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na85さん のコメント

 よしりん先生、木蘭先生、みなぼん編集長、執筆・編集・配信、ありがとうございます。

 よしりん先生はいつもバランスを取ろうとされているように思います。言論空間が左翼全体主義だった頃、その状況をなんとか真ん中あたりに戻そうとされ、慰安婦問題、歴史教科書問題、大東亜戦争肯定論と戦いを進められました。しかし『戦争論』の大ヒット後は、早くも「これから揺り戻しがくるぞ!」と警告を発しておられたのが非常に印象的でした。これは先生がごく初期からやっておられた姿勢だと思いますが、船の絃においては人のいない側に踏みとどまるという頭山的な姿勢であると考えます。
 その後、確かに言論空間は一変し、左から右への揺り戻しが来たのです。右っぽい発言が人口に膾炙する状況となってからは、よしりん先生など先人の苦労を意に介することもなく、ホシュやウヨクの言葉が使いまわされました。しかもそれは、アメリカに従ったまま中韓に強く出るというだけの歪で卑怯なものでした。
 さて、そもそも「初期ゴー宣」から続くゴーマンかますスタイルは、80年代の「全ての価値から逃げろや逃げろ」という価値相対主義へのアンチテーゼだったと思われますが、「わしの常識から判断してゴーマンかます!」、でも「かましてよかですか?」と入れるあたり奥床しいやろ?という、今も続くこの姿勢が私は大好きです。その判断基準となる常識とは、日本の歴史と伝統の英知をたっぷり含み込んだんだものですから、誰もが納得せざるを得ないものでした。
 しかし内容を吟味せず、その断言調の語り口に対して脊髄反射的に反応した人々からの批判が殺到し、ゴー宣は死闘編に突入せねばならなくなりました。また、よしりん先生がそれらを論破しつくした後は、先生の言論の内容への賛同者が増えるというよりも、むしろ断言調の語り口だけが誰でも使えるツールのような扱いになり、誰もが無責任に放言できる状態になったわけです。ツールにばかり関心が向いて内容に無関心であれば、それは意味や価値といった言論の中枢部分からの逃避であり、これではポストモダンな価値相対主義と何ら変わりありません。
 しかし、これも一種の揺り戻しなのでしょう。「左から右へ」に続いて「謙譲の美徳から責任を伴う断言へ」が企図されたはずですが、実際に起こったのは無責任な断言・放言でした。従って、左翼たちが右への揺り戻しを起こしたことを「世の中をクソみたいにした」と言うのなら、強さへの志向を高めたことも「世の中をクソみたいにした」と当然言うでしょう。そういう事態が起こる前に予め釘を刺された今回のゴー宣に見られる先生の先見性はやはり凄いと思います。また強さへの志向は安倍周辺の小賢しい見せかけの強さでないなら当然必要だと考えます。内政・外交のフリーハンドを得ること=宗主国からの真の独立を果たすには絶対に必要だからです。
 そういう強さへの志向が必要だとしても、問題は断言・放言の流行が全体主義への傾斜を強める恐れがあることです。これまで左翼がよく言ってきた全体主義への道は、経済が悪化→自信を無くす→力に頼る傾向→軍国主義&全体主義、という単純極まりないものでした。しかし実際は、経済が悪化→余裕が失われ文化が衰退→喜怒哀楽の感情が劣化し言葉も貧しくなる→国民一般から政治家まで放言が多くなる→一番強い放言をした奴がエライという風潮→現状を変えそうなファシストを待望→全体主義、というものではないかと私は考えます。
 断言調の煽動で大衆を熱狂させた代表的なファシストであるヒトラーもユーモアを解する能力が無かったようで、真面目に優生思想を信じてユダヤ人虐殺をやらかしたわけですが、これも感情の劣化やそれに起因する言葉の貧困と全体主義が地続きであることの証明でしょう。ここで思い出されるのが、ゴー宣道場の掟の一つに「笑い無き所に希望は無い」とあることです。これは、議論するにあたっては喜怒哀楽をバランスよく保ち、感情の劣化を排することが重要だと示唆を与えてくれるものだと考えています。
 さて、属国状態が定着した現代日本では、国民の多くは独立を志向する強さより、弱い保護国のままの安定状態を望んでいるように見えます。それでも属国民としての苛立ちは感じているため、雰囲気だけでも強そうに見せる御仁、ポチでもOKだけど譲らない奴・強そうなな奴が求められています。しかし、北朝鮮のように主体性のある全体主義も怖いですが、宗主国の代執行官でしかない、つまり米国任せで主体性の無い全体主義者・安倍には、コンプレックスやルサンチマンを裏返したような残酷さがあるのではないかと危惧します。

 恋愛は本能ではなく文化。これはリボンの騎士さんの質問に対するよしりん先生の回答の一節です。言葉遣いや立ち居振る舞いも文化の重要な構成要素ですから、経済状況が厳しくなったり、自由度が増したように見えて実は不自由であったりすれば、文化が貧弱になって愛を紡ぐ言葉も貧弱ゥとなり、健全・不健全に関わらず恋愛など無駄無駄無駄…となるでしょう。名曲「天城越え」なども団塊の世代がいなくなれば歌われることが少なくなるような気がします。
 リボンさんの質問はいつも深く面白いので、勉強させてもらっています。いつぞや(新競技場の回)は注意もいただき有難うございました。

 さて、木蘭先生の「ザ・神様」ですが、オトタチバナの「…だからこれ(海神の生贄になること)は、あなたのために私がしたいことなの」というセリフにゾクッときます。こんなことを言ってもらえる男は羨ましいと思う反面、それにより背負ってしまうものの大きさに戦慄してしいます。単なる犠牲でなく主体的にそうなることを選び取った動機は、貴方に守ってもらったから今度は私が守り返すというもので、高度成長期の画一的な家族像の復活を夢想する男尊女卑な御仁には極めて不都合なものでしょう。ゆえに不健全な日陰の恋愛とも映るのではないでしょうか。そして、やはり文化の精華の一つである文学は、健全な庶民より不健全な作家が紡ぐのが正しいのでしょう。

 そして最後に、編集後記は今回も笑いました。「タマキン」って日本語じゃないですか(笑)。いくら日本語の世界語化が理想だとは言え、金玉均の「キンタマキン」読み(大東亜論)よりも酷いです。「アナキン」と打ち込んだら「穴金」と変換する私のPCも相当不健全(ダークサイド寄り)ですが…。ところで、ダークサイドを徹底的に排するジェダイという存在は、別の意味でかなり不健全ですよね。漂白されてしまうような別の不健全さを感じます。

 断言・放言でとりま闇を追い払っても、全体主義という別の闇が訪れる na85
No.47
110ヶ月前
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第152号 2015.10.20発行 「小林よしのりライジング」 『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。 毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行) 【今週のお知らせ】 ※「ゴーマニズム宣言」…価値相対主義を批判し「価値判断から逃げるな!」と檄を飛ばすことから始まった『ゴーマニズム宣言』。しかし、そんな『ゴー宣』の語り口がウケると、いつの間にか似たような物言いが増え、今や「暴言・放言」が持て囃される時代になってしまった。複雑な思考を重ね責任を負って主張している『ゴー宣』と、炎上目的の無責任な「暴言・放言」主義者を一緒にするな! ※「ザ・神様!」…相模国での絶体絶命の大ピンチを乗り越え、より一層絆を深めたヤマトタケルとオトタチバナヒメ。一行は鎌倉を抜け横須賀へ、半島の東端に辿りつくと、目の前には、走水海(現在の浦賀水道)が広がっていた。しかし、そこにはさらなる危険と大きな悲劇が待ち受けていた…! ※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!マイナンバーへの拒否感は左翼の感覚に通じていないか?クリントンが大統領になり「TPPやめる」と言ったらどうなる?南京大虐殺がユネスコの記憶遺産として登録された件をどう思う?「コロコロ」でライバル視したり意識していた作家は?ハロウィンはこのまま定着して良いの?身共に離れられないのに刹那で、虚無的な男女関係をどう思う?…等々、よしりんの回答や如何に!? 【今週の目次】 1. ゴーマニズム宣言・第148回「断言主義から放言主義へ」 2. しゃべらせてクリ!・第112回「貧ぼっちゃま!こりが格差社会ぶぁ~い!の巻〈前編〉」 3. もくれんの「ザ・神様!」・第67回「ヤマトタケル物語・その8」 4. Q&Aコーナー 5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど) 6. 読者から寄せられた感想・ご要望など 7. 編集後記 第148回「断言主義から放言主義へ」  90年代前半、『ゴーマニズム宣言』がヒットし始めた時、真っ先に注目されたのは、その 「語り口」 だった。  人にどう思われようが、自分の思うところをズバリと「断言」するスタイルは、当時としては非常に斬新なものだったのだ。  それは、自ら意図したことでもあった。  なにしろわしが『ゴー宣』を始める当時は、 「価値相対主義」 の時代であり、「ポストモダン」の時代だった。絶対的価値はない、価値判断から逃げるべきであるという風潮が主流だったのだ。 週刊SPA!平成4年(1992)1月22日号に載った連載第1回では、わしは 「日本人はまったく自分を主張せん!」「謙譲の美徳にかくれてはっきりモノを言わん態度をとりたがる!」 と批判し、 「自分の考えをゴーマンかませ!」 と檄を飛ばすことから始めている。 「傲慢」だの「たかが漫画家が」だのというバッシングが来るのも想定のうちで、それでもかまわず表現の自主規制問題から部落差別、オウム事件、薬害エイズ事件、従軍慰安婦問題から歴史認識問題と、その当時誰も手をつけようとしなかった事柄について次々発言し続け、様々な反響を巻き起こしながら現在に至っていることは、古くからの読者には周知のことであろう。  だが、そんな「ゴーマニズム」の語り口がウケると、いつの間にか似たような物言いが増えてきた。  そして気がつくと、今や「断言調」の語り口は世の中に氾濫している状態である。  世間一般の目からすれば『ゴーマニズム宣言』の小林よしのりの語り口も、よくある「断言調」の物言いのひとつで、そう珍しくはないものに映っているのではないか。もしかしたら、むしろその中ではまだおとなしい方に見えているかもしれない。   何しろ、一般大衆の多くは「語り口」しか見ていない。その「断言口調」で何を言っているのか、発言の内容まで深く吟味しようとは考えない。   どんなに間違ったことだろうと、全く無責任な放言だろうと、明らかな嘘八百だろうと、とにかく強硬に「断言」さえしていれば、スゴイと思われるのだ。   その発言が批判を受け、しかもその批判が正当で、発言が矛盾していることが暴かれていても、開き直って破綻した主張を「断言」し続ければ、批判に屈しない信念のある態度だとして人は喝采するのだ。  だから、安倍晋三の人気は落ちないのである。  安倍晋三は、安保法案の審議において「断言」を繰り返した。 「戦争に巻き込まれるということは絶対にないということは断言したい」 「徴兵制が敷かれることは断じてないと明快に申し上げておきたい」 「専守防衛が基本であることにいささかの変更もない」  この「断言」は、オリンピック招致の際のあの発言を思い出させる。 「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」 「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている」 「健康に対する問題はない。今までも、現在も、これからもない」 「東京にはいかなる悪影響を及ぼしたことはなく、今後も及ぼすことはありません」   いずれの「断言」も何一つ根拠がなく、明らかな大嘘である。そしてそのことは散々指摘され、批判を浴びているのに、それが大して安倍のダメージにはならないのだ。  
小林よしのりライジング
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!