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こいらさん のコメント

私の地元の町でも中学生のいじめ自殺事件がありました。当時の教育長、教育委員会関係者、学校関係者は全て責任逃れに終始し、被害者の生徒のご遺族の要望によってようやく県の教育委員会と法曹関係者による第三者機関が立ち上がって、事実の究明と再発防止策を進めています。
私は田舎町に住んでいますが、田舎ほど世間体の負の部分が幅を利かせていて、異質なものを排除する傾向が強く、それがいじめという形になって現れ易いと思います。田舎は純朴で住民が優しいというイメージがありますが、陰湿ないじめも少なくありません。私の小学校の後輩の女の子も、髪の毛が天然パーマというだけで小学6年間ずっといじめられて、とうとう町から出て行ってしまいました。都会ではまずありえない話です。
話をいじめ自殺事件に戻しますが、そのいじめを見過ごした上に責任逃れをしていた元教育長の人間を知っていますが、どちらかと言えば体育会系のいわゆる保守的なタイプの人間でした。左翼・リベラルの側もいじめを見逃す教員はいると思いますが、子供の性格を善人だと信じて疑わないお花畑の脳みその人間は、保守の側にもいる可能性があるし、いじめるような体力があって悪知恵も働いて強圧的な子供を「勢いがあっていい」と前向きに評価するのはどちらかと言えば保守の側の人間のような気がします。
子供のいじめがなくならないのも、大人が大人同士をいじめて、強圧的な暴力の連鎖がなくならないことと無関係ではないでしょう。大人の社会だって、警察沙汰にはならないけどいじめと呼べないようなリンチ・暴力が例えば会社社会においても日常茶飯事だと思います。大人のパワハラやセクハラ、モラハラがなくならない限り、子供のいじめ(リンチ・暴力)もなくなりません。大人のいじめだって堂々と警察を通して介入させるべきだし、警察沙汰になったら被害者でも世間的に疎まれ職をなくすような悪しき世間体の風潮は直ちになくすべきです。
いじめがなくならないのも共同体の風化と劣化が原因で、人の心が荒んでしまったのも効率重視・コストダウンなどのアメリカニズムと無関係ではないと思います。優勝劣敗というか、力があって声が大きい人間に無批判でいる風潮をなくさない限り、子供のいじめ(リンチ)は減らないのです。
そして大人がきちんと生きていくことが、一番大事なことだと思います。きちんと生きていないから、自分より弱い存在の人間とか異質な人間を排除しようとするのでしょう。
あの教師も、きちんと生きていないから、子供の非常時を認識できなかったし、命がけで子供を守ることができなかったのです。普通にきちんと生きることが難しくなっている時代だからこそ、品性と品格を持ち、共同体を大切にして公共性を重んじていこうと私は思います。
No.6
113ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
(号外 2015.7.21発行) ゴーマニズム宣言 「岩手中2自殺事件は凶悪犯罪である」  岩手県矢巾町の中学2年男子、村松亮君がいじめを苦に列車に飛び込み自殺するという事件が起き、学校の対応などを巡って論議となった。  またしても起きてしまった、中学生の子供が犠牲となる痛ましい事件であり、これ以上このような事件を続発させないためには、事件を未然に防げなかった最大の責任者を、特定する必要があると思う。   今回の場合それが誰かといえば、やはり巷で囁かれている通り、亮君の担任である30代の女性教師を特定せざるを得ない。  既に多く報道されているが、亮君からあれだけはっきりしたSOSのサインが出されていたのに見過ごしていたのだから、あまりにも鈍感すぎたと言うしかない。  子供の最も身近にいる存在は親なのだから、いかなる場合でも、いじめ自殺を防ぐ責任は第一には親にあるという意見もあるが、今回の事件では、どうしても教師の感受性の鈍さが目立ち過ぎる。   今回は亮君の人並み外れた優しさに、父親から教師まで、甘え過ぎていたゆえに起こった悲劇である。  亮君が小学3年の時に、両親は離婚している。父親から暴力をふるわれた母親が、亮君と2人の妹を連れて東京に逃げたのである。父親がDVならすでに責任の一端は担っていることになるから、単なる被害者ではない。  しかし亮君は「おじいちゃん、おばあちゃんやパパが心配だから帰りたい」と言い出し、両親が相談した上で、1人だけ岩手に帰った。  だが、それでも亮君は父親との折り合いが悪かったようで、小5の冬休みに母親に「ママ、助けて」と電話をかけ、一旦は母親が東京に連れ戻している。  ところが、そんな状況でありながら亮君は自ら「ママには妹たちがいる。でもパパにはオレしかいない」と言い、4日後には岩手に帰って行った。  亮君は自分がどんな思いをしようと、それよりも父親のことを優先させて考える子だったのだ。たとえその父親が母親に暴力をふるい、自分にもつらく当たるような人物であったとしても。  岩手で同居していた祖父は「亮は同年代の子と比べるとちょっと幼い。純粋すぎるけど優しい子だった」と語っている。  世の中には、とてつもなく優しい心を持った子供がいるということを認めるべきで、わしの『おぼっちゃまくん』を読ませてあげれば、少しは人間の邪気も吹き込めたかもしれない。  亮君は、自分は父親の寂しさを癒そうとして帰ったのに、自分のために迷惑をかけたりしたら、意味がなくなってしまうという気持ちをずっと持っていた。  だからこそ、どんなにいじめを受けていても、父親にだけは決してそれは言えなかったのである。  ただし一度だけ、亮君はバスケ部の同級生Aにいじめられていると父親に言ったことがあり、父親は学校に相談して対策を求めている。  このとき学校は、バスケ部の顧問と担任、そして亮君と同級生Aで話し合いを行い、問題は「解決」したという。   だがはっきり言って、この時の学校の対応は決定的に間違っている。   学校は加害者と被害者を同等に扱い、両者の話し合いで「解決」したと思い込んだのだ。だが、凶悪犯と被害者を同じ席で話し合わせたって、問題の解決になど絶対になるわけがないのである。凶悪犯はその場しのぎで、どうとでも嘘をつくのだから。  ここで亮君を優しすぎる少年とし、加害者を凶悪犯と見做すのは、単純な善悪二元論で、印象操作だと言う者もいるだろう。誰の心にでも善意の部分が宿り、悪意の部分も宿っているのは当然だが、そんな相対化は問題の解決に何も寄与しない。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!