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na85さん のコメント

 よしりん師範、木蘭師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、執筆・編集・配信、ありがとうございます。
 台風が過ぎたと思えば急激に寒くなり、大変な気温差です。皆様、どうぞご自愛くださいませ。

 今回ほど応募しなかったことを後悔した道場はありません。それは第1部の生放送を見ただけでも思いましたし、今回のライジングでよしりん師範の解説を拝読して尚更そう思いました。
 一読して脳裏に浮かんだことは、福沢諭吉の「一身独立して一国独立すること」です。福沢は一身独立する条件として2つ挙げています。それは経済的な自立と是非善悪の判断を他人に頼らないことです。
 幼児化する大人という今回のテーマから考えますと、これは古市氏の階級社会化とおじさん化に相当すると思われます。政府の経済政策の誤りが階級社会を生み出し、結果として個人の経済的自立を阻み、また階級の下層にいる人だけでなく、上層としての大企業の正社員でいるようなおじさんも、個人で考えず組織に善悪の価値判断を委ねているから一身独立できていない=幼児化しているわけです。
 また大企業のような組織は、大所帯であるだけに小回りが利かず、高度成長期のような時代遅れで既に公からズレてしまった過去の成功体験に囚われており、それゆえ安倍のようにノスタルジーを満足させてくれる政権を支持し続け、結果として階級社会化を促進し、今度は経済的自立を阻まれれて大人になれない幼児を大量に生み出すわけです。それが日本社会から活力を奪うことにつながり、企業はさらなるグローバル展開を迫られ、最後には日本の最下層民が中国その他に進出している日本企業で、中国なみの人権無視の環境で働かされる憂き目に遭うわけです。こうなってしまえば、宇野・古市両氏が言うような国家のセイフティ―ネットなど全く役に立たなくなります。
 さて、今回私がもっとも素晴らしいと思ったのは、宇野氏が以前は人よりも仕組みが大事だと思っていたと告白した上で、今は仕組みより人が大事だと考えるようになった経緯を明らかにしたことです。AKB48峰岸みなみ丸刈り事件でAKBの仕組みの整備こそが大事だと語っていた頃とは隔世の感があります。何よりも感動したのは、知識人が自分の転向を明らかにするという、大変勇気の要ることやってのけたことだと思います。論壇世間で祭り上げられて満足しているホシュやサヨクとは違う、個人で戦える大人を見た気がします。
 「勝つビジョンというのは、同じように僕の考えることに耳を傾け、実際にコミットしてくれる仲間を増やすことだけですよ。それも頭数ではなくて、責任をもって最後までコミットしてくれて、具体的に戦力になる仲間をどれだけ作れるかです」という氏の言葉は、師範の『大東亜論』の玄洋社を意識した言葉だと思いますが、これは魅力あるリーダーに率いられ、互いの顔が見えるぐらいの大きさのチームで、一つの目標に向かって活動するとき最も力を発揮する良き共同体のことだと思われます。そこには当然国レベルの大きな物語が含まれる可能性をも孕んでいるはずです。
 顔の見える程度の大きさの共同体で、リーダーは言うに及ばず成員それぞれが、その経済的自立にも是非善悪の判断にも責任を持ち、つまり皆が大人(公を含み込んだ個人)を演じていけば、共同体同士の有機的つながりとしての世間も風通しが良くなり、付和雷同する性質を持つとされる日本人も空気に染まることが少なくなり、結果として国も方針を誤ることが少なくなる、それが福沢の一身独立して一国独立することの意味だと思われます。
 悪い振る舞いをすることの何が悪いかと言えば、それが周りに伝播することだと福沢が語っていたように記憶しています。現在は年齢的に成年に達した大人の幼児化した振る舞いが、ネットやメディアを通じて、かつてないほど素早く伝播する時代です。しかし、共同体が壊れかかっていると言われる時代にも、一人ひとりがその共同体の中で大人を演じ、それを徐々に世間に浸透・拡散させていくことなしには、国を変えることはできないのだと改めて学ばせていただいた、そんなゴー宣道場でした。

 第2部の公開がこれほど待ち遠しいのは初めてです na85
No.44
120ヶ月前
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第104号 2014.10.14発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、小林よしのりに関するWikipediaページを徹底添削「よしりんウィキ直し!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」…批評家・宇野常寛氏と社会学者・古市憲寿氏をゲストに迎えて行なわれたゴー宣道場「幼児化する大人たち」。「大人」とは何か?拡がる格差社会と幼児化の関連とは?そもそも日本の国家自体が子供なのではないか?「大きな物語」と「終わりなき自分探し」、AKB48評論から見えるもの、「日本的な世間」の正と負、グローバル化が進む現代における「国家」、「大人を演じる」ということ、カルト的になっている現在の危機をどのように伝えたら良いのか…想定を遥かに超えて深い議論が展開されたゴー宣道場。紋切り型の議論は何も生まない!思想を続けよ!! ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!「二代目小林よしのり」はいる?新聞は本当に必要?先生の言論はネットの普及でどう変わった?『新天皇論』『昭和天皇論』の文庫化の予定は?大切な友人が自分と真逆の歴史観を持っていたら、どうすれば良い?「ネトウヨ」という言葉もレッテル貼り?産経新聞ソウル支局長が起訴された件をどう思う?新連載を始める予定はある?…等々、よしりんの回答や如何に!? ※『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて、一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてくり!」スポーツの秋、到来ぶぁい!でもぽっくん、断然ビリ独走中でしゅ!どうお金を使えばこの理不尽な事態を解決できるとでしゅかー?だりか教えてクリ―――!! 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第102回「『幼児化する大人たち』の議論で得たもの」 2. しゃべらせてクリ!・第64回「秋の大運動会!ぽっくんビリ独走中!の巻〈後編〉」 3. よしりんウィキ直し!・第29回「ゴーマニズム宣言⑭:『天皇論追撃篇』(新天皇論)⑮」 4. Q&Aコーナー 5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 6. 読者から寄せられた感想・ご要望など 7. 編集後記 第102回「『幼児化する大人たち』の議論で得たもの」  先日開催した「ゴー宣道場」のテーマ「 幼児化する大人たち 」の議論に沿って、わしの考え方を簡略に整理しておく。  ゲストは批評家・ 宇野常寛 氏と社会学者・ 古市憲寿 氏。  日本の将来は今の若者たちの考え方にかかっている。宇野・古市両氏は今の日本をどう分析しているのか、何を守りたいのか、何を理想とするのか、彼らはこれからの日本や世界をより良いものに出来るのか?それを確認しておかねばならない。  そして、若い観客にとっては、若者だからこそ共感できる意見や感性もあるだろうし、わしが思想し続ける上でも、彼らから学ぶこともあろう。  宇野氏は「 そもそも戦後日本において、『大人』なんて本当にいた試しがあるのか? 」という疑問を呈した。  宇野氏によれば、「大人」とは、本当は存在しないことがわかっていても、「立派な大人」という概念があれば世の中はもっとよくなるんじゃないかという理由で、存在するかのように扱われていた一種のマジック・ワードではないかと言う。  さらにもっと俗なレベルで「大人」とは何を意味しているかといえば、「 世間の空気になじむこと 」だという。そして、 日本的な「世間」の力は弱くなってきて、個人化が進んでいるからこそ「大人」が成立しづらいのではないか と分析した。  一方、古市氏は「 幼児化する大人たち 」を普段自分が使っている言葉に置き換えると「 階級社会化 」と「 おじさん化 」の二つだという。  そもそも 「若者」という言葉が日常的に使われるようになったのは1960~70年代、「一億総中流」と言われるようになったのと同じ時期 だそうだ。  戦後すぐの日本には、今よりもはるかに階級差があり、同年代の人をひとくくりにして「若者」として論じることはなかったが、経済成長で格差がなくなったことによって、初めて年齢だけで「若者」としてくくられるようになったという。   ところが今は格差社会化によって再び揺らぎ始めており、年齢で区切るよりも階級や生まれで区切ったほうが、理解ができるという議論が起きてもおかしくなくなっている。  そうなると、 「幼児化」とは年齢が低いということだけではなく、階級が低いということを含んでいるかもしれない という。  もう一点の「 おじさん化 」だが、「おじさん」とは、ただ単に年齢が上の男性という意味ではなく、 一個の組織やコミュニティの中にずっと居続けてしまって、自分のことを疑わなくなった人、既得権益にどっぷり浸かってしまった人 をいうそうだ。  日本の大企業には「おじさん」が多い。会社の価値観に染まり、会社の論理だけを、社会のルールや世の中のルールよりも優先してしまう態度こそが、その「幼児化した大人」だというわけである。  高森明勅氏は、ヨーロッパ人が江戸時代の日本人を見た時の描写と、文明開化以降の日本人を見た時の描写では、イメージが全く違っていたという、民俗学者・石田英一郎の研究を紹介。  近代の日本人は、矮小で、どこか落ち着かない、頼りなさげな「子供」のように描かれていたが、江戸時代の日本人は恰幅がいい、堂々としている、落ち着いた「大人」に描かれていたそうだ。  その理由を石田は、 明治の日本人は自分たちが受け入れようとする文化をしっくりと着こなせておらず、自らのアイデンティティーに対する安心感、信頼感、自信を喪失しており、それがまして自分たちのモデルとしているヨーロッパ人の前に立たされた際には、なおのこと萎縮したふるまいになっていたのだろう と分析したという。   近代以降の日本に「大人」がいないとする根の深い問題に加え、戦後は日本という国家自体が一人前の大人になれず、アメリカという保護者の前で良い子を務めることに汲々としているという国際的なポジションがある。  そして政治家たちも最後の責任は取るろうとせず、アメリカにお願いをするという政治構造があるため、社会の中にも本来の大人を成立させにくくしていると、高森氏は指摘した。  古市氏は、 ある時期までは社会に目標があった。宇野氏の言葉で言うと「 大きな物語 」があった。その時代には、生きる意味のようなものを社会が与えてくれたから、人は浮遊しないで済んだと言う。  それがこの数十年、特にバブル崩壊以後変わって、これからは自分で生きる意味を探さなければならない。そうなると「 終わりなき自分探し 」が始まり、人々がますます浮遊していく。  ただし、これはどちらがいいという話ではなく、 「安定」と「自由」はトレードオフの関係にあり、自由になればなるほど安定は失われるものである。   そこに耐えられない人がネット右翼になったり、わかりやすいナショナリズムの物語に飛び付くということはありうるし、別にそれは右翼イデオロギーじゃなくてもよかったのではないか と古市氏は指摘した。  一方宇野氏は、日本人は国家というものに対する参加意識が希薄であると言う。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!