渡り廊下走り隊」のアルバムを聴いたのですが、その中にまゆゆがソロで歌う「軟体恋愛クラゲっ娘」という歌がありました。「あなたが右向きゃ右を向く 左を向いたら左向く」という歌詞を聴いた時、まるで昨今の自称保守や左翼の言論状況と同じだなと思い、おかしくなりました。
編集後記の富士山の写真、とても素敵です。思わず「すげえ」と呟いてしまいました。
ご多用な中定期的な配信誠にありがとうございます!本当にお疲れ様です。いつも喜怒哀楽交えながら拝見しております。
今回、ちょっと気になりましたのは、叢叡世さんの「永遠の0」の感想なんですが、私は夫婦で試写会で見て、素直に感動してしまいました。。。甘いですかね?(^^;;
小林先生が戦争論で描かれた特攻隊のスケールに比べれば、その数十分の一にも満たない内容でしょうが、岡田准一さんを始めとした役者陣の熱演もあって、当時あった特攻隊の一面は十分に描けているように思えます。
(空母 赤城や零戦のディテールにも素直に感動してしまいましたが(^^;)
この映画を見て感動した友人や楽団の仲間も多数いますので、彼ら彼女らに小林先生の戦争論シリーズや「英霊の言の葉」の購読、そして靖国遊就館の見学を勧めてみようかと思います。
この映画を通じて、小林先生が描いた特攻隊や戦争の真実に少しでも興味を持って頂ければ、意義は十分にあったんじゃないかと思う次第ですが。。。
やっぱり甘いですか?(^^;;;
目出度いのかどうかわからない昨今ですが、明けましておめでとうございます。よしりん企画の皆様のご多幸をお祈り申し上げます。
連続の凶って、申し訳ないけれど凄いですね(笑)。僕はおみくじは、今まで一度も凶を引いた事がないので、本当に凶ってあるんだろうかと疑ってた事がありました…ちなみに今年は大吉でした。
やったー しゃべらせてクリ一番乗りゲット\(^^)/ いやいや、最後を目指さないと!
でも今年の一番で、なんだか良いことありそうな気がしてきました。ありがとうございまーす!
今年も配信楽しみです。よろしくお願いいします。
「自称保守論壇」という村の実情がよくわかるゴー宣でした。読めば読むほどこの人たちは「個」が弱い人々なのだなと思いました。
先日、新大河ドラマ「軍師官兵衛」を見ました。私にとって印象深い部分は官兵衛の父、黒田職隆が自らが仕える小寺氏と敵対する赤松氏が彼の才能を見込んで、離反するように説得されるところです。職隆は「目薬屋を営んでいた自分を取り立て、小寺氏の養女を妻に娶らせ、家老にまで任ぜられた殿の恩義を忘れはしない。損得で動くのは商人のやることだ」と言いました。(確かこんなハズだった・・・)目先の「利」ではなく、「義」を重んじた黒田職隆の信念に心震えるました。
今週発売される「大東亜論」もそのような信念をもった益荒男たちの物語だと思います。明治維新以降、目まぐるしく日本だけでなく世界の情勢が変化する時代に、彼らがどのような理想を持ち活躍したのか、そして現代を生きる私たちに通ずるものを発見し、今をどのように変えていくのか思考したいです。
Q&Aで「永遠の0」が出ていましたが、私も小説と映画、両方とも見ていません。サヨクぶった女友達が「あの作品は戦争を賛美してるから嫌い!」と感想を述べてたので、「ホンマかいな?」と思って読もうと考えてましたが、そこまで深みのある作品でもないのかなと思いました。
みなぼんさんが編集後記でおみくじについて書かれていましたね。凶が出るおみくじってあるんですね。今まで見たことないので驚きました。今年私はおみくじは引いていないのですが、元日早々パンツが破けるという珍事が発生しました。後ろがザックリと・・・「これは不吉なのでは・・・」と考えましたが、「中学生の頃からのものなので寿命だろう!ハハッ」と自分に言い聞かせました。
なんか今年は波乱の予感・・・?
人間関係でも『集』に落ちて行ってしまい『個』が失われること多いこと多いこと。孤独になることを極端に嫌い、孤立しない為なら、相手に徹底的に遜っても、友達ごっこ、仲間ごっこしてる連中、売るほど見てきました。ネットスラングで、リア充てありますが、それに入りたくて、必死で仲間に入る為にきょろきょろして、リア充に、すり寄る連中を『キョロ充』と言うんだそうです(笑)本物のリアルに充実してる人は、自然とまわりに人や支持者集まるが、キョロ充は一人じゃ何も出来ないこと分かってるが、必死で現実を見て見ぬふりしてるんだとか。少しスケール小さい話ですが、本日のライジングで、ポジショントークもキョロ充も、一緒だと思いました。自分自身、倫理や公を失うくらいなら「ぼっち上等」を貫きたいと思っております。
あけまちんこおめでたまきん!(^^)!
正月早々見事な富士山ですね。都心で過ごしてると自然の荘厳さをつい忘れてしまいます。
今年もライジングとともに元気に歩んできます!
今回はまたまた大変勉強になりました。右も左もポジショントーク花盛りですね。「個」をしっかり確立してぶれない自分の意見を持つことが本来言論人として必要なのにと残念でなりません。
「個」が確立されず自分で稼ぎを得る能力が乏しいので、総選挙の際は国に何とかしてもらおう的な意見が多かったのかもしれないと今更ながら思う次第です。
みなぼんが3年連続で凶を引いていた事実が衝撃的でした!!
私は凶なんか一度も引いたことない。そもそも大阪では無いのかな?
「人を差別する心」は私にもある。
もし、一緒に初詣に行ったツレがおみくじで凶を引いた日にゃ、
その日一日は、徹底的に馬鹿にしイジメ抜くと思います(笑)
いわば「うんこ踏んだヤツ」と同じくらいの扱いをします。って、みなぼん、うんこもしっかり踏んどるやんけ!!(爆笑)
・・・でもまぁ、はんなり凶女のみなぼんさんが、
今年はついに素晴らしいおみくじを引かれたとは吉報です!
今年一年。よしりん企画の快進撃に期待しております♪♪
まもなく発売される『大東亜論』が本当に楽しみです。早く読みたい!
スクナビコのおっちゃん、可愛く描かれていますね。確かにビカーン!て、頭の先っちょが光りそう。しかし脳ミソがピーマンか!って…こんな叱られ方されてみたい。いやはや、あまりに可愛くて、脇の下をコチョコチョくすぐってやりたくなりました。でも、つぶされちゃったね、ぷちっ…て。
それから、みなぼんさんの御神籤のエピソードは、私も、茶魔が「大凶(だい・メでたい)」を引き当てて、おとうちゃまが「でかしたぞ~!」と感激している話を思い出しました。また、袋小路とのカレー対決が、とても印象に残っています。「あんカレー」、実際に作って食べたけど美味かったなぁ。それから、貧ぼっちゃまが消しゴムのカスを集めて握って作って販売していた「オニギリ消しゴム」も、私もやったなぁ、「芯だけエンピツ」は不可でしたけど。
ライジングの感想から、かけ離れた「ポジション逸脱トーク」になりましたが、今週も配信ありがとうございました。
仮に集合体の中で生きるとしても、自分はスイミーでありたい。
そう思いました。
自分の書いた質問内容が誤字脱字しまくってますね。大変申し訳無い。
そして、先週のコメント欄への書き込みですが、magomeさんには途中になってしまって大変申し訳無いです。
後出しジャンケンや蒸し返しをしようとは思わないのでこの場を借りて謝罪します。
みなさま こんにちは 後藤です
<「個」が消滅して、「集」に融合してしまうのだ。>
小林先生の言葉は なんと端的に本質を表現するのか。
ポジショントークでないからコロンブスの卵のようにハッとさせられる。
「私」と「公」、「個」と「集」。
今年も 重要なテーマになりそうですね。
あなたが私に何を言いたかったのか、今はわかる
あなたは正気さゆえに、いかに傷つけられたことか
そして彼らを解き放とうといかに努力したか
彼らは耳を傾けようとはしない
でも、いつかはきっと聴いてくれるだろう
苦しみが刻まれた顔
それらが芸術家の愛に満ちた手で塗られていく
彼らはあなたを愛せないけど、あなたの愛は本物
そして希望がすべて消え去ったあの星の降る夜
あなたは恋人達と同じ人生を選んだ
でもヴィンセント、あなたに言えたはず
この世界はあなたみたいな美しい人向きではないのだよ
星の降る夜 肖像画が1枚かかってるほかは何もないホール
名もない壁にかけられた枠のない顔
瞳は世界を見つめている
今ならあなたが私に言おうとしていたことがわかると思う
あなたの正気さゆえに、いかに傷つけられたことか
そして彼らを自由にしようといかに努力したか
彼らはあなたに耳を傾けようとしなかった
今でも聴こうとしないし、多分、これからも永遠に
http://d.hatena.ne.jp/threeleaves/20091213/1260691873
一人でいて寂しくない人間にならねば。
「世間体なき共同体」ってこの国では可能なんでしょうか?
うちの近辺は田舎で、年数回は町役場から広報誌とかを集落の小組合の役員とかにまとめて渡されて、それを一軒一軒役員は家を訪問して配らなきゃならない。今や田舎でも年寄りでも携帯を持ってる時代なので、メールを一斉送信すれば済む話なのに、わざわざ税金を使って広報誌を作って配らせる理由はないし、郵送とかで済ませればよからぬ噂とか立てられそうで怖いし…。
それから田舎では消防団や青年団に入らなきゃいけないところもあり(うちの近辺は任意ですが)、もちろん消火活動なんかの仕事もやりますがそうでない時は勝手に集まって酒飲んだり、一緒に地元の風俗の店に集団で行ったり、韓国や東南アジアに買春ツアーに行ったり…。
もちろん共同体は大事ですが世間体が絡むと異論が言えないし組織の腐敗を放置するリスクがあるのにねえ、とは思います。
そういう共同体の世間体の縛りが嫌で、若者が田舎に残らないし、都会から移住してくる若者が馴染めない原因だと思います。もちろん都会でも会社組織の飲み会みたいな世間体の縛りから逃れられないのも事実ですよね。そんなメンタリティから日本人はもう少し自由になれないといつまでたっても欧米なんかと対等に付き合えないのかな?とも思ってしまいます。
長文失礼しました。
よしりん師範、木蘭師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、本年もよろしくお願いいたします。
まず、映画「ハンナ・アーレント」について書くことをお許しください。「ユダヤ人を絶滅させなければならない」という妄想にかられてそれを実行に移したヒトラーは徹頭徹尾「私」の存在でした。そのヒトラーが組織したナチスという私的集団において優秀な官僚であったアイヒマンは、考えることを止めてポジションに相応しい働き=ユダヤ人をガス室に送る事務手続きを続けました。これはオウムという私的集団における麻原と幹部の関係に似ています。
しかしナチスやオウムが特殊なのではなく、組織が罪を犯す場合、そこに属す凡庸な個人が善悪の判断を放棄することで大きな被害が起こり得ます。例えば利益最優先、株主への配当最優先の私企業の場合、たとえトップに悪のカリスマがいなくても社内の人間は「凡庸な悪」になる可能性があるわけです。毒物と知りつつ売り続ける企業や公害を出し続ける企業が典型ですが、経済界が結託して空気をつくりだし、TPP参加・改革路線推進・原発再稼働・経済成長路線推進といった要求をマスコミとホシュ政治家に働きかける現状も、やがて庶民に被害が及ぶことが判ってやるわけですから同様だと思われます。凡庸な悪となりうる者の集合体が経済界であり、その走狗が産経新聞などホシュメディアであり、自称ホシュ言論人はそこでムラを形成して棲息し、ポジショントークを繰り返しているわけです。
大戦中ナチスの手を逃れたユダヤ人アーレントは、米国に渡って哲学者・大学教授の職を得ました。戦後逃亡していたアイヒマンが逮捕されると、アーレントは裁判の傍聴を希望してニューヨーカー誌の特派員となりました。米国やイスラエルのユダヤ人社会からはアイヒマンを悪魔のような人物として描くことを期待されましたが、アーレントは見たままの凡庸な官僚として描き出しました。またユダヤ人指導者がナチスに協力したせいで犠牲者が増えたことにも記事で触れました。ユダヤ人社会から総スカンを食らったとしても、ユダヤ人学者としてのポジショントークには堕さない決意をしたわけです。このアーレントの姿勢は、「ゴー宣」を続けるに当たってどの陣営にも属さず「王様は裸だ」と言い続けてきたよしりん師範にぴったりと重なりました。「自ら省みて直くんば千万人と言えども吾往かん」という言葉は頭山満とよしりん師範のためにある言葉だと思います。だから私にとってよしりん師範は最早日本で唯一信頼できる言論人なのです。
さて、天皇陛下は臣民全ての幸福を祈る究極の「公」の存在です。日本の国体は「天皇を中心に置いた支配無き自己統治」だと『天皇論』シリーズで教えていただきました。左翼が言うように私+私+私…=公とならないことは明らかであるため、やや飛躍しすぎかもしれませんが、日本における様々な共同体に属す個人は、常に公の存在としてある天皇陛下の祈りを大なり小なり意識することで公のための活動ができるのかもしれません。天皇という公の存在が消えれば日本人は自己統治ができなくなり、四分五裂する私的集団内で空気に支配されるだけの烏合の衆になるでしょう。
自称ホシュ言論人の天皇なきナショナリズムは左翼の反天皇制も同然であり、皇統断絶に向かう男系絶対を主張しているという点からも全く信用ならない代物です。結局ポジショントークしかしない口舌の徒は、翼の左右を問わず、本業が学問かジャーナリズムか政治かも問わず、プロフェッショナルではないため、「凡庸な悪」の世間を形成するしかなかったのでしょう。そして左右の言論人がグローバリズムを礼賛し続けたせいかどうかは知りませんが、あらゆる業界において本物しか生き残れない時代が到来し結局自らの首も絞めることになりました。
プチっと潰れてしまったスクナビコナのことは気になりますが、今回はもう長くなりすぎました。でも「目線を下げろ」「現場を見ろ」というプロのための重要な教えは頂きました。
「プロになれ」「プロの時代だ」という先生の予言はこうして当たりました na85
「村八分」って放送禁止用語らしいですね。火事と葬式ぐらいの付き合いくらいでいいのに、とも思うし、実際田舎でもほとんどがそんなものでしょう。この言葉が放送禁止用語にされているこ自体、放送業界やマスコミや広告代理店の変な意図みたいなものを勘ぐってしまいます。自主規制を生んだ背景は世間体であることは間違いないでしょう。
新年最初の更新お疲れさまです。
なかなかいい記事があったので、紹介しておきます。
現在のネットは「群集」を生成する装置になっている~コラムニスト・小田嶋隆氏インタビュー
http://blogos.com/article/77410/
『デルクイ』
という雑誌は
おもろいっす
新年あけましておめでとうございます。
本年もライジングの配信がある毎週火曜日を楽しみに日々過ごして行きたいと思います。
産経新聞社が主催の論壇賞に首ったけになってる言論人には言論を生業としていることに対するプライドはどこにいったのですか?と問うてみたい欲求にかられた反面、自分も承認欲求はあるし、批判されるより褒められたい部分を少なからずもっている人間なので、彼らを他山の石として確固たる個を確立しなければと思った次第です。
スクナビコナの神様がオオクニヌシの命に踏みつぶされるというショッキングな事件から幕開けた新年一発目の「ザ・神様」。天下一武道会で悟空がピッコロを倒したあとのドラゴンボール並みに次回の展開が気になります。
スクナビコナの神様、生き返ってほしいな。
そして「定期的に木蓮先生の作品が読めるのはライジングだけ!」というキャッチコピーでライジングの宣伝が出来るくらいに「ザ・神様」が世に広く知られる日が来て欲しいと思った新年一発目のライジングでした。
配信有難うございますm(__)m
本年も宜しくお願い致します。
易きに堕することなく「思考し続ける忍耐」力を身に付けられるよう精進したいと思います。
現行憲法を守れば戦争にはならないと信じている
サヨクを批判してきた自称保守は、憲法改正すれば
日本は安泰と信じ込んでいる、というのは本当に
そのとおりだなと思いました。
それにしても右も左も、言論界というのは、ここまで
露骨なタテ社会でありムラ社会、そのうえコネ社会
だというのは想像以上でした。左右問わず、言論人には
官僚の批判をさせたら天下一品という印象がありますが、
なんだ、自分たちだって同じじゃないか、と。
先日「ハンナ・アーレント」を観に行ってきましたが、
職や社会的地位だけでなく、故郷や家族をなくした
ユダヤ人亡命者であるハンナにとっては、自分の人生
そのものであったであろう友人達を失ってまで社会へ
の責任を果たし、自分に誠実であり続けたハンナは
なんて強くて立派なんだろうと思ったものでした。
映画を観た後にこの度のゴー宣を読み、よしりん先生
のご指摘のとおり、ムラ社会の歴史が長いゆえに個が
脆弱で、集に埋没してしまいがちな日本人が個人性を
保ち続けるのは、ある意味あのハンナ以上の強さを
必要とするのではないかと思いました。
元坂口しゃん、しゃべらせてクリ!の最優秀賞
おめでたまきーーん!!d(^O^)b
ついに前人未到、4回目のMVPを取っちゃいましたね。チクショー!!
私は、巻き返さなくてはならない o(^o^)o
今更ですが・・・「しゃべらせてクリ!」はすごく面白いですよね♪
私も毎週、「これ以上、何も思い浮かばない」という状態で投稿するので、
「みなさんは、よくそんなネタ思いつくなぁ」と感動します!!
それと、また、何か企画を考えましょうネ♪
私がコメント欄で何か企画を提示するときは、
怖くて怖くて仕方が無いのです。
「独りよがりになってないか?」とか「無礼になってないか?」とか、
色々と不安を感じ、萎縮します・・・・・・。
でも、「あれ?この企画は皆さんに楽しんでもらえるのではないか?」という好奇心が、各種の恐怖心を上回る衝動になりますo(^o^)o
元坂口さんも同じ気持ちじゃないかなぁ、と私は勝手に思っていまして、
勝手に同志意識を持っております☆
ってなわけで、今年もどうぞよろしくです♪
配信お疲れ様です
Q&Aでは見事に失態を晒してしまいました
正直質問を送った後出来の悪さに気付いたのですが
駄目出しを貰うならそれも良いかな、と思い
そのままに回答を待っていた次第です
確かによしりん先生の仰る通り靖国があったところで
まともに戦争が進む事など有り得ないでしょう
ベトナムの様に戦闘経験があるわけでもなく
且つ指揮官となるであろう安倍に戦略を練る能力も無い
泥沼になるのは想像に難くありません
陛下がそれを望んではいないことなど明白です
靖国よりも大事なのは「公」であることにも同意します
只私は靖国を支える土台として「公」があるとも考えます
靖国神社は勿論世にある建築物は先ず基礎の工事から始まります
どんなに立派な建物でも基礎が無ければ建物自体の重さで
自然沈下が起きバランスが崩れ倒壊する恐れがあります
これは建築物に限った話ではなく世の出来事に対して
ポジショントークしか出来ない知識人、ひいては時に
ズレた発言をしてしまう私にも当て嵌まると思います
立派な価値観を掲げたところで「公」が出来てなければ
やがて重さに耐えられず潰れてしまうのでしょう
思考し続けるのって大変だと思います。
疲れている時や余裕のない時は、何も考えず楽な方に流れていきたくなったりします。
でも、それって何も生み出さないので、つまらないんですよね。
論壇ムラの方々は、本来、考えることを仕事にしている人たちなのに、思考停止して良いわけがないです。ムラに合わせて、同じことばかり言って、何も進まず、発展することがなく…一体何をやっているんでしょう。
論壇ムラだけに限らず、私たちの周りには、こういったムラがたくさんあります。私も嫌な思いをしてきました。
でも、一方、ふとした瞬間にそういうムラに取り込まれそうになる時もあります。
「思考し続ける忍耐が必要」という言葉を忘れないようにしたいです。
以前にも書きましたが、産経新聞は神社関係者が応援購読で何部も取ってたりするので、実際の読者は発行部数より少ないと思います。
小林よしのりライジングVol.68配信ありがとうございます。
今年もライジングの配信を楽しみにしてます。
今回のゴー宣、「思考し続ける忍耐が必要である」
肝に銘じます。
そして、出来るだけそれを楽しめるようにしたいと思います。
今年の目標にしよっと。
では、来週も楽しみにしてます。
まだライジングの感想が書けていませんが、昨日「大東亜論」ゲット!分厚いです!
都心なら売っているところもあると思います。
じっくり読ませていただきます!
vol.68の配信ありがとうございました。
プロの技術屋になって二十年くらいですが、「先生」などと呼ばれたら、「オメーに教えた覚えねぇし、その呼び方やめてくんね?」ってな感じでケツの座りが悪くて仕方ありません。それに、戯れ事もし難くなりますし、市井の生活者にいいことなんか殆ど何もありません。「先生」とよばれてノボセ上がれる自称保守の人は、随分ハッピーな脳ミソなんですね。
「 ムラの集団性より、思考する個人性 」
↑出ました! 今号の金言です!!
「雑音」には論理もないし共感も得られないので、さらにしつこく承認要求して「集」う(おうとする)負の連鎖で圧力を得るしかないのでしょう。
木蘭先生の「ザ・神様!」、スクナビコナの神の言葉がズケズケ胸に響き、笑いコケました。人間的な感性を突く表現が鋭いのは、「集」の穢れに染まって格好つけた私心満載の大人よりも、むしろ失うものが少ない子供やスクナビコナの神のようなヨッパライの方なのでしょうね。ライジングはもちろん、小林先生の作品はどれもそのような優れた感性にあふれています。木蘭先生にも同じものを感じます。書籍化が待ち遠しいです!
はやく「大東亜論」™を買いに行きたい!
(徹夜明けで、もはや妖怪人間ベムの声です)
先ほど、みなぼんさんの故郷・静岡でも「大東亜論」フライングゲット出来ました!
私は職場が静岡なのですが、何となく昼休みに行ったマークイズ静岡にある書店のレジの正面にドンと平積みしてあったのを見てしまい、その重さに帰りの心配をしながらもゲットしました。帰りの新幹線でゆっくり読ませてもらいます。
新年早々、配信お疲れ様です。
僕もTomoXXさん同様、Q&Aの『永遠の0』の映画評が気になりまして、自分なりの感想を述べさせてください。
僕は元旦に『永遠の0』を観に行きましたが、号泣とまではいかずとも期待していた以上に良かったと思いました。
映画をちゃんと観ていれば分かりますが、主人公の行動原理は「妻と子どもの幸せを守るため」であり、それは生き残った人の証言からも語られています。
特攻という手段を選択した理由は主人公の口からは語られていないので観客は推測するのみですが、敗戦濃厚で日本は滅ぶかもしれないという物語状況や主人公の行動原理を考えれば答えは明らかです。
それは『戦争論』で描かれている、私を公に昇華させた特攻隊員の心情に非常に近いものを感じました。
教え子や部下が乗る特攻機を直掩機で援護しながら見送るしかできないことに葛藤を覚え憔悴していく様子も描かれていましたが、それも『戦争論』で似たようなエピソードがあったのを思い出しました。
主人公が最後にした「ある選択」も私と公の葛藤を乗り越えたからこそだと思います。
映画の中である登場人物は「物語を紡いでいかなければならない」と言っていました。
同感です。主人公も実在の特攻隊員も何のために己を断って、特攻という「統率の外道」を選んだのか。
英霊となった人たちの思いを継いで今の日本人は何を守り継いでいかなければいけないのか。
全てが映画で示されているわけではありませんが、観た人が実際の特攻隊員や戦争について考えるきっかけになるかもしれない台詞だと思いました。
紡ぐことは思考し続けることと同義ではないでしょうか。
本日札幌で「大東亜論」ゲットしました!
明日仕事休みなので、ゆっくり読もうと思ってます。
あと小林先生のブログで、今日の昼食にカレーうどんを食べたと書いていましたが、3時のおやつにカレーせんべえを食べていたら、面白かったと思いました。
そういえば、カレー千衛兵さんに報告です。
今週の月曜日・火曜日は久々に「豚汁(ぶたじる)」を食べました。
雑煮もいいけど「豚汁(ぶたじる)」も美味しいですよ!
カレー千衛兵さん、na85さん、daiさん、
遅れましたが、写真に対するコメント、お歌、ありがとうございます。
午年なので馬の写真にしてみました。
私、馬と結婚したいと思うくらい馬が大好きなんです(笑)騎手や厩務員を目指そうと思ったこともありました。乗るのも好きですが、お世話したり、傍にいるのが、好きです。ベタベタし過ぎて、馬に嫌がられることもあるくらいです(^。^;)
カレー千衛兵さんへ
確かに、写真の人、鼻の上も下も伸びてますが、元中央競走馬で、引退後もJRAで訓練馬として活躍した、リッパな方なのです♪もうお年ですが、私もいろいろ教えてもらいました(^-^)
na85さんへ
今回の歌、ぐっときました。とても嬉しかったです。ありがとうございます(*^_^*)最近は乗馬もなかなか出来なくなってしまいましたが、時々馬に乗って駆ける夢を見ます。今はもう死んでしまった、私の大好きな馬「ハヤテ」が駆けてきて、私を背中に乗せてくれる夢を見たときは泣きました(T_T)
daiさんへ
可愛い歌ですね。ありがとうございます。
船の歌も良かったです。daiさんは普段着な感じの歌が素敵ですよね(^o^)
この写真は作品撮影なので、あまりベタベタしていませんが、普段は顔にムギューっと抱きついたりしてるんですよ(笑)
いつも皆さん、ありがとうございますm(_ _)m
9日に長野で「大東亜論」購入しました。
これからじっくり読んでいきます。
しかしこの分厚さ・・・穏やかじゃない。
>>47 monmonさん
おぉぉ「初・豚汁(ぶたじる)」を食べたいなぁ(⌒▽⌒)
寒い今がベストシーズンですよね☆
実は私「カレーうどん」も大好きなんです(笑)
自己紹介は、「カレーの国の王子様になりたい♪」にしようかな?
NMB48チームM・川上礼奈(れなぴょん)の「うどんの国のお姫様になりたい♪」とカブってしまう。というか「カレーの王子様」てのもありましたね(笑)
「大東亜論」をフラゲした人達が裏山鹿根ぇ~。
久しぶりに読みたい本が読みたいです!
今、私は「読みたくない本」ばっかり読んでいる生活です。
年末から、10年以上やってきた経理の他に、
システム開発部を「兼任」することになりました。
今年中に国家資格とやらを3つほど取らなくてはなりません(泣)
新しい仕事も、覚えることだらけですし、今までやってきた仕事の引き継ぎのマニュアルを作ったりと、目が回りそうです。
ライジングへの参加も、そのうち、これまでのようにはできなくなるかもしれない。
・・・今、自分がこの立場になって気づいたことは、
AKB48で「兼任」しているメンバーは本当に大変なのだろうと思いました。
一体、いくつの「振り付け」を短期間でマスターしたのだろう?
とくに、みおりん(市川美織)は、東日本ツアーがあって新公演もあって、
その苦労は、きっと私の想像を絶するものなのでしょう。
みおりんには、その努力に見合う分、報われて欲しい!
そうじゃなきゃ夢がない。
>>20
隼人さん
映画の内容は「邦画としては上出来」です。
よく出来ましたという二重丸ではないですが、一重丸付ける程度です。
テンポが良く、中弛みもなく、飽きは来なかったです。
ただ、やっぱり邦画の駄目な例で、キャラが薄っぺらかったですね。
本当に特攻隊がどうして「まる」つけて志願したのかその動機や意気込みがあの映画では描かれてないので、どうも薄っぺらく感じてしまいます。
これでは戦争に駆り出されてゆく若者がただ不憫であるという印象しか与えられないですね。
昔NHKで「わたしが子どもだったころ」という番組で松本零士の幼少時代をドラマで再現してましたが、松本零士の父が戦前戦中戦地に部下を送り込んだという負い目を感じて、自分の家が貧しくとも部下の家族に慰問をし続けてゆくという、そんな感じに受け取られます。
以降、松本零士の作品はその父の姿を写すような描かれ方をしていったそうです。
永遠の0を若手論客の古谷経衡が絶賛してますが、彼は次に出て来る映画をどんどん褒めてゆくのだろうと思います。
>>15
TomoXXさん。
特攻隊の志願する理由が抜けてしまってはあの意義すら失われるという、正に画竜点睛を欠く、と言ったものです。
よく出来た映画なのに残念な出来になってしまいました。
若者が臆病な上官を馬鹿にしているという点で、何だか無駄にしてしまっているなあと思います。
これでは丸で度胸試しじゃないかと思ってしまいます。
あの描き方だと特攻隊が愚かな作戦で志願者も愚か者と言う印象しか与えられないです。
特攻隊といえば、やなせたかしの弟は人間魚雷に乗っていたそうですね。
自らの頭をちぎってお腹空かせている子供に分け与えるアンパンマンこそ、特攻隊の精神を体現しているのですが、永遠の0よりもアンパンマンを観たほうが健全だと思います。
個人的には岡田准一の出す悲愴感が、若かりしV6を漸く卒業したという感じがして良かったと思います。自分も含めておっさんになったのですねえと、しみじみ。
夜分、失礼致します。
カレー千衛兵さん、大変、失礼致しました。
m(__)m
名前を間違えていました。
全く気付きませんでした…。
すみません。
>>46
Kazutakaさん。
「妻と子供の幸せを守るため」と言うのが、この特攻隊の意義を矮小化させているんじゃないかと思います。
彼等は「皇國」を守るために死んでいったのですから。
妻子を守るのなら態々志願しなくても傍に居てやるだけで良いという事になってしまいます。
岡田准一演じる宮部教官が結局現実の重責に堪え切れなくなって自殺するかのごとく死んでしまう印象しか感じ取られないです。
ただ、この映画に救いを求めるのなら、宮部が部下の乗る特攻機とすり替えて乗る理由が「部下がこの国になくてはならないものだから」と考えているところですね。
本当に「ちゃんと」観れば、ここに特攻隊の精神が描かれているのですが、話の流れだと埋もれ気味になるなと感じてしまいます。
「永遠の0」は安倍真理教の広告塔となりつつある百田尚樹が作者という時点でどうにも見る気がわかなくて・・・
「海賊とよばれた男」も話としては面白そうですけど、読む気が・・・それを凌駕するだけの作品なんですかね?
よしりん先生、スタッフの皆さま、今年も楽しい作品がたくさん届けられることを期待しております。よろしくお願いします。
今週のゴー宣、ポジショントークについてとってもよ~~く理解できました。ジャーナリズムの基本は、真実を伝えるというごくごくシンプルなものだと思います。しかしそれが、ムラの風潮によってゆがめられているんですね。本当に、こういうことはもううんざりです。ケツの穴の小さい男(女も)だなぁと心底さげすみたくなります。
ゴー宣を読んでいて思ったんですが、これは人格の問題ですね、きっと。人格がセコかったり、器が小さかったりする人たちがあざとく真実を歪めているんですよ。能力が足りないだけというのであれば、背伸びしないで黙ってればいいのに、能力が足りなくて、そのうえ人格がセコイから、ポジショントークに堕するしかないんでしょう。
こういう人たちの声が大きく響いていることは、本当に不愉快です。特に男系絶対と原発とナショナリズムについて何か言ってるのを聞くと、ジンマシンが出そうです。立派な公害です。
よしりん先生の創作意欲の高さには舌を巻きます。読者としてはうれしい限りです。大東亜論は楽しみですが、AKB48論を少なくとも6回は読んだ者としては、揺り戻しがきつすぎやしないかと少し不安です。
チンケな言論があふれかえっているなか、よしりん先生の作品は本当の知識、知性、感動を与えてくれます。よしりん先生、スタッフの皆さま、今年もがんばってくださいね!!!!!!!! 熱烈に応援してますぜー!!!!!!!!!
「大東亜論」読みました。「日本が守るべきものは何か」という事を自覚し、命がけで政府と戦った頭山満・来島恒喜ら玄洋社の面々の活躍に胸が熱くなりました。
彼らは意見が衝突しても決して私心に拘泥せず、相手を認め合う態度を身につけていたんだなと感じました。国家の為にいかに公論を作り上げ、そのうえで自分達には何ができるかを考えていたようにも見えました。
特に印象に残ったのは、大隈重信が自分を暗殺しようとした来島を讃えた事です。大隈が売国的な条約改正案を出した時に怒りを感じましたが、このエピソードを読んで大隈を見直しました。思想や利害に関わらず、己の信念を貫けば、人間はきちんと評価されるんだという事も痛感しました。
あと登場人物は、豪快で器が大きい人ばかりだなと思いました。今の日本人に必要なのは「器の大きさ」なのかと、読んでいてどうしても考えてしまいます。
「大東亜論」は間違いなく大作になるでしょう。早く続きが読みたいです。最後に小林先生、スタッフの皆様、これからも元気で描き続けてください。
『大東亜論』買いました~♪(*^o^*)
神保町の三省堂では、レジの前の良い場所に
平積みされていましたよ。目立ってました!
ゆっくりじっくり読みたいと思います。
>>53 ニセただしさん
むしろ「カレー千衛兵」こそが、間違ってる感ハンパないので、
なんにも、お気になさらないでください♪
「カレーせんべい」というハンドルネームは、下町っぽくて、気取らなくて、
人からは、ちょっとバカにされるくらいの感覚で親しまれたらいいなぁ、
という思いが込められていますので(⌒▽⌒)
>>48 mayuさん
そっか・・・。mayuさん、好きな人いたんだ・・・。
そうですよね! そりゃ、いますよね!
年配の方で、引退後も活躍されていたなんて、素敵な人なんでしょうね。
どこの馬の骨か分からんヤツよりは、あきらめがつくと言うものです。
・・・はぁ、ウマれ変わりたい。
フリージャーナリストのようにフリーの人のポジショントークの理由は以前のゴー宣でわかりましたが、大学教授のような安定した職業のひとまでそれに陥るのは理解できませんでした。しかし、今回のゴー宣でよーくわかりました。
まさか、小遣い稼ぎと虚栄心のためだったとは…、それだけのために小さい小さい媒体に執着していたとは…。しょうもなさすぎて意外でした。
雷神宮歌会サブ酒
○僕の顔 赤かったのは 酒のせい 君の瞳の せいではなくて
失礼いたします。
大島優子さんの卒業に関してよしりん先生、
僭越ながら全く思っていた通りの事を
ブログに記しておられて良かった。
「大島優子のAKB48卒業」は決して
「プライベート」な事柄では無い!
と考えていました。
大島優子さん充分にその覚悟と責任感、
さらに言うならその後の批判の声も
全て承知の上での発言だった思います。
よしりん先生、大島優子さんの事を
盛大に力一杯!守ってあげて下さい!
【大東亜論を読んだ感想】
「論から物語へ」の言葉通り、純粋に漫画として楽しめました。
スケールの大きい理想を持ち、それを実行した男たちの躍動を
迫力のある絵で表現されていて圧倒されました。
そして【大東亜論】もまた「ゴーマニズム宣言」なのだと思いました。
「人間が一番守らなければならないものは『美意識』である。」
と、この作品から感じ取ったからです。
「ゴーマニズム宣言」は美意識の所在を明らかにしてきた本であると、私は再認識した次第です。
さて【大東亜論~巨傑誕生編~】で印象に残った場面は、
箱田六輔が割腹した話です。
また、頭山と玄洋社が、箱田家を手厚く援助し続けた話に涙が出ました。
「頭数にたのむ精神」ではなく「一人を以て千万人に当たる気概」こそが、
公のためには必要であると、我々も知らなければならないと感じました。
「一人でいて淋しくない人間になれ!」
また、来島恒喜の臣事の決行、そして自刃の場面に涙しました。
「天下の実行者と事を共にする」と言った
来島恒喜の言葉は重いと思いました。
「天下の諤々は君が一撃にしかず!」
私は、現在の時事問題について、自分はどのように考えるべきか、
毎週配信されている小林よしのりライジングを読んで学ばせて
頂いております。
正しい判断をするためには、正しい情報を得ることは大切と存じます。
しかし最も大切なことは、「正しい美意識を磨き続けること」であると
【大東亜論】を読んで感じました。
【大東亜論】はまだまだこれからも続くとのこと。
頭山満をはじめ玄洋社の男たちの躍動と美意識の物語に、
刮目していきたいと存じます。これからも期待しております。
雷神宮歌会 メインテーマ:―個―、サブテーマ:―右―、―左―、―酒―、―薬―、―亜―。
○個人では 右も左も 判らぬが マスに混ざれば 強く出るゥヨ
○依存性 ありて麻薬の 亜種なれど 酒は百薬の 長と云うなり
○炸裂し 伝説になりし 集団は いざ大亜細亜へ 雄飛の刻ぞ
○集団に 収まりきらぬと 知られてた 推されぬエースを 笑顔で送れ
「AERA」の対談を読んだら優子がゴリ押しされない理由が判った na85
岸端編集長、小林師範、泉美師範、時浦師範代および、よしりん企画の皆様、今年もよろしくお願いします。そして、新年初のライジング配信、御疲れ様です。
自称保守系雑誌は小林師範がWAC出版の「WILL」で「ゴーマニズム宣言」の連載を止めるまで、一定の関心を寄せていたのですが、あまりにも型に嵌った文章のために「WILL」で「ゴーマニズム宣言」を終了して以来、見向きもしなくなりました。正直言って、現在「大東亜論」を連載している雑誌、SAPIOもありきたりなビジネス雑誌や自称保守系の主張とあまり変わりがないことから、もし、小林師範が「大東亜論」を含む「ゴー宣」を連載していなかったらSAPIOの購読もやめると思います。親友にもゴー宣の単行本は買うがSAPIOは買わないという人が周囲に居ました。
これまで様々な言論人の主張を読み、活動を見てきましたが自称保守、革新左翼問わず、日本人が古来から養い、維持し続けてきた価値観を繋げて守っていこうとする行為が不完全ではありますが見られました。これは極左を除く、左翼、サヨクが行き過ぎた大量生産、大量消費に反対し、その一方で自称保守が國防のために武装強化を唱え、國家と國を守り、戦前、戦中日本の行為を冷静に分析する所に、日本人としての価値観を守ろうとする一例が見られます。しかし、ここで問題となってくるのが、自称保守も左翼、サヨクも小林師範が仰ったように欧米のような個性を維持する強い意志がないために、自分の主張よりも論壇者たちの集団に属することを目的に活動してしまい、自分自信を養うための知的誠実さや知性を養い、己自身の言葉と知性として吸収する柔軟性を失い、その結果、ネットなどから流入する大量の情報と同調圧力に流されて思考することが出来なくなり、言論の内容も同じ内容で停滞するか、論壇者たちの集団と同じになってしまうというわけです。この原因は高度経済成長から始まった、それまで日本人が頼ってきた共同体の完全なる崩壊が原因なのではないのかと思います。
人間が集団で活動する生き物である以上、宗教などの文化、文明によって共同体を維持しなければ個性も育たず、維持することも不可能であり、これは欧米とて変わりはありません。日本の場合、高度経済成長に伴い経済的に豊かになった一方で地域の過疎化と都市への人口流入、そして都市の急速な発展と変動によって明治以降の近代化によって崩されてきた、都市や都市以外の地域で維持されてきた共同体が完全に崩壊し、その結果、日本人は頼るべき共同体を求めているのだと思います。
ネトウヨ、ネトバカは掲示板以外に精神的に頼る共同体がないために掲示板に執着していますが、言論人もまた、論壇者の集団以外に精神的に頼る共同体がないために論壇者の集団にいるために固辞し続けるのでしょう。これはいくら肩書が多くとも結果は同じだと思います。そして、政治家もまた、落選してしまうと政界という共同体から干されることになってしまうために集団に所属している論壇者と同じ結果になってしまい、その結果、國民が期待する政治家が不在という状況に陥ってしまうわけです。
近代化によって共同体が崩壊する前は、日本には全国的に共同体が何重にも存在し、例え一つの共同体から抜け出すことが出来てもまた、一つの共同体があったことから、今よりも自由に行動ができましたが、現在はこれら共同体がほとんど、皆無に等しい人々が余にも多いからこそ、自由な主張も、自由に主張できる環境も生まれないのだと思います。この現象は都市であれ、都市以外の地域であれ同じだと思います。國民國家であり、近代國家である以上、國の行く末を真剣に考えることは大切ですが、それと同時に國民、一人一人がそれぞれの地域で共同体の創造と維持を真剣に考えて行かなければ國どころか自分自身の生活も自分自身の手で守っていくことすら難しい世の中になると思います。言論界でも共同体について真剣に考えなければいずれ、國民の関心も現在よりさらに薄くなることだと思います。
泉美師範の「ザ・神様」でスクナビコナを潰してしまったオオクニヌシを見ていると、なんだか口達者だが加減を知らない弟と腕っぷしが強い兄貴の兄弟げんかそのものですね。ここで損をするのが口達者なやつで、お互いになかなか仲直りできなかったりするんですよね。もっと、漫才みたいに続いてほしかったのですが、オオクニヌシは今度はどうするのでしょうか?
「大東亜論」を購入して読みました。これだけ分厚く、かつ熱い内容であるのにまだまだ続きがあると思うと楽しみで仕方がありません。SAPIOでも読み終えたとたんに「まだかまだか」という衝動を抑えるのに必死なのに、この単行本を熟読するとこの衝動はさらに抑えられなくなるので困ってます。そして「大東亜論」に止まらず、新たに書き下ろしを出版するなんて、読者をどこまで楽しませたらいいのかと、楽しみが心から溢れ出てしまいそうです。「大東亜論」の書下ろしも師範の満足のいく作品になることを期待しつつ、次回のライジングと、明日の道場を楽しみ似ていします。
一週間ほど前に「かぐや姫の物語」をみて、七日に「ハンナ・アーレント」を見ました。SAPIO2月号で小林師範が「大東亜論」の欄外に「ハンナ・アーレント」には在特会やネトウヨなどの差別主義者が跋扈する日本にとって重要なメッセージが含まれていると述べていましたが、「かぐや姫の物語」も「ハンナ・アーレント」とは別の視点からして、在特会やネトウヨを含む現在の日本にとって重要なメッセージが含まれていると思いました。
まず、「ハンナ・アーレント」ではアーレントがアイヒマンを分析し、これからの教訓に生かそうという誠実な意味を論文に書き込んで読者に伝えようとしたにも拘らず、読者たちの大半が、読者たちの盲信するユダヤ人の絶対的な被害者観とアイヒマンのユダヤ人に対する憎悪だけに固執し、盲信から来る期待に応えなかったとしてアーレントに罵倒する様はまさに、在特会やネトウヨ、ネトバカ、そして自称保守たちに当てはまる行動でした。そしてアーレントを罵倒する人々とアイヒマンの共通する点が、アイヒマンも、アーレントを罵倒した人々も同じ「平凡な人」だという所に考える所がありました。映画の終わりにアーレントが冒頭で思考することの大切さと、思考を停止した時点で誰もがアイヒマン(自分の感想では、アーレントを罵倒した人々も含む)になれることであり、この思考停止が大虐殺や無差別殺傷、もしくは泥沼の戦争など、國運に悲劇をもたらす大きな要因になるという重要な意味合いが含まれているのだと思いました。
よって、自称保守やネトウヨ、ネトバカは自国の「優れている」部分を全面的に押し出しては中韓をこき下ろしていますが、本当に「優れている」か、あるいはなぜに「優れている」か追及せずに思考を停止している時点で、すでに、知識の時点で、自称保守やネトウヨ、ネトバカはアイヒマン、もしくはアーレントを罵倒した人々と同じであると見るべきで、自称保守やネトウヨ、ネトバカが自国の先進性を自国の将来のために有効に活用してくれるという期待も当然、持てず、帰って自国の先進性に泥を塗りかねない事態となりかねないわけです。
「かぐや姫の物語」はまさに胸を打つ作品で、これほど心に響いた作品は栄田に止まらず、本当に久しぶりだと思います。「かぐや姫の物語」の舞台となる里山は我が國の原点でもあり、原理でもあることが解る一方で、この作品では里山と都が完全に分離された社会であることがわかります。故に都で幾ら里山で養われた共同意識を望もうともそれは所詮、虚栄に満ちた「ニセモノ」の域を出ずに、自分自身もその虚栄の中にいる以上は本物を望めることはないことが痛いほど伝わってきました。物語の中盤で、かぐやに求婚を迫る貴族たちがいくら良き言葉を言おうとも、結局はその言葉の内容もまた虚栄心を満たすだけのニセモノであることがかぐやの無理難題によって暴かれますが、この箇所こそが現在の論壇誌におけるポジショントークとそのポジショントークを支援するネトバカ、ネトウヨを的確に表していたと感じました。論壇誌に限らず、僅かな震災で機能不全に陥る首都圏、想定内の震災で事故をお越し、放射能汚染を招く原発、津波に全く役に立たない堤防、冷夏に脆く、農薬、除草剤、化学肥料なしでは育てられない農産物や農業など、現在にはなんと、ニセモノが蔓延っているのやら。
「かぐや姫の物語」ではニセモノに気が付き、自身が求めていた本物に気が付いた時点ですでに手遅れであり、後悔しても後悔しきれない最期が待ち受けていますが、本物すら解らない、あるいはわかろうともしない現在の論壇誌でほざく輩やネトウヨ、ネトバカに果たして、このニセモノに苦しみ、本物を追い求めていた「かぐや姫の物語」の主人公に自分を重ね合わせることが出来るのやら。
物語の都では貴族と貴族以外の人々には売買などの交流はあれど、共同体はなく、完全に世界が分離されていました。故にいくら里山からの恵みをいただこうとも、里山にまでその意識は至らずに世界が分離した結果、共同体のない、虚栄に満ちた世界が作り出されているのだというのが現在の、私が感じた感想です。この世界はネットや論壇村に閉じこもっている人々にもまさに当てはまる世界で、この世界でいくら高貴な扱いを受けようとも永遠に我が國を含む、現実の世の中と分離され、その代償として飢餓や疫病、あるいは災害という天罰が下されるわけです。かぐやが人間界に居たときの記憶を消され、月に帰るというのはニセモノと本物を区別して認識した時にはすでに手遅れである場合が少なくないというna85さんが前回のライジングで述べた感想をそのままに表していると思います。これはネトバカ、ネトウヨはおろか、ポジショントークに引き籠り、TPP、グローバル、原発を推進している論壇者も絶対に「ハンナ・アーレント」とともに見ておかなければならない作品であり、この二作は今年、もっとも日本に影響を与える作品であってほしいと願います。
「風立ちぬ」より「かぐや姫の物語」の方が心に響きました。na85さん、作品の紹介ありがとうございます。
>>9 こいらさん おぼっちゃまくんの「おおめでたい」ですが、これは茶魔が「大凶」を引いたと思ったら、おみくじを引いた神社の神主さんに「それは千年に一回引かれる『大目出度い』という超幸運のおみくじ」と驚愕するという内容だっと記憶しています。どんな字だったから忘れましたが、大凶と字が似ていて、茶魔は当初、「大凶」と間違えていたという内容でした。そして、その回の終盤には隕石が茶魔が通っている学校の校舎に直撃し、校舎の修理のために冬休みが一週間伸びたことから、茶魔の友人たちが涙を流しながら「だいめでたい(だったかな)」と叫んで終っていたと思います。
単行本が手元にないので記憶だけを頼りに書いていることから、記憶違いなどの恐れがありますので、もし、よろしければ、よしりん企画に茶魔が「おおめでたい」というくじを引いた回について簡素に説明してくだされば、大変に助かります。
『大東亜論』早速拝読しました。
孤独であり無私であることは美しい生き様なのですね。だから頭山満はテレビもネットもない時代に国民から尊敬され一目置かれたのだと思います。
>>68
magomeさんへ。
まさにその通りです。
おぼっちゃまくんの漫画だと「大凶男にごえんありましゅ」の巻ですね。私は文庫版しか持ってないのですが文庫版の第1巻に載っています。
御坊家のお年玉が4人のおばあさんだったり、茶魔が子供が落とした5円玉を500万円で買って賽銭にしたら高額の賽銭を期待していた神社の神主ががっかりしたりとか、隕石が落ちて学校が休校になり大凶の意味が文字通り「雨降って地固まる」みたいな意味になったり、よしりん先生のギャグの毒と威力がいかんなく発揮された巻ですね。
そんな漫画を描いていた漫画家の秘書が凶ばかり引いていたとは、実に強運で「おおめでたい」巡り合わせかもしれませんね。
>>59 mayuさん >>31 こいらさん >>32 na85さん >>60カレー千兵衛さん
>>32 na85さん、前回のライジングコメント欄でおすすめしてくれた陽明学の入門書、二つとも購入しました。機会を伺っていは読んでみます。
>>59 mayuさん 私も同じ店で買いました。冒頭に積み上げられていることから期待の書籍であることが一発でわかりました。はやく、感想はがきを書いて出したいです。
実は、前回と今回のライジングコメント欄で冒頭に述べた四人方が里山および、共同体について述べていましたが、我が國の歴史から成る共同体とその成り立ち、そして現代における共同体の実情とそのあり方を徹底的に、かつ解りやすく解明し重要な書籍があります。
それは 内山節 著 農文協出版「共同体の基礎理論」という書籍です。本書は庶民から見た共同体のみならず、我が國の庶民における価値観を徹底的に解析した書籍で本書と「天皇論シリーズ」「大東亜論」、そして高森師範の高森ウィンドウズの「ウソのような本当の話『犬の伊勢参り』」または、「逝きし世の面影」を読み足せば、我が國の國体を全て説明できてしまうのではという感想を抱きました。そして、本書は今回のライジングにも関係する重要な事実を突きつけていて、本書は我が國における臣民一人一人に需要な答えを隠しているのではという感想も抱きました。
今回のライジングでは日本人は一神教の文化(欧米人も含む)と比べて個が弱いと書かれていましたが、実は日本人と一神教では個の確立が全く違うことが書かれています。
まず、本書では欧米人は人間である他社に対して自己を示す形で個を示す(他人に対してあなたと違うとする)のに対し、多神教で森羅万象に神が宿る日本では自己を極めることが個の確立であるというのです。この自己を極める個は古代の作品である「源氏物語」や「枕荘子」「日本霊異記」などでも自我を奥深く追求していることや現在の漫画やアニメでも絵柄などの作品は勿論、物語でも自我を追及している場面が物凄く多く重点を置いていることからも解ると思います。これは日本は一神教と違い、森羅盤上に神が宿るという自然とともに共存する概念があることから、自然と向き合い、自分自信を追及し、掘り下げていくことによって個が成立していくというものです。
よって、漫画を描き続けることで漫画という美術で己の感性と技を磨いてきた小林師範も個が成立しているのであり、鍼灸師などの人間そのものという自然の力に治癒の可能性を見出す東洋医学も自然と向き合い、知識と業を極めて自己を掘り下げ、個を設立していくのだと本書を読んで思いました。
また、明治に至るまでは仏教も神道も分裂されておらず、神社も寺も役割ほぼ同じでした。そして、村では自然と向き合うことで人間がどうしても私情を抑えきれずに自然を冒涜しているという悲しみに耐えられず、山に入り、空海のごとく滝に打たれ、岩穴に籠っては座禅し、食物も行く先々で見かける木の実や山菜だけを頼りに自然と一体化し悟りを開く、修験道を行うのです。この道を専門に行う人を修験者と言い、各地の寺や神社で神主のような役割をし、村の重要な相談役として担っていて、明治に政府によって廃業させられるまで存在していました。
日本では自然と折り合いをつけることが共同体であり、自然を全くの別の世界として分離し、一神教に頼った西洋の共同体とは全くの別物だったのです。また、自然に対する概念も現在とは異なっていて、西洋における自然は「nature」として生物などの科学的要素が強いのですが、日本の場合、明治までは自然とは「オノズカラシカリ(自ずから然り)」という意味である「ジネン」と読まれ、「自然にそうなった」などの自然界とは全く関係のない意味でつかわれていました。また、「シゼン」と呼ぶ場合は「突然に」という意味が含まれ、これは火山や地震が突然発生することから、「自然」を「シゼン」と呼んでいました。よって、自然と向き合うと行くことは自分が体得するべき技や業を自然に行えるようになる意味合いでの自然と突発的に起こる地震などの災害や異変と自らが向き合うことによって確立させていく個が日本における個となるわけです。
共同体の話に戻りますが、このような自然と向き合って確立された個も当然、共同体が育てたわけですが、この共同体も何十層にも重なっていて、たとえば、農業をしている組合もあれば山林の組合もあり、また、加工や職人の共同体もあるといった具合に、一つの共同体から抜け出してもまた別の共同体によって己を補完することが可能であり、よって、完全に村八分になることは殆どなかったとのことです。また、現在でも畑によって出来、不出来などのばらつきがあり、不作の土地には法冊の土地の作物を分け与え、大地主は小さい地主や土地の人々に大地主の土地で取れる作物や資源を分け与えるなどの協力が不可欠で、もし、この助け合いから外れると信用を失い、結果として発言権を失ってしまうということになるわけです。そして、年中、村の一か所にとどまっているわけではなく、時には修験道の一環として山を長期間に渡って山の神に触れる傍ら、同じく修験道で移動している別の地区の村の人々と交流し、時には専門の宿場で情報や作物の種子、工具などを交換していたことから、むしろ、現在の村よりも外の世界を自然界ともども見つめていたわけです。
また、都心では自然界が存在しなかったとはいえ、共同体が存在していました。これは一度建設された都市部はそれ以上、現在のように急速な発展や建設がなかったことから町の変化そのものも緩やかな片目に共同体が生まれ、その共同体を繋げていたのが山や寺、神宮を目指す講の会員になることと紙幣を出し合うことでした。例えば、長屋で一人の住人が商売に失敗したら、皆で紙幣を出し合って融資という形で貸し付けを行い、講という修験道として山や寺、神宮を目指す会員に入って自然と向き合うことで、村の人々と同じく自然と向き合って個を設立させてきました。
これら共同体の概念が本格的に壊され始めたのが近代化へと進んだ明治時代であり、修験道もこの時に中止になり、廃仏毀釈によって神仏習合もなくなりました。その一方で國家元首たる天皇と個人を結び付ける形で國民にさせ、その邪魔となる共同体を廃止し、個人を年に出して國としての手柄を揚げることを最大の価値とすべく、方針を切りました。よって、明治以降に作られた文部省唱歌のいずれも故郷をすてて、永遠に帰郷しないという意味合いの歌詞ばかりが作られています。この共同体の崩壊は武士が支那をモデルにした中央集権を明治時代にようやく実現し、近代化によって共同体は崩壊に向かい、戦後の高度経済成長に伴い、村は食糧増産地域としての機能しか持たなくなり、都市も激しい変動によって共同体をつくる暇がなくなるほどに人を機械化させてしまいました。
しかし、先の大震災で見られた都市機能の危うさと近代産業の脆さを我々が体感した現在、かつての共同体がより一層見直す必要に迫られます。里山だけではなく、都市内でもこれは同じです。里山資本主義を掲げるのも我が國の歴史から繋がる健全な個と個を育てる共同体を構築することであって、里山そのものを目標とした原始回帰そのものが目的ではありません。
解説が不十分で申し訳ありませんが、小林師範のライジングを購読し、共同体、里山資本主義、「かぐや姫の物語」を含む里山や本物、偽物を題材にした作品に興味と関心を持たれた方には内山節 著 農文協出版「共同体の基礎理論」は必読であることこの場で強く説明させていただきます。
今あなたが体感しているその「共同体」は我が國の歴史から成る本物の「共同体」なのですか?
その回答は、時には不完全でしょうが、すべてに答えることが出来るのが内山節 著 農文協出版「共同体の基礎理論」なのです。
私情をこの場で述べていただくこと、まことに恐縮ですが、実は私は本年から以下の塾で一年間学んだあと、里山を目指すこととなりました。
地球のしごと大學 ネクスト200年創造学部
http://chikyunoshigoto.com/class/next200/
詳細はリンク先を読んでもらうとして、この塾では >>71 で述べた内山節氏を主任教授とし、今後の200年に備えた地域づくりの人材を育成するということを目的とした塾で、ライジングのコメント欄で話題となった「里山資本主義」の著者である藻谷浩介氏も講師に含まれています。
講義や現場での実習は1月から12月までの間、2週間に一度に行われ、その間にテキストとなる書籍を購入し、講義や実習日の三日前までに感想を提出しなければなりません。また、仮に出席できなかった場合は講義とディスカッションを収録したDVDが送付され、内容が把握できるようになっています。
塾の後は就職支援であるキャリアサポートも行われ、まさに里山資本主義を実践し、グローバルと相反する、地域から日本と世界を変えることを目指す人々のための塾と言ってもいいでしょう。
定員は20名と規模が少なく、開催場所も東京ですので実際に参加できる人はなかなかいないと思いますが、只、ライジングの読者にはぜひ、この存在を知ってほしく、あえて紹介させていただきました。参加してほしいとか宣伝してほしいとかいう意味ではなく、只、頭の片隅にでも入れておいてほしいという思いなのです。
感想などを書いてくれればありがたいですが。
これは里山資本主義を実践させるための塾であり、ここの塾を卒業した人々が地域における國の発展と國体の護持を担っていくことを自らが期待します。
この内容から見ても変わるとおり、この行為に左翼も右翼もなければ保守も革新もありません。只々、日本人の自然と向き合うローカルでの姿勢をそのままに表しているということであり、あえて、「愛国」や「人権」「世界市民」と掲げずとも、この行為そのものに日本人としての基本的な在り方が全て含まれているとみてもいいと思います。
なお、1月16日に東京の六本木で説明会が行われますので、リンク先で紹介した紹介内容では物足りず、なおかつ日付と場所に都合がつく場合はぜひ、申し込んで立ち寄ってみては如何でしょうか?
ネクスト200年創造学部 説明会
http://chikyunoshigoto.com/class/next200about/orientation/
本年、私は本格的に不耕起農法で米作りを種籾から行うこともしますので、前年以上に忙しい日々と送りそうです。紹介された書籍も果たして読み切れるかどうかも早速、心配となってきました。
これまで、塾について述べなかった理由としては宣伝や勧誘と見られてしまう恐れがあったからであり、あくまでも里山資本主義に興味を持ってくださったライジング読者に存在だけでも知ってもらうことが目的だったからでもあります。
この塾で自分がどのような感想を持ち、どのようなことを学び、実践していくのかだけでも見ていてくれれば幸甚です。
>>70 こいらさん
>茶魔が子供が落とした5円玉
あー、思い出しました「五円を呼ぶ、魔法のリングでしゅね!」と茶魔が驚愕していましたね。爺や曰く「御坊家にはそんな細かい貨幣はありませぬ」だとか。なんでも御坊家って0の付かない貨幣や紙幣が全く存在しないのだそうです。だからこそ、1円も茶魔にとって驚愕の存在だったんですよね。
>そんな漫画を描いていた漫画家の秘書が凶ばかり引いていたとは、実に強運で「おおめでたい」巡り合わせかもしれませんね。
その「おおめでたい」が茶魔一人の幸運にとどまっていなかったことから、岸端編集長一人だけではなく、よしりん企画やゴー宣道場師範、門弟、そして我々読者にも広まっていくことが期待されますが、これは期待しすぎでしょうかね?
雷神宮歌会 サブテーマ:―右―、―左―
民の声 右から左へ 受け流し 靖国参拝 右往左往す
雷神宮歌会 番外編
安倍晋三 靖国行ったは いいけれど 言い訳ばかりの ノミの心臓
お久しぶりです 石川 材木
雷神宮歌会 メインテーマ:―個―、サブテーマ:―右―、―左―、―酒―、―薬―、―亜―とのこと。「亜」は「唖」になっちゃったけども(^^);;・・・
---個に集に 公私にわたり みぎひだり 薬も酒も 過ぎたれば 心に体に 障るべし 文字の瀑布に 唖然とぞする---
大東亜論19時に書店にて購入 現在第3章なう。akb48showで休憩中!
色々感想はあるのですが、実は僕は山形県民でして、3章に出てくる大西郷遺訓、南洲神社、それに官軍が、負けた軍に帯刀を許可するなんて計らいを見せてくれてたなんて全く知りませんでした。。県民として、凄く嬉しいですし、衝撃的な内容でした。大西郷遺訓を残してくれた県民の先祖がいたなんて誇りに思います。内陸の豪雪地帯の為、雪が解ける4月頃まで、遠出はできないのですが、今年のGWあたりは南洲神社行ってみようかな。
チャンネル桜がニコ動にあったので行ってみました
2000人の寄付のおかげで番組はタダで見られるようです。
大量の動画が上がっていますがタイトルだけでごちそうさまって感じでした
それでも我慢していくつか見てみたのですが酷いものでした。
ひたすらポジショントークが続いて頭が悪くなりそうです。
そのうえネトウヨのものと思われる気持ち悪いコメントが大量に流れてきます。
論壇ホステスらしき人も何人か見ましたがかなりイタイです。
「戦後問題ジャーナリストで予備陸士長」というかなり無茶な肩書の人もいました。容姿は微妙なのですがファンがいるらしくコメントでは「さなみん」と呼ばれていました
こういう動画を「暇なの?」って言いたくなるぐらい大量にアップしているのがチャンネル桜です
ここまで酷いと彼らがNHKを目の敵にしているのもひがみでやっているようにみえてきます。
ニコ動の社会言論カテゴリーのランキングでは上位を独占しているようですがネトウヨ達のたまり場になっているだけのことでNHKや朝日とは比べるまでもありません
よほど苦しいのか番組最後に必ず「ご支援のお願い」があります。
長いのでここには書けませんが自らの弱さを棚に上げて私たちは正しい主張しているからこそ不遇なんだと主張しているようでした。
こういうところはネトウヨにそっくりです
自分たちに賞賛の声を上げてくれるネトウヨ向けの自己満足動画を大量にアップしているうちに保守論壇自体ががネトウヨになってしまったようです。
>>79 ひなたなのさん
アイコンの更新、ありがとうございます。103系は私が幼少から青年までの間に度々お世話になった車両であり、思い出がいっぱい詰まった車両でもありました。幼少のころは103系は先頭車両に乗っても背が届かずに運転席が見えなかったこと、そして、青年時代はドア付近に乗り合わせると吊り輪が周囲になかったことから手すり探しに苦労したこと、ドアの内側だけアルミ箔で、さらに停止するとモーター音の独特の心音が鳴り響いた等など、思い出いっぱいの車両でもあります。ちょうど、201系、、205系に入れ替わる時期でしたので、乗り合わせるたびに201系、もしくは205系に乗り合わせないか運に賭けていましたが、いざ、103系がなくなると、遠くのローカル線にまで足を延ばしてまで乗りに行った思い出もあり、つくづく、人間の意志の贅沢と傲慢に痛感した時期でもありました。
車両が青色であることから、私の地元では京浜東北線、京葉線で使われていた車両で、京葉線では十年ほど前まで活躍していました。幕張や館山に行くときの思い出深い車両でもあります。
さて、チャンネル桜ですが、「戦後問題ジャーナリストで予備陸士長」なる出演者が出演する以前にもネット界で皇統男系固執をほざきまくっては水島チャンネル桜独裁者に見初められて言論界に出演した詐欺師がいました。現在もHPがありますが、経歴を見ますと「評論家(政治哲学(保守))」と「戦後問題ジャーナリストで予備陸士長」と同じく、かなり痛い「肩書」の持ち主でチャンネル桜やそのほかの自称保守関連の講演で語る内容はもちろん「保守思想」と「皇統男系固執」です。しかし、すこし内容を少し聞けばわかるとおり、この輩は「西洋の保守がなければ日本は守れないし、日本の保守は左翼に対抗しきれない」と日本独自の思想を無条件で扱き下ろし「江戸時代は日本を停滞させた暗黒の時代」と江戸時代を扱き下ろす自虐史観の持ち主で歴史観からして左翼、サヨクと思想が同じであることが明確で、このような輩が「保守」と名乗っている時点で自称保守の論壇は、「戦後問題ジャーナリストで予備陸士長」と同じく、危うい存在であることが明確であることを認識しなければならない存在でもあるわけです。
「NHKに対するひがみ」と推測していますが、「戦後問題ジャーナリストで予備陸士長」や「評論家(政治哲学(保守)」などの肩書を持つ怪しい輩を起用し、ネトバカ、ネトウヨを運動に動員することからもこの推測は事実を明確に表しています。これら輩はマスコミを「マスゴミ」と扱き下ろしますが、その実態は自分たちが「マスゴミ」に太刀打ちできないどころか、まったく相手にされないほどの、塵以下の存在であり、その立場から脱しきれないという現実を受け止める器すらない心の狭い人々でもあるのです。だからこそ、すこしでも異論を唱えようものならネットでは投稿禁止となり、言論界からも完全に排除されてしまうのです。
このような共同意識はかつては一部を除いては明治以降の近代化までは庶民にまで広く侵透せず、また、存在していなかった共同意識であり、國内における近代化の限界を表している一例ともいえると思います。言論界や集団への排除を「村八分」と言う人もいますが、「村八分」事態が國史からみて、近年まで見られなかった現象でもあるのです。
小林師範がブログで「『ゴー宣道場』も仲間内の『集』に『個』が溶解しないように、気をつけねばならない」と警戒していましたがその「個」こそ 内山節 著 農文協出版「共同体の基礎理論」に明確に記されているのです。東西南北問わず、人間が人間である限り、健全な共同体無くして健全な個性は育たず、その共同体を把握してこそ「個」を認識できるのであり、その日本における「個」を明快に記しているのが 内山節 著 農文協出版「共同体の基礎理論」でもあるわけです。もし、「個」、「共同体」「個」に興味をもたれましたら、ぜひとも 内山節 著 農文協出版「共同体の基礎理論」を手に取っていただければと思います。
紹介失礼しました。
>>72
magomeさんへ。
ご返答ありがとうございます。
それと里山と共同体の話は面白かったです。
それから里山へ入られるのですね。都市と違って自然は厳しいし、娯楽も少ないし物も手に入りにくいかもしれませんが、里山に普段住んでいる人間には分からない都市生活経験者の視点を忘れないで、夢を実現させて下さい。遠い熊本の里山から応援してます。
里山では娯楽は少ないので、インターネット環境は必須です。あと、家賃や野菜代なんかは安いのですが、上下水道なんかは都市部ほど整備が進んでいないところもあります(うちは上水道は井戸水で下水道はなくって合併浄化槽です)。
大変なこともあるかもしれませんが、住めば都なので是非、里山暮らし頑張って下さい!
最近、コメントをご無沙汰しておりました。
いつも楽しく拝読させて頂いております。
大東亜論、買いました!
いまから、読み進めたいと思います!
配信お疲れ様です。
「午年でうまくいく」という駄洒落に憤って(駄洒落は嫌いではありませんが、言う人物の問題です)ほぼ一週間、『大東亜論』を店頭に並ぶと宣伝されていた1月10日に書店に行き購入しました。分厚さに負けてなるものかと一気読みに拘った私は、翌日が出勤日のために即日の読破は断念しました。よしりん先生の回答にもあった通り睡眠を優先しました。そして11日、帰宅して読破に乗り出しました(余談ですが、このために「すべらない話」を録画しておいて見ることにしました)。
連載で読み続けるのも良いのですが、やはり一冊にまとまると読み終えて充足感が押し寄せてきます。登場人物の陰影や目の迫力に圧倒され、かつ緊張と緩和も味わいつつ、引き込まれました。随所に「おおっ」というような言葉もあり、印象に残りました。特筆すべきはやはり「一人でいて淋しくない人間になれ」という一文です。
来島恒喜の自刃の場面では息を呑み、戦慄が走りました。その後も同様です。
教科書や偉人伝の類では読めない側面を、改めて知りました。
現代と絡める以上、欄外がほとんど残っている意義も大きいと思います。渦の中より、出て外から見る視点を養うことになります。
この雄編が、今後も続く意義は大きいので、読み続けずにいられません。期待しております。
何度か読んで感想を送ることも、してみようかと思っております。
「大東亜論」、つくば市のショッピングモール「イーアス」内の書店で購入しました。ど~んと、店頭の棚三段に陳列されていたので、その壮大な景色に、富士山というよりも、筑波山を仰ぐ様な思いになりました。いま時点では「自由民権運動」の章、私の地元でもある「加波山事件」に関わる場面で脱線して、別の書物に浮気したり…、SAPIOで読んだ時とは感覚が全く違うなぁと思っています。昨日は久々にジムに寄って運動もして来ましたが、つくづく「運動」の在り方について考えさせられています。以上、「途中経過」でした。
こんにちは。
カレー千衛兵さん、了解致しました。
(^_^ゞ
ありがとう♪
初めてコメントさせていただきます。
「金曜日はデートの日だ」
は確か
「金曜日は女を抱く日だ」
だったよーな...
>>83 magomeさん
103系が分かる人がいて嬉しいです
これは和田岬線という一駅しかない支線を走っているものですが
同じ青色が阪和線でも走ってます
大阪環状線がオレンジ
関西本線がウグイス色
と私の地元の関西ではまだまだ現役です
今日の道場はチャンネル桜から流れてきた連中が多かったですね
やたらと関係ないことを書き込んでいましたが暇なのでしょうか?
田母神閣下が出馬するということで勝手に盛り上がっていたようですが
強姦米兵を擁護するような人は勘弁して欲しいです
他のメディアでは舛添要一X細川護煕がメインで
田母神閣下は泡沫候補っぽい扱いなので大丈夫だとは思うのですが
保守論壇がオールスターで支援するようなのでちょっと心配です
支援者の中に有名人が何人かいるので間違って当選しないかという心配と
ひどい負け方をしてネトウヨや保守論壇が
オウム化したら怖いという心配です
「共同体の基礎理論」はレビューを見るとなかなか良さそうですね
本屋で探してみます
よしりん師範、『大東亜論』「巨傑誕生編」を読ませていただきました。以下に感銘に残ったことをつらつらと書きます。
来島恒喜のテロ決行前の言葉「男児一たび死を決すれば、胸襟落々、一塵を留めざるがごとく、快これに過ぐるなし!」は実に爽快です。そして全く悲壮感がありません。日本人は判官贔屓で悲劇が好きなため、英雄的行為も自己犠牲的に描かなければ気が済まないという傾向がありますが、武士の系譜につながる日本男児が本懐を遂げるときの実際の心情とは、こういう来島的爽快さを伴うのが正しいのかもしれません。ヤマトタケル~源義経~赤穂義士~白虎隊~西郷隆盛~特攻隊に至るまで、これまで犠牲者として描かれ過ぎてきた感があります。しかし戦国武将たちにはウェットな人物は少なく、劇中で紹介された高橋紹運のように悲壮感より勇ましさが前面に出る人物が多かったはずです。
来島恒喜が歴史上の英雄として登場できない理由は幾つかあると思います。まずGHQに危険視されて解体され「アジア侵略の尖兵」という真逆のレッテルを貼られた玄洋社において伝説となった存在であること。次に戦争とともにあらゆる暴力を否定しつつ生命尊重を叫ぶ戦後の風潮においてはテロ行為を行った直後自殺した人物は絶対に賞賛できないこと。そして国家否定の戦後空間においては国のために働いた人間を正面から称えられないこと(国の犠牲となった人物ならOK)。これらに加えて、来島の行為には悲劇性がほとんど感じられず、むしろ爽快感すら伴っていることも理由としてある様な気がします。
来島恒喜は遺書で語りました。当時の玄洋社の大勢を占めていた、相愛社と大同団結するような頭数を頼む行き方より、「一人を以て千万人に当たる人物を見出すことが必要」「死もいとわない5人~7人いればよい」という頭山満の方針こそが正しかったと。節操もなく政府側とすら見られていた紫溟会こそ実は信用に足る存在であったと。頭山は周りに間違った方針を掲げる人間がいてもあえて説得しようとはしないため孤立していましたが、来島の遺書によって誤解が解け、玄洋社は正しい方向へ軌道修正されました。またこれによって箱田六輔の死も報われました。来島は一死を以て全ての問題を引き受けたわけです。国家の大問題も玄洋社の内紛も。
来島はまた周到な準備によって一人の連累も出さず逝ったことが見事でした。条約改正問題は確かに玄洋社にとっても試練ではありましたが、この一事で頭山たちに累が及んでは玄洋社はこの後の大事業を果たせなくなるわけです。来島が金玉均との約束である朝鮮改革と条約改正問題で果たすべき役割との間で板挟みだと葛生玄晫(来島に炸裂弾を渡した人物)に語ったとき、意気に感じた葛生に朝鮮改革の遺志が結果として受け継がれたことも感動的でした。実際の決行もその後の自決も、上手くできるかという迷いなども一切なく、流れるような所作だと思いました。覚悟の定まった者は死の準備や死に際の行動に全く無駄がなく冷静であり、その一つ一つがまさに「一塵を留めざるがごとく」美しいと思えました。自分に死期が迫ってそれを自覚したとき、このように冷静でいられるかを考え続けたいと思います。
これで『挑戦的平和論』から『反TPP論』までつながりました。「血風士魂編」ではさらに時代を少し遡り、その先の大アジア主義を扱う巻ではきっと『戦争論』までつながるのでしょう。封印された真の日本史を紡ぐ一大叙事詩の始動に胸躍らせております。よしりん師範の『大東亜論』は、大東亜に散った英霊が正当に評価されるための最も有効な事業になると確信しました。
『大東亜論』は現代日本に絶望しないためにも必要 na85
こんにちは 後藤です
ゴー宣道場 拝見しました
90分 という限られた時間で
濃密な討論でした!
素晴らしい構成!しきり!
「集に埋没する公」
「脱正義論 再考」
ありがとうございました。
今週のゴー宣を読んで、論壇村の成り立ちや仕組みを初めて知って侘しさを感じつつ、改めてよしりん先生が孤高に作品を発表する凄さを再認識した回でした。
よしりん先生これからも応援します!
木蘭師範の『ザ・神様!』は、デコボコ神様の掛け合いが面白くて、読んでいて楽しい気持ちになりますね(^ ^)
が、スクナビコは無事なのか?再来週が楽しみです!
また『編集後記』では美しい富士山の写真があり、とても爽やかな気持ちになりました(^o^)
風邪でダウンした、みなぼんさんは大丈夫だろうか。
ゴー宣道場の生放送、楽しく拝見しました。英霊を顕彰する態度は元より、お墓や仏壇の話が新鮮でした。また、失礼な言い方かもしれませんが、道場内々でのポジショントークにだけはさせん!という、よしりん先生の意気も感じたりしていました。
それから、大東亜論も今日1日かけて読ませて頂きました。読書をすると単純に影響を受け、自分も文字通りの活躍や成長を遂げた様な錯覚に陥る事が良くあります。今時点の私が、上っ面だけ頭山満や来島恒喜に成り切ってるぜ!な状態だから、今日はとても清々しい?気分です。しかし、そんな勘違いの自意識など瞬く間に踏みにじられる事も分かっているので、また明日から、七転び八起きの精神で地道に頑張りたいと思います。ありがとうございました。
「大東亜論の感想」としては番外編というか欄外編なのですが・・・
なんと!なんと!!
作中の欄外に『ライジングのコメント欄』について書かれているのを見て、
超絶感激いたしました☆☆
◆小林よしのりライジングは、コメント欄が最近毎週100コメを超える大盛況。
◆コメント欄では「ライジング」に触発された長文の論評から情報提供から、短歌・川柳・なぜかけといったお遊びまで、読者同士で自由に盛り上げています。
◆試し読みとすさまじい盛り上がりのコメント欄だけでもご覧ください!
私は、ライジングのコメント欄は、典型的な【集】だと思っています。
そしてネット共同体など成功例はほとんど無いはずです。皆無かも。
それを好意的に書くことは、ある意味「リスク」が発生すると存じます。
・・・こりゃ、よしりん企画の皆様のお気持ちを裏切れない! UGN48(笑)
トッキーさんが書いてくださった欄外コメントをキッカケに、
コメント欄に新規参加してくださる方が一人でもいてくれたら
とても嬉しいです o(^▽^)o
新規参加者こそが「集」の活力!
みんなで大事に育てているライジングのコメント欄。
これからも、どんな花が咲くのか、楽しみです o(^o^)o
今年はじめの配信ありがとうございます。
右にしろ左にしろ己の所属する団体の「空気を読んでしまい」身内受けすることしか言えなくなってしまうと言うのは、日本人の悲しい性なのでしょうか?
ただ、私もやはり「人間関係」で仕事をしているところはあるので、そのあたりの線引というものが、「言論の世界に生きる」人たちは私なんかよりも遥かに厳しいものでなければならないのだろうと少し気の毒になりました(まぁ、それができないから「ポジショントーク」に陥ってしまうのでしょうけど・・・)^^;
公に意見を発することの責任の重さを教えて頂きました。
「前田のクラッカー」を知っているなんて、泉美師範は実は私よりも年上なんじゃないんですかw?
「メンぱっちん」を読んでいたら、久しぶりにメンコをやりたくなりました^^
まだ売ってるのかな?
でも、メンコ買っても一緒にやる相手がいない・・・・
>元坂口さん
今年初のMVPおめでとうございます^^
こんばんは!
今号のゴー宣も、共感、と言ってしまうと、博学で天才のよしりん先生に対して畏れ多いですが、
同感です(笑)。
「ムラの集団性より、思考する個人性」これは、『ゴーマニズム宣言』の最初から一貫した裏テーマ
だと思います。そこに感銘なり影響を受けたいと思うから、よしりん先生をずっと追っかけているのであり、
いまや、何かのムラに染まっていない文筆家や表現者にしか興味が持てなくて、探してしまうのでしょう。
しかし日本人のこのムラ根性というか、この波風立てず、目立たぬように、「総意」に忍び込む感じ、
”ムード”で染まる意識、思想的正義で派閥が山々のように作られない気概の無さというのは、
どんな時代が来たら芽が出てくるのかと、脳に霧がかかって見晴らせない感じです。
第一回ゴー宣ネット道場、今タイムシフトで1回目観ました。
猛スピードで詰め込まれていましたね。一冊の単行本の要約を読んだようでした。
一番困ったのは、タイムシフトは音声と映像が微妙にズレており、落ち着いて観られませんでした。
ラジオ的に聴いていました。「徴兵制がなくなって戦争がなくなって70年、
ごまかし続けて」という話、毎回目からウロコをおとす切通師範の文言です。
首相は靖国参拝しなくていい!戦後レジームを崩していく方法を本気で始めてほしい。
笹師範へのよしりん先生の説得というか優しさのある忠告が、動画で観られるという、
この臨場感。これですら”深いエンターテイメント”になる。素晴らしいメディアですね。
「千の風になって」の本当の意味が初めて解りました。
『大東亜論』、あえて言いますが、来島事件という一つのクライマックスが第一篇の締めという事で、
もう第二章のクライマックスが気になっています。ハードルが上がりましたし、ココからが期待大ですよ。
取り急ぎ、ご報告をひとつ。
本日12日東京から熊本に帰る飛行機の機内、
私の斜め前の席の方がなんと「大東亜論」を
読んでおられました!
離陸の頃ページ5分の一ぐらいは読み進めて
おられたでしょうか。それがおよそ1時間45分の
フライト時間であれよあれよと完読してしまわれました。
小林先生の漫画を読む方をノンストップで目にすると言う
初めての経験!「大東亜論」何か「来る!」予感が!
因みに私は東京行き前の10日に購入。
帰熊してからの楽しみにと自宅に置いて上京。
これから読ませて頂きます。
早速「主な登場人物」紹介!(イイ!)の見開きから
ワクワクさせられております。
なるほど。
「大東亜論」はもはや「ゴーマニズム宣言」ではなかったのですね。
「論」という形でも「物語」という形でも、
小林よしのりが描く作品は雄弁ですね。
これは「漫画」としての感想ですが、
板垣退助の暗殺未遂の格闘シーンと、
森有礼の暗殺の格闘シーンが燃えました!
そして、どのページをめくっても、
「殺気が伝わるようなコマ」に出くわします。
それにしても【AKB48論】とのギャップが凄まじい。
「燃える」と「萌える」で、似てると言えば似てますが(笑)
今号のゴー宣ですが、現在の雑誌やネットの記事などを見るとものすごく納得します。
YAHOOニュースでも記事がどこからのものだかでなんとなく内容は想像することが出来て、読んでみると想像通りということが多いです。
「ポジショントーク」を打ち破れるような人材が出てきて欲しいですが、本を出したり、ネットなどで独自の主張を出して成功できるのは本当にひと握りの天才だけのような気もします。
それを望むのは難しいのかも…
問題は「ポジショントーク」に堕した言論人に発言の場が与えられたり、ある程度の権威が付いてしまうことですね。大衆は権威に弱いですから、そんなものに騙されてしまう…
私は幸いゴー宣と出会えたのでそういうものには騙されずにいられていると思います。感謝です。
「ザ・神様」の感想を書かせてもらいます。
えーーーー!?ぷちーーーー!?
「大東亜論」早く読まなくては!
あっ、勇気の伴ったプライドに裏打ちされる、炎の実行力も☆
( ・▽・)
行動して間違ってたら謝ろう!
( ̄▽ ̄;)ノ
( ´∀`)σ)∀`)←甘いか
再三、失礼します。
m(__)m
間違ってたら、真摯に謝れば良いだけの話で…間違いを恐れずに、炎の実行力を優先しよう♪♪♪
松下村塾の塾生のように、良き観客から、次々と、一人前に巣立って行ければと思っております。
m(_☆_)m←ツルっパゲじゃないよ
鈍器『大東亜論』
厚い、太い、重い
編集長、ムリしないで、寝ててくださいね。『大東亜論』と、ゴー宣ネット道場よく見たいから、大丈夫ですから。
今年初の書き込みです。
今年もライジングやライジング読者の皆さんのコメントに刺激を受けながら
凝り固まることなく
自分の頭でしっかり思考していこうと思います。
大東亜論、読みました。
「頭さまー♡」となりますねw
大東亜論、読んでます(^_^)!
よしりん先生の書籍を読むと、釈迦の教えを思い出します。インドで発祥した仏教が、インドでは忘られ、逆に外国で栄えていったように。よしりん先生のありがたい教えに日本人は気付かずに堕落していき、後年外国の若者がゴー宣から思想を学んだりして(´・_・`)
なんて未来にならぬよう、若い我々はがわばります(^∇^)
昨日アマゾンで注文した「大東亜論」が届き、早速読みました。
登場する男たちの迫力がものすごく、とりわけ、箱田が切腹する場面は衝撃で、胸が熱くなりました。
理想を目指し、自分の命を投げ打つことさえ厭わない。
その清々しい姿に比べ、理念を忘れ、狎れ合いに満ちた、お金の事しか考えない今の世を情けなく思いました。(もちろん自分を含めてです)
金玉均との交流を見ると微笑ましく、今もこのような付き合いを韓国人とできたらどんなに良いだろうかと感じました。
頭数を集めることより、信念を持ち成し遂げる一人がいればよい、との言葉も強烈でした。
「間違ったことでも大勢がそうすれば正しいことになる」そんな雰囲気に流されている自分を、痛烈に批判する一言です。
こんな偉大な男たちがかつて生きていたことを、物語にして下さって、よしりん先生ありがとうございます。
ライジングの配信が2、3日遅れようが、
いつも楽しみにしている【編集後記】が無くなろうが、
みなぼんさんは、熱がひくまでは、ゆっくり休んで欲しいです。
ここで、ご無理されると、
「AKBの子らが、体調不良を押して、握手会にいどむのは良くない」
って、言えなくなっちゃいます (⌒▽⌒)
よしりん企画の皆様は、お正月に風邪引くのが恒例になっていますので、
他のスタッフさんのご体調も心配です。
大東亜論、買いました。読んでる真っ最中です。
一人でいて淋しくない男を目指します。
いかに今が恵まれている事か。。。
>>71 magomeさんへ
三省堂にはしょっちゅう行くので、もしかしたら、何度かすれ違ってるのかもしれませんね(笑)そう思うと、面白いです(^^)
本の紹介ありがとうございます。
読んでみようと思います。
>>72
里山を目指すとのこと、
その勇気と行動力、尊敬します(*^o^*)
決意表明を読んでいて私もワクワクドキドキしてきました。応援しています。
(帰る里山があるのになかなか踏み切れない私…。臆病者です(^。^;))
「地球のしごと大學」のサイトもちらっと見てみました。良いですね。今度じっくり見てみます。
里山の行く先はもう決まってるのですか?
もし可能なら、わが故郷「栃木県茂木町」も候補に入れてもらえませんか?
町長さんも「里山資本主義」を実現しようと頑張っていますし、とても良いところです。何か私にも力になれそうなことがあれば、協力したいなぁ~と思います( ^o^)ノ
>>72 magomeさん
>実は私は本年から以下の塾で一年間学んだあと、
>里山を目指すこととなりました。
大きな決断。
そして、挑戦の一年が始まるのですね。
magomeさんが実践しながら学ばれる事は、
ライジングにも、新しい感性を、もたらしてくれるんじゃないかと
期待しております♪
今、私は「ITパスポート合格教本」という本を読んでいます(苦笑)
この他にも会社から資格の取得を命じられたものがあって、
情報処理だの経営戦略だの内部統制だのを勉強する一年になります。
今年一年間、里山を目指す勉強をされるmagomeさん。
今年一年間、ますます都市型の考え方を勉強するカレ千さん。
それが「小林よしのりライジング」を通じてのみ交われるのは、
なんだか面白い話ですね(⌒▽⌒)
まゆゆまだ二十歳なんですね。
もう20年以上生きてきたように感じますね。
脱子供、と言った感じでしょう。
>>85 こいらさん、応援ありがとうございます!都市に生まれて育ち、里山とはほとんど縁のない生活を送ってきた身としてはものすごく大きな挑戦となることは間違いありません。恐らく、生活もここでは語りきれないほどの違いにぶつかると思いますがそんなことにめげずに夢の実現のために頑張ります。
>>91 ひなたなのさん 首都圏では103系はおろか、201系も姿を消しました。205系が武蔵野線や横浜線、埼京線で残っているくらいで、あとは皆、209系、233系に置き換わりました。ここ10年で首都圏の通勤車両は驚くほどの速度で更新していると感じていまして、数年間首都圏を離れていた身としては完全に「浦島太郎」状態でした。
都知事選の事で、首都圏外の人々まで心配をかけているようで都民としてなんだか申し訳ないのですが、正直、これほど知名度の高い人々が出馬していながら支援をしたい人が全くと言っていいほどいない、都知事選は経験上、ありませんでした。落選してほしい人々ばかりで、これほど期待できない選挙が東京で行われようとしていること自体、都民としては情けない限りです。
オウム化と言いましょうか、言論界も早くポジショントークから足を洗わないと左派、右派問わず、オウム化すると見ています。
紹介した本に興味を持ってくださりありがとうございます。これからも様々な本を紹介していくと思いますので。
>>93 na85さん 応援ありがとうございます。内山氏はこのほかにも貨幣や信仰についても書いていまして、これら書物も恐らくは、今後のグローバル化が進む中で我々庶民にとって重要な要素が秘められていると私は見ています。
>>117 mayuさん もしかしたら、知らぬ間に顔を合わせているのかもしれませんね。アマゾンで待つよりも三省堂に言ったほうが、別の書物もついでに立ち読みできたりして、でかい書店ならではの楽しみがあります。
里山を目指す私に、応援ありがとうございます。「尊敬」とはあまりにもったいない御言葉です。首都圏などの都心で生活をしていると、里山などの自然への認識から遠のいてしまっていることから、視点や発想、さらには五感全てを改める気でないと里山を目指すのは難しいとおもいます。だからこそ、1年間、ネクスト200なる塾に通って勉強する必要がでてくるわけです。
それと、里山に実家があったとしても里山を目指すこと事態、現行では難しいことから、里山同士や里山と都心の間でネットや交通機関を駆使して交流を深めていき、お互いに知恵を出し合い、新たなる時代に備えてだれでも里山を簡単に目指すことができるようにしていくことが今後の重要な課題なのだと思います。その試みとしてネクスト200創造学部という塾も開かれたわけです。
候補となる里山ですが、現在の所、首都圏近郊の里山を含む関東一円の里山を探す予定ですが、数時や文字ではなく、実際に足を運ばなければなりませんので、今後の1年でどれほどの土地を訪ねて、探し当てることが出来るかも重要な課題となりそうです。
強力なんてもったいないです。お気持ちだけで十分すぎます。本当にありがとうございます。この一年、頑張ります!
>>118 カレー千衛兵さん 恐らく、この一年で相当数の書物と実践経験を積んでいくと思います。里山資本主義はなにも皆が皆、里山を目指せというわけではなく、里山に眠る新たなる資本と知恵を歴史や伝統、そして都心で養われている技能や技術も駆使して開発していくという物でもありますので、将来における里山の健全化だけではなく都心部の健全化も間接的ではありますが、視野に入れているわけです。よって、都心部が都心部としての機能を果たしていなければ里山資本主義は成り立たず、内部統制、経営戦略、情報処理という職能技術も応用方法によっては里山資本主義の発展には欠かせない存在となります。
小林よしのりライジングの強さは、まさに、全く違った勉強をする人は、まったつ違う立場の人々が交わることができる所にあると思います。今後、自分の歩む道がライジングの繁栄に役に立てれると思えばやる気倍増です!
一年間頑張りましょう!みなさん、応援ありがとうございます!よーし、頑張るぞー!
今年最初の配信ありがとうございます。
戦後から約70年近くも右翼と左翼がやってきたことって
単なるムラの対立であって自国のことを憂えてのことでは
なかったんですね。
出来レースの賞を貰ったり講演会で持ち上げられて
一時の承認欲求を満たしても、それが死後の評価に
繋がるとは思えず、死後も通じる言葉を残せるのは
寧ろ死生観と関係してるんじゃないかと思いました。
義兄弟の契りを結んだスクナビコナを踏んづけちゃった
オオクニヌシの言動は自分も未熟なため共感すること
大ですが、いまだ途上の国造りはどうなるか、
次回が楽しみです。
昨日のゴー宣道場は現在の葬式の成り立ちなどが
目から鱗でした。自分の始末の仕方を考えるために
江戸時代以前の葬式を調べたくなりました。
動画が上がったらもう一回見ます。
「大東亜論」早速読ませていただきました。やっぱり先人たちは「覚悟」というものを持って行動していたというのを改めて思い知らされました。はたしてアベちゃんをはじめとする今の政府・与党やネトウヨ・自称保守といった「安倍真理教」にこれがあるのかどうか・・・
しかし世論ってのも本当いい加減ですね。私もよしりん先生がブログで書かれているデータをTBSのニュースで見て呆れましたが。結局「安倍真理教」の信者って何も考えてないっていうのをあたかも露呈した感もします。
みなぼんさん あってのゴーマニズム宣言ライジング。お身体大事にしてください。
大東亜論 めちゃくちゃ 面白いデス!!
岸端編集長が熱を出したと聞き、本当に大丈夫なのかと心配になりました。カレー千衛兵さんの言うとおり、いくらライジングが遅れてもいいのでくれぐれも体調の回復を第一にしてほしいです。岸端編集長が倒れてしまわれたら、それこそ、ライジングで楽しませてもらっている我々としては本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
都知事選に期待する人はなしと言いましたが、小泉氏の協力を受け付けた細川氏を応援することとします。原発は我々、臣民の生活を支える里山を破壊する元凶でもあるわけですから、一刻も早い廃炉、解体が必要ですから、都民としてせめてもの強力をさせていただきます。
細川氏出馬表明しましたね。私も最初は「言ってることは徹頭徹尾その通りだけど年齢がなあ・・・」と思っていたのですが、「アホな50代よりまともな70代」の方がマシですし石原慎太郎が70越えてから都知事選に3度当選(衆院選入れると4度)してるので「こういうあり方もあって然るべきか」というように考えるようになりました。
それにしても「原発のことは東京に関係ない」って考えは「アホか」としか言いようがないですね。ネトウヨや自称保守はもちろんアベちゃんも焦ってるのか何なのかそんなようなことを外遊先で言ってますが、アベちゃんって年末にBS朝日の番組で「今の段階で原発ゼロを表明するのは無責任」って言って小泉批判してましたよね。「東京都政には関係ない」って言う方が小泉より余程無責任で、福島はもちろん東電の原発がある新潟をもないがしろにしてると思いますがどうでしょうか?福島の時がそうであったように浜岡や柏崎で何かあれば東京にも影響があるはずなのですが。
みなぼんさん、体調はいかがですか?
仕事の鬼と小林先生から言われるほどの仕事人間のみなぼんさんですから、ライジング配信の延期は悔しかったのではないかと推察いたします…
でもでも、そこら辺の社長だったら「自分の体調より仕事優先が当たり前だろー」位のことを言われている人も多い中で、体調優先して延期してくれる社長の下で働いているみなぼんさんは、幸せだなぁ…と不謹慎にも思ってしまいました。
しっかり休養をとって、また素晴らしい仕事をしてください!
明日の配信を楽しみにお待ちしております!
ふと今回のしゃべらせてクリを見て思ったのですが、茶魔が扮する絶交仮面の元ネタは永井豪氏の「けっこう仮面」なのではないのでしょうか?
それから「天罰研」の唐辛子明太の決め台詞の「バチかぶるぞ!」って言うのは田口トモロヲ氏がボーカルを取っていた伝説のパンクバンド「ばちかぶり」へのオマージュなのではないのか、と勝手に解釈していますが…。
過去のライジング等で何かそれに関する記事などご存知の方は教えて下さい。
週明けてしましたが…今週も配信ありがとうございます!!
ポエム化社会…キモい!キモいの一言です。
メンタルが軟弱化する故に耳触りの良いファンタジックな世界に逃げる
傷をなめあえる集団を求める、
いずれにせよただの現実逃避に見えてしまうなぁ。
どいつもこいつもヘナチョコかっ??
Boys be シドヴィシャス (でもドラッグはノンよ)
パンクな人生の方が面白いんですよきっと!
そういう人に私はなりたい。
でも厄祓いは行きます!!神社を維持してほしいもの。