• このエントリーをはてなブックマークに追加

na85さん のコメント

    (続き)
 解決法としては、男性が女性的になるしかないと考えます。情報分析に長けた脳を競争のために使う男性が作ったシステムが崩壊の危機にあるなら、感情統合に長けた脳を融和のために使う女性が、世界の道行を決定するようなシステムに造り替えるしかないでしょう。
 ここで、よく犯される間違いとして、すでに脳が男性化した女性が、男性の作ったシステムの中で競争力をつけてのし上がっていこうという行き方です。故・サッチャー元首相やメルケル首相などがその典型でしょう。一般にフェミニストと呼ばれる人々にはこのようなタイプの方が非常に多いのではないかと思われます。
 そうではなく、新たな女性的な感性でもって物事を決めていくシステムの模索こそが全世界的な危機を救える唯一の道であると思えるわけです。

 そのような女性的なシステム構築のヒントは、日本人が歴史的に培ってきたものの中にこそあると、私は考えます。

 それは、宗教的権威と政治的権力の分離というシステム上の役割分担であり、民のために祈る祭祀王・天皇と、実際に政治を司った豪族・貴族・武士・近代の政治家のような関係です。宗教的権威は、民のために祈り、民の願いを敏感に感じ取り、民の願いを汲んだ意向を為政者に対し仄かに指し示すような存在でありますが、その存在は、実際には性別が男性であったとしても非常に女性的だと言えます。また、内外の様々な動きを論理的に分析し、国民を説得しつつ国外と渡り合い、諸問題に対処していく政治的権力は、実際の性別が女性であったとしても非常に男性的だと言えます。当然、権威は権力より上位でなければならず、尊敬は常に権威に集まり、批判は常に権力に対して向けられるというシステムであるべきです。つまりこれはヒメ・ヒコ制度です。

 世界で最大の宗教的権威はバチカンのローマ法王ですが、男尊女卑宗教であるキリスト教の最高権威であるため、その資格は無いと思われます。

 すなわち、極東の島国の天皇の祈りが全世界に満ちたときこそ、世界に真の平和が訪れるような気がしてならず、男性的な脳に支配された世界中のシステムが崩壊寸前であるなら、最も女性的な宗教的権威の真摯な祈りにこそ光が当たるようにしなければならない、そのように考えるわけであります。

 そのためには、皇嗣を男系男子に限るという、本来の日本の国柄とはかけ離れた、男尊女卑的な空気が蔓延した時代に決められたせせこましい議論に囚われていてはなりません。それどころか、古代の女帝が活躍していた時代に倣い、女性も天皇の位につけるようにせねばなりません。宗教的権威は女性的であることで大きな意味を持つというのに、その位に本来の女性がつけないなどということがあってはならないわけです。

 これまで男性が維持してきたシステムの崩壊によって人類社会が共倒れするのを防ぐには、女性的システムを構築する「女性の時代」が到来しなければならないわけですが、それを象徴する出来事となるのは、やはり女性天皇の即位だと考えられます。つまり、現在の皇太子殿下の次に愛子様が立太子され、ゆくゆくは天皇になられることが約束される、その事実の確定こそが契機となるでしょう。

 そして、そのときこそ初めて、全世界において、日本の平安中期以降や江戸期なみに女性の地位が高められ、女性が真の意味で輝くことができ、それによって世界が調和され、真の平和が訪れるという希望の目も出てくると思われます。

 最後にもう一度エマ・ワトソンの演説に触れます。

 日本においては、保守思想の大家として知られる英国の政治家エドマンド・バークは「悪が栄えるには善き男と女が何もしないことだけで十分だ」と語りました。これを、左翼の類義語のように扱われることの多いフェミニストのエマ・ワトソンが、国連本部での演説の中で引用(ここでは当該部分は割愛)したことについて訝る向きもあるようですが、これはおかしな話です。なぜなら善き主張には、端から右も左もないからです。

 また、上述してきたごとく、一万年以上の縄文期を含む日本の国土の歴史を鑑みれば、日本は古来より女性が太陽であるという国柄です。伝統保守の立場を取るのなら、本来それをこそ重視せねばならず、ある時期までは世界で最も女性の地位が高く、女性の権利が認められ、身体的な能力や役割分担を除いた部分での男女平等が達成されてきた地域として、その日本の伝統に回帰することを最も強く主張しなければ、単なるご都合主義のホシュではないでしょうか。

 ここで、もう一人の英国の保守思想の大家、ギルバート・K・チェスタトンの言葉を借りましょう。
「伝統とは、あらゆる階級のうち、もっとも陽の目を見ぬ階級、われらが祖先に投票権を与えることを意味するのである。死者の民主主義なのだ。単にたまたま生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない。伝統はこれに屈服することを許さない」

 人類が男性的システムを構築する以前の、女性たちにもより大きな価値が認められていた時代の、無数の死者たちにも投票してもらえば、結果は自ずと明らかだと思われます。

 長文、失礼致しました na85
No.122
115ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
第105号 2014.10.21発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、小林よしのりに関するWikipediaページを徹底添削「よしりんウィキ直し!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」…政界も言論空間も「保守」が大ブームの現在。親米・従米派、グローバリズム信奉者、科学力を盲信する近代合理主義の原発推進派、挙げ句の果てには排外主義や人種差別を公然と唱える極右運動集団までもが「保守」を自称している。そもそも「保守」とは何を保守し、「革新」とは何を革新しようとしているのか?誰も「保守」を知らない今、「保守とは何か」を考える! ※前回は、木蘭さんが“おもいッきり”暴走してしまった、若き頃のエピソードが明かされた「ザ・神様!」。今回はなぜか「ゴー宣道場」の翌日しか登場しないレアレシピ「炎のゴー宣チャーハン」の登場!ダイナミックに大脱線しながらも、海佐知&山佐知の物語は続く…!! ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!『天皇論』の文庫化のメリットとは?ドラマ『聖女』続編を作るなら、どんな話にする?「夢であってほしい」と思うのはどんな時?「真の童貞卒業」とは?日本に急速に拡がるハロウィンをどう思う?再生可能エネルギーによる発電は必要?枯れた熟女にならずに済むアドバイスを下さい!…等々、よしりんの回答や如何に!? 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第103回「保守とは何かを考える」 2. しゃべらせてクリ!・第65回「こっち向いてクリ!艶子しぇんしぇ~の巻〈前編〉」 3. もくれんの「ザ・神様!」・第43回「炎のゴー宣チャーハン!~海佐知&山佐知 大脱線の4~」 4. Q&Aコーナー 5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 6. 読者から寄せられた感想・ご要望など 7. 編集後記 【生放送予定】 http://live.nicovideo.jp/watch/lv196075083 第103回「保守とは何かを考える」  いつからか政界も言論空間も「保守」が大ブームで、誰も彼もが「保守」を名乗っている。  わしは既に10年前の2004年9月発売の「わしズム」で「 最近の保守論壇はバブルなのだ 」「 ステレオタイプの言説のたらい回しは強がりオヤジと保守オタクの癒しにしかならない 」と批判しているから、この「保守バブル」はもう10年以上も続いていることになる。  わしは2001年9・11の同時多発テロを機にいわゆる保守論壇とは手を切り、親米・従米の保守言論人を「 ポチ保守 」と批判したが、その後も、資本の暴走を規制しないグローバリズムの信奉者や、科学力が自然に勝てると盲信する近代合理主義の原発推進派や、挙句の果てには排外主義や人種差別を公然と唱える極右運動集団までが「保守」を自称するようになってしまった。  中には「靖国神社参拝が保守の条件」などと言い出す者までいるが、そんな定義が成り立つのなら、確かにどんなレイシストだろうと、グローバリズムに日本を売り渡そうとする者だろうと、どんな者でも靖国参拝さえすれば「保守」になれることになってしまうが、そんな馬鹿げた話はない。  ともかく、 こんな「自称保守」ばかりが蔓延している世の中だから、わしはあえて「わしこそが保守」という立場を演じるしかないのである。  ちょうどそんな時に、テレビ朝日のワイドショー「モーニングバード」のコーナー「そもそも総研たまペディア」から「 そもそも保守って何を保ち何を守るんですか? 」というテーマで取材を受けた。  番組は10月16日に放送されたが、なかなかよく出来ていたので、今回はその内容を紹介しつつ「保守とは何か」を考えてみたい。  政治の世界では戦後、ずっと「 保守 」と「 革新 」の対立と言われてきた。  最近では「革新」はすっかり影が薄くなって「死語」に近い観さえあるが、それはともかく、「保守」とは何を保守し、「革新」とは何を革新しようとしているのだろうか?  憲法に対する態度を見ると、「保守」「革新」の定義の混乱ぶりが端的に表れてくる。自民党は憲法を変える、つまり「革新」を目指しているはずなのに、「保守」を自称している。  一方で旧社会党、現在の社民党などは憲法を守る、つまり「保守」を唱えているはずなのに、「革新」を自称してきたのである。  東京大学名誉教授の御厨貴氏は、「 少なくとも日本に関して言えば、保守に明確な定義はありません 」と言い切った。  例えば アメリカの保守は、「 建国の時点のことを守る 」 ということが基本である。アメリカの保守派が銃規制に反対するのも、建国当時に市民が銃を持ち戦った精神に基づいている。   イギリスの場合は、王に対して貴族階級が反乱を起こし、近代議会政治を始めた時点のことを守るのが基本。 政治は貴族階級が行なうものであり、貴族の利益を一番反映すること、すなわち「 階級社会を守る 」ということがイギリスの保守である。  つまり、保守とは歴史上のある時点の体制を守るということなのだ。それでは 日本ではいつの時点の体制を守るのが「保守」なのだろうか?  御厨氏はそれを、「 戦後の占領体制から受益者として登場してきた人たちの利益 」だと言った。  要するに アメリカとは仲良くして、安全保障をアメリカに任せて、経済中心でやっていくという人たちが、戦後日本では「保守」と呼ばれたのだ。  そのために 戦後日本では日米安保体制を守ることが「保守政治」と言われ、吉田茂や池田勇人を源流とする政治集団が「保守本流」と言われてきたのである。  つまり、わしが「 親米ポチ 」と批判する者たちは、この定義によって「保守」を自称しているわけだ。それにしても「敗戦受益者の利益を守るのが保守」とは、あまりにも情けない定義ではないか。  ところで、番組では安倍晋三の言う「 戦後レジームからの脱却 」とは戦後体制の「革新」という意味であるから、これは保守ではないのではないかという疑問が出ていた。   だが、安倍晋三の「戦後レジームからの脱却」などは完全に言葉だけであって、有名無実とはこのことである。   安倍がやっていることはアメリカ依存で経済中心という戦後レジームそのものだから、実際にはこれこそがまさに「戦後保守」なのである。  しかも、集団的自衛権行使容認によってどこまでもアメリカの戦争の手助けをするようにまでしてしまうというのは、「 戦後レジームの強化・完成 」と言っていいほどの行為ではないか。  番組ではもう一人、新右翼・一水会最高顧問の鈴木邦男氏にインタビューして、「右翼」と「保守」の関係について聞いていた。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!