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na85さん のコメント

 よしりん先生、お忙しい日程の中、号外を配信していただきありがとうございます。

 いつも思うのですが、先生がこのような子供や親の問題を扱うゴー宣を書かれるとき、天下国家を扱って政府批判するゴー宣とはまた一味違った独特の観察眼を発揮されており、まるで最上質・第1級のノンフィクションを読むような感覚になります。やはりブロマガを無料で配信しろという言い分は徹底的に間違っていると言いたいです。

 私はこの事件についての情報収集を怠っていたのですが、これを読ませていただくだけで概要から背景から処方箋までが網羅されていて感動しました。テレビのニュースで見ていただけでも担任教師の無責任さだけは十分に伝わってきましたが、被害少年の人格の高潔さや落ち度の無さまでは把握できませんでした。逃げて甘えてニート化する子供がいくらでもいるご時勢なのに、彼のように優しさを持ち合わせていたばかりに、逃げもできず相談もできず、結果惨たらしい死が与えられるという世の中は絶対に間違っています。
 無責任な担任教師は全く弁護したくないですが、学校の上層部がいじめ問題の最終的な責任を全て担任教師に負わせようという姿勢だったかもしれません。煩わしい問題を上に申し送りしてくるな、絶対マスコミに嗅ぎつけられるな、報道陣の前で上層部が謝罪するような事態を避けろという具合に教師に釘を刺していたら、担任は問題を自分だけの力で解決するか、運を天に任せつつ見なかったことにしてやり過ごすか、という絶望的な二択になってしまいます。件の担任の女教師は後者を選択してしまったのではないでしょうか。いくら担任教師に意欲があったとしても、教室という現場で逐一「集団リンチ」を未然に防ぐ戦いを続けながら、学校上層部とも対決するのでは身が持たないと思います。
 であれば、よしりん先生が仰るように、当てになりそうもない担任にいつまでも期待をかけるより、警察に介入してもらうという解決法が一番妥当だと思えます。しかしこの場合、世間体を気にする親も、上の評価を気にする教師も、保身から警察への垂れ込みに反対する可能性が考えられます。だからこそ、現在のいじめは集団リンチだという認識が広く行き渡る必要があり、生徒が一人で警察に訴えに行っても警察は真摯に対応する義務があるという認識になってもらわねばなりません。
 この号を読まれた警察関係者の方は、勇気を振り絞って訴えに来た子供の絶望的な最期の声に真摯に耳を傾けてください。そしてまた、この号を読んだ現在クラスメイトからのリンチに悩まされている生徒は、最終的に警察に訴え出ることは全然おかしいことじゃないんだと思っていてください。そのように言いたいです。

 良い資質を持っていることが逆に仇となる社会で、誰が子供産み育てるだろう? na85
No.18
106ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
(号外 2015.7.21発行) ゴーマニズム宣言 「岩手中2自殺事件は凶悪犯罪である」  岩手県矢巾町の中学2年男子、村松亮君がいじめを苦に列車に飛び込み自殺するという事件が起き、学校の対応などを巡って論議となった。  またしても起きてしまった、中学生の子供が犠牲となる痛ましい事件であり、これ以上このような事件を続発させないためには、事件を未然に防げなかった最大の責任者を、特定する必要があると思う。   今回の場合それが誰かといえば、やはり巷で囁かれている通り、亮君の担任である30代の女性教師を特定せざるを得ない。  既に多く報道されているが、亮君からあれだけはっきりしたSOSのサインが出されていたのに見過ごしていたのだから、あまりにも鈍感すぎたと言うしかない。  子供の最も身近にいる存在は親なのだから、いかなる場合でも、いじめ自殺を防ぐ責任は第一には親にあるという意見もあるが、今回の事件では、どうしても教師の感受性の鈍さが目立ち過ぎる。   今回は亮君の人並み外れた優しさに、父親から教師まで、甘え過ぎていたゆえに起こった悲劇である。  亮君が小学3年の時に、両親は離婚している。父親から暴力をふるわれた母親が、亮君と2人の妹を連れて東京に逃げたのである。父親がDVならすでに責任の一端は担っていることになるから、単なる被害者ではない。  しかし亮君は「おじいちゃん、おばあちゃんやパパが心配だから帰りたい」と言い出し、両親が相談した上で、1人だけ岩手に帰った。  だが、それでも亮君は父親との折り合いが悪かったようで、小5の冬休みに母親に「ママ、助けて」と電話をかけ、一旦は母親が東京に連れ戻している。  ところが、そんな状況でありながら亮君は自ら「ママには妹たちがいる。でもパパにはオレしかいない」と言い、4日後には岩手に帰って行った。  亮君は自分がどんな思いをしようと、それよりも父親のことを優先させて考える子だったのだ。たとえその父親が母親に暴力をふるい、自分にもつらく当たるような人物であったとしても。  岩手で同居していた祖父は「亮は同年代の子と比べるとちょっと幼い。純粋すぎるけど優しい子だった」と語っている。  世の中には、とてつもなく優しい心を持った子供がいるということを認めるべきで、わしの『おぼっちゃまくん』を読ませてあげれば、少しは人間の邪気も吹き込めたかもしれない。  亮君は、自分は父親の寂しさを癒そうとして帰ったのに、自分のために迷惑をかけたりしたら、意味がなくなってしまうという気持ちをずっと持っていた。  だからこそ、どんなにいじめを受けていても、父親にだけは決してそれは言えなかったのである。  ただし一度だけ、亮君はバスケ部の同級生Aにいじめられていると父親に言ったことがあり、父親は学校に相談して対策を求めている。  このとき学校は、バスケ部の顧問と担任、そして亮君と同級生Aで話し合いを行い、問題は「解決」したという。   だがはっきり言って、この時の学校の対応は決定的に間違っている。   学校は加害者と被害者を同等に扱い、両者の話し合いで「解決」したと思い込んだのだ。だが、凶悪犯と被害者を同じ席で話し合わせたって、問題の解決になど絶対になるわけがないのである。凶悪犯はその場しのぎで、どうとでも嘘をつくのだから。  ここで亮君を優しすぎる少年とし、加害者を凶悪犯と見做すのは、単純な善悪二元論で、印象操作だと言う者もいるだろう。誰の心にでも善意の部分が宿り、悪意の部分も宿っているのは当然だが、そんな相対化は問題の解決に何も寄与しない。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!