na85さん のコメント
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第152号 2015.10.20発行 「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)
【今週のお知らせ】
※「ゴーマニズム宣言」…価値相対主義を批判し「価値判断から逃げるな!」と檄を飛ばすことから始まった『ゴーマニズム宣言』。しかし、そんな『ゴー宣』の語り口がウケると、いつの間にか似たような物言いが増え、今や「暴言・放言」が持て囃される時代になってしまった。複雑な思考を重ね責任を負って主張している『ゴー宣』と、炎上目的の無責任な「暴言・放言」主義者を一緒にするな!
※「ザ・神様!」…相模国での絶体絶命の大ピンチを乗り越え、より一層絆を深めたヤマトタケルとオトタチバナヒメ。一行は鎌倉を抜け横須賀へ、半島の東端に辿りつくと、目の前には、走水海(現在の浦賀水道)が広がっていた。しかし、そこにはさらなる危険と大きな悲劇が待ち受けていた…!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!マイナンバーへの拒否感は左翼の感覚に通じていないか?クリントンが大統領になり「TPPやめる」と言ったらどうなる?南京大虐殺がユネスコの記憶遺産として登録された件をどう思う?「コロコロ」でライバル視したり意識していた作家は?ハロウィンはこのまま定着して良いの?身共に離れられないのに刹那で、虚無的な男女関係をどう思う?…等々、よしりんの回答や如何に!?
【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第148回「断言主義から放言主義へ」
2. しゃべらせてクリ!・第112回「貧ぼっちゃま!こりが格差社会ぶぁ~い!の巻〈前編〉」
3. もくれんの「ザ・神様!」・第67回「ヤマトタケル物語・その8」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 読者から寄せられた感想・ご要望など
7. 編集後記
第148回「断言主義から放言主義へ」 90年代前半、『ゴーマニズム宣言』がヒットし始めた時、真っ先に注目されたのは、その 「語り口」 だった。
人にどう思われようが、自分の思うところをズバリと「断言」するスタイルは、当時としては非常に斬新なものだったのだ。
それは、自ら意図したことでもあった。
なにしろわしが『ゴー宣』を始める当時は、 「価値相対主義」 の時代であり、「ポストモダン」の時代だった。絶対的価値はない、価値判断から逃げるべきであるという風潮が主流だったのだ。
週刊SPA!平成4年(1992)1月22日号に載った連載第1回では、わしは 「日本人はまったく自分を主張せん!」「謙譲の美徳にかくれてはっきりモノを言わん態度をとりたがる!」 と批判し、 「自分の考えをゴーマンかませ!」 と檄を飛ばすことから始めている。
「傲慢」だの「たかが漫画家が」だのというバッシングが来るのも想定のうちで、それでもかまわず表現の自主規制問題から部落差別、オウム事件、薬害エイズ事件、従軍慰安婦問題から歴史認識問題と、その当時誰も手をつけようとしなかった事柄について次々発言し続け、様々な反響を巻き起こしながら現在に至っていることは、古くからの読者には周知のことであろう。
だが、そんな「ゴーマニズム」の語り口がウケると、いつの間にか似たような物言いが増えてきた。
そして気がつくと、今や「断言調」の語り口は世の中に氾濫している状態である。
世間一般の目からすれば『ゴーマニズム宣言』の小林よしのりの語り口も、よくある「断言調」の物言いのひとつで、そう珍しくはないものに映っているのではないか。もしかしたら、むしろその中ではまだおとなしい方に見えているかもしれない。
何しろ、一般大衆の多くは「語り口」しか見ていない。その「断言口調」で何を言っているのか、発言の内容まで深く吟味しようとは考えない。
どんなに間違ったことだろうと、全く無責任な放言だろうと、明らかな嘘八百だろうと、とにかく強硬に「断言」さえしていれば、スゴイと思われるのだ。
その発言が批判を受け、しかもその批判が正当で、発言が矛盾していることが暴かれていても、開き直って破綻した主張を「断言」し続ければ、批判に屈しない信念のある態度だとして人は喝采するのだ。
だから、安倍晋三の人気は落ちないのである。
安倍晋三は、安保法案の審議において「断言」を繰り返した。
「戦争に巻き込まれるということは絶対にないということは断言したい」
「徴兵制が敷かれることは断じてないと明快に申し上げておきたい」
「専守防衛が基本であることにいささかの変更もない」
この「断言」は、オリンピック招致の際のあの発言を思い出させる。
「私が安全を保証します。状況はコントロールされています」
「汚染水は福島第一原発の0.3平方キロメートルの港湾内に完全にブロックされている」
「健康に対する問題はない。今までも、現在も、これからもない」
「東京にはいかなる悪影響を及ぼしたことはなく、今後も及ぼすことはありません」
いずれの「断言」も何一つ根拠がなく、明らかな大嘘である。そしてそのことは散々指摘され、批判を浴びているのに、それが大して安倍のダメージにはならないのだ。
常識を見失い、堕落し劣化した日本の言論状況に闘いを挑む!『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりのブログマガジン。小林よしのりが注目する時事問題を通じて、誰も考えつかない視点から物事の本質に斬り込む「ゴーマニズム宣言」と作家・泉美木蘭さんが圧倒的な分析力と調査能力を駆使する「泉美木蘭のトンデモ見聞録」で、マスメディアが決して報じない真実が見えてくる! さらには『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成させる大喜利企画「しゃべらせてクリ!」、硬軟問わず疑問・質問に答える「Q&Aコーナー」と読者参加企画も充実。毎週読み応え十分でお届けします!
「自由民主主義の政治の前提には、安定したネイション(国民集団)やナショナリティ(国民意識)の存在が必要であると考えられている。また、ナショナルな言語(国語)や文化にも、自由民主主義を成立させる重要な役割がある」
上記は、高森先生のブログ「民主主義には国籍がある」の中の光施恒氏の言葉を引用した部分の抜粋です。これは、顔の見える気心の知れた人々の集まり=共同体なら民主的な審議が成り立つことを表すのだと思われます。そうであるなら、同一の民族が住み、同一の国語を話し、同一の国民意識を持ち合わせていなければ民主主義は成立しないのではないか?と考えられます。
それでは中東諸国のように民族分布を無視して国境線を引かれた場合や、米国やシンガポールのように移民を受け入れて活力を得るタイプの多民族国家では、民主主義は不可能だということになります。逆に言えば、同一言語を話し、国内に住む人間すべてを同朋と言ってしまえる日本のような共同体国家こそ、本来最も民主主義が成り立ちやすいと言えるはずです。
「関西版ゴー宣道場のテーマはデモということですが、僕はそれを「政府、議会へのクレーム」だと捉えていて、また、そう捉えた方がデモに対する正当な評価ができると確信しています。
(中略)
とは言え、政府の側も憲法違反の法律を無理やり通そうとしていたのは事実。これは企業で言えば、コンプライアンス違反であるから、デモ隊はそこを徹底的に突けば正当なものになりえた?」
これは関西ゴー宣道場に応募された福岡県の公務員の方(daiさんだ、これ・笑)の、応募動機の文章から抜粋したものです。デモとは政府へのクレームであり、政府が憲法違反の立法というコンプライアンス違反をやり、かつ正統な手続きが間に合わない場合は、クレームで表明することは間違いではないのでは?というわけです。これは凄い指摘だと思います。
それでは、最も民主主義が成り立ちやすいはずの日本において、なぜデモという方法を取らねばならない事態に陥るのでしょうか?これは、我が国が他国により陰に陽に支配されているからだと考えます。為政者が他国の意向に逆らえないため、憲法違反であっても他国の都合に合わせた立法を乱発せねばならなくなるのです。これに対して国民が採りうる手段として存在するのは為政者を選別する選挙ですが、これが日程的に全く間に合わず、小選挙区・比例代表並立制という手段そのものにも重大な瑕疵があるわけです。ではどうすれば良いでしょうか。
例えば、購入した商品が対価に見合わない欠陥商品だった場合、消費者センターに届け出ることも考えられますが、脚の速い食品などの場合は即座に購入した店にクレームを付けるのが良いでしょう。クレームが正当であれば店側も誠実な対応をしてくれるはずです。主張が不当であればモンスタークレーマーとして処理されるでしょう。しかし、店側が不誠実な対応しかしない場合、そして泣き寝入りするには腹に据えかねるという場合、今後被害者を増やさないためにマスコミに訴えるという手段が考えられます。おそらく、これが現代のデモという手段の狙う実質的な効果でしょう。
デモの主張が不当ならデ・モンストレーションよろしくモンスタークレーマー扱いで良いのですが、これが正当であれば政府は該当する政策の是非をもう一度考えねばならないはずです。それをできない理由が、政府が正面から抗えない他国による影響であった場合も、デモ主催者には手続きの瑕疵を突く方法は残されています。今次のデモの場合であれば、憲法を無視した立法という立憲主義の問題でしょう。
さて、世界史的に見ても善政だった日本の江戸期に行われたデモは一揆ですが、多くの場合要求が聞き入れられたようです。またある時期に設置された目安箱は、庶民の要望が直接反映されるものでした。しかしこれは、他国の支配を全く受けない国において、しかも為政者たちも道徳を備えていたからできたことであり、不平等条約下の明治期には全く違った様相を見せていたわけです。この場合やはりマスコミが大きな役割を果たしました。選挙制度が整備される以前には、マスコミが火を点けた世論の高まりが正当なテロ(一人一殺の右翼テロ)を後押しする形となりました。
しかし、現在はテロは厳罰という合意が出来上がっており、テロの効果が影響した政策は正当性が疑われる時代となりました。また、マスコミが政府に懐柔されているため世論の高まりに全く寄与せず、デモという現象は左翼文化人に活気を与える役割しかなくなり、デモ組織そのものも左翼のオルグ機関と化しています。ゆえにデモは、政府に正当なクレームをつける方法としては非常に危ういことが判ります。効果を期待しない永久運動としてのデモは、示威行動ならぬ自慰行動だと言われても仕方ないわけです。
であれば、どうすればまともに民主主義は機能するのでしょうか?それを考えるのが次の関西ゴー宣道場、「とりま民主主義ってデモか?」ということです。
皆さん、ガンガン応募しましょう(私も応募しました) na85
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