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magomeさん のコメント

>>93 久米さん 現状の流れで行けば、今上陛下および皇后陛下の直系、長子の順番によってまず、報道機関や自称保守、ネトウヨ、ネトバカを通して言葉の暴力で徹底的に指弾していく方法をとっていくと思います。今上陛下の皇后、そして次に皇太子妃殿下、さらに紀子妃殿下、そしてその次に敬宮愛子内親王殿下、佳子内親王殿下、眞子内親王殿下の将来の伴侶、そして最後に悠仁親王殿下の伴侶と言った順番で叩いていく可能性が高いと思います。
しかし、現行では結婚後も皇室に残れるのは悠仁親王殿下だけであることから紀子妃殿下を言葉の暴力で指弾した後は悠仁親王殿下の伴侶を指弾するという方法で皇室を吊るし上げようと計画をしていると考えられます。

>>94 あやめさん はじめまして、magomeと申します。
極左とネトウヨ、ネトバカ、自称保守に共通することは過去の知識は知っていても過去を教訓にしようとしない、即ち、自分自身の心に歴史が存在していない所にあるのです。ですから、ネトウヨ、ネトバカは、戦争をしているわけでもなければ、自分自身で会って話し合ったこともないのに支那人や朝鮮人、韓国人に異常に敵愾心を持ち、自称保守はグローバリズムや原発再稼働に異常なほどに執着し、極左は現代社会と自分の身の周りに自分の行為を棚上げしてまで異常なほどに敵愾心を持っているのです。

ですから、心に歴史が宿り、一般常識を持っている人が読めば酷く、吐き気がする内容でも、心に歴史が宿らせていない精神上不安定なネトウヨ、ネトバカや極左、または自称保守からしてみれば目的や手段が一致している限り、よほどのことがない限りは目的と手段に同調してその他の内容に対しては感覚が麻痺していて異常性に気が付かない場合が極めて多いのです。

よって、ソ連が崩壊したところで心に歴史が宿らず、教訓にするという概念が身についていないことからいくら同じことを繰り返してもありもしない「理想郷(ユートピア)」を転向することもなく目指すと思います。これは例え世界中から韓国人、朝鮮人、中国人が消えたとしても嫌韓、嫌中運動を繰り返すであろうネトウヨ、ネトバカでも同じですし、原発事故で世界が住めなくなり、グローバリズムで本人が野垂れ死にしそうになっても原発推進とグローバリズムを推進するであろう、自称保守も同じだと思います。

結論として「『馬鹿』は死ななきゃ治らない」と私は考えます。

>>95 そぽろさん 返信ありがとうございます。それと、長文失礼しました。一度詳細に書いておくと改めて短文を書き込むときに参考にしたりして纏めやすくなるので今後のために詳しく解説させていただきました。

また、疑問を持たれることには大変歓迎で自分も自分なりに解りやすく丁寧にお答えさせていただきますのでよろしくお願いします。

さた、皇統女系公認論者も政治では皇室典範の改定が必要とされていることから、現状打破を望んでいることは事実ですが、現状を打破しなければいけないのは皇統男系固執者も同じで、皇統男系固執者も現状を打破して旧宮家系国民男子の4人を皇籍取得させるように皇室典範を改定させる必要があります。この旧宮家系国民男子4人の皇籍取得を提案したのが
竹田恒泰氏と新田均氏で、現在でも恐らく、多くの皇統男系固執者はこの案を支援していることが考えられます。これは悠仁親王殿下が誕生した現在でも変わっていません。

また、もし、皇統女系公認論者が現状を打破するために自作自演や成済ましをやるならば平成24年の「皇室制度に関する有識者ヒアリング」で同一人物が何通(多い時には2000通)も送るなど、「日本会議」を筆頭に皇統男系固執者がやったでしょうし、政府にもその記録が残っているはずです。

故に皇位継承問題では皇統男系固執論者が望む旧宮家系国民男子4人の皇籍取得させる案がいまだに浮かび上がってこないことから、女性宮家創設案や平成17年有識者会議の報告書が上がっていることから政治でも女系公認論者に優勢であるこことに変わりなく、皇統男系固執論者は法案の妨害という極めて劣勢に立たされていると見た方が良いと思います。だからこそ、2000通も同じ文章を同じ人が贈るという成済ましや自作自演を行うと思われます。

また、同じ極左に向けての勧誘ですが、この極左と思わしき人が10年近く自称保守論壇に潜入して活動をしていたと考えられることと、チャンネル桜などの保守運動デモでかつての極左活動家の仲間と再会したと証言している事から、現段階では左翼度の強い場所ではすでに勧誘などの活動をやり終えていて、極左の仲間たちでネットなどの掲示板ではなくメール、もしくは直接会って話すなどしてネット上や保守論壇界の情報網では解らないように、すでにレビュー欄で書き込んでいた内容を伝達していると考えられます。しかし、それでも人材をできるだけ多く集めたほうが有利であることに変わりはなく、最後の最後に最も計画の失敗の可能性が最も低い段階に達したと判断したと思われることから、仕上げとして情報を一見左翼度が強くなく、かつ多くの情報を公開して伝達しやすく、それでいて仲間が暗躍している可能性が高い場所としてアマゾンのレビュー欄を選んだのだと思います。

断っておきますが、これはあくまでも自分の推測が多く混じっていますので正確な真相はわかりませんが、これまでの自称保守の皇位継承における豹変ぶりやネトウヨ、ネトバカの異常な行動からして、極左と思われる人の書き込みがどうしても非現実的なものとしても、無計画性のものとしても考えられないのです。
No.100
130ヶ月前
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第74号 2014.2.18発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、珍妙な商品が盛り沢山(!?)の『おぼっちゃまくん』キャラクターグッズを紹介する「茶魔ちゃま秘宝館」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」…2月11日、安倍首相はこの日、「建国記念の日」を寿ぐメッセージを出し、産経新聞は社説で未だに政府主催の式典が開かれないことを嘆いていたが、この祝日の成立に最も寄与した人物を知っているのだろうか?一方、「建国記念の日」制定に反対し、「天皇の戦争責任」にも言及し左翼学者にもてはやされた「赤い宮様」が、皇位継承問題において「男系維持」を唱え自称保守派を操っている。その真意とは? ※「ザ・神様!」…突然の解散に見舞われた、神代の国土開拓コンビ「デコボコブラザーズ」。知恵者のスクナビコナに去られ、不安と絶望と焦燥とに駆られるオオクニヌシ。心のなかは「お先真っ暗」!国造りはどうなるのか!? ※馬鹿が百科を書いている…!!ウィキペディアの記事を徹底的に添削しちゃう大好評「よしりんウィキ直し!」。回を追うごとにひどくなるウィキペディアの記述、その傾向は今回もさらに続いて、飛躍的に最凶最悪の度合いを増していた!ウィキ運営からも目に余るルール違反と見なされた記述とは? 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第75回「『建国記念の日』に反対した三笠宮崇仁殿下の情念」 2. しゃべらせてクリ!・第35回「貧ぼっちゃまきょうだいの絆に涙ぶぁい! の巻〈後編〉」 3. もくれんの「ザ・神様!」・第27回「われは汝、汝はわれ。オオクニヌシの魂から生まれた国造りパートナー」 4. よしりんウィキ直し!・第15回「ゴーマニズム宣言⑪:『天皇論追撃篇』(新天皇論)①」 5. Q&Aコーナー 6. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 7. 読者から寄せられた感想・ご要望など 8. 編集後記 第75回「『建国記念の日』に反対した三笠宮崇仁殿下の情念」  2月11日、わしは 田中卓 氏(皇学館大学名誉教授・古代史学の泰斗)に頼まれて大阪の国民会館で講演したが、そのとき「 建国記念の日 」の成立には、田中卓氏ら尊皇の本物の保守知識人と、左翼勢力のシンボルとしてこの祝日制定に猛反対した 三笠宮崇仁親王殿下 の激しい論争があったことを話した。  安倍首相はこの日、「建国記念の日」を寿ぐメッセージを出し、産経新聞は社説で未だに政府主催の式典が開かれないことを嘆いていたが、そもそも安倍首相も産経新聞も自称保守派&ネトウヨも、この祝日の成立に最も寄与した人物を知っているのだろうか?   それは皇統の「女系公認」を主張する田中卓氏である。   そもそも神武天皇の実在を証明したのは田中卓氏なのだから、この学者がいなければ「建国記念の日」は2月11日に復活することはなかったはずだ。  現在の「建国記念の日」は、昭和23年(1948)までは「 紀元節 」といった。  初代天皇・神武天皇が橿原宮に即位した日を『日本書紀』の記述から推定し、日本の建国を祝う日として明治6年(1873)に定めたのである。   しかし戦後、GHQによって紀元節は廃止されてしまった。  そこで本土の占領が終了した昭和27年(1952)から「 紀元節復活運動 」が盛り上がりを見せるようになる。  世論は復活賛成が圧倒的で、昭和32年(1957)に自由民主党の衆議院議員らが「 建国記念日 」制定に関する祝日法改正案を国会に提出。しかし日本社会党の反対によって審議未了となった。  その後も根強い国民の希望がありながら、左翼政党や「進歩的文化人」らの反対により、「建国記念日」制定の法改正案は9回も提出と廃案を繰り返し、10年近くにも及ぶ攻防が繰り返された。   その間、左翼側に立って「紀元節復活反対」の運動に大きな役割を果たしたのが、昭和天皇の弟で現在98歳の 三笠宮崇仁(たかひと)殿下 である。  三笠宮殿下は昭和32年(1957)、日中友好論者(もちろん左翼)の東洋史学者、三島一の還暦を祝う会のあいさつで、次のような発言をした。 「2月11日を紀元節とすることの是非についてはいろいろ論じられているが、肝心の歴史学者の発言が少ないのはどうしたわけか」 「先日松永文相に会ったとき、『日本書紀に紀元節は2月11日とは書いてない』といったら驚いていた」 「このさい、この会をきっかけに世話人が中心となって全国の学者に呼びかけ、2月11日・紀元節反対運動を展開してはどうか」 「この問題は純粋科学に属することであり、右翼左翼のイデオロギーとは別である」 「日本書紀に紀元節は2月11日とは書いてない」なんてことを問題視しているのにも驚くが、「純粋科学に属すること」という発言も不可解である。  紀元節復活論争では、戦前の正史批判によって 左翼に絶大な人気があった 津田左右吉 でさえ「 史 実ではないが、キリストや仏陀の降誕も同様なことだ 」として、儀式としての祝日を是認 したのだが、三笠宮にはこのような見識もなかったのである。  この三笠宮殿下の発言は毎日新聞同年11月13日付でスクープされ、大きな波紋を巻き起こした。  これを機に、尊皇派の学者・論客が立ち上がり、翌昭和33年(1958)4月に『 神武天皇紀元論―紀元節の正しい見方― 』という本を刊行。  この編集・刊行を担当したのが若き日の 田中卓 博士で、企画から出版までわずか1ヶ月半で、 平泉澄・肥後和男・樋口清之・葦津珍彦・小野祖教・田中卓 など、錚々たる25名もの学者が執筆し、「紀元節」賛成の論文集を発行したのだった。   田中氏はこの本が完成するとすぐに、三笠宮家に献上。これは三笠宮殿下に対する「諫言」だった。   しかし三笠宮殿下の「紀元節復活反対」はもはや「信念」と化しており、著名な左翼系の学者に電話をかけたり、自筆書簡を郵送したりと、直接の働きかけまでしていた。  そして昭和33年11月、殿下は歴史学者として所属していた 「史学会」の東京大学における大会総会において、「反対決議をせよ」と強く主張。 坂本太郎理事長がこれを「政治的」だとして拒否すると、脱会を宣言して席を蹴ったのだった。  三笠宮殿下は「文藝春秋」昭和34年(1959)1月号では、『紀元節についての私の信念』と題して次のように語っている。 「真理を主張するのがなぜいけないのか」 「紀元節の問題はすなわち日本の古代史の問題である」 「(紀元節復活に反対するのは)生き残った旧軍人としての私の、そしてまた今は学者としての、責務である」 「もし二月十一日が祝日にきまれば、われわれはその廃止運動を展開するであろう」  この中で 「旧軍人としての」責務 という発言があることに注目してもらいたい。  三笠宮は戦時中、陸軍大尉として南京の支那派遣軍総司令部に勤務していたが、その時にシナ軍のプロパガンダをすっかり信じ込んでしまったらしく、離任の際には総司令部の全将校を前に、「 軍部が中国に対して反省と謙虚さを欠いて侵略したことを厳しく批判 」する内容の講和を行ない、「 情誼的で人情を重んずる 」中国人の心情を理解せよと説いていた。  戦後は「 人数は関係なく、南京大虐殺はあった 」とか、「 八路軍の婦女子に対する厳正な軍規と、モラルなき日本陸軍の蛮行 」とかを語り、「 天皇の戦争責任 」まで言及した。  
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!