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リボンの騎士さん のコメント

子育て中の親として、何よりも「同様の事件を起こさないためにはどうしたらいいか?」のところは、大変参考になりましたし、心強く感じました。ここまで酷いものはもはや「いじめ」ではなく、「リンチ」だというのはまったくそのとおりだと思いますし、さらに言えば「傷害事件」「人権侵害」と言いたいくらいでもあります。
私も子育て中ですが、教育現場を保護者の目で見て思うことを少し書きます。民間企業も同じですが、校長次第で学校の様子はガラリと変わります。この度の学校は、担任も酷かったが、校長も酷かった。校長っていうのは、事件が起こったときに、記者会見して言い訳するだけの人か?とさえ思ってしまう。
うちの娘が通う小学校は、一クラス30人未満で、各クラスに担任と副担任がいます。集団生活ですから小競り合いはありますが、深刻な事態になったという話を聞いたことがありません。ご意見としてよく聞く、「先生が忙しすぎて手がまわらない」というのは、現状はその通りだと思います。それならまず、1クラスの生徒数を少なくして、教師を増やせばいいのです。当然お金はかかります。でも、教育現場の崩壊、ましてや子供の死者が続発していても、改善されないなんて国家の危機です。文科省何やってんの?金を使うところが違うんだよ!少子高齢化がもの凄い勢いで進んで、逆ピラミッドになろうとしている今、ほんの少しの子供を守るために、山ほどいる大人が頭と金使わなくてどうするんだ!って声を荒げて言いたくなります。
長くなっちゃいましたが、もうひとつだけすいません。今回亡くなってしまった、何も悪くない優しかった少年のことを、周りに大人がいくらでも雁首揃えていたのに、同居の父親、離れて暮らす母親含めて、守れる大人はただのひとりもいなかった。母親のひとりとして(あの少年と同じく、うちもひとり親家庭です)胸が痛くなるなんてものではありません。
いっぽう、数えきれないほど小動物を殺し、人間の子供まで殺めた元少年A。少年法とやらで徹底して守られ、刑罰を受けることもなく、医療少年院で手厚く、矯正手段のひとつとして、生まれ変わりとかいうやり方まで行われたと聞いたことがあります。衝撃的な方法で人を殺せば手厚く守られ、少年院を出れば手記まで出せて大金を得られる。まるでこの国の大人、社会は、優しい人間なんて損するだけで、卑怯なヤツがいい思いをできて得をする、とでも言っているようです。
No.99
114ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
(号外 2015.7.21発行) ゴーマニズム宣言 「岩手中2自殺事件は凶悪犯罪である」  岩手県矢巾町の中学2年男子、村松亮君がいじめを苦に列車に飛び込み自殺するという事件が起き、学校の対応などを巡って論議となった。  またしても起きてしまった、中学生の子供が犠牲となる痛ましい事件であり、これ以上このような事件を続発させないためには、事件を未然に防げなかった最大の責任者を、特定する必要があると思う。   今回の場合それが誰かといえば、やはり巷で囁かれている通り、亮君の担任である30代の女性教師を特定せざるを得ない。  既に多く報道されているが、亮君からあれだけはっきりしたSOSのサインが出されていたのに見過ごしていたのだから、あまりにも鈍感すぎたと言うしかない。  子供の最も身近にいる存在は親なのだから、いかなる場合でも、いじめ自殺を防ぐ責任は第一には親にあるという意見もあるが、今回の事件では、どうしても教師の感受性の鈍さが目立ち過ぎる。   今回は亮君の人並み外れた優しさに、父親から教師まで、甘え過ぎていたゆえに起こった悲劇である。  亮君が小学3年の時に、両親は離婚している。父親から暴力をふるわれた母親が、亮君と2人の妹を連れて東京に逃げたのである。父親がDVならすでに責任の一端は担っていることになるから、単なる被害者ではない。  しかし亮君は「おじいちゃん、おばあちゃんやパパが心配だから帰りたい」と言い出し、両親が相談した上で、1人だけ岩手に帰った。  だが、それでも亮君は父親との折り合いが悪かったようで、小5の冬休みに母親に「ママ、助けて」と電話をかけ、一旦は母親が東京に連れ戻している。  ところが、そんな状況でありながら亮君は自ら「ママには妹たちがいる。でもパパにはオレしかいない」と言い、4日後には岩手に帰って行った。  亮君は自分がどんな思いをしようと、それよりも父親のことを優先させて考える子だったのだ。たとえその父親が母親に暴力をふるい、自分にもつらく当たるような人物であったとしても。  岩手で同居していた祖父は「亮は同年代の子と比べるとちょっと幼い。純粋すぎるけど優しい子だった」と語っている。  世の中には、とてつもなく優しい心を持った子供がいるということを認めるべきで、わしの『おぼっちゃまくん』を読ませてあげれば、少しは人間の邪気も吹き込めたかもしれない。  亮君は、自分は父親の寂しさを癒そうとして帰ったのに、自分のために迷惑をかけたりしたら、意味がなくなってしまうという気持ちをずっと持っていた。  だからこそ、どんなにいじめを受けていても、父親にだけは決してそれは言えなかったのである。  ただし一度だけ、亮君はバスケ部の同級生Aにいじめられていると父親に言ったことがあり、父親は学校に相談して対策を求めている。  このとき学校は、バスケ部の顧問と担任、そして亮君と同級生Aで話し合いを行い、問題は「解決」したという。   だがはっきり言って、この時の学校の対応は決定的に間違っている。   学校は加害者と被害者を同等に扱い、両者の話し合いで「解決」したと思い込んだのだ。だが、凶悪犯と被害者を同じ席で話し合わせたって、問題の解決になど絶対になるわけがないのである。凶悪犯はその場しのぎで、どうとでも嘘をつくのだから。  ここで亮君を優しすぎる少年とし、加害者を凶悪犯と見做すのは、単純な善悪二元論で、印象操作だと言う者もいるだろう。誰の心にでも善意の部分が宿り、悪意の部分も宿っているのは当然だが、そんな相対化は問題の解決に何も寄与しない。 
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!