トワージさん のコメント
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(号外 2015.7.21発行) ゴーマニズム宣言 「岩手中2自殺事件は凶悪犯罪である」 岩手県矢巾町の中学2年男子、村松亮君がいじめを苦に列車に飛び込み自殺するという事件が起き、学校の対応などを巡って論議となった。
またしても起きてしまった、中学生の子供が犠牲となる痛ましい事件であり、これ以上このような事件を続発させないためには、事件を未然に防げなかった最大の責任者を、特定する必要があると思う。
今回の場合それが誰かといえば、やはり巷で囁かれている通り、亮君の担任である30代の女性教師を特定せざるを得ない。
既に多く報道されているが、亮君からあれだけはっきりしたSOSのサインが出されていたのに見過ごしていたのだから、あまりにも鈍感すぎたと言うしかない。
子供の最も身近にいる存在は親なのだから、いかなる場合でも、いじめ自殺を防ぐ責任は第一には親にあるという意見もあるが、今回の事件では、どうしても教師の感受性の鈍さが目立ち過ぎる。
今回は亮君の人並み外れた優しさに、父親から教師まで、甘え過ぎていたゆえに起こった悲劇である。
亮君が小学3年の時に、両親は離婚している。父親から暴力をふるわれた母親が、亮君と2人の妹を連れて東京に逃げたのである。父親がDVならすでに責任の一端は担っていることになるから、単なる被害者ではない。
しかし亮君は「おじいちゃん、おばあちゃんやパパが心配だから帰りたい」と言い出し、両親が相談した上で、1人だけ岩手に帰った。
だが、それでも亮君は父親との折り合いが悪かったようで、小5の冬休みに母親に「ママ、助けて」と電話をかけ、一旦は母親が東京に連れ戻している。
ところが、そんな状況でありながら亮君は自ら「ママには妹たちがいる。でもパパにはオレしかいない」と言い、4日後には岩手に帰って行った。
亮君は自分がどんな思いをしようと、それよりも父親のことを優先させて考える子だったのだ。たとえその父親が母親に暴力をふるい、自分にもつらく当たるような人物であったとしても。
岩手で同居していた祖父は「亮は同年代の子と比べるとちょっと幼い。純粋すぎるけど優しい子だった」と語っている。
世の中には、とてつもなく優しい心を持った子供がいるということを認めるべきで、わしの『おぼっちゃまくん』を読ませてあげれば、少しは人間の邪気も吹き込めたかもしれない。
亮君は、自分は父親の寂しさを癒そうとして帰ったのに、自分のために迷惑をかけたりしたら、意味がなくなってしまうという気持ちをずっと持っていた。
だからこそ、どんなにいじめを受けていても、父親にだけは決してそれは言えなかったのである。
ただし一度だけ、亮君はバスケ部の同級生Aにいじめられていると父親に言ったことがあり、父親は学校に相談して対策を求めている。
このとき学校は、バスケ部の顧問と担任、そして亮君と同級生Aで話し合いを行い、問題は「解決」したという。
だがはっきり言って、この時の学校の対応は決定的に間違っている。
学校は加害者と被害者を同等に扱い、両者の話し合いで「解決」したと思い込んだのだ。だが、凶悪犯と被害者を同じ席で話し合わせたって、問題の解決になど絶対になるわけがないのである。凶悪犯はその場しのぎで、どうとでも嘘をつくのだから。
ここで亮君を優しすぎる少年とし、加害者を凶悪犯と見做すのは、単純な善悪二元論で、印象操作だと言う者もいるだろう。誰の心にでも善意の部分が宿り、悪意の部分も宿っているのは当然だが、そんな相対化は問題の解決に何も寄与しない。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
ひとまず、配信お疲れ様です。私も苛められていたタチでしたが今回のと比べると余程生ぬるかったですね。気は合わなかったですが分別がついてた分。
それはそうと、卑怯者の島を拝読しました。感想としてはただただ「おそろしい」の一言。大和言葉には「怖い」と「恐ろしい」の2種類の恐怖をあらわす単語(もっとあったりして)がありますがあの漫画に「怖い」という言葉は逆に全く以ってふさわしくないと感じました。この2単語の違いが分ったような、そんな気がします。尤も、「畏れる」という単語がありますし同じなわけがないのですが。
構成、画力、シナリオ、どれを欠いてもいけない。小学館が名作と銘打つのも分かります。特にラストのシーンは生半可な経験では絶対に出せない「おそろしさ」を感じました。
そして読了後、「卑怯者の島」という単語にまた「おそろしさ」を感じてます。別にかの島に限ったことではない、今正にいる、この場所。ここもまた、「卑怯者の島」なんだなって。6年前からこの言葉があったのがまた「おそろしい」。
…と、「おそろしさ」尽くしでした。イデオロギーとか関係ないとおっしゃってましたが滲み出てます。先生の思想が。
さてと、「怖い」成分補給に某ぞんぞんぐらしを読み返しますか(笑)
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