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「断言主義から放言主義へ」小林よしのりライジング Vol.152
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第152号 2015.10.20発行
「小林よしのりライジング」
【今週のお知らせ】
第148回「断言主義から放言主義へ」
この「断言」は、オリンピック招致の際のあの発言を思い出させる。
いずれの「断言」も何一つ根拠がなく、明らかな大嘘である。そしてそのことは散々指摘され、批判を浴びているのに、それが大して安倍のダメージにはならないのだ。
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
あ、いちばん?
あれ、2番だ
三色同刻!
これなかなか出来ないんだよ。
タ、タマキン・スカイウォーカー!?
マイナンバーより酷くないですかその名前?そんな名前つけられたら、そら暗黒面に堕ちますわ!
私は相克って、言葉の響きがかっこよくて、いいなって思ってました。意味しらないけど(笑)
6波羅探題。
私の質問と奇しくも先生のタイトルが重なったのは偶然なのではと思ってしまいます。
中身じゃなくて、言う事それのみに快哉を覚えるって、もう言論が死滅してるとしか思えません。
言うだけでその後何にも責任取りはしませんよね。
事件が起きた後のコメンテーターの大放言を聞く度にこれで喜ぶ人がいるのかなとうんざりしてました。
仰る通り、確かにレーティングとかそういう標識はなされましたが、上映禁止とまではいかないですよね。
結局は自分を売り込むために当り散らしていただけなんだと思ってしまいます。
セブンデイズウォー戦うよ。
と思ったら止⑻めろ苦⑼しいぞでした。
お邪魔致します。
小林先生、Q&Aにシンプルにお答え下さり有難うございます!!
質問文の中の「皇居前」これはもちろん「国会前」の誤りです。
お恥ずかしい。投稿直後気付き削除、訂正して送り直しましたが。
基本的に最初のメールが残ってしまうのですね。
以後、注意致します。
仮装死ね!
カボチャ死ね!
ハロウィン死ね!!
……と毎日思っていたので、ちょっとすっきりしました。
消費者もしくは享受者たれ、という風潮にはうんざりです。
生活者、労働者でありたい。
今週も配信有り難うございますm(__)m
無責任無節操な断言主義、決められる政治、恐米極左独裁は全て等号で結ぶことができるということが良くわかりました。
タマキンだけに暗黒ですか?
わたしも「相克」って言葉の響きがカッコいいなと思います。
大衆を煽動する過程で断言→反復→感染は基本中の基本でしょう。
フランスのギュスターヴ・ル・ボンの「群集心理」で語られています。
反復するのはスローガン(標語)です。
公共事業は効果がない。無駄とかもそうです。
実際、内閣府の乗数効果はケインズ主義嫌いの竹中平蔵モデルであることを、以外と知られていない。ありえない数値をはじきだして、それを民主党が真にうけて信じて今も尚踏襲され続けているわけです。
実際、インフラが整ってない地域(山陰、九州東部、四国四県)は人口も減りGDPも最悪であり、200年前リカードが笑いものになったカルト思想(インフラは効果がない)が再びフリードマンにより復活したのです。
いいかげんにばら撒きと標語に惑わされず、必至に訴えている少数派の意見を吟味してほうがよろしいと思います。
CM見ましたよ〜。
「そんなバナナ」最高です‼︎
配信ありがとうございます。
タマキン・スカイウォーカー、大爆笑しました。そんじゃ、出てくるお付きのロボットは「R指定18」で妹は「麗子像姫」でしょうか?ほんとうにアメリカのエンターテイメントって侮れませんね(笑)。本編の感想はまた後ほど…。
配信お疲れ様です。
放言主義は洋の東西、古今問わず巣くっている人類の性なのだと思います。
それでも戦後日本人は輪をかけて酷い。イラク戦争もイスラム国もまるで他人事のように流しているから。
一番わかりやすい放言主義の例はヒトラーでしょうがおバカなネット民はおっぱいぷるんぷるんと言って弄んでいるだけでしょう。
ヒトラーから学べることは非常に多いと思いますが、それやスイスをダシに民主主義についての思考力を磨かせる教育が必要だと思います。
ソフトバンクのCM見ました。同時録画で。
TBSはゴルゴ。朝日はアトム。読売はうさぎとまる子が中心の他ちょい出。フジは朝のめざましTVを見た限りでは、ジョーとケンシロウ。
もしかして、おぼっちゃまくんはテレ東か?田舎は見れないぞ
先生の語る内容や口調と、単なる放言癖のやつらとの違いは、わかる人たちにはわかりますよ。
先生、がんばれー!!
よしりんの恋愛話はもっと聞きたいなあ。
レベル高すぎて参考にはとてもできないだろうけど、文学的興味です!(断言)
そういや最近電車に乗るたび「大放言」の広告が目に入って「うぇぇ・・・」ってなってたとこでした。
あえて断言しよう。
小林よしのりライジングは毎回げっつい面白いと。
日々の生活って大変で、生計を立てるのにヒイヒイ言って血と泥と汗と油と涙にまみれながら働いて、帰宅したら風呂に入る気力もないまま缶ビールを一缶飲んで昏倒しちまう。
テレビのニュースもチェック出来ず、新聞を広げる余力もなく、畳の上にバタンキューする毎日。
そのような生活を送っている労働者階級にとって、小林よしのりライジングは思想することの命綱でごいす。
ニョホホと笑えて、しっかと学べるゴー宣が、どうにか自分を『考える人』として『人』たらしめてくれていると実感しておます。
ワイは猿やない。
ワイは人や、考える人や。
と、風呂上がりに絶叫してビールを飲んで、ライジングを読んでいる今日のワイです。
猿ではない人である俺は中学生の頃はバレンタインデーちゅうものを憎み怨み呪っていました。
何故ならばクソほどモテないいじめられっ子だったから。
でも青年期にアホほど仰山チョコレートを渡されるような立場になったら、バレンタインってアリやな。って思う浅ましいイケメンになってしまいました。
ハロウィンも同じく、以前ははしゃいでるアホは全員ブギーマンに惨殺されてまえ!
と思っていましたが、身近にいる幼い子供たちがオバケに扮装して賑やいでいる姿を目の当たりにしてしまうと、ハロウィンもアリじゃん。
子供たちが楽しんでるなら微笑ましいじゃん。
と浅ましく思ってしまうボキなのでした。
なんたら浅ましい猿なのでしょう。
考える人でありたいのに、結局は考えなしの猿のままのボキ。
早く人間になりたーい!
難しいことを易しくしてみせるのが一番難しい。
それをサクッとやってみせるのがゴー宣の凄み。
花形満的な凄み。
読者が難解だなぁと呟いたのなら、白鳥の水掻きよろしく、水中の労力を見せつけることなく、水面上でクールなスマイルで分かり易くしてやろうじゃないのと言ってしまえるイケメンさ。
かっけー!
猿な俺も「相克」よりも分かりやすいタイトルだと嬉しい。
ハロウィンに拒否反応ある人多いのは意外ですね。クリスマスやバレンタインも導入当時はこう思われてたのかな?
どうせ日本流に改変されて本家とは別物になっていくんだろうし、押し付けられるわけでもなければ目くじらたてるようなことでもない気がします。(個人的にはかぼちゃのお菓子が店頭に並ぶようになるので嬉しかったりw)
配信お疲れ様です。
くだらない断言や放言暴言妄言と「ゴーマニズム宣言」を一緒にされたくありませんね、読者としては。
中身をトコトン検証し、突き詰めて突き詰めて突き詰めるを繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返しての、
「ゴーマンかましてよかですか?」なのですから。
巻頭と末尾だけ読んでも中身なんか一生涯分かるはずもなく…嗚呼嫌だ嫌だ、ですね。
ありがとうございました。
しかしハロウィンって特に素晴らしいとも息苦しいとも憎たらしいとも個人的は感じないのですが、
逆に定着する様な感じも狂騒してる感じもまるで受けてない自分はマイノリティーなんだろうか?と穿った見方をしてしまいますね。
クリスマスやバレンタインやそれこそディズニーを目の敵にするのも結局厨二病に見えてしまいます。
【「関西版ゴー宣道場設営隊にプレッシャー」コール&レスポンス】
関西版「ゴー宣道場」の応募者の熱い思いに触れ
設営のプレッシャーは月までブッ飛びました!
がぜん燃えてきた!
「関西でもゴー宣道場を開催してください。」
この言葉、なかなか言えないことでしたが、
やはり関西方面読者共通の願いだったのだと、
それが確認できて、今、ものすごく嬉しいです♪♪
>関西は関西ならではの、気合と笑いで設営し、
>参加者を案内せねばならないぞ。
関東の設営隊長と違って、
関西の設営隊長は「いちびり」なんです。
だから「気合」と「笑い」には自信あります o(^o^)o
明るく、元気よく、笑いながらも、気合を入れた設営で、皆様をお迎えします☆
【関西設営隊メンバーに業務連絡】
予定通り10月25日に《とりまメシデモ》を実行します!!
とりあえず、まぁ、飯でも食いながら、
設営の打ち合わせと、ゴー宣道場テーマについて議論をやりましょう!!
断言や放言が流行るのは、日本人の国語力が落ちていることと無関係ではないと思います。みんなスマートフォンを持っていて、ツイッターやフェイスブックで簡単に自分の意見を書き込んで、全世界に公表できるようになった弊害ってあると思うのです。
本当に、抽象的な思考を時間をかけて行うことが、皆苦手になってしまっています。
そうならないためには読書をして国語力を養うことが大事ですが、書店に並ぶ最近の本もほとんどが浅はかな知識を断言・放言して書き手と読み手のマスターベーションごっこを促して、大衆に一時的な慰めを与えるものでしかないのです。
私は音楽をやっていますが、やはり優れたミュージシャンは自分の心の内側ときちんと向かい合って、豊富な語彙で届く言葉を使って歌詞を書いてそれを歌にして聴き手に届けようと努力しています。
本を読んで自分の内面ときちんと対話するという習慣を若いうちからつけることはとても大事なことですね。今の若者はどんな本を読んでどうやって自分の自我と向き合えばいいのか、分からないからネットで断言しちゃうのだと思うのです。
沈思黙考して思索を深めるような余裕が持てる社会を、大人が作っていくことが大事なことでしょうね。
元AKB48の河西智美のライブを見に大阪まで行きました。ライブそのものは盛り上がって良かったのですが、アンコールで河西はディズニーのアニメ・ベイマックスの仮装をしてAKB時代の「ハロウィンナイト」を歌い、「CANDY」ではハロウィンの子供みたいに飴玉を観客席にばら撒き、しかもMCではUSJに行ってハロウィンのアトラクションで子供みたいに半泣きになって怯えた話をしていました。
ハロウィンって所詮女子供の道楽でしかないし、後3年もしたら廃れると思います。若者が羽目を外せるようなイベントが最近それくらいしかないので、一時的な流行で終わるような気がします。バレンタインやクリスマスみたいなものですね。両方とも今ではあまり若者が盛り上がるようなイベントでもなくなりましたよね…
配信お疲れ様です。
よしりん先生の「断言」は確かに謙虚さを感じますし「ごーまんかましてよかですか?」はそれの象徴だと思いますけど、小泉純一郎やアベちゃんや百田のそれにはそういう謙虚さをまったく感じません。それに喝采する世間もどうかしてると言わざるを得ないですね。
それにしても百田が書いた「大放言」がベストセラーになってる現状はもう世も末ですね。読む気全くしませんが(どうせ「オレは悪くない。悪いのは民主党と朝日・毎日・東京新聞と沖縄2紙とやしきたかじんの前妻と娘」のオンパレードでしょうし)もっと他に読む価値の本あるでしょうにと思いますが。
今のように、雇用も不安定で将来設計(結婚・出産・老後)の先が見えなくなってきた時代では、不安が増大していくので、どこかの誰かに「これだ!これでいいのだ!」と、「断言」してもらうことを無意識のうちに皆望んでいるのかもしれませんね。
よくわからないけど安心する!不安が解消された「ような」気がする!
っていうような、心理状態になりたい人が多くなっているのかも。
その一方で、その風潮に乗っかって、深く思考せずとも「断言」をしさえすれば、人々の注目を浴びるし、あっけなく賛同してくれるし…と、「放言」しまくっている人も出てきたのですね。
そういえば、色々なところで、攻撃的な言い方をする人が増えたような気がします。
配信ありがとうございます
断言形式だけで判断して、内容は見ないって、外見で判断して中身を見ないことと同じじゃないですか。
普通の事だと思います。馬鹿ですが。
若者の恋愛ならありかも知れませんが、政府の発言でそればっかりは困ります。
聞いてて頭が悪くなる様な発言をニュースで聞かせないで下さい。
そのうち、ニュースを聞いてたら馬鹿になるから漫画を読みなさい、と子供を叱る時代が来るかもしれません。
笹先生のブログが、とても面白かったです♪
小林先生がQ&Aで書かれていたように、甘い甘い駄々っ子のジタバタ運動ではなくて、真剣な憤りを感じたので、正統なクレームだと思いました。新人の店員さん達は少し可哀想だけど、自分の仕事に対して勉強になったのではないでしょうか。
運送屋に限らず、飲食店や介護福祉施設などでも、人が足りずにかつかつで回しているって聞くけど…、余裕を持った人員配置が出来ればいいのでしょうね。
小林先生、よしりん企画の皆様今週も配信有り難うございます。
安倍首相の断言口調が聞いていて心地よいから。という理由で支持率が高いのですね、私は理解に苦しみますが、ゴーマニズム宣言を読んで無かったら私もそうなっていたかも知れません。
劣化した感情を持つ人間にならないようにこれからも小林先生に学ばせて頂きます。
木蘭先生うっかり真面目な話も面白かったです♪
オトタチバナ姫、いい女でしたね~、
私は男のために死んでもよい!
なんて思った事無いので、凄いなぁ…と感心しました。
ソフトバンクのロングバージョンCM、テレビ大阪は元おぼっちゃまくんでした♪
たまたま観てました、ラッキー!
どうやら元おぼっちゃまくんは滑りキャラの様ですが、面白かったです(*^^*)
関西ゴー宣道場にて師範方の書籍の販売があれば是非とも購入したいです♪
(当選すれば、ですが…。)
日本のハロウィンは、あれはハロウィンではありません。
あれはコスプレ大会です。
普段コミケのコスプレイヤーをバカにしているものの、実は深層心理において自分もやってみたい!と思っている素直になれない輩が合法的にコスプレをするためにハロウィンを利用しているに過ぎないのです。
以上、勝手な推測でした。
木蘭さんのブログの内容に私も賛同します。
子供の命が危ないかも知れないという状況でもスマホを手にしたという男性の姿を見て、よくインタビューに応えることが出来たなと思うと同時に、受け答えにまるで緊迫感がなく、どこか夢うつつの様に感じました。
今日日、日本人のほとんどがスマホを手にしています。外に出歩けば、そこかしこでスマホを操作している人を見かけます。 一見当たり前の風景かも知れませんが、違和感がつきまとって仕方ないのです。
最近特に思うのですが、スマホというのは便利なツールなどではなく、人の心を狂わせるある種の麻薬みたいなものではないでしょうか。
今安倍ちゃんが携帯料金の引き下げを指示したと話題になっています。私はこれを単なる人気取りではなく、より多くの国民をスマホという麻薬に向かわせようとする魂胆があると、そしてマイナンバー普及への布石じゃないかと推測しています。
まともな感性を取り戻すためには、まずスマホから距離を置くべきですね。
日本の歴史上、ここまで「言葉」というものが軽い時代はなかったのではないでしょうか?一般人だけでなく国の運営責任者である総理大臣ですら、嘘を断言して、嘘がばれたら責任も取らずに平然と頬かむり。
きっと追究されても「俺、そんなこと言ったけ?」としらを切り、証拠を突きつけても「俺は提案しただけ。」「言っただけ」と頬かむり。要はばっくれたもの勝ち。まず小泉が大放言してばっくれた。そして今度は安倍…大失敗してもツケは次に回せばいいやくらいにしか考えていないのはこれまでの発言からよくわかります。
最後にジョーカーを引かされるのは国民だということを忘れてはいけない。ババを引きたくなかったら人を見る目を養っていかなくてはならないのではないか?そんなことを思いました。
「ズバリ言うわよ」でふと思ったのですが、最近、「ぶっちゃけ」って言葉、よく耳にするようになりました。私はこの言葉、大嫌いです。本音が何よりもすばらしいという80年代的な軽薄なにおいがこの「ぶっちゃけ」からぷんぷん臭ってすごく不快です。「ズバリ」とか「ぶっちゃけ」って、言葉が軽くなった象徴のように思えてなりません。
オトタチバナヒメぇぇぇぇ…!
悲惨すぎる、むごすぎる、あんまりすぎる!!
最愛の人を失ってもなお戦わねばならないヤマトタケル、カワイソすぎる!!!
ヤマトタケルの戦いの果ては幸せなのかそれとも…最終回はどんな展開になるのかが非常に気になりますが、この様子だとドギツイ最後が待っているような予感がしてなりません。それでも次回が楽しみです。木蘭さん、頑張ってくださいね!
あーそれにしても…叶うことは無いと分かっていても、二人には幸せになって欲しかったなぁ(´;ω;`)
仮にハロウィンが中韓の文化だったとしたら今頃「文化侵略だ!在日の陰謀だ!」とか大騒ぎになってる事でしょうね。
ハロウィンだって十分「文化侵略」だと思うのですが、なぜかそのような声は上がりません。これは一体なんででしょう?
思うのですが、今の日本人って無意識のうちに白人礼賛しちゃってるんでしょうかね。
「白人様の文化だったら大丈夫、むしろ真似させてくださいお願いします!」という感じなんでしょうか。
しかし自国の祝祭日よりも他国のお祭りのほうが大事になってる国って日本以外にあるんですかね…?
先生の新戦争論1のたった一コマでも取り上げられてましたが、私は別にハロウィンに関してもういいやと思っています。
何故あれが受け入れられて、逆にバレンタインデーが衰頽して行ったのか考える必要がある…というよりも最早判り切った事だから考えるまでもないですね。
何故急にあんなものが入ってきたのでしょう。
丁度去年辺りでもこのライジングでも取り上げられてましたね。
本当だったら20年前くらいに定着していた筈でしょう。
でも、中々定着しなかったのは、ハロウィンでアメリカに留学していた服部君が撃ち殺された事件がありましたよね。
あのイメージがあるから、訪問すると言うことが憚られてしまったのだと思います。
バレンタインはリスクがあり過ぎます。
殺されるまでもないですが、どう言う訳かチョコあげるという意味不明な行事になってしまいました。
バブルも相俟って見返りの高額商品を期待させたり、断られたときのリスクや無碍に断るわけにもいかない義理チョコのシステムを強制させられたり、チョコさえもらえない人々にとって何一ついいことなんかありません。
日本国民はようやくバレンタインが日本に合わないことを数十年かけて気付いたようですよね。
非正規雇用もほぼスタンダードになって勤務先での交流も稀薄になって、義理さえ贈る理由もなくなってきまたしたよね。
商売人もバレンタインをどう切り抜けるか必死こいているみたいですよね。
それならば、商売人も売れないバレンタインよりもワインだけの秋よりも誰もが参加でき誰も不幸にならないようなハロウィンを推すでしょう。
今日もあさが来た面白かったなあ。
あの菊って毒親だな。本当にムカつく。
白蛇さんの怒りも相当だろうな。
あさイチよ、そろそろ朝ドラ受けした方がいいんじゃない。
殻を破壊して革命するのよ。
憲法を徹底的にご都合主義で解釈、無視する安倍こそ歩くモラルハザードだと思います。
少し遅くなりましたが例のソフトバンクの一斉CM。私は愛知なので東海テレビ(フジ系)中京テレビ(日テレ系)CBCテレビ(TBS系)をレコーダーで録画してメ~テレ(テレ朝系)を生視聴という形で見たのですが、唯一外したテレビ愛知(テレ東系)にだけ茶魔が出てたようですねorz
個人的には小泉今日子のセーラームーンと堺雅人の鉄腕アトムがけっこうハマリ役だなと思いました。ソフトバンクのホームページですべてのバージョンが見れるっぽいので茶魔バージョンはそっちで見ます。
よしりん先生、木蘭先生、みなぼん編集長、執筆・編集・配信、ありがとうございます。
よしりん先生はいつもバランスを取ろうとされているように思います。言論空間が左翼全体主義だった頃、その状況をなんとか真ん中あたりに戻そうとされ、慰安婦問題、歴史教科書問題、大東亜戦争肯定論と戦いを進められました。しかし『戦争論』の大ヒット後は、早くも「これから揺り戻しがくるぞ!」と警告を発しておられたのが非常に印象的でした。これは先生がごく初期からやっておられた姿勢だと思いますが、船の絃においては人のいない側に踏みとどまるという頭山的な姿勢であると考えます。
その後、確かに言論空間は一変し、左から右への揺り戻しが来たのです。右っぽい発言が人口に膾炙する状況となってからは、よしりん先生など先人の苦労を意に介することもなく、ホシュやウヨクの言葉が使いまわされました。しかもそれは、アメリカに従ったまま中韓に強く出るというだけの歪で卑怯なものでした。
さて、そもそも「初期ゴー宣」から続くゴーマンかますスタイルは、80年代の「全ての価値から逃げろや逃げろ」という価値相対主義へのアンチテーゼだったと思われますが、「わしの常識から判断してゴーマンかます!」、でも「かましてよかですか?」と入れるあたり奥床しいやろ?という、今も続くこの姿勢が私は大好きです。その判断基準となる常識とは、日本の歴史と伝統の英知をたっぷり含み込んだんだものですから、誰もが納得せざるを得ないものでした。
しかし内容を吟味せず、その断言調の語り口に対して脊髄反射的に反応した人々からの批判が殺到し、ゴー宣は死闘編に突入せねばならなくなりました。また、よしりん先生がそれらを論破しつくした後は、先生の言論の内容への賛同者が増えるというよりも、むしろ断言調の語り口だけが誰でも使えるツールのような扱いになり、誰もが無責任に放言できる状態になったわけです。ツールにばかり関心が向いて内容に無関心であれば、それは意味や価値といった言論の中枢部分からの逃避であり、これではポストモダンな価値相対主義と何ら変わりありません。
しかし、これも一種の揺り戻しなのでしょう。「左から右へ」に続いて「謙譲の美徳から責任を伴う断言へ」が企図されたはずですが、実際に起こったのは無責任な断言・放言でした。従って、左翼たちが右への揺り戻しを起こしたことを「世の中をクソみたいにした」と言うのなら、強さへの志向を高めたことも「世の中をクソみたいにした」と当然言うでしょう。そういう事態が起こる前に予め釘を刺された今回のゴー宣に見られる先生の先見性はやはり凄いと思います。また強さへの志向は安倍周辺の小賢しい見せかけの強さでないなら当然必要だと考えます。内政・外交のフリーハンドを得ること=宗主国からの真の独立を果たすには絶対に必要だからです。
そういう強さへの志向が必要だとしても、問題は断言・放言の流行が全体主義への傾斜を強める恐れがあることです。これまで左翼がよく言ってきた全体主義への道は、経済が悪化→自信を無くす→力に頼る傾向→軍国主義&全体主義、という単純極まりないものでした。しかし実際は、経済が悪化→余裕が失われ文化が衰退→喜怒哀楽の感情が劣化し言葉も貧しくなる→国民一般から政治家まで放言が多くなる→一番強い放言をした奴がエライという風潮→現状を変えそうなファシストを待望→全体主義、というものではないかと私は考えます。
断言調の煽動で大衆を熱狂させた代表的なファシストであるヒトラーもユーモアを解する能力が無かったようで、真面目に優生思想を信じてユダヤ人虐殺をやらかしたわけですが、これも感情の劣化やそれに起因する言葉の貧困と全体主義が地続きであることの証明でしょう。ここで思い出されるのが、ゴー宣道場の掟の一つに「笑い無き所に希望は無い」とあることです。これは、議論するにあたっては喜怒哀楽をバランスよく保ち、感情の劣化を排することが重要だと示唆を与えてくれるものだと考えています。
さて、属国状態が定着した現代日本では、国民の多くは独立を志向する強さより、弱い保護国のままの安定状態を望んでいるように見えます。それでも属国民としての苛立ちは感じているため、雰囲気だけでも強そうに見せる御仁、ポチでもOKだけど譲らない奴・強そうなな奴が求められています。しかし、北朝鮮のように主体性のある全体主義も怖いですが、宗主国の代執行官でしかない、つまり米国任せで主体性の無い全体主義者・安倍には、コンプレックスやルサンチマンを裏返したような残酷さがあるのではないかと危惧します。
恋愛は本能ではなく文化。これはリボンの騎士さんの質問に対するよしりん先生の回答の一節です。言葉遣いや立ち居振る舞いも文化の重要な構成要素ですから、経済状況が厳しくなったり、自由度が増したように見えて実は不自由であったりすれば、文化が貧弱になって愛を紡ぐ言葉も貧弱ゥとなり、健全・不健全に関わらず恋愛など無駄無駄無駄…となるでしょう。名曲「天城越え」なども団塊の世代がいなくなれば歌われることが少なくなるような気がします。
リボンさんの質問はいつも深く面白いので、勉強させてもらっています。いつぞや(新競技場の回)は注意もいただき有難うございました。
さて、木蘭先生の「ザ・神様」ですが、オトタチバナの「…だからこれ(海神の生贄になること)は、あなたのために私がしたいことなの」というセリフにゾクッときます。こんなことを言ってもらえる男は羨ましいと思う反面、それにより背負ってしまうものの大きさに戦慄してしいます。単なる犠牲でなく主体的にそうなることを選び取った動機は、貴方に守ってもらったから今度は私が守り返すというもので、高度成長期の画一的な家族像の復活を夢想する男尊女卑な御仁には極めて不都合なものでしょう。ゆえに不健全な日陰の恋愛とも映るのではないでしょうか。そして、やはり文化の精華の一つである文学は、健全な庶民より不健全な作家が紡ぐのが正しいのでしょう。
そして最後に、編集後記は今回も笑いました。「タマキン」って日本語じゃないですか(笑)。いくら日本語の世界語化が理想だとは言え、金玉均の「キンタマキン」読み(大東亜論)よりも酷いです。「アナキン」と打ち込んだら「穴金」と変換する私のPCも相当不健全(ダークサイド寄り)ですが…。ところで、ダークサイドを徹底的に排するジェダイという存在は、別の意味でかなり不健全ですよね。漂白されてしまうような別の不健全さを感じます。
断言・放言でとりま闇を追い払っても、全体主義という別の闇が訪れる na85
ハロウィンについて、とりま言っておきます。私は、実は最近そこまで目くじらを立てることでもないという気がしております。日頃の抑鬱を発散・開放する方法は人それぞれあるでしょうが、変身願望もその一つとしてあるように感じるからです。上で誰かが言っておられますが、コミケでコスプレする勇気は無いけれど、お手軽に仮装した群衆に紛れて練り歩くなら参加できそうだし、ストレス発散にも良さそうだという感覚はわからなくもないのです。
しかし、それが例えば昨年の渋谷騒乱事件のようなものに発展するのであれば、これは規制するしかありません。よしりん先生が「クソです!」と言われたのは、すぐ群集心理でバカ騒ぎする輩が日本人に多いからではないかと考えますし、そういうのは徹底的に馬鹿にすべきだと私も思います。節度を保って仮装を楽しめるぐらいハロウィンが日本化されるにはまだ時間が必要かと思いますが…。
さて、おそらく日本人の変身願望は、昔は村の祭りで面をつけて練り歩くような行事で満たされていたと考えられます。しかし、急速な少子化・過疎化と都市への一極集中により、そのような祭りが継承されなくなり、そのため代替物としてハロウィンが受け入れられようとしているのではないかと考えます。ゆえに、健全な保守としてハロウィンを拒む姿勢程度なら良いとしても、排撃するとまで言う人には、まず廃れてしまった各地の祭りを復活させる運動を起こしていただく必要があると思うのですが、いかがでしょう。
祭りというハレの日にはフォースとともに心のダークサイドを吐き出そう na85
角川新書のタイトルですが、僕は「相克」の方が良いなと思っています。申し訳ありませんが…。
僕は大学生のころからゴー宣にハマっています。ただ、引き付けられたのは断言ではなく、思考の意外性、そしてそれが正しいことにあるんですよね。一般に流布されている型にはまった正しさ、それがよしりん先生によって完膚なきまでに潰されていく…、そこに本当の爽快さがありました。しかも、よしりん先生は覚悟を持って自分の意見を述べている…。それを初めて知ったときには感動を覚えたものです。
だからこそ、安倍ちゃんや百田の断言調にはイラっとさせられるんですよね。だって、彼らの断言には中身がない!覚悟がない!無責任に言い募って、いざというときは開き直るんですよ、その断言調で!!
そう言えば、こういう断言調、詐欺や洗脳でよく聞きます。「絶対もうかります」、そして「あんた、地獄に落ちるわよ」もそうですね…。断言調であるからこそ、その中身を吟味する、それが真っ当な感覚でしょうね。
放言と言えば、誰も茶魔語が日本語を乱れさせるなんて最早主張してませんよね。
日本語の乱れって、放言し放題であるところから始まるんじゃないんでしょうか。
こんばんは 後藤です
私も 「相克」 が よいと思いました。
(調べちゃいましたが)
永久に生きる著書のために。
改めて配信お疲れ様です。
断言主義から放言主義へと、国民の思考がどんどん劣化している現状です。思想がテーマパーク化したといえるでしょう。私が見る限りですが、日本人というのはとかく思考能力が弱く、議論を回避する傾向にあるようです。
それは多分「同じ日本人だから」という甘えがあるでしょうし、学校教育からして「答えありき」の状況なのもあるでしょう(こじつけかもしれませんが)。これでは思考が衰えていくのも当然ではないかと思います。 ネットの存在だけでなく、日本人を取り巻く環境から見つめ直さなければ、思想の向上は望めないと私は考えています。
もっとも安倍ちゃんや百田の放言は、ファンありき、コネありきでしょうが。
生まれて初めて
「ゴー宣道場参加申し込み」をやりました!!
めっちゃドキドキ☆ o(^o^)o
驚いたことに、申し込みをした瞬間に
【「ゴー宣道場」/参加申し込みフォームを受け付けました。】
というメールを受信しているではありませんかっ!?
恐る恐るメールを開いてみると、なんと、
「「ゴー宣道場」にご応募頂き、ありがとうございます。」
「応募〆切後、当選された方にのみ、当選通知メールをお送り致します。
今しばらくお待ち下さい。」
という丁寧なメッセージが書かれていました☆
たった、1秒ほど時間で、
みなぼんさんが、返信メールをくれたのでしょうか!?
超人や!! やっぱ、みなぼんさんは、超人やで~。
このメールは家宝にします♪♪
なんと!コメント欄の方々は、「相克」が良いと言う方のほうが多いじゃありませんか∑(゚Д゚) 賛成してくれたの、鷲ヲさんだけ?(・_・; そうなってくると、自信がなくなってきますが…。今週中にタイトル決めるんですよね?うーむ。
摩擦・衝突・闘い・対立と4つ例を出しましたが、自分でもこの4つじゃ、キマらないなぁと思ってはいます。相克は【対立・矛盾する二つのものが互いに相手に勝とうと争うこと】という意味であり、これとまったく同義の単語は他に見つかりませんでした。確かに音的にもカッコいいと思います。ただ、タイトルがパッと目に入った時、意味が分かってくれる人がどれだけいるかな、とか、このタイトルで多くの人が買ってくれるかな、とか、またネットでヒットしにくかったりしないかな、とか、考えたんですよね。分かりやすければ売れるというものでもないと思うんですけど。ただ、多くの人に、手に取ってみて、パラパラめくってみてほしいんですよね。自分はその道のプロではないので偉そうな事は言えませんが、分かるような分からないような、んっ?って思わせるようなタイトルのものが時代的に多い気がしますね。
ただ、『立憲と安保の…』より、『立憲主義と安全保障の…』の方が良いのでは、と思っています。「立憲」「安保」だけより、「立憲主義」「安全保障」の語で検索する人の方が多いのでは、つまり、多くの人の目に入るのでは、と思うからです。
ただ、『立憲と安保の相克』、短くて良いですよね(笑)。そんなに分厚い本でないなら、サクッとしてる感じがして、リズムが良いと思います。逆に言うと、ひっかかりがないかもしれません。
それとも、「相克」って何だ?っていう、ひっかかりになるでしょうか?
うーん。自分も迷ってます(・_・;
自分はまだ読んでないので内容がハッキリ分からないので、売れるタイトルになってほしいので、とりあえず「相克って、難しくないかな?」という疑問をぶつけてみただけなんですが、代替案は考え付いていません。野党精神でスイマセン(・_・; よしりん先生の本ですから、自分はただの1ファンですから、もちろん先生の決めたタイトルを支持します。
しかし、考えつかないなぁ…(~_~;)
「相克」で調べたら、意外とゲームとかでは使われてる言葉みたいですね。遊戯王とか、スーパーロボット大戦とか、モンスターハンターとか。自分はゲームをしないので知りませんでしたが…。世間的にはもう、なじみがある言葉なのか?
ますます迷います。
ただ単に、自分の読書量の少なさを、さらけだしてしまっただけなのか?
今広まりつつある、よしりん先生らしい、時代先取りの用語を、自分がつぶしてしまったのか?
もうちょっと候補を考えてみます。
思いつくか、間に合うか、分かりませんが…。
しょせんがネットで調べているのですが、同義語・類語で、
並べてみます。
軋轢(あつれき)、軋み(きしみ)、齟齬(そご)…同じで難しいか?
では、軋轢の類語は?
不和。不調和。不協和音。なるほど!不仲。仲違い(なかたがい)。
ちぐはぐさ。食い違い。不一致。確執。背中合わせ。行き違い。敵対。
確執とは?
反目。相反。不調。相違?ギャップ。悶着。
相違では?
隔たり。開き。ズレ。不同。不整合。不統一。不同意。
葛藤。激突。競い合い。バトル。背中合わせ。
調和の欠如。
『立憲主義と安全保障の齟齬』
『立憲主義と安全保障の不協和音』
『立憲主義と安全保障の確執』
『立憲主義と安全保障のギャップ』
『立憲主義と安全保障の不整合』
『立憲主義と安全保障の葛藤』
『背中合わせの立憲主義と安全保障』
『立憲主義と安全保障の調和の欠如』
やっぱり、『立憲と安保の…』の方が、
タイトルが読みやすいか?(笑)
でも、意味が通じるだろうか、左にも右にも。
『立憲と安保の悶着』
『立憲と安保の不一致』
『立憲と安保の不整合』
これかな?
『立憲と安保の不整合にケリをつける』
いかがでしょうか?
>>60:らいすばーがーさん
『立憲と安保の不整合にケリをつける』を見て、つい不覚にも笑ってしまいました。2回にわたってゴー宣道場に来られた松竹伸幸さんの著書『慰安婦問題をこれで終わらせる』と語感が似ていたもので…。
私は『立憲と安保の相克』がいいと考えています。この日本においては、立憲と安保が互いに相手に打ち克つような存在となっている不健全さを表していると感じられるからです。
9条という憲法の咽喉部に刺さった小骨が無ければ、つまり独立国においては当たり前の交戦権を持ち、常時動ける国軍を備えていれば、安全保障には何の問題も無く、米国に従って地球の裏側まで不完全な軍隊(自衛隊)が出ていく必要もなく、立憲主義を侵すような立法でもって対処する事態にも陥らないのです。これを簡潔に要約すると「立憲と安保の相克」ですよね。
これは、リベラル左翼が言うような9条と在日米軍を受け入れたままの丸腰反戦主義や、ポチ保守が言うような9条と在日米軍を受け入れたままの丸腰好戦主義を共に排するテーゼを含み込んだ見事なタイトルだと思います。
しかも相克ってやっぱりカッコいい! na85
>>51
daiさん、こんにちは。
私がゴー宣に出会ったのは子育て真っ最中の30代の頃ですが、そこで使われる言葉の考え抜かれた的確さ、正確さに驚きました。そしてその言葉が食い込んできてこちらも考え始めてしまう、そのワクワク感に魅了されました。daiさんの「ゴー宣との出会い・感動」に共感します。
そこから遡って「おぼっちゃまくん」を読み、自分はもちろんのこと、子供達も楽しみ、いつの間にか家には茶魔語が飛び交ってました(^-^);;。めっちゃくちゃ笑いながらその深くて逞しい思想に親としても瞠目し、子育ての指針になりました。(このマンガに目くじら立ててた親達がいたなんてなんて骨体!。)
「言葉」をないがしろにする、根拠も無いのに安易に断言し、言い散らす。---そうだ、それが今氾濫しているんだ、と思います。「言葉」が舞い散り流されていく葉っぱか、戦い抉る武器か、---見極めていこうと思います。
『立憲と安保の闘い』
『立憲と安保の敵対』
『立憲と安保の対立』
でも、単純でいいかもしれません。
naさんも「相克」が良いですか…
よしりん先生、「相克」でもいいと思います(笑)。
ご判断はプロにお任せします。
よく練られたネーミングに横槍を入れてしまったようで、
少し自分を恥じています。
いや、タイトルってむつかしい。
よしりん先生の凄さを再確認しました。
質問への回答ありがとうございます。当然のことを注意するのは低レベルかつアホくさいですよね^^;けど、そういう連中が増えつつあるのも放置して置けない問題だと思います^^;
それとE-girlsのAmiちゃんの表紙に惹かれて購入したStreet Jackという雑誌に、よしりん先生のインタビューが掲載されていて驚きました!私の記憶が間違っていなければ、インタビュー掲載のお知らせ無かった様な記憶なんですけど、告知していましたか?10代〜20代相手の雑誌に出る事は、良い試みだと思います。
Vol.152の配信、ありがとうございました!
言葉や表現って、相応の意味を入れて相手に伝える容器や梱包のようなものなので、同じものでも使う人によって中身が全然違ったりしますよね。
今号で改めて指摘されてみると、20,30代の駆け出しの頃、拙者も無責任に放言していた時期がありました。仕事や会社と戦う日々に明け暮れるまま、なかなか報われず、精神が幼く弱かったのでしょう。今から思えば当然ですが、大した能力も無いヤツの断言・放言なんて、バカバカしすぎてまともな人は誰も聞いてくれませんよね(笑)
無責任な断言や放言は20年くらい前の週刊誌でも見かけましたが、容器の中身を適切に捉える感性が徹底的に劣化したネットを介して、大衆化していたのですね。そういや、いかにもバカっぽい大衆化した表紙のSAPIOをレジに持っていくとき、読書好きの店員に気色悪く思われていそうなのが全く恥ずかしい今日この頃です。
どこでもカワイイもくれん先生の『ザ・神様!』に表現されたオトタチバナヒメ、なんという女!! せ、切なすぎる(p_q;; ヤマトタケルが鬼になるのも、すごく共感できます。死ぬまでに一度だけでも、こんないい女から心底惚れられる男になりたいなぁ〜(笑)
今週のQ&Aでも恋愛について触れられていましたが、現代人は、人の生死よりも重い、愛や思想,表現の真剣さに耐えられなくなっているのかも知れませんね。それがどんなに重くとも耐え続けるヤマトタケルのような強い男になりたいです!
...とはいえ拙者は、主人を思う飼い犬の愛ですら重すぎて耐えられず、自由気ままな猫を選んでしまいます。同年代の事務の女性にも「犬ごときで(笑)」と笑われる有様です(x_x;
道場で先生が言ってた"トラップ"という意味で、
タイトル『バカはデモやってろ!』というのは、どうでしょう?(笑)
これ以上考えてると仕事に支障をきたすので、止めます(^_^;)
何度も書き込んで失礼いたしました。
Vol.152の配信、ありがとうございました!
おらほの岩手は寒い。
ほんとに寒い、熊みたいに冬籠りしたいべさ。
「相克」とは陰陽道の言葉だべさ。「相生」とセットだべ。
陰陽道はゲームの世界とかにとりこまれているべ。
夢枕獏氏の小説が出る前は、陰陽師というと文部科学省の下級役人で
天文と占い担当みたいなところさあったべ。
あの小説からだべ、飄々とした穢れと戦う陰陽師像が確立したのは。
創作の力って大きいべな。
寒くて、キーボード打つ手も震えるべなw。
細木数子の「あんた地獄へ落ちるわよ!」も10年くらい前だべか?
流行したべな。
「じゃあその根拠は?」と聞くとなんにも無いべさ。
んでもって、細木数子の六星占術ってのを、
若い頃オカルトマニアだったもんでおらも信じてたべよ。
12年に1度来る「大殺界おっかねな~」なんて実は震えてたべよ。
ところが、おっきぐなって、知ったべさ、「六星占星術」なんて、
中国の「算命学」と「四柱推命」を
足して二で割ったようなもんだべ。
四柱推命なんて、仙人が直感で編み出したなんていう、
伝説をもつ、いいかげんな占いの代名詞だべよ。
そんなもの根拠に、「おめは地獄さ落ちるべよ!」
なんて言われたら、信じるか信じないかの世界だべ。
「1%も信じません!」とおらなら言うべよ。
因みにおらが結婚して家建てたのは、おらが大殺界のど真ん中で
一番運勢の悪い時だべ、四柱推命やらで計算して
一番ひどい時に、慶事はすべてやったべよ。
したら、子どもができないほかは夫婦仲も円満だし
素晴らしい、結婚生活してるべさ。
ゴーマンかましていかべか?占いは信じる者だけに通じるもんだべ。
ちゃー!断言してしまった(*^^)v
>>69-70:つぼきちさん
お久しぶりです。陰陽師は小説は知りませんが、漫画と映画で多少は知っています。平安京に陰陽寮(おんみょうつかさ)という役所があり、宮中行事の日時や方向などの吉凶を占う所となっていましたが、根拠はそれほど確かではないのですね?
相生相克については少し知っています。木火土金水という5つの元素から世界が成り立つという古代支那大陸の思想・五行論のことです。相生は、木が燃えて火を生じ、火から燃え残った灰に土が生じ、土中から金鉱脈を生じ、金鉱脈から水が湧き出し、水が木を育てる、という相手を強める関係で、相克は、水は火を消し、火は金を溶かし、金は木を伐り、木は土を貫き、土は水を吸い尽くす、みたいに相手を弱めるという関係だったと思います。上記の相克の逆の関係が相手を弱めるかどうかは不明ですが…。
立憲主義と安保の場合、従米に依って立つ安保体制が立憲主義を破壊するのは(安保法制論議を見れば)間違いないですし、従米のまま「憲法守れ」を主張しても(軍隊が無ければ)安全保障に不安が残ります。従って、この愚かな相克関係を止めるには、従米を止めるしか道は無く、憲法から9条を除くしかないと判るはずです。従米しなければ、つまり自主防衛に舵を切れば、安全保障と立憲主義は両立します。
へー。四柱推命っていかがわしおすのんか?ほな、字画で名前決めるんも意味あんまり無いんやね?勉強になるわー。まーそんでも、名前のこと言うたら「字画を無視したさかい、こんな運命になったんとちゃうの?」とか後で言わへんように、ええ字画の名前付けといて、不運の可能性をあらかじめ潰しとくいう考え方もおますさかいなぁ。
断言をやんわりいなす^^ na85
タイトルの件ですが
出版社は「立憲と安保」は分かり難いと踏んで
単純なフレーズにして、しかもタイトル案の方向から
保守的な人たちに売りたいと考えていると推測します。
そこで馬鹿でも分かるタイトル案として
『国民になるための立憲と安保』
『デモ市民には分からない立憲と安保』
というのはどうでしょうか?
na85さまお久しぶりです。
私が荒らしをやったせいで、
身を引かれていたので、何やら申し訳なくて。
その折はスタッフの皆様にもご迷惑おかけいたしました。
姓名判断は岐阜県の熊崎健翁(くまざきけんおう)という人が
編み出した、日本生発祥の占いです。
だって画数の概念は、『康煕字典』からで比較的最近のもので
それを野末陳平氏などが、中国から来た占いだとデマながしたので
それが伝播して、変遷をたどりますです。
中国での姓名判断は、音で占う風角術と墨の勢いで占うものだけですだよ。
熊崎氏は雑誌『主婦の友』に子供が生まれた時につける名前にこまる
主婦のために『姓名の神秘』を上梓しましたこれがベストセラーに
なり今メジャーな占いになってました。
でもどうもこの占いも根拠が…。まったくない・・・。
これ以上つづけると自分のブログに書けと怒られそうなので
占いの話はおわりにするとして。
立憲主義と自主防衛が両立しますもんね。
切り返しが相変わらず只者じゃないですねna85さまは、
今回ちょっと方言使って投稿してみました。
戊辰よりちょい前に、西郷隆盛と南部藩の家老の楢山佐渡は
出会っていたらしいのですが、なんでも言葉が通じなかったとか?
結果、悲劇の戊辰戦争で惨敗!
今後、ですがリアル、ゴー宣道場に参加したいと思っても、東京で言葉通じるかなぁと
少し不安でありまして…。
新書の題名で意見が交わされているようですね。
私は「相克」で構わないと思います。
そういう知らない単語に触れるのも本の楽しみじゃないですかね。
『相克』(そうこく?)に一票です、でも本来先生が決めるのですから私如きの一票など烏滸がましくも感じますが。
プーチンやベルドイムハメドフと会っているときの安倍はいかにも嬉しそうに見えます。独裁という価値観を共有できるからでしょう。
配信ありがとうございます^^
ゴー宣に関する意見は、daiさんが仰られたことに同意です^^
安倍や百田のようなまがいものとは、全く違いますねw
ゴー宣に出会えて、良かったと思います。
「しゃべクリ」は、まさかキノコでポンが採用されるとはw
いや~風雲たけし城出てみたかったですねぇ~^^
「ザ・神様」、ついついオチを探してしまってました^^;
感動的なお話だったのに申し訳ありません( ;∀;)
スターウォーズは、壮大過ぎて何か話についていけなくなってましたw
そうそう、親しみやすいようにキャラクターの名前もタマキンとかにした方がいいですよねぁ~
笹師範にクレームを受けた店員は、何てうらやましいんだ!!この野郎!!
えっ!?問題はそこじゃないw
>カレーさん
恐らく、返信メールは、みなぼんさんではなく、24時間体制で小人さんたちが交代でしているんだと思いますよ。
いくらみなぼんさんが超人でも、さすがに疲れてしまいますからね^^
よしりん先生、手鏡持って歯磨きすると磨きやすいですよ。
私はそうしてます(^-^)
あと、フッ素入りのジェルを寝る前に使うと良いみたいです。
月に一度は歯のクリーニングに通ってますが、
「自分で磨くには限界があるから、定期的に通って
綺麗にするのが一番」と衛生士さんに言われてますよ。
私も1日に3~4回、磨いてます。週に1~2回フロスで歯の間を磨き、その後とどめにリステリン。歯医者には年2回行き、歯石をとりに行ってます。物ごころついたころからなぜか家族のなかで唯一、虫歯に苦しみ続けてました。父親から「お前は息が臭い!」と何度も怒鳴られ、中学校時代には「悪臭」「○○中学校の4大公害」という不名誉なあだ名をつけられてました。あの悲惨な時代に戻りたくないので日夜努力しているのですが、未だにまだ臭うらしく…何?話の趣旨が違うって?(笑)
今週もありがとうございます。
断言の中にもことわりの礼を尽くすことは、これまでの『ゴー宣』にも描かれていましたが、またしても強調されるほどに悪い方に向かっている現状が分かりました。幾つもの象徴的な事例がありますが、何か繊細さや葛藤のようなものが感じられません。ただ「面の皮が厚い」人が受けているようですね。
ここ数日、関西版「ゴー宣道場」の申し込みに神経を傾注しておりました。「決定」をクリックして「申し込んだ!」と思っていても「不正にアクセスされた……」などという画面が出て、確認メールが届かない。そんなことが何度も続きました。「今度こそ」と思ってやってみた昨日、ようやく申し込み完了の画面が出て、一安心です。これで私も「当選待ち」というラインに立てました。でも「確率はなんぼ? 当たるのかいな?」と思うと、不安の日々は続くのです。
当たった場合を考えると、カレー千衛兵さんにはご祝儀を贈ろうなどということが頭に浮かぶのです。ここはオーソドックスに信楽焼のたぬきか、それとも昔、親友に見せたところ大笑いした回も含む、個人編集した『ガキの使い』のDVDか……。いや、よしりん先生を差し置いたらあかん、先生には……、ってこれでは賄賂になるので、書かずにいよう。
いやはやカレーさんは「僕は無理をする 妥協はしない」方なんですね。
私も「出る前に負ける事考えるバカいるかよ!」の精神での参加をしなければいけませんな。
10年位前かな…、片岡鶴太郎がTVで、歯間ブラシを行う習慣が出来たら、やらないと気が済まないんだよって話していましたね。
片岡鶴太郎はいい役者ですよね。『異人たちとの夏』とか『季節はずれの海岸物語』とか(古いかな)、上手かった♪
(*´∇`*)
仕事に完璧さを求める人と、歯に完璧さを求める人ってイコールなのかも知れませんね☆☆
(^◇^)
でも先生は、行きすぎてしまったんじゃああ〜
りませんかあ!
Σ( ̄□ ̄;)
ただ年齢と共に、他人の口の中が気になっては来ています。
NHKで、イジメについての番組を見ました。大人は子供に、強さと優しさを教えてやるのが義務なのだと思いました。弱肉強食の世界になるのなら、偽善でも、社会主義の社会の方が苦しむ人は少なくて済むのかな、とも思いました。ただ、社会主義って、そんなに甘いモンではないのでしょうね。
社会での弱者への理不尽なイジメを無くそうとする事が、子供達のイジメを無くす事に繋がって行くのでしょうね。
私の中学校時代のアダ名は大顔面。高校時代のアダ名は飛び職(パシるから)でした。
(  ̄ ロ  ̄ )
↑↑
飛び職=飛脚と勘違いしていたからかと思います。
たびたび失礼致しました。
小林先生が世相や論敵をバッサバッサと斬りまくる様子がとにかく激しく躍動的でカッコ良いいのですが、本当にすごいのは、慎重な思想の丁寧な積み上げと、そこから見定めた真実への跳躍力という、静と動のふり幅が極めて大きいにもかかわらず、しなやかに立ち続けブレないスタンスにあると思います。
先生が以前おっしゃっていた通り、常識から非常識へ跳躍し、歌舞いて見せるためには、基礎となる常識の力が強固である事が重要であり、常識も覚悟もない「断言」など、ただの「放言」にしかなりませんね。
しかし人々は「これだけ断言するからには何かあるはずだ」とか「これだけ炎上しても折れないのはさすがだ」とか思ってしまうのでしょうか。どんどん知性が劣化してるように思えます。橋下さんも未だに影響力強いですし。
勇猛に見える覚悟を決めたヤマトタケルですが、同時に、決して避けられない悲劇的な運命へと物語が動き出したように感じました。「あなたのために私がしたいことなの」と海に飛び込む程に、普通はそこまで女性に想われる男性はいないと思いますが、タケルってどんだけ魅力的な男なんだろうと気になってしまいました。
「断言調」の語り口、最近は目に余るものが多すぎますね。
よしりん先生でもないのに、何でこうはっきり断言できるのか、不思議でしょうがありません。
しかも悪質なのは根拠も論拠も示さず、言いたいことをただ言うだけの人間が世の中に蔓延していることです。
そういう人間に限って大した働きもしていないのに、世間から拍手喝采を浴びてちやほやされるなんて、もう、なんだか世の中間違っているとしか言いようがないです。
よしりん先生をパクっているようでなんだか悲しくなります。よしりん先生はちゃんと論拠根拠を示して覚悟の上で発言しているのに。
放言だけして後はだんまりを決め込む輩は「消費者」と同じで、腹が立ちます。
もくれんさんの『ザ・神様!』オトタチバナヒメがあまりにかわいそうすぎます。悲しみを乗り越えていっそう鬼と化すヤマトタケルの姿も哀れに思えてきます。
どこぞで一緒に寄り添う方法はなかったのか?オトタチバナヒメとヤマトタケル、このまま関東で暮らさせてあげたかった…。
そう思います。
今週の『しゃべクリ』、元坂口さんのネタがすごく良かったです。
『元ちとせと書いてはじめ─』のネタが最高でした(笑)
このネタは思いつかんかったな~(笑)
私も、しゃべらせてクリの元坂口さんのネタは、
職人技を超えて、神の領域だと思いました☆
ものすごく楽しませてもらいました o(^o^)o
>>80 ボンさんへ
『「ゴー宣道場」/参加申し込みフォームを受け付けました』
の返信メールは、小人さんたちだったのか~。
冷静に、論理的に、考えてみれば、その通りですね(笑)
>>84 がんTさんへ
私は「一参加者」です。特別なお気遣いは不要ですし、私も遠慮します。
あ。一部、NMB48の【高嶺の林檎】の歌詞を引用されているわけですね(笑)
私はゴー宣道場の参加は【ヴァージニティ】なんです。
初の関西開催なので【Must be now】の気持ちで応募しました。
会場手配の苦労や設営計画に係わる失敗は【Don't look back】。
「断言主義的な言葉」などではなく、「今より一歩踏み出そうとする勇気」こそが【パンキッシュ】なんだと私は感じます☆
当選すればいいですね(^O^)
ソフトバンクのCM、元おぼっちゃまバージョンは結局ホームページで見ました。先週の「よしりんにきいてみよ」でのよしりん先生のギャグの外しっぷりに対するもくれんさんの反応を見ている様で、デジャブなのか、相乗効果なのか笑ってしまいました。
先週の「よしりんにきいてみよ」はバカ話からのマジメ話への展開が良かったです。クロッキーの話が一番印象に残りました。プロフェッショナルからの現場や技術の話は面白いです。
切通さんの「せつないかもしれない」には色々な方々がゲストにいらっしゃいますよね。
自分の知らない世界に、こんなプロフェッショナル達がいるのか!といつも驚かされます。彼らはたとえ貧しかったとしても、社会がどのように変化して行っても、自分の個性を活かすマニアック?な現場を造って行くのでしょうね。本当にそのバイタリティには見習うべきものが有ります。
彼らもよしりん先生が言われたところの所謂変人で、同じ様な気質の中から稀にノーベル賞みたいな評価を得る方が出てくるのだろうか?
最近「高森ウィンドウズ」を古いものから順番に見ていますが、日本人が常識的に持つべき教養を知る事が出来て楽しいです。
「時事楽論」は高森さんと切通さんの掛け合いで、メインからの目線とサブからの目線が融合して行く感じ好きです。この前は感化されてしまいまして、すぐに「天空の蜂」を観に行ってしまいました。
その映画の紹介の回の「時事楽論」で、高森さんが四分三十秒位の所で「天空の蜂」を「天空のしろ」とおっしゃっていました。本当にジブリ作品が好きなんですね。
>あなたは、あの燃え盛る相模の野原のなかで、わたしの名を呼び、抱き寄せて守ってくれた、ただひとりの御方……だからこれは、あなたのために私がしたいことなの。
「犠牲」というのが決して「おかわいそうに・・」なことではなくて、「思いのこもった主体的」なものであることを示していると思いました。情熱を一瞬に燃やす覚悟ある女性、船から身を躍らす姿が目に浮かびます。
長野県と群馬県の境にある「熊野神社」には、日本武尊が東征の帰路、愛妻・弟橘姫を偲んで「ああ、わが恋しい妻よ・・」と嘆かれた、という高台があります。そこから群馬県側に広がる地の名前は「吾妻郡 嬬恋村」(あがつまぐん つまこいむら)---なんと切なく愛しい地名なんでしょう。(関東方面へ送られるキャベツの大産地です)
今週もライジング配信ありがとうございますvv
最近世間を震撼させているマンションの傾斜問題よりもはるかに見抜きやすいであろう安倍氏や百田氏の幾年にもわたる“断言主義”というより“断言詐欺”にまんまと引っかかり続ける人たちのお花畑的思考回路にはもう呆れざるをえません。
“イラクに大量破壊兵器はある”とアメリカの何の根拠もない断言の連呼に踊らされた挙句、イラクを攻撃してめちゃくちゃに破壊し自称イスラム国の台頭を許したことは記憶に新しいでしょうにきれいさっぱり忘れているようです。また同じ過ちを繰り返す気満々ですね。
気づいたときには後の祭りで「自分たちは騙されていた」と被害者面でアピールするんだろうなあと思うと腹ただしくてたまらず、
「そんなに騙されるのが大好きなら永久に騙されて続けた方が幸せなんじゃないの」と皮肉をぶっかけてしまいたいです。
十数年前、朝まで生テレビで小林先生を見ていました。断言する司会者・田原総一朗から一目置かれている、この漫画家さんはどういう人なのだろう。弁の立つ姜尚中や山本一太、村田晃嗣や宮崎哲弥などから一目置かれている、この漫画家さんは何者なのだろう。そんな風に思いながら見ていました。
子供の頃にジャンプで見ていた【東大一直線】の作者だという事は知っていました。それ以降、先生の作品は読んでおりませんでした。
初めてお顔を拝見したのが、オウム事件の頃。暗殺されかかった漫画家としてワイドショーに出られている時でした。周りに愛想など振りまかず、ハッキリと話をされる威厳のあるお姿と、優しそうな声が印象的でした。
オウムを描いた【ゴー宣】も画面に映ったのですが、【東大一直線】の頃とは雰囲気の違う絵柄に見え、少し驚き、興味を覚えました。
オウムや薬害エイズ、教科書運動の頃は、あまりテレビを見なかった為、先生を見たのは、その一度きりでした。
朝生では、田原総一朗の対岸に座る格のある姿と存在感に、先生への興味が増して行きました。ある日、書店で先生のコーナーを見つけ、手にしたのが【よしりん戦記】と【戦争論】。…踵を返しBOOKOFFで再び手にした【よしりん戦記】と【戦争論】。
【よしりん戦記】に感動し、【戦争論】に衝撃を受けました。こんなに物凄い人が、この世に居たのかと驚きました。目から鱗がボロボロ落ちる様でした。時間を忘れて読み耽りました。あそこまで時間を忘れたのは……、ケータイでネットにハマった以来です。
それからは、BOOKOFFで【ゴー宣シリーズ】を集めては読み耽り、朝生を録画して先生の所だけ何度も巻き戻してはウンウン頷きながら見るという生活が、しばらく続きました。
【ゴー宣】を読む様になってからという気もするし、初めて番組を見た時からという気もするし……そこら辺が定かではないのですが、この頃の朝生での、話の説得力は、小林先生が郡を抜いていたと思います。
まず、話が解り易い。妙なプライドを持たない。人の話を聞く。話を混ぜっ返さない。陣営で固まらない。何か、ズルくない。そんな理由からなのか、話が頭の中にスルスル入って来るし、話を聞いているのが気持ち良い。これが断言や方言だったら、あの気持ち良さは味わえないでしょう。
ようやく時代に追い付き、BOOKOFFも卒業し、書店で【わしズム】バックナンバーをお取り寄せする様になった頃……、もう一度読みたくなり【ゴー宣】を読み返しました。そうすると、 言葉の意味を履き違えていた事や、実は理解していなかった事、また今なら理解出来ると思う事など、新たな発見がありました。先生の作品は、読む毎に頭の中身が鍛えられて行き、頭がスッキリして行く様な感覚があります。
それに比べ無責任な断言などを聞かされると、腹が立つは気分が悪くなるは頭がおかしくなりそうになるは…、最悪です。
先生に、“公”という観念・感覚・価値観を教えて頂けなければ、私は今まで、生きて来られたのだろうかと思う事があります。ヤバい時に心の拠り所となり、生への力を与えて貰い、生き甲斐を与えて貰いました。公を意識する事で、強さと優しさが身に付いて行った様に思います。
先生の言葉の背景には公が見える。ただの暴言・方言の後ろには私しか見えない。先生をネトウヨの生みの親だと言ったり、暴言・方言を溢れさせた張本人だと言う人は、公とは何なのかを解っていないのだと思います。
『ザ・神様!』、尾張でぬくぬく待っているミヤズヒメなんかより、危険な旅に健気に付いてくるオトタチバナヒメの方にヤマトタケルとくっついて欲しかったて〜(よ〜の意)!
ヽ(`Д´≡`Д´)ノ
…でも、そんな風に行かないのが世の常だよね。
(´-ω-`)←ホントーか
だいたい、あれくらい一途な女は、冷たいくらいの男の事を好きになっちまうモンなんだよね。
(´-ω-`)←ホント〜にわかっているのか
もくれん先生、『実はオトタチバナヒメは生きていた☆』ってパターンは…ないですよね。
( TДT)
何だか、『パーフェクト・ストーム』のラストシーンを思い出しました。
(^o^;)
>カレーさん
はっ!!小ボケを小ボケで返したつもりが、いつの間にか私が「返信を小人さんがしてると思ってる危ないオッサン」みたいになっているじゃ~ないですか~w
いつの間にか、術中にはまってしまうとは・・・恐るべし大阪の笑いのセンス^^;
大阪ゴー宣道場楽しみですw
>na85さん
なるほど~これが、キラーパスというものですか~^^;
ご忠告感謝です!!
「普通の人々が、自分たちの生活感覚をきちんと言い表し、互いに微妙なニュアンスまで理解し合う話し合いを行ってはじめて十分な民主的審議となる。」
「自由民主主義の政治の前提には、安定したネイション(国民集団)やナショナリティ(国民意識)の存在が必要であると考えられている。また、ナショナルな言語(国語)や文化にも、自由民主主義を成立させる重要な役割がある」
上記は、高森先生のブログ「民主主義には国籍がある」の中の光施恒氏の言葉を引用した部分の抜粋です。これは、顔の見える気心の知れた人々の集まり=共同体なら民主的な審議が成り立つことを表すのだと思われます。そうであるなら、同一の民族が住み、同一の国語を話し、同一の国民意識を持ち合わせていなければ民主主義は成立しないのではないか?と考えられます。
それでは中東諸国のように民族分布を無視して国境線を引かれた場合や、米国やシンガポールのように移民を受け入れて活力を得るタイプの多民族国家では、民主主義は不可能だということになります。逆に言えば、同一言語を話し、国内に住む人間すべてを同朋と言ってしまえる日本のような共同体国家こそ、本来最も民主主義が成り立ちやすいと言えるはずです。
「関西版ゴー宣道場のテーマはデモということですが、僕はそれを「政府、議会へのクレーム」だと捉えていて、また、そう捉えた方がデモに対する正当な評価ができると確信しています。
(中略)
とは言え、政府の側も憲法違反の法律を無理やり通そうとしていたのは事実。これは企業で言えば、コンプライアンス違反であるから、デモ隊はそこを徹底的に突けば正当なものになりえた?」
これは関西ゴー宣道場に応募された福岡県の公務員の方(daiさんだ、これ・笑)の、応募動機の文章から抜粋したものです。デモとは政府へのクレームであり、政府が憲法違反の立法というコンプライアンス違反をやり、かつ正統な手続きが間に合わない場合は、クレームで表明することは間違いではないのでは?というわけです。これは凄い指摘だと思います。
それでは、最も民主主義が成り立ちやすいはずの日本において、なぜデモという方法を取らねばならない事態に陥るのでしょうか?これは、我が国が他国により陰に陽に支配されているからだと考えます。為政者が他国の意向に逆らえないため、憲法違反であっても他国の都合に合わせた立法を乱発せねばならなくなるのです。これに対して国民が採りうる手段として存在するのは為政者を選別する選挙ですが、これが日程的に全く間に合わず、小選挙区・比例代表並立制という手段そのものにも重大な瑕疵があるわけです。ではどうすれば良いでしょうか。
例えば、購入した商品が対価に見合わない欠陥商品だった場合、消費者センターに届け出ることも考えられますが、脚の速い食品などの場合は即座に購入した店にクレームを付けるのが良いでしょう。クレームが正当であれば店側も誠実な対応をしてくれるはずです。主張が不当であればモンスタークレーマーとして処理されるでしょう。しかし、店側が不誠実な対応しかしない場合、そして泣き寝入りするには腹に据えかねるという場合、今後被害者を増やさないためにマスコミに訴えるという手段が考えられます。おそらく、これが現代のデモという手段の狙う実質的な効果でしょう。
デモの主張が不当ならデ・モンストレーションよろしくモンスタークレーマー扱いで良いのですが、これが正当であれば政府は該当する政策の是非をもう一度考えねばならないはずです。それをできない理由が、政府が正面から抗えない他国による影響であった場合も、デモ主催者には手続きの瑕疵を突く方法は残されています。今次のデモの場合であれば、憲法を無視した立法という立憲主義の問題でしょう。
さて、世界史的に見ても善政だった日本の江戸期に行われたデモは一揆ですが、多くの場合要求が聞き入れられたようです。またある時期に設置された目安箱は、庶民の要望が直接反映されるものでした。しかしこれは、他国の支配を全く受けない国において、しかも為政者たちも道徳を備えていたからできたことであり、不平等条約下の明治期には全く違った様相を見せていたわけです。この場合やはりマスコミが大きな役割を果たしました。選挙制度が整備される以前には、マスコミが火を点けた世論の高まりが正当なテロ(一人一殺の右翼テロ)を後押しする形となりました。
しかし、現在はテロは厳罰という合意が出来上がっており、テロの効果が影響した政策は正当性が疑われる時代となりました。また、マスコミが政府に懐柔されているため世論の高まりに全く寄与せず、デモという現象は左翼文化人に活気を与える役割しかなくなり、デモ組織そのものも左翼のオルグ機関と化しています。ゆえにデモは、政府に正当なクレームをつける方法としては非常に危ういことが判ります。効果を期待しない永久運動としてのデモは、示威行動ならぬ自慰行動だと言われても仕方ないわけです。
であれば、どうすればまともに民主主義は機能するのでしょうか?それを考えるのが次の関西ゴー宣道場、「とりま民主主義ってデモか?」ということです。
皆さん、ガンガン応募しましょう(私も応募しました) na85
配信ありがとうございます。
言葉が持つ真の意味とインパクトが失われて、表層的な意味合いしかない軽薄なキャッチコピーが蔓延した帰結がこの断言主義の流行でしょうか。ネットの浸透によって定型的フレーズを人工知能よろしく繰り返すだけの人々が増えたことも一因であるのかなと考えています。
そういえば文学はまだしも、現代詩が流行らなくなって久しいなと、今回のゴー宣を読んでふと思いました。
新聞社なんて潰してしまえと断言する方の本が
25万部も売れる世の中。これこそ本当に恐ろしい。
そもそも断言出来ることってそうそうないのですよね、
世の中に。
師範はかなり謙虚だけれども、その謙虚さは世間の人には
伝わっていないと感じます。
師範の本は普通に読めば普通に分かると思うのですが、
最初から思い込みがあって読む人にはつける薬がなさそうです。
実に悲しい。
オトタチバナいい女すぎますね。
ヤマトタケルの中に永遠に残りますね。
タマキンは酷いネーミングだ(笑)
今週もありがとうございました!
なんだが大きい声で言いにくいのですが私はハロウィンをけっこう気に入っています。
エロい格好の女の子たちが街に繰り出して機嫌よく酔っぱらうイベント、としか見ていなくて本来の意味もへったくれもないわけすが、まあ海外のイベントが日本に来るときはいつもそうだしなと。なんやかんやと面倒なプロセスのあるクリスマスやバレンタインに比べて、ただコスプレして騒ぎたいんだ!っていう点が潔くて好きですね。単純にナンパしやすくなるということでもあります。
『学校の和式トイレは虐待だ』、よしりん先生のタイムリーな断言っぷりに爆笑です!!そういや、初期のゴー宣ってこんな感じでしたかね(笑)
小学校から高校まで12年間、拙者は学校で大便をしませんでした。理由は明らかで、汚すぎてとても用を足す気になれなかったからです。掃除で個室に入ることすらイヤでした。
最近は教育的にトイレ掃除を推奨させる向きもあるらしいので、昔ほど学校のトイレは汚くないかも知れませんし、食育があるなら「便育」(笑)もあってイイかも知れませんね。ショッピングモールや映画館もほとんど洋式ですが、拙者は和式トイレが使えないときは、今でも括約筋大活躍で我慢します。だって、洋式便座って、どこの馬の骨とも得体の知れぬ他人との、
「間接尻づけキッス」ですよ!!(ありゃ、コレって断言・放言主義?)
とくに男子便所は、野郎の汚いケツ同士の間接キッス。(+_+;;オェ〜
学校なら便座を上げないまま立って小便を撒き散らす子供もいるでしょう。しかも昔のように消毒除菌効果の高い陶器製ではなく、細かな傷の中に雑菌を飼育繁殖させる恒温機能付き樹脂製便座。正体不明のおつりを頂戴(T_T)してしまう確率も高い。
和式ならほぼそういった接触なしに用を足せるので、拙者は宿を除けば外ではもっぱら和式派で、もっと増やして欲しいくらいです。できれば、汚物とおつりを遠ざけるべく、糞溜りをもう少し深くした清潔な和式トイレ(脱臭機能があれば尚良し)を開発して欲しいですね。
あそーだ、花子ちゃんも、和式の方がきっと似合いますよ(笑)
私もゾンビ…もとい、ハロウィンの話に参加させて下さい。
(`Д´≡`Д´)←落ちついてくれ
ハロウィンは最初、アメリカのお化け大会かと思っていました。アメリカのホラー映画は有名なのが多いから、さぞや怖くて楽しいのだろうなと思っていました。
日本では、お化け大会や肝試しといえば夏の風物詩。ハロウィンが、お化け大会や肝試しも巻き込んだ夏の怖い系の一大イベントになれば、楽しくなりそうですね♪
ゞ(^o^ゝ)≡(/^_^)/"
クリスマスは、ロマンチックだしファンタスティックだし、ワクワクして子供の頃から大好きでした。
バレンタインデーも、好きな人へ想いを伝えたり恋人達が愛を確かめ合う、恋の一大イベントとして復活して欲しい。
( ̄▽ ̄= ̄▽ ̄)
今回は改めて時代の流れをおさらいすることができました。
でも、どの時代でも、よしりん先生の芯の通った言葉は
信頼できます。
安倍首相が断言口調だから人気が落ちないというのは、
なるほどなぁと思いました。
多くの人は何となくのイメージでしか捉えてない
のですよね、きっと。
オトタチバナヒメの「だからこれは、あなたのために
私がしたいことなの」という言葉が一週間ずっと心に
残っています。とても切ないですが、印象的な言葉でした。
ハロウィン…私好きです。
か、仮装も好きです。
なんか…すみません…(^。^;)
na85さんへ
歯の裏を見る鏡(デンタルミラー)までは必要ないと
思いますが、売ってますので、買うこともできますよ。
鏡で今どこを磨いてるのか確認しながらだと綺麗に
磨けます。歯の矯正をやっている時に、手鏡を使った
磨き方を教わりました。
歯ブラシだけではなく、デンタルフロスと併用する
ことで、かなり綺麗にお掃除できますよ。
皇位継承問題とこの皇位継承問題を深刻化させた旧宮家系男子の皇籍取得(皇統男系固執者の言う旧皇族、旧宮家復帰)という主張、そしてその皇統男系固執者が皇籍取得者として持ち上げ来た竹田恒泰とその従弟のとんでもない行動について詳しく取り上げた記事を発見しました。
大麻逮捕の竹田恒泰の従兄弟より悪質? 旧宮家の”権威”を利用したトンデモ事件簿! 竹田恒泰もマルチ商法関与
http://lite-ra.com/2015/09/post-1522.html
本記事を書いた井川健二氏は竹田氏の過去の悪徳商法などの問題行動だけではなく、皇籍離脱後の旧皇族および旧宮家系国民男子がこれまで行ってきた悪行の数々についても本記事で書いており、中には旧皇族および旧宮家系国民による皇室の権威を悪用した悪徳商法についてまで詳しく述べておられます。そして最後には小林師範の「新天皇論」の旧皇族と旧宮家系国民男子について述べた個所を引用して「皇室の権威を悪用する術を一般社会で学んできたような人が宮家に戻ることが、本当に皇室を良い方向に導く策なのだろうか? 紹介してきたようなスキャンダルを見る限り、正直、それが正しいとは全く思えないのである。」と締めくくっています。
これは大変に価値ある記事ですので皇位継承問題及び戦後における旧宮家系国民および旧皇族について興味あられる方は是非、目を通してほしいと思います。
小林師範や高森師範が旧宮家系国民男子の皇籍取得への反対意見を述べて来られましたが、この記事はまさに、これまで小林師範や高森師範が述べてこられた主張が周囲に広まってきた結果とも言うべきものだと思います。
突然、場違いな書き込み失礼しました。感想は後ほど改めて述べさせていただきます。
来月のゴー宣道場のテーマが、「とりまデモって民主主義か?」ではなくて「とりま民主主義ってデモか?」
まずそこにタイトルをつけた人の狙いを感じます。
「とりまデモ」ではなくて「とりま民主主義」。
戦後70年間の民主主義は実は「とりま民主主義」だったのではないか?
「とりま民主主義」の覚悟のなさが覚悟のないデモを生み出したのではないのでしょうか。
…と、思うのですが、いかがでしょう。
ふつふつとイメージが湧き起こったので、度々の書き込み失礼します。
「なんとなく」デモや圧力団体の存在を正しいもの、唯一絶対的な存在のものと思い込んでた私がいます。
それは中学で習った社会や高校で習った公民の教科書に「なんとなく」書いてあって、新聞とかも総じてデモや圧力団体を「肯定的に」扱っていたので、今まではなんとなくデモや圧力団体の存在は民主主義にとって必要不可欠だと思っていました。
だけど、ここに出会ってからはこう考えるようになりました。
「デモや圧力団体の存在は、政権の座に固執して専横的に振る舞う権力者に対しては効果があるが、国民を統合する象徴や聖域に対して使われたら、怖いなあ。」
本物は見る人が見ればわかる!
のはずですが、その「見る人」が少なくなっているのでしょう。
最近の人はネットの影響か長い文章を読めなくなった、というのも強く影響していると感じます。
(たとえ内容が伴ってなくても)分かり易いワンフレーズを勢いよくかます。
それがツイッター文化がもたらした災いであり、そこを突いたのが安倍政権でしょうか。
ある意味最悪な時代です。
歯の話ですが、私の奥歯が欠けたので家の近くの腕がいいと評判の歯医者に行きました。
やはり虫歯が悪化して欠けたとのこと。レントゲン写真で見て歯が痩せてしまっていたみたいです。
そこで治療のために局所麻酔をしてもらったら、意識が遠ざかって睡魔に襲われ、気分が悪くなってしまいました。
結局、治療ができずに、後日大学病院で治療のために紹介状を書いてもらうことになりました。
何でも、麻酔アレルギーだとのことです。私自身、薬物や化学物質に大変敏感で、食べ物なども野菜なんかは自宅の家庭菜園で採れる有機・無農薬の野菜を食べて育ち、田舎なので外食の経験もほどんどなく、アルコールやカフェインも受け付けず、極端な話自動販売機で売ってある飲み物で買って飲めるのはミネラルウォーターと100%の野菜ジュースとジンジャーエールだけ、といった具合です。うちの母親も同じような体質で、局所麻酔が使えないため胃カメラが飲めません。
とにかく、虫歯を治すためには全身のケアができて麻酔の専門医がいる大きな病院に行かなくてはならないので、今から憂鬱です。虫歯を放置したのは自己責任ですが、体質をすぐに変えることはできないし、悩ましいです。
風邪を引いても、市販や病院で処方された薬にはアレルギーがあって副作用がひどいので、もっぱら寝て治すしか方法がありません。最近は免疫が強くなって、風邪を引いても半日寝れば治るので、健康体といえば健康体なのですが。
虫歯の治療も、麻酔なしで痛くない方法でやれないものかな、と思ってしまいます。本気で手塚先生のブラックジャックに頼もうかとも(あれは架空の話ですし…)
>こけこっこーさん
返信遅れました。
よしりん先生の言葉の力って凄いですね。
今、僕は調度子育て中、うちの子は「おぼっちゃまくん」にハマっていて、茶魔語を連発してますが、セリフの言い回しも秀逸なんですよ。「極上の食物が圧縮された香り高い一品」とか「胃袋に保管する」とか。子供の国語力を上げる力があると思ってます。
>カレーさん、ボンさん
そろそろツッコミましょう。
んなわけあるかい!!
キラーパスだけに光ってますな。キラーと。
>ライスバーガーさん
折角の提案を潰しにいくような真似してご免なさい。
>na85さん
「デモはクレーム」はお察しのとおり、とりま僕です。
配信ありがとうございます。昔から先生が断りを入れてゴーマンかましてるのに対し、今は何でも言葉を吐き放題吐き散らかして、後は責任を取らない、自分で吐いたものは、自分で片づけるのが常識でしょう。
『相克』って言葉、時代劇の『助け人走る』で知って、この意味なんだろうって?調べましたね。 父と息子の骨肉の争いを描いた秀作で、最後の田村高廣が相手を仕留めて終わるラストシーンかっこよかったなぁー、「人殺しなんてとんでもない」というのはあたりまえだけど、それを簡単に『悪』と決めつけてしまう事のほうが危険だと思います。
ハロウィンってどうして、根付いたんだろう? 肯定も否定もしないけど、だったら日本風にアレンジしてもいいんじゃないのかな?『天の岩戸』風とかに・・・子供向けじゃないか(笑)
ゆえあって以後2号ほど私は消えます。それ以降のことはその後考えます。
とりまの措置です na85